安倍首相が、環太平洋連携協定(TPPの交渉参加を表明しました。



何かの制度を変えていく時に、メリットもあればデメリットもあります。

自由貿易にすれば、不利益を被る人もたくさん出てきます。




農業、医療など今まで、国から守られていた産業がいくつかあります。

国から守られていた分野は、一般的に言ってぬるま湯体制的なところが多いです。

何らかの理由で、弱肉強食を前面に出していくことがはばかられる分野は、今まで国の保護のもとで守られてきました。

当然、守っていく意味も価値もあったのだと思います。



しかし、今後、自由貿易は世界の流れでもあるので、日本だけ「鎖国」を続けることは現実的に困難なのではないかと思います。



作る側の論理を優先するのか、買う側の論理を優先するのかという点で意見が分かれてくるのだと思います。




歯科医院を運営していて、施術する側の言い分というものがあります。

そして、当然、治療される側の言い分もあります。

サービス業とは買う側の論理に、売る側がどこまで歩み寄れるかにかかってくるように思います。

買う側の要求は、1つ満たされれば次の要求が出てきて人間の要求には際限がありません。




しかし仕事とは、お客様があって成立するものである以上、お客様の無茶な要求でもその要求に近づこうと努力した企業だけが生き残れるのだと思います。

そういう意味でも、リスク管理というものは数年単位で考えなければなりません。

今日リスクに気付いて、今日すぐ直せるものではありません。

そんなものは、リスクではなく単なる不注意、ミスです。

今日リスクに気付いたら、数年後の解決に向けての今日から第一歩を踏み出していくしかありません。

しかし、解決する前に、リスクが表面化することがほとんどでしょう。



それでも、3匹の子豚のように、オオカミが襲ってこない事を信じて、レンガの家を作るべきなのです。

目先の結果にとらわれて、わらや木の家を作るのではなく、オオカミに襲われたら、それも運命だと覚悟を決めてレンガの家を作っていくべきだと思います。

わらの家を作っても長持ちしません。

どっちにしろやられる可能性が高いのであれば、死んでも仕方ない、ダメなら運命だと覚悟を決めることが大切なような気がします。



ひと山越えたら、次の山が現れ、生きていくのはしんどいな~、経営していくのはしんどいな~と感じるとは思いますが、人生とはそういうもの、経営とはそういうもの、と諦めるというか、覚悟を決めることが大切なのではないかと思います。



徳川家康の言葉に下記のものがあります。

「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず、不自由を常と思へば不足なし、こころに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし、堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる、おのれを責めて、人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりもまされり」



「不自由を常と思えば不足なし」経営とは変わることを常と思うべきなのだと思います。

会社の変わる速度が、社会や顧客の変わる速度に追いつけなかった時に、その企業は淘汰される運命にあるのだと思います。

日本の変わる速度が、世界の変わる速度に追いつけなかった時に、その国は淘汰される運命にあるのだと思います。





人間は必死に生きないといけないし、経営も必死にならなければ生き残れないと覚悟を決めて、生きたり、仕事したりしていくべきなのだと思います。

人は、気持ちが体を動かします。

国も一緒のような気がします。



変化するリスクを受け入れる覚悟を決めれるかどうかで、同じ現象を苦労と受け取るか、当然のことと受け止められるかの気持ちの動揺が、結果にも表れてくるのだと思います。



戦争のない平和な時代に生きているのだから、仕事や人生ぐらいは死ぬ気で本気で生きていかないと、罰が当たるぞと神様に言われてしまいそうな気がします。



今の自分のマイブームは、「必死に生きる覚悟」です。





















私は、学生時代に受験勉強で頑張ってきた流れで、人生は勉強によって多くの事を学んでいくような気持ちでいました。


これは間違いではないのでしょうが、「勉強から学ぶ事には限界があるな」と少し前から感じ始めていました。

勉強から学ぶ、すなわち左脳から仕入れる情報というのは、なかなか深い部分までしみこんで、自分の物にはなっていないなという実感がありました。

学校の勉強の多くが社会に出てからあまり役に立っていないと感じるのはこのためです。



一方、経験から学ぶ、すなわち右脳から仕入れる情報は、深い部分までしみこんで自分のものになりやすいなという実感があります。

遊びや自分が好きで続けたことは、永遠に自分のものとして、自分の知恵になっているのを感じます。



人間は失敗して恥ずかしい思いや嫌な思いはしたくないので、できるだけ事前に情報を仕入れて失敗を回避しようと生きているように思います。

しかし、それが行き過ぎて「石橋をたたいて渡る」を通り越して「石橋をたたきすぎてわたるのが怖くなる」状況になってしまっているような気がします。


そういう状況は「勉強している」という言い訳を自分にしているだけのような気がします。



例えば、私は38歳で結婚したのですが、それまでに「結婚とは……」ということをいろんな既婚者から情報を得ていて、結婚のメリット、デメリットを自分なりインプットすると、「結婚しない方が楽だよな!」という気持ちの方が強かったのを覚えています。

実際結婚してみて、「私なりの結婚とは……」という考えはありますが、それはあくまで文字や言葉にしてみれば、ということであって、そんな情報を得るよりも、一度結婚してみた方が、一瞬で結婚のことは分かります。



プールや海で溺れるのは嫌ですが、いつまでたっても本で泳ぎを学んだり、床の上で泳ぎの練習をするよりも、とっととプールに飛び込んだ方が、はやく泳ぎを覚えられます。



「失敗を避けたい!」「辛いことを避けたい!」という気持ちがバランスを崩すと、経験する事よりも、勉強することで満足してしまうような気がします。

学生時代には、「勉強する事=いい事、素晴らしい事」という方程式が成り立っていましたが、社会人になってからは、勉強することと行動する事のバランスが崩れてしまうと、勉強することはメリットよりもデメリットの方が多くなる危険性がある事に気が付きます。



「百聞は一見にしかず、一見は一行にしかず」

「案ずるより産むがごとし」 



色んなことわざがありますが、経験に勝る勉強はないように思います。

大人も子供も、今こそ、寺山修二ではないですが「書を捨てて町へ出よう」が大切な時代のような気がします。


勉強というのは、失敗を避けるためにするよりも、失敗から多くの事を学ぶために役立つように思います。



他人を傷つける失敗は避けないといけませんが、自分が傷つく失敗ならどんどん傷ついた方が成長が早いと思います。














スタッフから誕生日のメッセージをいただきました。



本当にありがたいことだと感謝しています。



社員のため、患者さんのため、クリニックのため、の三方よしを実践していきたいと思っていますが、まだまだ、私がトップとして未熟なために、社員にも患者様にも思うようなことができていないと思います。



しかし、常に「昨日より今日、今日より明日」という気持ちを忘れないで成長進化していきたいと思っています。



本当に「企業は人が全て」と言われますが、すごい社員が集まってくれてありがたいと思います。



人生って、いろんな人との出会いで決まると思いますが、多くの人間の人生を背負っているという自覚を忘れないで、これからも頑張っていきたいなと思います。



自分が成長していくことで、多くの人が幸せになってくれるような人生にしていけることが、生きているって素晴らしいと思えるのだと思います。



人生って、前半が自分のために頑張る人生で、後半が自分以外の人のために頑張る人生のような気がします。



人生も完全に折り返していますが、後半の人生こそ、本当に充実させていきたいなと思います。


私の中で、自分の感情をコントロールしていくことは、死ぬまでの永遠のテーマだと思っています。




人間は、理性的な時には正しい判断ができますが、感情的になった時にはとんでもない言動に出るものです。



ある本で、感情は「ゾウ」で、理性が「ゾウ使い」に例えてて「なるほど!」と思いました。

感情という「ゾウ」が一旦暴れ始めたら、理性という「ゾウ使い」でもどうすることもできません。

「ゾウ使い」が「ゾウ」をコントロールできるのは、「ゾウ」が暴れだす前だけです。

理性が感情をコントロールできるのは、感情が抑えられない暴挙になる前だけです。




例えば………

・理性では、不倫はいけない事だとわかっていますが、誘惑に負けてしまえば理性で感情を抑えられなくなってきます。

・子供の教育で、優しく言っていたのに、いつまでたっても子供が直らないと、いつの間にか感情的になって、理性的には決してしないような、子供が傷つく言動を無意識で選んで子供を攻撃してしまいます。

・賭け事をしていて、使うお金の上限を決めていたのに、負けが大きくなってきたら、元を取り戻そうと感情的になって、信じられない金額まで賭け事をしてしまいます。



例を挙げればきりがありません。

人間の多くは、理性を過大評価しているような気がします。

理性なんて、感情の魔力に比べれば、足元にも及ばないと思います。



自分を制御できる賢明な人間は、理性の弱さを十分に自覚していて、決して感情を暴れさせない努力を心掛ける人だと思います。

愚かな人間は、感情が手を付けられない怖さを持っていることを軽視して、簡単に感情的に生きている人のような気がします。



感情の力は恐ろしい……しかし、それをプラスの方向に持っていけば、それは恐るべきパワーにも変貌します。

包丁で、人も殺せますが美味しい料理も作れます。



感情に振り回せれないように生きていくことも、人生においてとても大切な事かと思います。

感情は、振り回されるものではなく、意図的に利用するもののような気がします。

(とても難しいことですが………)
















当クリニックには若い未婚の女性が大半です。

彼女たちと話をしていて、「結婚の意味がわからない」ということをよく聞くことがあります。

院長を20年以上もしていると、結婚式のスピーチをすることも多くなり、結婚について自分なりに深く考えることがよくあります。





最近は、結婚式のスピーチでは「結婚は修行である」という内容の話をすることが多々あります。

実際、今の自分の中で「結婚は修行である」という感覚が強いです(笑)



考え方の違う人間が一緒に生活をしていくので、どんな家庭でも、自分の思うように事が運ばないことが多々あるでしょう。

そういう時に、必死に相手を自分の思い通りに変えようと無駄な努力をする人もいれば、必死に自分の中で感情的にならないように、冷静な気持ちをコントロールしようとする人もいるでしょう。

いずれにしろ、結婚生活は独身生活よりも自分の思い通りにいかないことが増えるものです。

その環境をどうとらえるかで、結婚に意味があるのか、結婚は幸せに結びついているのだろうか、という疑問がわいてくるのではないかと思います。

「結婚は人生の墓場」ということわざがあるぐらいですから、受け止め方によっては、結婚は幸せの入り口ではなく、拷問の入り口になってしまいます(笑)





一般的に、結婚には、いろんな不自由がセットで付いてきます。

時間的不自由、金銭的不自由、生活的不自由、思想的不自由、etc………





人間の基本的価値観の「損か得か」「楽か辛いか」という基準で考えれば、独身生活に比べて結婚には、メリットよりもデメリットの方が多いように思います。

しかし、人生は損得や快楽を追求して生きていくものではないように思います。





結婚していろんな不自由はありますが、不自由があるからこそ自由のありがたみがわかる様な気がします。

私は40代半ばから老眼になってきました。

それまで、何でも見れて健康なことが当たり前でした。

老眼になって、普通に見えていたことが当たり前ではなかったことに初めて感謝するようになりました。

これから年を重ねていき、体のいろんなことが不自由になってくるでしょう。

そんな時、不自由になってはじめて、今まで恵まれていたことに感謝できるのだと思います。





結婚生活と独身生活を比較すれば、結婚生活の方が不自由に感じることは断然多くなってくるでしょう。

そんな時に、不自由を嘆く生き方をする人には、結婚生活は「拷問」に感じると思います。

一方、不自由を感じながら、それまでの恵まれていた環境に感謝したり、「自由とは不自由があるからこそ感じられるものだ」という真実を悟れる人には、結婚は、いい意味での「修業」に結びついてくるような気がします。





「修行」と考えれば、思うように物事が進まなければ進まないほうが、その人をより成長させてくれます。

物事がうまく進む簡単な環境では、人間は大した成長は期待できません。





仕事も同じような気がします。

週に5日の労働時間を、自由にならない苦痛な時間と感じながら不平不満をいいながら過ごすのか、週5日一生懸命働くから、週末の休みが充実していると感じられるのかの違いと同じような気がします。

週末の充実度は、平日の過ごし方に大いに関係してきます。





要するに、幸せとは、自分に与えられた環境を、不平不満を言いながら過ごしていくのか、逆に、与えられた環境のいい面にフォーカスを当てて生きていくのかの違いだけであって、結婚を不幸と感じる生き方は、環境だけが悪いのではなく、受け止め方にも問題がある様な気がします。(もちろんDV、浮気など道徳的に問題がある場合は除きます)





仕事も結婚も、苦労から逃げようと生きる人には幸せは来ません。

苦労を歓迎できる人にとっては、どんな環境も幸せにつながっているのではないかと思います。

そういう意味で、仕事も結婚も、人間を大いに成長させてくれる貴重な経験だと思います。