ここ数年、選択に迷った時には困難な方を選びたいと思えるようになってきました。

困難な道こそ多くの宝物(気づき)がある事が体感としてわかってきたからです。

そういう真実に気付いてくると、楽な方を選択している人を見ると「バカだな~」「もったいないな~」とつい、一言言いたくなってしまいます。



しかし、ちょっと前まで自分も好んでそういう楽な道を選択をしていたのだから、人のことを上から目線で言う資格は自分にもないし、1人でも多くの身近な人には、この真実を伝えたくなります。


昔から「可愛い子には旅をさせよ」という諺がありますが、自分の子供がかわいいからこそ、試練、困難に直面させることが大切なんだと思います。

しかし、頭では分かっていても、可愛いからこそ、自分の子供には試練や困難に直面させたくない、回避させてあげたいという気持ちが勝ってしまうのも当然の気持ちのように思います。


今の「楽」を優先するのか、将来強く生きていける「生き方」「考え方」の習得を優先するのかで、親のとる行動が違ってくるのだと思います。

特に今の時代、少子化で、恵まれた日本で子育てをしていけば、自然と過保護になってしまうものだと思います。


昔のように子供がたくさんいて、11人に十分かまっている余裕がなかったり、経済的にも生きていくだけで精一杯の時には、子供には最低限のことしかしてあげられないのが現実だったように思います。

親の方にも、余裕がありすぎる今の豊かな時代の副作用なのかもしれません。


ほとんどの場合、親は子供より先に死んでいきます。

親が子供の世話をやいてあげられる期間は限定的で、その期間が長ければ長いほど、子供の自立を遠ざけてしまうことになってしまいます。


そして何より「可愛い子供には旅をさせる」ために一番大切なことは、親自身が、試練や困難の先にこそ、生きがいややりがい、成長が待っていることを深い部分で感じていることが一番大切なのだと思います。


親自身の生き方として、「楽をすることの向こう側に幸せがある」「できれば困難は避けたい」「効率よく成功(いい思い)だけをして生きていきたい」などという、虫のいい生き方や考え方をしているからこそ、自分の子供にもそういう虫のいい生き方を信じ込ませてしまうのだと思います。


私は、30人以上の社員の指導者として、苦労や困難は避けるべきものではなく歓迎すべきものだ、ということをお手本として伝えていかなくてはいけないと思っています。

自分が、楽な道と困難な道が分かれていたら、困難な道を選ぶか、自分から選ばないとしても、そういう状況になった時には決して弱音を吐かないで、前向きにプラス思考で向き合っている姿を見せていかなければいけないと思っています。


「楽な道」「簡単な選択」はまやかしであって、その先には何も得るものがないということを、身を持って体験して、その考え方や生き方を身近な人にも伝えていきたいと思っています。


自分の子供に1つだけ伝えて死ぬとしたら、「困難の先にしか幸せはないし、楽をすればするほど、自分がダメになっていき、生きていくのが苦しくなって不幸せになってしまう」ということを伝えたいと思っています。



こういう教えは、いくら口で言っても伝わらないので、自分の生き方や後ろ姿で伝えていくしかないと思っています。

スタッフや自分の子供にも、大変だからこそ成長できるのだ、自分が手を貸すことは簡単だけど、その子の成長のためにも、自分の力で乗り切ってほしいと考え、あえて手を貸さない信念と勇気が必要だと思っています。

厳しい言い方をすれば、手を貸すことは、親切ではなく親のエゴだと認識しないといけない時代になってきているような気がします。



今の様に恵まれた時代だからこそ、あえて手を出さない、苦労を見守る大切さを伝えていく必要があるのではないでしょうか。

100人に1人以上が鬱になる時代に、親や上司が子供や部下に残してあげられる最も大切なことが、強く生きていける「強さ」なのではないかと思います。

物事には、目先の損得と長い目で見た損得があります。

今すぐに手を貸して目先の「楽」をさせることで、長期に渡って子供を「苦労」させてしまう結果になってしまうことが多々あります。



人は苦労するからこそ、周りに感謝でき他人を尊重もできるのだと思います。

誰かが安易に手を貸すことで、満たされていることが当たり前になってしまい、「なんで誰も手伝ってくれないんだ」と手伝ってくれることを当然のように考えてしまう人間になっていくのだと思います。



お腹をすかしているからこそ、食事のありがたみを感じます。

暗闇にいるからこそろうそくの明かりが輝いて見えます。

満腹で、満たされてしまうと、あとは足りないものを探すしかないのです。



貧しい時代は、殆どの人が貧しいので、相対的に自分のことを不幸だとは感じにくいし、「豊かになりたい!」という夢や希望があったのに、今の時代は生まれた時からほとんどのものが揃っていて、子供の時から不平不満のオンパレードになってしまいます。

そういう意味では、これからの子供は大変だと思います。

ある意味、貧しい時代よりも何倍も大変な時代を生きることになります。


本当に、真剣に生きている人しか幸せになれない時代なのかもしれません。


今の時代、多くの人が心を病んでいるのは、恵まれすぎている時代の病のような気がします。

人は足りないから文句を言うのではなく、与えられ過ぎているから「あれがない!これがない!」と足りないものに目がいってしまうのだと思います。



今後の日本が、今のように満たされた環境が続くのであれば、11人が生き方を真剣に考えていかなければ、不平不満に満たされた感謝する気持ちも他人を尊重する気持ちも持たない、自分勝手な人間が一杯の国になってしまうのではないかと危惧してしまいます。



楽な道、安易な道に流されないで、人として正しい判断ができる人間を教育していくためには、物事を判断するときに、目先の誘惑にとらわれないで、長期的な視点で教育できる人間になっていきたいと思います。

そのためには、まずは自分自身が試練や困難から逃げないで、その先にこそ大きな宝物があることを腹の底まで落とし込みたいと思います。

山中鹿之助のように「我に七難八苦を与えたまえ」と祈れる人間になっていきたいものです。

心の底からそう思えれば「可愛い子には旅をさせる」ことこそ、その子のためだと言動が一致するのだと思います。


子供は、親の生き方や考え方を肌で感じながら生きています。

親や大人自身が今一度、「幸せとは何か」「生きるとはどういうことか」を真剣に考えていかなければ、子供はどんどんダメな人間になって行ってしまう危機感を持っている人は少なくないと思います。

私には2人の娘がいますが、娘の将来について考えることがあります。

好きなことをさせて個性を伸ばしてあげたいという気持ちと、現実的に堅実に生きて欲しいという気持ちとで揺れ動く事が日々あります。

 ところで話は変わりますが、私は歯科医師でgreeeenというグループが歯科医師と歌い手の両立をしているということを耳にして、私なりにそのことを「自分だったら……」「もし娘などの身近な人が同じ立場だったら……」という視点で考えることが最近よくあります。



 せっかく歯科医師の免許を持っているのだから、その資格を活かさないのはもったいないとか、浮き沈みの激しい芸能界で成功し続けることは難しいので、堅実な歯科医師としての道をキープしておいた方がいい、という考え方が大半なのではないかと思います。


 10代、20代の生き方として「夢を追うことが素晴らしい」というムードがありますが、3040代以降の生き方として、「堅実こそが素晴らしい」という流れに変わってきているような気がします。

 夢や希望だけでは生きていけない、生活できてこその夢だ、という考え方が基本なのかもしれません。

 そういう点で、夢や理想と現実には何か大きな壁があるような気がします。


 話を戻して、もしも自分がgreeeeenだったらと、考える時に、どちらの選択肢を選ぶかの判断基準として、「夢か現実かどちらを取るか?」という視点以外に、考えていく祭の基準というものがあるのではないかと思えてきました。

 50歳を過ぎて人生も折り返して、あと何年生きていくかも分からない時期に来て(笑)、これから生きていくうえで大切なことは、自分が何の役割りとしてこの世に生を預かったのだろう?何を頑張っていくことが世の為、人の為になっていくのだろうか?ということを価値観の基準に設定することも大切なのではないかと感じてきました。



 そういう点で考えると、歌い手として多くの人に夢と希望と勇気を与えている彼らの今の社会への貢献と、歯科医師として診療を通じて社会に貢献することと、彼らにとって、どちらの方が世の中の役にたっていけるかという視点で考えると、甲子園の行進曲にもなっている地位を築いているのに、その才能とエネルギーを多方面に分散するのは何かもったいないような気がしてしまいます。

 歌手もグループになると自分の人生だけではないので、自分の考え方だけで物事を決断できないのだろうから、いろいろと難しい決断なんだろうな~と同情してしまいます。

 今、ラグビーの清宮監督の息子さんが、ラグビーと野球の二刀流から野球に専念するということがニュースになっていますが、神は天に2物を与えてしまうと、どちらを選ぶかの選択に悩んでしまうんだな~と感じます。

 私はgreeeenの歌をよく知りませんが、彼らの歌を熱心に聴いている娘を見ると、せっかくそういう才能を神様から授かったのであれば、自分だったら……歌を通じて世の中に貢献していくのが天命なのではないかな~と考えてしまいます。

 

 これって、人が当てた宝くじを「自分だったらどう使うのにな~」と考えることと一緒で、凡人の私が、勝手に妄想する、余計なお世話なことは百も承知していますので、greeeenのファンの方は、戯言と聞き流してください。失礼しました。



 才能ある人って悩みも多いのだろうな~と思うと、凡人でよかったな~と感じる今日この頃です。(笑)

人間にとって、自分の感情のコントロールは永遠のテーマではないかと思います。



人間には、理性と感情がありますが、力関係でいれば横綱級の感情と十両級の理性の勝負のような気がします()

どうあがいても、普通に戦えば理性は感情には勝てません。

しかし、社会というコミュニティーで円満に生活していくためには、理性なくして成立しないのも事実です。


感情が目を覚ましていない時には、理性が人として正しい言動に導いてくれます。

しかし、感情が暴れだしたら、どう頑張っても理性では感情を抑え込むことはできません。


感情は火のようなものなのかもしれません。

マッチやライターやろうそくの灯のようなものを気を付けて扱っているうちは、火は決して怖いものではありませんが、一度それなりの大きさの火になり、どんどん大きくなっていくにつれ、あっという間に、もうどうしようもないレベルに達してしまうのだと思います。

いったん大きな火になってしまうと、加速度的に大きくなっていくのは、感情も火も同じことのように感じます。


すぐに感情的になる人を観察していて感じることは、感情的になる人は

コンプレックスが強い

被害者意識が強い

感謝の気持ちが少ない

自分のことを俯瞰できない

などいくつかの共通項があるような気がします。


コンプレックスが強いから、その裏返しとして、自分の正当性をアピールするためにすぐに感情的になってしまうのです。

自分は正しいのに、周りの多くの人は間違っている。世の中や社会は何か変だ。自分だけが、貧乏くじをひかされているというゆがんだ見方をしてしまうために、感情的になってしまうのだろう。

自分が満たされている人や幸せな人は、感情的になって自分を不幸にするような言動はしないものです。常に何か自分に足りないものやないものに不平不満を言っているから、簡単に感情的になってしまうのでしょう

感情的になっている自分を俯瞰的に観察することができれば、そんな自分がかっこ悪いことは一目瞭然なのに、そういう自分を改善しようという努力ができないのは、自分の言動を客観視できないからにほかありません。社会人として、大人として、成長していくために一番大切なことは、自分の姿を俯瞰できるということではないかと思います。

今のような日本では、体罰、セクハラ、パワハラ、DVと、感情的になった結末は許されない世の中になってきています。

暴力が許されない社会、理性が尊ばれる社会において、「すぐに感情的になる」という性格は致命的でさえあると感じます。


私自身、日々、自分の感情のコントロールには手を焼いています。

感情が大きくなると、お手上げになってしまうので、「予防に勝る治療はない」という原理原則を自分に言い聞かせながら、感情のコントロールに苦心しています。


心安まる世界というのは、自分の身の周りにすぐに感情的になってしまう人が少ない世界なのではないかと感じます。

 まずは、自分がそういうお手本のような存在になりたいものだといつも思っていますが、……… 人生は死ぬまで修業ですね。

多くの社員を雇用していると、私の中で、仕事のできる社員とそうでない社員の定義や境目はなんだろうと考えることがあります。



 学生時代に勉強のできる人というのは、限られた範囲で、よりいい点数を取る人だと思いますが、社会に出て仕事のできる人間というのは、相手が求める以上のことをやろうとする人間ではないかと思います。



 学生時代には「言われたことができる人間」が優秀だったと思いますが、社会に出て、仕事のできる社員というのは「言われた以上のことができる人間」ではないかと思います。

学生時代に言われたことだけしかやってこなかった人間は、その習慣で「言われたことしかできない人間」になっている人が少なくないような気がします。



 実社会には「パレートの法則」と言って、「言われたこともできない人」2割、「言われたことしかしない人」6割、「言われたこと以上のことをする人」2割の2:6:2に分類されると言われています。


 仕事のできる人と言われている「言われたこと以上のことをする人」2割というのは、自分の頭で考えている人、自主的に仕事をしている人ともいえると思います。

 仕事を嫌々やっている人は、「言われたこともできない人」2割、「言われたことしかしない人」6割の中に入ってしまいます。

8割の方は嫌々仕事をしているので仕事は苦しいものになってしまうでしょう。


 一方、自分で考えながら仕事をしている人は、言われてするのではなく、自ら考え行動しているのですから、自分の考えたことが思った通りにいい方向に進んでいけば、仕事が楽しくなってきます。

掃除ひとつとっても、嫌々させられている人と、自分から進んでしている人とでは疲れ方も、やりがいも全然違ってくると思います。


 社会人になって、学生時代の悪しき習慣を変えていかせることが、上司やリーダーの仕事だと思いますが、「自分で考えろ!」と命令して変わるものではないので、変わらざるおえない環境作りや、自らが見本を見せながら根気強く言い続けるしかないのだと思います。


 職場において、全員を「自分から考える人間」にしていくことは無理かもしれませんが、そういう人間が多い職場ほど、輝いて見えるし、お客様からの評価も高いお店になっていくのだと思います。

言い訳の多い人と会話をしていると、誰しも嫌になってしまうのではないでしょうか?



人は誰でも言い訳をします。

言い訳しない人はいないのではないかと思います。

それにしても、その場だけつくろうような子供レベルの言い訳をされると、「これ以上この人と会話をしたくない。話しても時間の無駄だ」という拒絶反応が出てしまいます。


「いい大人が、何でこんな子供じみた言い訳をするのだろう??」と、考えてみるために、自分が言い訳した時の心理を自己分析すると、言い訳する人間は、コンプレックスが強く自分を否定されることには過度に敏感で、少しでも自分を否定されていると感じると、自分を守ろうとして必要以上に言い訳をしてしまうのだと思います。

また、面倒くさいことが嫌いで(誰しも好きではないでしょうが……)、言い訳を並べることで自分がやりたくないことを正当化しようとしているのだと思います。



人は誰しもコンプレックスがあるし、面倒くさいことは逃避したいという本能もあります。

だから、誰しも言い訳をしてしまうのだと思います。


しかし、言い訳をするということは、自分の非を認めないとか、聞く耳を持たないということに通じますので、言い訳をすることで、人間関係で一番大切な「信頼関係」を失うことになってしまいます。

言い訳をすればするほど、その人は人から信頼されなくなっていきます。

言い訳をして、素直に聞く耳を持っていない人に、根気強く言い続けられる人は少ないと思います。

無意識で流されて生きれば、誰しも言い訳を垂れ流してしまいます。


言い訳をする際は、言い訳のデメリットを十分認識して、無意識で生きるのではなく、言い訳している自分を俯瞰して「あっ!!今、言い訳して相手の信頼を失っているぞ!」と言い訳の途中で、「かっこ悪い」自分に気づかなければいけないのではないかと思います。


言い訳をしてしまうことはOKでも、言い訳している自分のかっこ悪さに気が付かない事がNGなのではないだろうかと感じます。