人は「何を信じて何を信じないか」で人生が変わってくるような気がしています。



ほとんどの小さい子供はサンタクロースの存在を信じています。

逆にほとんどの大人はサンタクロースの存在を信じていません。

小さい子供でサンタクロースの存在を信じていない子供は、「可愛げのない子供」と受け取られます。

逆に、大人でサンタクロースの存在を信じている人は、「現実感のない人」と受け取られます。



子供では許されて大人では許されないことは色々とあるのかもしれませんが、サンタクロースの存在を信じることが肯定される年齢の境目って何歳なんでしょうか?

大人がサンタクロースの存在を信じてはいけないのでしょうか?

サンタクロースの存在を信じている子供と信じていない子供を比較すると、絶対にサンタクロースの存在を信じている子供の方が幸せだと思います。



大人の場合、サンタクロースの存在を信じている大人と信じていない大人を比較すると、どちらの方が幸せなのでしょうか?

残念ながら、私もサンタクロースの存在を信じていない方の部類になります。

しかし、サンタクロースの存在を信じている大人の人がいたとしたら、そういう人を否定してはいけないような気がします。

人は目に見えないものや科学的に証明できないことは否定したがります。



しかし、信じている人がそのことを信じることで幸せな気持ちになれるのであれば、何を信じるかは個人個人の自由の気がします。

私は、占いや風水やパワースポットなどは信じませんが、輪廻転生や霊魂や死後の世界は信じています。

ナポレオンの言うように、人間は本気になれば「できないことはない!」と信じていますが、人間は本来怠け者で、意識しなければ楽な道に流される生き物だとも信じています。



周りから見れば、私はシャイで人見知りのタイプだと思われているかもしれないけど、自分のことを「人見知り」の人間だと信じてもいい事なんて1つもないので、私の中では自分は絶対に人見知りタイプではなく、必要な時にはきちんと対応できる人間だと信じています(正確には信じようとしています)。



人は、潜在意識の中で、自分が信じたような人間になっていきます。

マイナスのことを信じればそのように導かれてしまいます。



誰かに迷惑をかけるのでなければ、自分が前向きに生きていけるために、「何を信じて何を信じないのか」を決めていくべきなんだと思います。



「何を信じて何を信じないのか」で人生の質は変わってくるのだと思います。



自分の人生を前向きに、明るいものと思えるようにしていくためにも、「何を信じて何を信じないのか」に真剣に向かい合う必要があるような気がします。


私には2人の娘がいますが、子育てにおいて、私が一番重視しているのは「自己肯定感の高い子供」になって欲しい、ということです。



「自己肯定感=誉めること」というイメージを持っている人が多いですが、誉めてばかりいたら、単なるわがままな子供になってしまいます。

未熟な子供には、叱る事も注意することも両方必要で、何をしても誉めていたら、とんでもない自分勝手な子供になってしまいます。



それでは、「自己肯定感を持った子供」にしていくためには何が必要なのだろうか?と考えると、1つ目は子供が「自分は愛されている」と感じられることと、2つ目は「自分はやればできる」という自信を持てる環境にしてあげることではないかと思っています。



1つ目の「自分は愛されている」点に関しては、日々、子供に対して、注意はするし、叱るけど、子供が「自分は愛されている」と感じているかどうかということは、常に意識していかないと、人間関係で一番大切な「信頼関係」が崩れてしまうと、相手が心を閉ざして、聞く耳を持たなくなってしまうので、誉めても叱っても何をしても、相手の心に届かなくなってしまいます。



2つ目の「自分はやればできる」という自信を持たせるためには、子供に壁や問題を与えていくことだと思います。

子供はすぐに「出来ない」「無理」ということを口にします。

「出来ない」「無理」と思えば努力しなくて済むので、「できる理由」を考えるよりも「できない理由」を考えることの方が簡単なのです。

 安易な道に流されて生きていけば、日々「できない理由」を考えて生きていくことになってしまいます。

それを阻止するためには、「やればできる」という小さな成功体験を積み重ねて、「無理」と思っていたことができた「達成感」を感じさせて喜びを感じられる環境を提供していってあげることが大切なんだと思います。



親が安易に手を貸してあげるのではなく、ただ見守ることで、子供自身が自分の力で「できた!」と体感する経験を積み重ねていくことで、「自己肯定感」が高まっていくのだと思います。

子供に自己肯定感を持たせるためには、何を置いても、まずは親が自己肯定感を持たなければなりません。

自分が持っていないものを、子供に教育してくことはできないのです。

自分が英語を話せないのに、子供に英語を教えることができないのと同じ原理です。

そのためには、親も上司も自分の為だけでなく、子供の為、部下の為にも、自分の「自己肯定感」を高めていく努力をしていかなければいけないのだと思います。

社員教育においても、上記の「子供」の箇所を「社員」「部下」に入れ替えても考え方は同じことです。

社員に自信を持って仕事をしてもらうためには、自己肯定感の高い社員を育てていいかなければなりません。

社員が、どこまで自己肯定感を持てるかは、上司やトップの自己肯定感に比例してきます。



私の中で、仕事を通じて世の中を良くしていきたいと思っていますが、世の中に自己肯定感の高い人が増えていけば、世の中は必ず良くなっていくと信じています。

子育ては親育てと言われます。

部下の教育も、結局は上司が成長していかなければ部下は成長していきません。


自分が成長することで、周りの人間の成長にも好循環をもたらします。

 世の中に、「自己肯定感」の高い人を増やすためにも、まずは自分の「自己肯定感」を高めるために、日々、「無理」と思えることに挑戦していく姿勢が大切なんだと思います。

朝の朝礼の際に、私がスタッフに話すことで意識していることは、聞いている人の心を動かしたいということで、そのためには「当たり前」や「意味わからない」という中間で、「なるほどね!!」「そういう見方もできるのか!!」というパラダイムシフトを感じてほしいということです。



このブログでもそういう点は意識していますが、せっかく時間を割いてお話したり、文章にしているのに、「そんなの知ってるよ!」とか「何言ってるのか理解不能」→→だから「時間の無駄だった!!」という結論になってしまうと、スタッフや読者との信頼関係が崩れてきます。



相手の常識や思い込みに問題提起を投げかける以上、必ずしもいい結果が出る保証はなくて、悪い方向にパラダイムシフトしていく可能性もあります。

スタッフから反発や反感を持たれる可能性もあります。



だからと言って、当たり前で何も心に響かないことを言っても時間の無駄になってしまいます。



リーダーシップとは、そういうリスクがあっても自分の信念を持って正しいと思うことを伝えていくことなのではないかと思います。



100%みんなに共感してもらえる話はできません。

共感してくれる人もいれば、反発してくる人もいるでしょう。

そのリスクを覚悟の上で、自分の言葉で、自己責任で自分の考えを発信していくことで、リーダーとしての信念が確立してくるような気がしています。



信念とかミッションというものは、そういうリスクとの恐怖と戦いながら、繰り返し発信していくことでしか自分のものにならないのではないかと思います。



政治家など影響力のある人の発言は、自分の言葉で発信するとすぐに揚げ足を取られてしまいがちです。

それはすごい恐怖だと思います。

しかし、信念とかミッションというものを持ち続けるためには、発信し続けていくしかないのではないかと思います。

多くの社員を雇用していると、私の中では、仕事のできる社員とそうでない社員に分かれます。



学生時代に勉強のできる人というのは、限られた範囲で、よりいい点数を取る人だと思いますが、社会に出て仕事のできる人間というのは、相手が求める以上のことをやろうとする人間ではないかと思います。



学生時代には「言われたことができる人間」が優秀だったと思いますが、社会に出て、仕事のできる社員というのは「言われた以上のことができる人間」ではないかと思います。

学生時代に言われたことだけしかやってこなかった人間は、その習慣で「言われたことしかできない人間」になっている人が少なくないような気がします。



実社会には「パレートの法則」と言って、「言われたこともできない人」2割、「言われたことしかしない人」6割、「言われたこと以上のことをする人」2割の2:6:2に分類されると言われています。

仕事のできる人と言われている「言われたこと以上のことをする人」2割というのは、自分の頭で考えている人、自主的に仕事をしている人ともいえると思います。



仕事を嫌々やっている人は、「言われたこともできない人」2割、「言われたことしかしない人」6割の中に入ってしまいます。

8割の方は嫌々仕事をしているので仕事は苦しいものになってしまうでしょう。

一方、自分で考えながら仕事をしている人は、言われてするのではなく、自ら考え行動しているのですから、自分の考えたことが思った通りにいい方向に進んでいけば、仕事が楽しくなってきます。



掃除ひとつとっても、嫌々させられている人と、自分から進んでしている人とでは疲れ方も、やりがいも全然違ってくると思います。



社会人になって、学生時代の悪しき習慣を変えていかせることが、上司やリーダーの仕事だと思いますが、「自分で考えろ!」と命令して変わるものではないので、変わらざるおえない環境作りや、自らが見本を見せながら根気強く言い続けるしかないのだと思います


職場において、全員を「自分から考える人間」にしていくことは無理かもしれませんが、そういう人間が多い職場ほど、輝いて見えるし、お客様からの評価も高いお店になっていくのだと思います。

当医院のスタッフレベルは、歯科医院の中ではかなり高い方だと自負しています。

私自身、これ以上のことを社員に臨むのも酷でかわいそうかな、という気持ちと、成長をやめた時点で衰退にまっしぐらになってしまう、という気持ちとの葛藤があります。

高校野球の監督が県大会で優勝して、「自分はよくぞここまで頑張った!」と満足して、選手にも「プロになるわけじゃないんだからこれだけ頑張れば十分だよ」と言っていたのでは、決してそれ以上のレベルに上がることはありません。

甲子園で優勝することが大切なのではなく、甲子園を目指して頑張るプロセスに意味があるのだと思います。

高い目標や目的をもって、そこを目指して頑張っていくことで、知らず知らずのうちに人間的な成長が見込めるのだと思います。

そして、その成長の先に幸せが待っていると信じています。

私自身、今のクリニックの社員レベルは平均的な歯科医院と比べて、かなり高い位置にあると思っていても、当然、上には上がいます。

他のクリニックと比べて、どの位置にいるかということに一喜一憂するのではなく、どの位置にいようとも、常にもっと上を目指していくことが大切なのだと思います。

当クリニックでの朝礼で、「昨日より今日、今日より明日」少しずつよくなっていく、ということを何度も言っています。

これは、クリニックレベルにおいても、社員個人レベルにおいても、常に昨日の自分よりも成長していこう!昨日のクリニックよりも1つでもよくしていこう!という姿勢を持ち続けていきたいと思っています。

私自身、今より上のレベルを目指すことは、私心による「野心」なのではないか、という迷いが以前はありました。

しかし、今では「現状維持でいい」という気持ちこそ、自分のことしか考えていない「利己的気持ち」の表れだと思っています。

自分の生活が維持されればいい、食べていければいい、しんどい思いは避けたい、という私心の気持ちが、「現状維持でいい」という考えになってくるのだと思います。



一般企業で、「これぐらいでいいだろう」と考えている組織は、必ず衰退、消滅します。

しかし、多くに歯科医院では、「現状を維持したい」と思っている医院がほとんどです。

私自身も、何度もこの気持ちが頭をよぎりました。

人間は、生きている限り、世の為人の為に何かを発信していかなければならないものなんだと思います。

そう思うようになってから、「食べていければいい」、「現状維持で続けたい」、ということは、自分の中でのNGワードになりました。

人間もクリニックも、もっと、良くなって、社会に貢献するべきだ、と気づくまでには多くに時間がかかりました。

多くの社員の成長の手助けをしていくことで、日本がよくなっていく。

まずは、1人1人が自立して正しい生き方を目指すことで、社会全体が少しずつ良くなっていくのだと思います。

「日本がいい国になっていく」ということは、不平不満、グチ泣き言を言わないで、一人一人が自立した考え方と行動ができる人間を増やしていくことなのだと思います。

「企業は人なり」と言われますが、「国家も人なり」だと思います。

人として正しい考え方をできる人間が増えていけば、その国は自然に良くなってきます。

例えば、当クリニックが高い目標を持って精進していけば、周りの歯医者もそれに追随してこざる負えません。

当クリニックの周りのクリニックが延びてくれば、自然に歯科界が変わってきます。

変われないクリニックは、衰退消滅していくだけです。

そうやって、それぞれの立場の人が、少しずつでも良くなっていくことで、相乗効果が起きて、良い循環が生まれてくるのだと思います。

「現状維持でいい」「これぐらいでいい」という逃げの気持ちが頭に浮かんだ時には、「お前って自分勝手な人間だな~!」「自分だけ安泰だったらそれでいいのかよ~!」「そんな医院に入社した社員に申し訳ないと思わないのかよ!」……等々

こんな叱咤激励をしてくれるもう一人の自分を大切にしていきたいと思います。