朝、自転車で子供を送っていた時に、細い道でバイクと接触しそうになり、バイクの運転手が睨んできたので、こちらもにらみ返して一瞬やばい雰囲気になりました。

双方ともそのまま進んで行きましたが、後で考えると、どちらかが汚い言葉を投げていたら言い合いになったのかなと思いました。

46歳にもなって若い人と同じような感情で対応しようとする自分が「成長ないな」と感じる自分がいましたが、些細なことでその日1日を無駄にしていたかもしれなかったことを反省している冷静な自分もいました。


私の中で、気持ちが感情的になる領域に入ってしまうと、悪循環からなかなか抜け出せなくなるので、自分の感情を極力その領域に入れないように意識しながら生活しているつもりですが、理性よりも感情の方が勝ってしまうとコントロールが難しくなってきます。

例えば、忙しくてイライラしてしまったら、自分のとるべき行動は悪循環に入り込みます。

いったんそうなると、なかなか元に戻すのが大変なので、忙しくてもそれに流されてイライラしないように、イライラしない考え方に変えようとしています。


病気も感情も予防が一番です。

虫歯や歯周病になって治療するよりも、ならないように予防することが一番効果的なのに、多くの場合、病気になるまでなかなか予防をやる気にはならないものです。

感情のコントロールも、悪循環に入った時に「しまった!」と気づいても元に戻すのには予防の何倍もの時間とエネルギーが必要になってくるのです。


普段から目の前の出来事に惑わされないで、心を一定に保つ大切さを意識しながら生きていくことが大切なんだと再認識しました。

お金を儲けることは人間の欲望を追求していることに繋がるので、多くの人は快く思いません。

物欲、金銭欲、名誉欲、性欲、出世欲・・・・・・人間の欲望は抑える気持ちが尊いのであって、欲望を追及する人間は人間的に卑しい人間だと考えられています。

 欲望を追及する人間のタイプとして、自分のことだけを考える利己的人間がイメージされます。

昔の修行僧はそういう欲望を打ち消そうと日々努力を重ねてきました。

しかし、そういう煩悩を打ち消したいということも欲望の一つではないかと言う人もいます。  

結論からいいますと、多くの凡人にとって人間の欲望を打ち消すことは不可能です。

打ち消そうと意識すればするほど脳裏から離れなくなってしまいます。

欲望を完全に消すことができないのであれば、それをプラスのエネルギーに変えていけばいいのです。

お金や物や名誉など欲しいものがあるのであれば、それを行動するエネルギーに変えていけばいいのです。

崇高なことを考えていても何も行動しない人よりも、動機は不純であっても結果を出しているうちに動機も更正されてくるものなのです。

 自分の中の低俗な欲求を素直に認め、それを自分のエネルギーとして行動し、いい結果が出たらそのことに感謝していくうちに、徐々に人間としての本能である「人の役に立ちたい」という人間としての使命感などに気付いていくものなのです。

そのためには、自分の欲望をきちんと見つめることがスタートになってくる場合が少なくないのです。

 人間は実績を積むにつれて人間としても成長していくものなのです。

若い時は特に、まずは、利己からスタートしてもいいのです。

利己を追求していくことに疑問を感じたり、疲れてきたりした時に、自然と利他に目を向けるようになるのだと思います。

ビジョンとは欲望に使命感、大義が付いたものをビジョンというのだと思います。

利己だけのものを欲望といい、利己に利他が混ざったものが、共感してくれる他人を巻き込めるビジョンに代わってくるのだと思います。

22人の社員をまとめていくためには、トップとして社員に信用してもらえなければなりません。


経営のトップに限らず、人から信用してもらうにはどうすればいいのでしょうか?

私の考える、人から信用してもらうために心掛けていることを挙げますと

・言行を一致させる(一致させようと努力する)

・嘘をつかない

・自分の生き方、考え方を相手に伝える

・人が嫌がることを進んで行う

・社会や他人に流されないで自分の価値観を持って生きる

・損得の価値観で生きない、思い、志の価値観で生きる

・利己よりも利他を意識する

…………等

個々の方法論を挙げればきりがないと思いますが、一言でいえば「何気なく生きないで、理想に向かって生きる」姿を見せるということのように思います。


仕事に限らず、人間関係は信頼関係が全てです。


人から信頼してもらえる人間は、何をやってもうまくいくと思います。

逆に言うと、人から信頼してもらうということはそれぐらい難しいことなんだと思います。

多くの家でそうであるように、私にとって、父親はとても怖い存在だった。


自分は父親の顔色を見ながら育ったので、自分の子供には恐怖でなく、自分の頭で納得して前に進んでほしいと思っている。


そういう理由で、恐怖心を与えたくないので、私は頭ごなしに強く怒ることはあまりない。


しかし、この日曜日に子供を強く怒ったら、時間がたつと、子供が私のご機嫌を取りに来た。


人は恐怖の方が手っ取り早く動く。


しかし、恐怖心から動いたことは、心から納得したわけではなくて見せかけだけの言動になってしまう。


子供だけでなく社員に対しても、恐怖心からではなく、自分から気づいて行動してほしいと願っている。


教育とは、相手を自分の思うように動かすことではなく、自分の言いたいことを相手に気づかせることだ。


私は子供のためというよりは、自分の感情のはけ口として怒っていただけのように感じる。


子供が、私のご機嫌を取りに来た時、自分の怒り方言い方に問題があったのではないかと反省した。


教育にとって大切なことは「理解と応援」だと思っている。


日曜日の自分は決して「理解も応援」もしていなかったように思う。


常に心に余裕をもって生活することの大切さを実感した一日でした。


親子とも失敗を繰り返しながら成長していきたいと思う。


巷ではGWに入っていますが、当クリニックでは明日から5連休に入ります。


私自身、ほとんどの時間を、仕事のことや上司としてのあるべき姿などを考えているつもりですが、やはり休みに入るとホッとします。


仕事は決して嫌いではないのですが、やはりプレッシャーを感じながら働いているので、休みで息抜きしたい気持ちはあります。


今年の私の幸せへのテーマは「必死に生きる」ということですが、楽をすることとリラックスすることの違いを自分に納得させようとしています。


リラックスすることは、楽をすることとは違って、また必死に生きるための充電だと思おうとしています。


自分で納得しながら休むということは、案外難しいことのように感じます。



「リラックス」も「楽をすること」もやっていることは同じように思えても、心の中での「思い」が違えば、それはよしとできるのではないかと思っています。


人間なので、走り続けることはできません。(できる人もいるかもしれませんが……)


幸せや感謝に敏感になるためには、些細なことでも「楽をしたい」という誘惑に負けないことが大切だとは思いますが、実際には休みながら進まなければ息切れしてしまいます。


すべてのことはバランスが大切だと思います。


まじめすぎてもいけないし、自堕落すぎてもいけません。


49:51の法則で、頑張ったり休んだり、自分で納得しながら進んでいくことが大切だと思います。


ということで、5日間充電して、6日からまた頑張っていこうと思います。