歯科医院を経営していて、20人以上の社員がいますと、出ていく経費も当然多くなってきます。



良いサービスを行っていくためには、いい人材の確保は不可欠になってきます。


良い人材は確保したいが、少数精鋭で社員数は極力抑えないと今のような厳しい時代の経営は難しいです。



こういう厳しい経済の状況下においては、ライバルは周りの歯科医院ではなく、患者様の期待に添う努力がライバルになってきます。


他社との「競争」から、自社での「精進」が生き残る道になってきます。


「周りが行っているからする」というのでは、今の規模では経営的に追いつきません。


当クリニックがありふれた歯科医院なら、わざわざ多くの歯科医院の中から選んで来ていただけないからです。


常に「周りがやっていないからスタートする。」


というスタンスで、業界に先んじて何かを行っていかなければ生き残っていけません。


よく言う、イノベーションというのは、周りに先駆けて行っていくものですが、そのヒントはお客様が持ってきてくれます。


歯科医院でいえば、患者様が望まれていて、「そんなことできないよ~」ということを行っていくことがイノベーションにつながってきます。


「業界の常識、お客様の非常識」をお互いの常識に変えていくことがイノベーションにつながります。


「言うは易し、行うは難し」


できないことをできるようにしていくことが経営者、トップの仕事ですから、患者様のお声に真摯に耳を傾けていくところに、新しいヒントがあると信じています。


患者様やスタッフがクリニックのレベルを上げていくためのヒントを持っていても、トップがその言葉や言動を簡単に見落としていたのでは、何も改善していきません。


そのためには、人間的に謙虚にプラス思考で生きていかなければいけないと思って精進したいと思っています。






イノベーションについて(Wikipediaより)

物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。新しい技術 発明 だけではなく、新しいアイデア から社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会 の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。






先日、子供の運動会に参加してきました。


子供は年長なので、最後の運動会でしたが、子供なりに頑張って今後の人生へ何かをつかんでくれたのではないかと期待しています。


運動会では、やはり自分の子供の成長を感じますが、幼稚園の先生の一生懸命さにも毎年心を打たれます。


自分の教え子の成長に涙される先生も多く、涙が出るぐらい子供たちの成長がうれしいんだと思うと、どんな気持ちで日々の仕事に向かわれているのかと想像すると、こちらも涙が出そうになってきます。


最近ではモンスターピアレンツなどの存在もクローズアップされていたりして、幼稚園の先生や園長先生は大変な気苦労をされているのではないかと思われますが、純粋な子供たちの将来をイメージしながら働かれている先生たちには本当にご苦労様と言いたいです。


自分の子供の世話だけでも大変だと日々感じていますが、多くの幼児の世話はとても大変なことだと思います。


だからこそ、人は誰かのために一生懸命働かれている姿に感動するのだなと再認識しました。


働くとは「人のために動く」と書きますが、仕事を通じて利他の気持ちが成長していくんだと思います。


幼稚園の先生方に負けないように頑張って働こうと思った運動会でした。

テレビも新聞も日常の会話も、他人の批評がどれくらいの割合を占めているのかな?と考えたことがあります。


と言いますのも、多くの人の会話のかなりの部分が他人への批評ではないかと感じたからです。


政治にしても、身近な人への言動にしても、この現実は決して理想的なことではないでしょう。


はっきり言って問題だらけ、欠点だらけだと思います。

しかし、他人を批評している人と、何かを行動している人とどちらに価値があるのでしょうか?


他人の批評をしても何も前進しません。


行動している人の足を引っ張るだけです。


極論すれば、世の中の人全員が自分では何も行動しないで、他人のあらを探すだけのマイナス人間の集まりになったことを想像してみてください。


どんな悲惨な世の中になるかを考えただけでぞっとします。


それは決して多くの人が望んでいる世の中ではないでしょう。


逆に全員が行動派であっても間違った方向に進むのかもしれません。


世の中はバランスが大切です。


行動する人を批評する人も数%は必要なのかもしれません。


しかし、現代では批評家の割合が多すぎるように思います。


人を批判する前に自分は何をしているのか、人を批評するだけのことを行動しているのかを確認する必要があるのではないかと思います。(自分も反省しています)


政治家の政策を批評するのであれば、最低限選挙には行く、政治に興味を持って自分のできることは小さなことでもする必要があるのではないでしょうか?


他人の批評だけして自分は高みの見物というのでは、足の引っ張り合いの悪循環の典型の様に思います。


他人の批判をしている時は、自分はその人より偉くなったような錯覚を起こすので、一瞬は気持ちがいいですが、自分の潜在意識に、自分も何か行動すると、同じように批評されるという恐怖心が無意識で植えつけられてしまいます。

世の中は一人ひとりの集まりです。


11人が他人を批評するのではなく、小さなことでも自分ができることを遂行していくことで、少しずつ改善していくのが理想だと思います。


偉そうなことを言っている私も他人を批評することは多々ありますが、他人を批評することで自分が不幸になっていくことを知っているので、他人を批評した時には意識的にすぐに相手のどこかいい点を探すようにしています。


批評家になってしまうと、自分が不幸になるだけでなく、自分の周りの人も不幸に巻き込んでしまうので、極力批評家にならないように意識しています。

多くの人が、無意識で批評家になることのデメリットを認識しないで、安易に批評家の仲間入りをしているように思えます。


そして、批評家になることが、自分の幸せをどんどん遠ざけていることに気づいていないのであれば、批評家になることで自分は何を得て、何を失っているのかを真剣に考える必要がある様な気がします。

今回のブログは、自分も評論家への誘惑には負けないように自分を戒める意味でも偉そうなことを書いてしまいましたが、何かを感じていただければ嬉しく思います。

コミュニケーションは、別名、言葉のキャッチボールといわれています。


しかし、多くの場合、キャッチボールではなくドッジボールを仕掛けてくる人が多いです。


キャッチボールは相手がとりやすい球を投げ返すことが目的で、ドッジボールは相手がとりにくいボールを投げて相手を負かすことが目的です。


会話というのは、相手のコメントに敬意を払って言葉を返していくことが基本です。


しかし、実際には、相手のどこが間違っているか、あるいは自分の意見の方がどんなに相手の意見より優れているかをアピールしようとする人が多いのが現実ではないでしょうか。


特に家族や友人など、身近な人ほど話し相手と勝負したがる傾向があるように感じます。


なぜなら、あまり知らない他人にむやみにドッジボールを挑めば、相手は気分を害して「なんじゃこの人は?!感じ悪い人やな~!」となるのでそういう人の周りには人が寄り付かなくなってきます。


身近な人にはそういった遠慮の気持ちが少ない分、理性のブレーキが効いていないので、人間の本心が出やすくなるのです。





人は誰でも自分の存在価値を認めてほしいものです。


しかし、なかなか、人は他人の事を褒めたり認めてくれません。


そこで痺れを切らして、無意識のうちに、他人の意見を否定して自分を相手より上に見せようとしてしまうのです。


初めから、ドッジボールをするのがわかっていれば、お互いにそのつもりで臨みますが、片やキャッチボールのつもりでボールを投げたのに、いきなりドッジボールのような球が返ってくれば受け取る方は困惑してしまいます。


若い時には、相手に議論で勝つことが優秀である、というような受け止め方をされてきました。

ドッジボールの強い人が尊敬に値したように思います。


しかし、社会に出て、ドッジボールの強い人よりも、キャッチボールの上手な人の方が評価されるのです。


ましてや、相手がキャッチボールを投げているのに、いきなりドッジボールを返すような人が尊敬されることはありません。


若い時の名残りで、会話の流れがドッジボールになりがちなのは仕方がないかもしれませんが、そこを理性でキャッチボールのうまい人になっていくのが人から高く評価される1つの要素ではないかと思います。


ドッジボールは相手を負かせばいいのですから、ドッジボールの技術のゴールはあっても、キャッチボールに関しては、どれだけ相手の事を思いやって投げ返してもこれで完璧という究極のゴールはないと思います。





私を含め、自分の会話は、キャッチボールのつもりがドッジボールになってないかを反省すべき人は多いのではないでしょうか?




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人が生きている目的の一つに「自分を好きになる」「自分らしく生きる」ということがあると思っています。


では、「自分らしく生きる」というのは、どういうことなのだろうと考えた時、自分の本心良心に従って生きていって、それを評価してくれる人がいるという安心感を持って生きていくことではないかと思います。


人は弱いもので、1人では生きていけません。


自分を支持してくれる味方がほしいのです。


だからといって、他人に合わせた無理な生き方をしたいわけではなく、自分が思うとおりに生きているのに、それを認めてくれる人がいるという生き方をしたいのではないでしょうか?


「人生、味方半分、敵半分」とよく言われますが、半分でも自分を支持してくれる人がいれば、前向きに生きていけるのです。


若い時の恋愛なんて、この人は自分の味方だ、この人は自分を評価してくれているという安心感のために、恋愛を求めて生きているのではないかと感じます。


家族、自分の周りの人、仲間、仕事で接する人、お客さんなど1人でも多くの人に自分を認めてもらいという思いで人は生きているように感じます。


そのためには、認めてもらえる生き方、考え方をしていかなければいけないと思います。


自分らしく生きるためには、まずは自分で正しいと思う考え方、行動を積み重ねていかなくてはいけないのではないかと思います。


自分らしく生きるというのは、決して簡単なものではなく、人が死ぬまでのテーマだと思います。