私は腰痛持ちではないが、朝起きて、ベットから出る時に腰が痛いと感じることがあります。

若い時には、そんなことはなかったから、確実に歳をとってきているのだな~と実感する瞬間である。 



目の退化も、老眼が始まってきていて、歳をとってきていることを痛感しますが、目は防ぎようがないように感じますが、腰が痛いのは、運動していれば、予防できたり軽減できたりすることのように感じています。



老眼の進行は仕方ないが、腰の痛みは自己責任のように感じている。

もっと運動しなければ……と感じることが多いだけに、80歳でエベレスト山に登頂された、三浦雄一郎さんには、本当に驚いてしまいます。


三浦さんの偉業を考える際に、エベレストに登頂されたこと以前に、それを目指そうと思われる気持ちと勇気が、普通ではないと思えてきます。



人間は、本気で何かをすると決めれば、何でもできると最近は思えるようになってきました。

しかし、80歳という年齢で、精神も肉体も万全でない状況で、そう思える三浦さんは、それまでにどんな壮絶な生き方をされてきたのか、想像を絶するものなのだろうなと感じます。



人間は、万全の状況では、割と前向きな事を考えられます。

しかし、どこかに問題があると、どうしてもそのことを言い訳にして、できない理由を考えがちです。

その結果、挑戦を諦めます。



三浦さんは、あの年齢で、不整脈の持病も持たれていて、それでも挑戦しようと思われるのは、それまでの80年間の生き方、考え方が、素晴らしいのだろうなと思います。



私自身、50歳が目前になり、身体や体力を言い訳にして、いろんな出来ない理由が頭に浮かんできます。

三浦さんの生き方は、多くの日本人に、勇気と希望を与えてくれたと感じています。

ゆっくり休んで、またいろんな人生経験を聞かせていただきたいなと思います。

久しぶりのブログです。

もっと頻繁に更新しなければ……とは思いますが、申し訳ありません。




今回は、橋下市長の慰安婦問題発言についての意見を述べてみようと思います。



すごく難しい問題なので、反発が大きいかもしれませんが、あえて私の思いを綴ってみたいと思います。



はっきり言って、橋下市長の発言は、失言だと思います。立場的には、公で言うべき内容ではなかったと思います。

しかし、私は個人的には、「橋下市長は、あんな発言をしてけしからん」とは思いません。

あーいう問題は、議論しても絶対に勝てないテーマだから、「さわらぬ神にたたりなし」的に、知らぬ存ぜぬで押し通す方が利口な生き方だと感じます。

それを、彼なりの理論で説明しようと思ったら、あーいう発言になったのではないかと感じます。




男性と女性では、完全には理解できない部分があると思うので、彼の発言に対して、女性が憤るのは理解できます。

しかしなぜ、男性があそこまでむきになって攻撃するのかを考えると、彼の発言内容を攻撃しているのではなく、橋下氏自体が嫌いだから強く攻撃しているように感じてしまいます。




私の考えでは、橋本市長はアンタッチブルの慰安婦問題を、このまま後世の問題に残したくなかったから、「今と戦時中では正義の意味も違うし、当時では必要悪として、どの国も同じような事をしていたのに、日本だけが犯罪者のような扱いを受けるのは、アンフェアーではないのか」ということで、日本の正当性を訴えたかったのではないかと感じます。




なにも、彼の中で、風俗を肯定したり、女性蔑視したり、個人的な彼の生き方や考え方が言いたくて発言したものではないと思います。

公の場で発言していい内容かどうかという問題はあるかとは思いますが、彼の根底には、「日本のため」であったり、「いつまでも後ろ向きな議論は止めましょう」という願いがあっての発言なのではないでしょうか?




そもそも、国民は政治家に何を求めているのだろう?と考えることがあります。

政治家と友達になるわけではないので、品行方正で社交的ないい人でなくてもいいのではないでしょうか?

多くの国民は、政治家には、自分個人の事よりも日本のことを考えて、身を挺してでも日本のために戦う姿勢を示してほしい、と期待しているのではないのではないでしょうか?


橋下市長の発言は、いろんな意味で不適切だったものかもしれませんが、彼の根底にあるのは、利己的な心ではなく、日本を変えたい、日本を良くしたい、という志が感じられるのであれば、そういう面を見てあげることも必要なのではないかと思います。




「何をするか?」よりも「何のためにするか?」のほうが大事な事も多いと思います。

発言にしても、「何を言ったか?」よりも「何のために言ったか?」に意識を向ける必要がある事もあるのではないかと感じます。



最近は、アベノミクスの否定意見も目につきます。

日本人って、結果が出なかったらぼろくそに言い、結果が出てもあらを探すような国民なのでしょうか?

政治家同士の足の引っ張り合いに国民が付き合わされていいのでしょうか?

マスコミは、雑誌を売ったり視聴率を上げる必要があります。

そんな中で、国民は「何が日本のためなのか?」を自分の尺度で見極めていく必要があるのではないかと思います。




子供の時には、人の悪口を言うのは止めましょう。いじめは止めましょう、正直に生きましょう、などと教育しておいて、大人になったら公共の電波や雑誌を使って、平気でそういうことをしている現実は、何かが大きく間違っているように感じるのは私だけなのでしょうか?


志のある政治家の人々には大変な時代かもしれませんが、後がない日本の状況で、日本のために頑張って欲しいと心から思います。















私にとって仕事は趣味のようなものです。

なぜそんなに仕事が好きなのかを深く考えてみてみました。




私の中での仕事とは、世の中に必要とされるクリニックを作っていくことです。

そのために、「昨日よりも今日、今日よりも明日」と「改善、改良、進化」を日々意識しています。

しかし、これだけの理由の時には、そんなに仕事が趣味とまでは言えませんでした。



それが、今は社員も増えていき、30名近い社員に社員教育をしていかなければならない状況になっています。


長年、社員教育で多くの壁に突き当たってきて、最終的に行き着いた答えが、自分の背中を見せて教育していくことです。

いくら口で立派な事を言っても、言動が伴っていなければ、社員は心の中で「あっかんベー」をしてしまいます(笑)


開業して21年ですが、これまでに何度も「あっかんべー」をされてきました(笑)




そうして、ついに「クリニックをよくしていくためには、自分が変わって、立派な人間を目指すしかない!」と覚悟を決めました。



自分の言動が、常にスタッフに見られて、評価されていると想像するのは、とても疲れます。


しかし、最近ではそれが快感に変わってきました。


人間なんて弱いものだから、どうしても安きに流れてしまいます。


僕の中でも、常に楽をしたい、いい気になりたい、など快楽を追求してしまう自分がいます。

自分の意志だけでそれをコントロールするのは、意志よりも感情の方が勝ってしまう時には、とてもしんどいです。


しかし、自分の意志ではなく、社員の目を意識すると割と簡単に、自分をコントロールできるような気がします。

そうやって自分が成長することで、クリニックもよくなっていくのだと思うと、一石二鳥のような気がして、とても楽しいです。




女性が、「痩せてからミニスカートをはくよりも、痩せる前にすぐにミニスカートをはく方が他人の目を気にして断然早く痩せられる」ということを聞いた気がして、これは同じ原理なのかな~と感じています。



「アファメーション」という言葉もありますが、経験的に言っても、まずは他人に宣言して、そうせざる負えない状況に自分を追い込むことが、成長する一番の早道のような気がしています。


社員へのミーティングやこのブログでも「我ながら偉そうなことを言っているな」と、いつも赤面状態です(笑)


しかし、この恥ずかしさが自分を成長させてくれていることに気付き、これが快感になりつつあります。



私が仕事が趣味と言えるのは、この快感を知ってしまったからのような気がします。



自分の成長が、自分のためだけではなく誰かの役に立てるなら、1石2鳥、3鳥……10鳥だったら、仕事って楽しくて仕方ないような気がします。

もちろん、楽しさの裏側には、同じぐらいに大変さはありますが、どちらにフォーカスして生きていくのかは、その人の生き方、考え方で決まってくるのだろうなとは思います。











私の毎日のテーマは日によって変わってきますが、1年間を通じて一番多いテーマがマンネリ化対策ではないかと思っています。

仕事において、家庭において、生き方において……いろんなことにおいて、私にとってマンネリ化は永遠のテーマのように思っています。



人間の生き方には2種類の生き方があると思っています。



1つは人間の本能のままに生きていく生き方、もう一つは物事に意味と価値を見つけながら生きていく生き方です。

本能のままに生きていくと、人間は怠け者だし、自分勝手な生き方になってきます。



そうすると、「楽していい思いがしたい」という、快楽を追求した生き方になってしまいます。



恥ずかしながら、若い時には、このような快楽を求めて、ただなんとなく周りに流されながら生きてきました。

そうして生きて来て、もっと楽しいことはないか、もっと楽に生きれないか、などを期待しながら………そんなうまい話はないので、不平不満を言いながら生きていました。



そうして生きていると、常にマンネリ化と向き合うことになり、退屈というさらなる苦悩と直面しながら、「生きていくってしんどいな~」とまたしても不平不満を言うようになっていました。



そういうことを繰り返していくうちに、「何のために?」ということを真剣に考えながら生きていくようになっていました。



「自分は何のために生きているのか?」

「自分は何のために仕事しているのか?」

「自分は何のために頑張っているのか?」

これらの意味と価値を真剣に考えていくうちに、「自分のための○×」という理由では、どうしてもマンネリ化から抜け出せない事に気が付きました。



「自分以外の人のための○×」という理由を考え出していくうちに、少しづつマンネリ化からの脱出方法が見えてきました。

今もって、マンネリ化が自分のテーマであるのは、少しでも何となく流されながら生きていると、また「自分のための○×」という理由に偏ってきてしまいます。



神様は、「自分のことだけ考えて生きていたら、幸せにはさせませんよ」と言っているような気がします。



逆に言えば、「自分以外の人のことを尊重して生きれば幸せにしてあげますよ」と言ってくれているようにも感じます。


仕事に人生に、マンネリ化を感じた時には、自分の生き方を見直しなさい、反省しなさいと神様が言ってくれているような気がします。

マンネリ化しない人生こそが私の理想の人生だと思っています。


以前は、そんな人生ありえないと思っていましたが、今は自分の心がけ次第で十分可能な事だと思っています。

女優の坂口良子さんが亡くなられました。

同じ日に大学時代のクラブの先輩が急死されました。



坂口さんもついこの前まで、TVに出られていたイメージがあって、「エッ!?」っていう感じで驚いています。

クラブの先輩も50歳というのは余りにも若すぎるなと、とても寂しいし残念です。



長い間の闘病生活の場合は、周りの家族もある程度は心の準備ができているのではないかと思いますが、突然の死というのは、本人以上に家族の心情を想像すると現実を受け入れる大変さが想像に難くありません。



私の妹が38歳で亡くなってから、私の中で「死」というものは、常に身近に感じながら生きました。

自分の周りにも突然死や事故死をした人が何人かいて、人の命ははかないな~と感じることが多いです。



妹の死を前向きに受け入れるために、いろんな本などを読んだのですが、「生きがいの創造」という飯田史彦さんの本を読んでからは、今までの「死」に対する概念が変わってきました。



死んだら終わりなのではなく、魂は何度も生まれ変わっていくということを信じることで、「死」を前向きに受け止められるようになってきました。



大切な人を亡くされて現実を受け止めにくい人にとっては、救世主的な本だと思います。



その後、何人かの人にこの本をお勧めましたが、ほぼ全員の方に喜ばれています。



死は決して終わりではないし、死が必ずやってくるからそれまでの人生を精一杯生きていきたいと思います。




ご興味ある方はご一読をお勧めします。

生きがいの創造(飯田史彦)

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