尖閣諸島の領土問題で、中国の愛国心教育が取り上げられていますが、私は愛国心教育自体はいいことなのではないかと思っています。

問題なのは、教育という名の、国の思惑を意図した洗脳になってしまっていることが問題なのではないかと感じます。


国民が自分の国を愛することは当然であり、なくてはならない気持ちのような気がします。

愛国心は、親を大切に思ったり、年長者を敬う気持ちを教育することと同じだと思います。

むしろ日本も、愛国心についてもっと考える教育をしていくべきではないのかなと思います。

戦争で、愛国心という名のもとに多くの命が犠牲にされたことで、愛国心=軍国主義のような図式で物事を考えてしまいがちですが、愛国心を持つということは、自分がその国の一員であるという義務や責任、使命感を持つということではないかと思います。


愛国心とは、国が国の都合のいいように国民を利用するためにあるのではなく、国民11人が幸せになるためには、いい国に改善していくために、国民1人1人が「自分には何ができるか?」という自覚を持つために必要な心がけのような気がします。


社員が幸せになっていくためには、いい会社である必要があります。

そのためには、社員11人が愛社精神を持って、その会社の1員である自覚と誇りを持って、社員としての義務と責任や使命感を持って仕事をしていかなければ、嫌いな会社で働いていたり、会社の事を何とも思っていない社員が幸せだということはあり得ません。

仕事をしている自分が幸せになるためには、自分の会社を愛さなくてはいけません。


同様に、日本人として日本で幸せに生きていくためには、日本を愛することは必要不可欠な事のように思います。

愛する形が、過去に戦争という不幸な形になったことは悲劇ですが、国を愛する気持ちを教育したり推奨していくことはもっと積極的に行っていいのではないかと感じます。


本来、愛国心や親孝行や敬老の気持ちなどは、持っていて当たり前の気持ちのようにも思いますが、道徳教育というもの自体、持っていて当たり前の気持ちをより深いレベルで「何のために国を愛するのか?」「何のために親を大切にするのか?」「なぜ年長者を敬うのか?」などを、折に触れて考えるきっかけを持つ場のような気がします。



日本は、もっと道徳教育を積極的に行っていくことが必要な時代になってきているように感じるのは私だけではないのではないでしょうか。

私は医院のトップとして20人の以上の社員のやる気を上げなければなりません。

そのためには、まずはどうすれば自分のやる気が上がるのかを知らなければなりません。

私は、歯科医師として頑張ることは、歯科学の学問を勉強して良い治療を行うことです。

一方、歯科医院の経営者として行うことは、良い社員を雇い、その社員に頑張ってもらうことです。

歯科医師としての頑張りは、自分自身が頑張ることだから、努力の方向性としては学生時代の勉強の頑張りの延長になります。スポーツに例えれば、選手が自分の為に頑張る努力です。

一方、社員に頑張ってもらうということは、他人に頑張ってもらうにはどうすればいいかという努力です。スポーツに例えれば、コーチや監督の努力になります。

頑張る、努力すると言っても、両者では頑張る方向性が全く違います。

社員に頑張ってほしいからと言って、「頑張れ!頑張れ!」と言い続ければ、社員が頑張るわけではないです。人間ってそんなに単純なものではありません。

他人に頑張ってもらうためには、まずは、自分はどういう時に頑張るのかを自分で知らなければなりません。

人間は、基本的には楽をしたがる生き物です。

私を含め、楽をして良い思いをしたいという矛盾したことを平気で考える生きものです(笑)

それが、長年、人生経験を積んでいくに従い、楽をしていたら良い思いはできないことを痛感して「頑張らなければ!」という意識が心のどこかに芽生えてくるのだと思います。

しかし、それでも「楽をしたい!」という本能との戦いは死ぬまで続くのだと思います。

人間が「頑張る」為には、頑張った向こう側に何があるのか?の頑張る理由がないと心から本気で頑張れないものなのです。

はっきりとした「頑張る理由」がない人は、頑張ることが目的化してしまい「今日も頑張るぞ!」と思ってはいても、頑張りが長続きしないのです。

それは、「今日も頑張って穴を掘るぞ!」と思っても、穴を掘って何を掘り起こすつもりなのか?が見えていない人には、気持ちが前向きな時には穴を掘れますが、疲れてきたり、気持ちが盛り上がらない時には、「俺はなんでこんなことをしているんだ?!」「こんなことをする意味があるのか?!」という楽をするための言い訳が必ず頭をよぎり始めるのです。

その時に、「俺は温泉を掘り起こすために頑張って穴を掘っているんだ」とか、自分にとっての意味と価値、社会にとっての意味と価値など、穴を掘る理由がはっきりしている人は、そういう状況でも頑張って穴を掘れますが、穴を掘っていること自体が目的になっていて「理由はよくわからないが、給料をもらっているし、穴を掘れと言われているから掘っているんだよ」と言う人は、本当の意味では頑張り続けることはできません。

「頑張ること」を目的化させないために、頑張る理由を伝えていくことが経営者としての最大の使命だと思います。

世間的には、私は「仕事人間」の部類に入ると思います。

仕事をしている時が一番充実しているし、仕事を通じていろんなことを学ばせていただきました。

定年とか関係なく、体が動く限りは仕事をしていきたいと思っています。

スタッフなどから、仕事の何がそんなに楽しいのか?と聞かれることがあります。




人間は、意識している部分よりも、無意識の潜在意識の部分で判断していることが多いです。

「なんでこの洋服が好きか?」「なぜ、この人と結婚したの?」「なぜ、この映画を観に行くの?」「なんでこの仕事を選んだの?」etc………


これらの答えは意識している部分の答えであって、決して深い部分に潜む本当の答えの訳ではありません。

人間は、意識しているほんの一部の情報を真実だと思い行動しますが、本当の答えは無意識の潜在意識の中にあります。

心理学とか、コーチィングとかは、この深い部分にある潜在意識の情報を、意識レベルにまで引っ張り上げることだと思います。

潜在意識とは無意識レベルにあるのに、どうやって意識レベルに引き上げるかというと、自分の意識下レベルを少しずつ深くしていくしかないと思います。

色んな情報をたくさんインプットするのではなく、自分の中での???を深く考え、追求していくことで自分の意識下レベルが、少しずつ無意識レベルに広がっていくように思います。




さて、話を先ほどの「仕事の何がそんなに楽しいのか?」を潜在意識のレベルまで少しずつ広げていくと

・過去に仕事を通じていろんなことを学んできた成功体験が、これからも人間として成長していきたいという気持ちを仕事は持たせてくれる。

・仕事が評価されるということは、その仕事が社会の役に立っている、世の中に貢献しているというあかしであるから、自分の存在価値を肯定できる。

・仕事はチームで行うゲームであるから、仕事が面白いということはチームがまとまっているということ、他人と協力していく大切さを学ぶ大切な場所である。

etc………



時間をかけてもっともっと深く考えていけば、このテーマでの私の潜在意識が開けてくるのですが、考えるということはすごく疲れますので今日はこのぐらいでお許し下さい(笑)

こういう???を1つ1つ真剣に考え、できればそれを書いていくことで、無意識レベルが少しずつ意識レベルに引き上げてくるのだと思います。


せっかく心から「??? → 知りたい!!」と思えるテーマが浮かんだ時には、手間暇を惜しまず、時間をかけて考え、日記やブログなどの形で文字に落とし込むことが、その人の成長を早めてくれる一番の方法だと思います。




西岡選手をはじめ、長谷川選手などボクシングの世界チャンピオンの何人かは「強い相手と戦いたい」というコメントをします。

世界チャンピオンというのは、負ければただの1ボクサーに成り下がってしまうのですから、少しでも長く世界チャンピオンでいる為には、「できるだけ弱い相手と試合をしたい」と考えるのが普通のような気がしていて、西岡選手のような考えが理解できませんでした。

チャンピオンベルトへの執着がないのだろうか?

チャンピオンじゃないと大金も入ってこないんじゃないの?

などいろんな疑問が頭を駆け巡りました。

実際、できるだけ弱い挑戦者を選びたいと思うジムが多いから、WBAWBCからの指定試合というものが存在するのだと思います。

西岡選手などはベルトを失うことが怖くないのだろうか?といろいろ考えているうちに、彼はベルトを失うことが怖いからこそ、あえて強い挑戦者に向かっていく強い気持ちを維持したくて、「強い挑戦者と戦いたい」と発言しているのではないかと思うようになってきました。

生きていれば、困難や思うようにいかない事が一杯です。

そんな時、その困難から逃げようとする姿勢と、あえてその困難に向かっていこうとする姿勢で、恐怖心が違ってきます。

恐怖心というのは、逃げると23倍にも膨れ上がり、逆に向かっていくことで1/21/3に小さく感じるものです。

逃げてたまたま結果が良ければ、また逃げる生き方が習慣化します。

逆に、向かって言って結果が伴えば、大きな自信になります。結果が伴わなくても、恐怖から逃げなかったことは、その後の人生の自信になります。

人生というのは、楽をしよう、いい結果だけを維持したい、という逃げの気持ちになればなるほど、結果は逆に転がるような気がします。

逆に、辛い事、大変な事があるたびに、「さあ来い、welcomeだ」と思えば思うほど、結果もいい方に展開していくような気がします。

いい結果に固執するのか、あくまでプロセスを大事にして結果はおまけだ、と考えられるかで、出てくる結果も大きく違ったものになってくるように思います。

西岡選手が「強い相手と戦いたい」というのは、私には「困難や辛いことがどんどん来い」と言っているように聞こえます。

そして、すごく勇気を与えられます。

スポーツ選手が一般人に勇気を与えてくれるのは、勝った、負けたという結果よりも、そういう困難に立ち向かっていく姿勢ではないかと思います。

西岡選手のような勇気を与えてくれるスポーツ選手が増えていってほしいものです。

私の人生目標の一つに「自殺しない」という目標があります。

スタッフにもたびたび言っていますが、たぶん、「変な人?!」と思っているのではないかと感じています(笑)

今日本では、年間3万人を超えている方が自殺されています。

交通事故よりも自殺者の方が多いのです。

自殺未遂まで合わせますと60万人とも70万人とも言われています。

自殺された方の中で一番多いのが、40代以上の経営者の方だそうです。

また、歯科医師というのは世界的に自殺者が多い職業らしいです。

私は、どちらにも当てはまっています(笑)

今までの人生で、「死んだ方が楽かも?!」「死んで楽になりたい」ということが頭をよぎったことがない、と言い切れる人の方が少ないのではないかと思います。

もちろん深刻にではなく、軽く頭をよぎるのも含めてですが……

物事がうまく回っている時には、自殺なんて考えられませんし、他人事のように感じます。

しかし、一旦、物事が悪循環に回り始めて、未来に希望が見いだせなくなってきた時に、人はどこまで前向きな考え方ができるのか、と考えてしまいます。

実際に自殺をされた人を何人か知っていると、こんなに強い人でも自殺をするのかと思うような人も少なくありません。

あんな屈強で精神力もあるような人が、死を選ぶのであれば、どの人にも自殺は他人事ではないのではないかと感じることが多々あります。

「死んだ方が楽かな?」と頭をよぎる事と、「実際に死を選ぶこと」の違いの距離はどのくらいあるのでしょうか?

「死んだ方が楽かな?」と頭をよぎる人は、自分が置かれた状況によっては「実際に死を選ぶ」可能性がある予備軍なんだろうか?

それとも、「死んだ方が楽かな?」と頭をよぎる事と、「実際に死を選ぶこと」は異次元の事で、全然関係のないことなのだろうか?

死を選ぶときのセリフは「こんなに苦しいのであれば、死んだ方が楽かな?」というのが典型的なような気がします。

としますと、この考え方の延長には、「生きる方が楽か、死ぬ方が楽か?」という究極の選択で死を選ぶのかな?と考えてしまいます。

別の言葉で言えば、「生きる方が得か、死んだ方が得か?」という選択肢で、苦しい思いをしてまで生きるよりも死んで楽をした方が得だ、という結論に至った時には人は死を選ぶ可能性もありえるのだ、と考えると誰もが真剣に考えるべきテーマのような気がします。

上記のようなことを考えると、自殺をしない為には「どちらが楽か?」という基準で生きてはいけないような気がしてきました。

人生においても、仕事においても、楽な道に幸せや宝物は落ちていなくて、多くの場合、大変な方や苦しい方にこそ、宝物が隠れているように思います。

そう実感できれば、生きる基準は「どちらが楽か?」というよりもどちらが大変か?どちらがより成長できるか?という基準で生きていけば、「死んだ方が楽だから……」という理由での自殺は防げるのではないかと考えています。

しかしこれは、冷静な判断ができる時の考え方で、自分がパニックになっている時、冷静な判断ができなくなっている時に、衝動的な行動として自殺してしまうこともあり得るのだろうか?とも考えてしまいます。

「自殺」について上記のように考えることは、不謹慎な事なのだろうか?

それとも、生きることを真剣に考えていけば、死について考えていくことは大切な事なのか?

自分の中でも葛藤はありますが、「自殺」のニュースを聞くたびに、他人事とは思えなくて、私の心は痛み、動揺してしまいます。

特に身近な人でそういうことが起きるのは、とてもいたたまれない気持ちになります。

日本が豊かな国になったから、その反動で心の病が増えているのではないかと危惧しています。