高島政伸さんの離婚問題が一段落しましたが、このニュースの受け取り方は独身の方と既婚者の方では受け取り方が微妙に違うのではないかと思います。



自分が独身だったら「あり得ない~」で片づけられますが、既婚者の場合、「結婚ってなんだろう?」ということから考えていくと、高島さん側と相手側の1つ1つの出来事そのものに関してのコメントよりも、その裏に潜む潜在的な意識のギャップの問題について深く考えてしまうのではないかと思います。




「結婚とは家と家との結びつきだ」と昔は言われていました。

それは女性の名前が変わったり、男性の家に嫁ぐからそう言われていたのが、今では夫婦別姓も可能だし(法的にはまだですが)、親と同居ということも少なくなり、結婚は「家と家」から「個人と個人」に変わってきていると言われるようになってきました。

しかし、結婚はやはり家と家の結びつきの様な気がします。



その理由は、結婚するまでに、夫は夫の家族の中の常識で成長して社会人になってきました。

一方、妻は妻の家の常識で成長して社会人になってきました。

これを国際結婚で当てはめてみればわかりやすいですが、日本の常識と海外の常識では大きな文化の違いがあります。

これはどちらが正しくてどちらが間違いではないのです。


正誤ではなく、ただ違うだけなのです。


同じ日本人の家族においても、各家においてのルールや常識には微妙な違いがあるのです。

それをお互いが、自分の家のルールこそが正しくて相手の家のルールは間違っていると主張しあうことで衝突が始まるのです。



「自由が欲しければ結婚しない方がいい、さびしいのに耐えられない人は結婚した方がいい」と言っていた人がいましたが、人生においてはすべてを得ることはできません。



「結婚は人生の墓場」など結婚に対してマイナスのコメントは多いですが、「結婚」=「幸せ」とか、「結婚して相手に幸せにしてもらえる」などという考え方を持って結婚すれば、「こんなはずでは………」となってしまいますが、結婚にはいいことも悪いこともあるという視点で、結婚を見ていけば決して悪いことだけではないのではないかと思います。



結婚生活を続けていくことが正しくて、離婚することが間違いだとは全然思っていませんが、どちらを選択するにしても、結婚に限らず、いい点を見つけようとするプラス思考の生き方をしていくのか、悪い点ばかり不平不満を言って生きていくのかで、人生の質が違ってくると思います。


どんなことにも、いい点も悪い点もあるという見方で「得意淡然、失意泰然」を目指した生き方をしたいものです。












ここ数年スタッフも増え、経営者のトップとして、自分自身の人格形成に力を入れるようになってきました。


20年間歯科医院経営をしてきて、経営がうまくいかない時は、スキルこそ現状を突破する手段だと思っていました。
実際、開業当時の赤字経営から脱出するきっかけは、高度な歯科技術やマーケティングなどの技術を習得した事でした。
そして、より発展する為に、その後も最先端のスキルを求めて長年さまよいあるきました。

しかし、あるレベルを超えてから、自分の中で何かしっくりこない感覚がありました。
患者さんも増え、仕事が順調で、資金的にも余裕が持て始めたのに自分の心が満たされないのです。
周りからは羨ましがられ、幸せだと思われているのに自分の中では幸せだとは感じられないのです。

そのうちに「自分的な目標を掲げ、それを追い続ける事が本当に幸せなのか??」と考えるようになってきました。


そんな時、病弱な妹がいつも聞いていた音楽の中に、ザ・ブルーハーツの「情熱のバラ」という音楽がありました。
難病に侵されていた妹は、どんな時も決して愚痴っぽい事は言いませんでした。
この歌を聞きながら自分を鼓舞していたのでしょう。

妹の気持ちを思うと、健康で何不自由ない自分が、幸せを感じていない事は何か罰が当たるぐらい人間として間違っているように感じました。

妹は難病のため38歳で亡くなりました。
妹が亡くなってからは、いつも身近に妹の存在を感じて生活するようになってきました。

そして妹が亡くなってから、今まで以上に「死」「幸せ」など目に見えない事について考えるようになっていました。

自分もいつかは死ぬ。

死ぬことが前提の生だから、どう生きるべきかを真剣に考えるようになってきました。

そうしていると、「幸せ」とはなるものではなく、感じるものだという事に少しずつ気付いてきました。

「幸せ」を感じる為には、自分の考え方、受け入れ方を変えていくしかないと思い、少しずつ自分の人格を高めるような考え方を追求するようになってきました。

今現在「愛、信頼、感謝」という事を人生目標として追及しているのは、妹のおかげだと思っています。




永遠なのか本当か 時の流れは続くのか 
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部 
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方 
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ 
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう

情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方
The Blue Hearts 「情熱のバラ」より


昨日はプロ野球のドラフト会議でした。

私は指名されるわけではないのに、1日中そわそわしていました(笑)

私だけでなく、多くの人がドラフト会議でドキドキする人が多いから、TVのゴールデンタイムにもドラフト会議の番組を特集するのだと思います。

人間の意識している部分はほんの少しで、人間は無意識の心の動きで行動しているものですが、昨日もなぜ自分がそわそわしているのか自分でも理解も説明もできませんでした。

自分なりの心の動きを推測、把握することは生きていくうえでとても大切な事だと思っているので「なぜドラフト会議は人をドキドキさせるのか?」を真剣に考えてみました。

いくつかの考えられる理由をいくつか挙げてみます。

他人事とはいえ、使命される選手の人生がくじ引きで決められてしまうということへの切なさを自分に置き換えて考えてしまうことで、その選手の気持ちに近づける高揚感

プロ野球という華やかな世界への通行手形を手にする人々への羨望の気持ちと期待

新戦力が入ることで、来年のプロ野球の勢力図に動きができるのではないかという期待感

自分のひいきにしているチームがどういう選手をとるか?それによって来年は優勝できるのではないかという期待感

自分はドラフト会議でなぜドキドキするのかを考えていると、これって、AKB48の投票が一大イベントになるのと同じ心理状況ではないかと思えてきました。

AKBの投票ってドラフト会議のドキドキをモデルにしているのではないかと思ってしまいました。

TVなどイベントをプロデュースする人ってこういう、人間の心理を深く考えているのだろうな~と再認識しました。

私の中では、仕事ってお客様の気持ちを動かすことだと思っています。

人間関係も、最終的には相手を気持ちいい方向に動かしてあげることだと思っています。


どうすれば人の気持ちが動くのかを真剣に考えるためには、まずはなぜ自分の気持ちが動いたのかを自分で把握する作業が大切だと思っています。

そういう観点から、成長していくためには、自分の無意識の部分を意識下に引き上げていくことが必要で、そのためには自分との対話は不可欠だと思っています。

長女の風邪が長引き、学校を1週間以上休み、今日久しぶりに登校しました。

結構明るいタイプで口数が多い方ですが、今朝は久しぶりの登校で緊張しているのかすごく無口でした。

久しぶりの登校で、いろんなことを考えているのだろうと思いました。

娘の頭の中を見ることはできないので、あくまで想像するしかないですが、人間というものは、環境が変わるといろんな不安に駆られるのだろうと思いました。

風邪で休んだ当初は、早く学校に行きたいといっていたのに、休みが長くなってくると最近は学校に行くのが何か嫌なのかなと感じることもありました。

登校拒否や引きこもりなども、きっかけはちょっとしたことなのに、引きずってしまって大きくなっていくことがあるような気がしました。

人間って何かを不安に思えば後ろ向きになり、希望や楽しみを見つければ前向きになれますが、全ては心が体を動かしていることを痛感します。

プラス思考、前向きな考え方は、いい行動を起こすためにはとても大切だと感じます。

同じことが起こっても、プラスに考えられるのもマイナスに考えてしまうのも、全て自分の考え方次第なんだと思います。

どんな時にも心を前向きに向ける努力をしていきたいなと思いました。

読書をする=いい事

ボーっとする事=悪い事

読書をしていない時=成長していない時

私の中で、上記のような方程式があるような気がします。

何もすることがない時に、「読書でもしなければ!」と思ったり、本を読んでいないということは成長していないこと、という強迫観念のような焦りのようなものを感じる時があります。

しかし、成長するために、読書は本当に絶対条件なのだろうか?と考えることがあります。

多くの人は読書を勧めますが、何のためにその本を読むのか?がはっきりしないで読んでも、得る物が少ないのではないかと最近考えることがあります。

私の中で普段から大切にしていることが、「何をするか」よりも「何のためにするか」があります。

その原理から言えば、「何の本を読むか?」よりも「何のためにその本を読むか?」の方が大切なように思えてきました。

「自分は今何を悩んでいるのだろうか?」「自分はどういう方向に進みたいのか?」など

何をしたいかわからなければ、やみくもに本を読んでも、どんな本が自分に本当に効果的かもわからないような気がします。

最近の自分の最大のテーマが「自分を知る」「自分の無意識の部分を意識下に顕在化する」ということです。

自分というものが何者であるのか、何を望んで生きているのか自分の潜在意識に問いかけていますがなかなか答えてくれません。

自分を知るということって本当に難しいな~と感じる今日この頃です。