久しぶりにキャラメルコーンを食べた。

キャラメルコーンの中には、必ず最後にピーナッツが入っていると思っていたら、キャラメルコーンだけだった。

すごくうれしかった(笑)


僕は、ピーナッツがあまり好きではないのだ。(嫌いなわけではないが……)

子供の時から、キャラメルコーンとピーナッツはセットなのが常識だと、自分を無理やり納得させていた。

ピーナッツだけ残すのももったいないから食べてはいたが、「ピーナッツの代わりに、もっとキャラメルコーンが入っていればいいのに」といつも思っていた。



でも、私のように思っている人がいるからキャラメルコーンはキャラメルコーンだけになったのだと思う。

私の考えが受け入れられたような気がして嬉しかった。(笑)



子供のころから、自分の中で「何で?」と思いながらも、多くのことを世の中や社会の常識に合わせて生きてきた。


時間が経って、「自分が考えていたことの方が正しかったんじゃん!!」と実感できた時、自分は自分の感性を信じて生きてもいいのかもしれないと少し思える。


仕事をしていて、多くの常識の矛盾を感じている。

そんな時に、常識を信じるべきか、自分の感性を信じるべきかを悩むことがある。


歳を重ねるごとに、最近は、「自分の感性を信じて前進していきたい!」と思うことが多くなってきた。


社会とは、誰かのいろんな思いが形になってきたものだ。


100年前の常識は今の非常識になっていることも多い。


自分が生きたことで、少しでも社会を変えていくことができれば、自分の存在価値が認識できるような気がする。


パイナップルは大好きだが、酢豚にパイナップルが入っているのも、いつかはなくなるのだろうか??(笑)

このままでも嬉しいけど……

書道やそろばん等いろんなものに級や段の基準があります。

これらのモノは、人間が、ある基準のもとで、その人のレベルを判断するものです。

書道が何段でも、ただ字がうまいというだけで、人間的に価値が高いわけではありません。

英検が何級でも同じです。武道も同じです。


人間にとって一番大切なのは、人間力が何級かということのような気がします。


でも人間力は、人間が判断できません。

明確な基準がありません。

神様が判断するもののような気がします。


若くてもすごい人もいますが、年を重ねていても未熟な人もいます。

自分では、有段者で上の方だと勘違いしている人もいれば、自分なんかは大したことないと謙虚に自分を過小評価している人もいます。


でも、神様はきちんと判断してくれています。

小さい時に、「例え周りの人が見ていなくても、神様はいつも見てくれているから手抜きをしてはいけない」と先生から言われたことがありますが、人間の目はごまかせても、神様と自分の良心はごまかせないということでしょう。


人間の生きている意味は、この人間力というか、魂の階級を上げていくことにあるような気がします。


「自分の人間力は今何級ぐらいなのだろうか?」ということを意識して生きていくことは、いろんな誘惑が多い現生では、感情や目先の欲望に流されないで生きていくためにも、大切なことなのではないかと思います。

若い頃は、いつも「何かいいことないかな~」と思いながら生きてきていたような気がします。

そんなことを望んでもいいことなんてめったに起こりません。

「何かいいことないかな~」は、言葉を変えれば、「どこかにお金が落ちていないかな~」と考えながら生きていても、お金なんてそんなに落ちているものではないのと同じような気がします。

そんなことを考えながら生きていても、決して前向きな人生にはなりません。

100害あって一利なしのような気がします。



それでもたまには、いいことが降ってわいてきたこともあったような気もします(笑)

「何かいいことないかな~」と思いながら生きていて、たまたま「ツイてる!」と思ったことが起きても、次には「もっといいことが起きないかな~」と望んでいたような気がします。

結局、欲望にはきりがなくて、どんどん出来事に感謝できない他力本願、運任せの人間に近づいていき、不幸せの人生に一直線だったような気がします。


その後、こんな生き方や考え方では自分が不幸になってしまうことに気が付いて、「何かいいことないかな~」は自分の中でのNGワードにしました。


その代り、「何かいいことないかな~」と言いたくなった時には、「早く芽が出ないかな~」は、ぎりぎりセーフワードだと思っています。

「何かいいことないかな~」は他力本願の運任せですが、「早く芽が出ないかな~」は自分が蒔いた種の結果を願うことだから、少しは前向きな考え方だと思っています。


理想としては、「早く芽が出ないかな~」と過去の努力の結果を振り返るのではなく、どんどん新しい種をまき、芽が出ることを忘れて、次の努力をしていくことだと思っています。



種をたくさん巻いてきちんと水を上げていれば、その中の芽のいくつかは必ず芽を出します。

一個の種しか蒔いてなくて、「早く芽が出ないかな~」とじっとしているから、時間が経つのが長く感じてしまうのです。


気づいたらいつの間にか芽が出ていた、期待していなかったけど結果的にいいことが起こった、という人生であるために、日々、小さな種を植え続ける生き方をしていきたいと思います。






「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間だろう。



この気持ちを否定してはいけないと思う。

この気持ち自体を否定してしまうと、逃げたい気持ちを持っただけで「自分は、なんて弱い人間だろう」という自己否定や自己嫌悪の気持ちが強くなってしまう。



自分を嫌いな人は、他人にやさしくできないのだ。

他人にやさしくできるためにも、自分を好きにならなくてはいけない。

自分を好きになるためには、素敵な自分である必要がある。

「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間の本能だとしても、逃げないで受け止め、向かっていく自分であれば、そんな自分は素敵だと思えるのではないだろうか?



逃げても普通、逃げなかったら、かっこいいだけだ!

人間は動物の一種なのだから、本能的に、嫌なことからは逃げるのが普通だ。

しかし、人間には理性がある。理性で感情を抑えることもできるのだ。

理性が感情に打ち勝った時、そこには自己満足的な達成感が蓄積させる。



1歩自分のことが好きになれる。

「辛いことや嫌なことが目の前に現れれば、逃げたい、避けたい」と思うのが人間の本能だが、逃げないこともできるのだ。


例えば

①逃げたくても逃げれない状況

②逃げることでいろんなことを失う状況

③向かっていくことで沢山ご褒美がある状況

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何らかの理由で、逃げたいけど逃げなかったら、その後には「勇気」が蓄積される。

その積み重ねで、怖い時にも意識的に向かっていける人間になっていけるような気がしている。


私は、歯科医院におけるリーダーだ。家庭においてのリーダーだ。

社員に私の指示に従ってもらうためには、私は、社員から尊敬されなければいけない。



子供は親の背中を見て育つのだから、子供に尊敬してもらいたい。

尊敬されるためには、社員や家族に、自分の逃げる姿は見せられない。

リーダーとは、逃げたい気持ちがある時も、ドキドキしながらも勇敢に向かっていくべき立場なのだ。


はっきり言って、そんな立場が、しんどい時もある。

でも、その繰り返しで、私は勇気と信頼を手にすることができるのだ。


勇気と信頼は簡単に手に入れることはできない。

いくら本を読んでも実践しなければ手に入れることはできない。

簡単に手に入らないものを手にするためには、それなりの覚悟が必要なのだ。


「地位は人を育てる」と言うことわざがあるが、リーダーになったからこそ、手にできたものがたくさんある。

私は、素敵なリーダーでありたい。

だから、何があっても逃げない自分でありたいと思う。


決して私は、ナルシストではないが(笑)、逃げ続けた過去があるからこそ、そう思える自分のことが、最近は大好きだ。


 久しぶりのブログですが、少し私的偏見の内容にさせていただきます。

 はじめに謝っておきますが、お気に障った方はお許しください。

女性のほとんどは、1年中ダイエットの話題をしているように感じます(笑)

「女性は痩せたいんだろうな~」と長年思っていましたが、ある時、スポーツジムに行って、体重計に乗った時に、運動後に自分の体重が1キロ減っていて、このペースで体重を減らしていけば、学生時代の体重に戻ることも可能だな~という考えが頭を横切りました。

その時に、これを目標に、ジムに通うモチベーションにしようかな?と言う気持ちが芽生えました。



これは、目標がなければ、物事は継続しにくいということと、人間は基本的に頑張っている自分が好きで、頑張っている証拠として体重のように数字で表されるものは、目標にしやすいということがあるように感じました。



ダイエットと似ていますが、昔から不思議に思っていたことがもう一つあります。



私は学生時代に、ホームステイを2度したのですが、その時の参加者は、社会人の女性の方が8割以上でした。

その時は、「女性の方が英語に興味があるのかな?!」と思っていましたが、男性はせっかく入社した会社を辞めてまで、ホームステイに行くメリットが少ないので、男性は簡単には仕事を辞めないことにあとで気が付きました。



ダイエットとホームステイの経験などを通じて、私なりの持論ができました。

男性の多くは、死ぬまでか定年まで、生活のために仕事をしていかないといけないので、仕事にエネルギーの大半を費やします。



しかし、女性の場合は、結婚、出産、育児などがあり、今の仕事を一生の仕事であるという意識が男性よりも希薄だと感じます。

その結果、男性よりも仕事に対する思いが少なくなる分、ある意味、本気で仕事に向かっていない人の割合が男性よりも多いのではないかと感じています。(女性の方、ごめんなさい!)



決して、女性が怠け者と言う意味ではなく、死ぬまでこの仕事をしていく、と考えている人間と、結婚までのつなぎの仕事と考えている人とでは、どうしても本気度が違って当然だと思います。



男性の場合は、何かを頑張りたければ、まずは、仕事を頑張ればいいような気がします。

一方、女性の場合には、基本的には男性よりもまじめな人が多いので、「何かに頑張りたいけど何を頑張っていいのかわからない?!」と感じている人が多いのではないかと感じます。



そんな時に、女性にとっては、身近なダイエットや、学生時代に頑張った英語の勉強を再開していくことが、身近な目標になりやすいのではないかと思っています。



特にダイエットに関しては、「頑張って一キロやせた、今日は目標達成!」という快感を味わいたくて、何度挫折しても同じことを繰り返しているような気がしてなりません。(偏見でごめんなさい!)



人間は、99%を無意識で行動していると思っています。



ダイエットしている人のほとんどは、「私は痩せたいからダイエットをしている!」と思っているかもしれませんが、私の中では、ダイエットをしている人の多くは、身近に本気になれる対象がない為に、頑張る目標を求めてダイエットしているような気がしています。



何もする予定がない日曜日のような毎日を過ごしていたら、人間は生きていけないのではないかと思っています。

人は、目標があるから頑張れるのだと思います。



私の中で、「人間って、夢や目標がなければ生きていけない動物だ」と思っているので、ダイエットの潜在的な意味について考察してしてみました。

反対意見は多いかと思いますが、お許しください。