子育てにしろ社員教育にしろ、誰かを教育するときの大きな勘違いの一つが、相手を自分の思うように動かそうとすることではないかと思います。

指導と命令では似て大いに非なるものです。

指導とは相手のためのものであり、命令は自分のためのものになります。



子育てで分かりやすいのが、「子供のため!!」と言いながら、自己満足のために子供に何かを強いていることのような気がします。

例えば、躾を強いるのと勉強を強いるのとでは、両者の間には根本的な違いがあるような気がします。

躾を強いるのは、子供のためかもしれませんが、勉強を強いるのは親の自己満足もあるような気がします。



躾とは、社会において11人が守っていかなければ社会が成り立たないものですが、勉強をするのは11人に理由が違ってきます。

挨拶や人に迷惑をかけないということは、子供や社員に対して、例え命令的になったとしても、ある程度は許されることだと思いますが、子供に勉強させたりすることは、強制するものではないのではないかと思います。



躾にしても勉強にしても、その向こう側に存在する「意味と価値」を伝えていく努力をしていかなければ、相手には何も伝わっていかないと思います。



「いただきます」「ごちそうさま」にも意味があります。

勉強することにも意味と価値があります。

仕事を頑張る事が目的ではなく、仕事の向こう側に見えているもので、各々の頑張り方が違ってきます。

「お金」のために頑張るのか、誰かに喜んでもらおうと思って頑張るのか、誰かのために頑張っている自分のことを好きになりたいから頑張るのか、頑張る理由には行く通りもの意味と価値があると思います。


どの意味を意識して頑張るかで、自然と行動も違ってくれば、相手への伝わり方も違ってきます。


スタッフにいつも言っているのは、上の人間が怒って下の人間に無理やり何かをさせても、その人は、「やっているふり」をしているだけで、自分の意思で心から動いた行動でなければ自分の為にならない。

仕事を頑張るのは、最終的には自分の為だと思えなければ、仕事をしているふりをしているだけだ、ということです。



そのために上の人間がしていくことは、頑張る「意味と価値」を伝え続けていくことだけのような気がします。


勉強も躾も仕事も、すべては、それらの「意味と価値」に気づけば、周りがガミガミ言わなくても、自分から進んで行動するようになってくるのだと思います。


当クリニックのスタッフレベルが高いのは、周りのクリニックの人間よりも「頑張る理由」がはっきりしている人が多いからではないかと思っています。


スタッフに頑張ってもらうためには、トップ自身が、頑張る理由、仕事の向こうに見えるものを、根気強くスタッフに伝え続けていく必要があるのだと思います。

何かを学ぶとき、多くの人はインプットを重視するが、実際に自分の血肉になるのは絶対にアウトプットだと最近は特に感じます。



アウトプットするためにインプットするのだと考えれば、インプットもアウトプットに含まれる気がします。

十分にインプットしてからアウトプットするのではなく、常にアウトプットする環境で、自分のアウトプットの未熟さを実感しながら、インプットを強化していくのが正解というか、一番効率が良いのだと感じています。



十分に子育ての知識を身につけてから子供を産む人は1人もいませんが、子供を産んでどうにか育てなければいけなくなれば,誰でも子育ての知識は身につくものです。



ビジネスも一緒かもしれません。

十分な知識を身につけてから行動を起こすよりも、行動を起こしながら必死になって、必要な知識を身につけていくものなのは間違いありません。

考える前に行動することの大切さと、十分に準備をしてからの大切さとは、一見、正反対のように感じますが、心の準備として壁や困難に直面した際に、十分に覚悟を決めておくことは大切ですが、壁や困難を回避できるという目的で知識的に比重を置くことは間違いだと思います。


私自身、結婚前に既婚者から結婚をうまくいかせるための情報を集めていましたが、そんなことは結婚してから一切役に立ちませんでした()

そんな知識を集めるよりも、結婚に向かう心構えをしっかりしておくことの方が何倍も意味がありました()


知識って必要になればいつでも集められます。

左脳を動かすことよりも、右脳で感じることが大切なのです。

目の前の知識を拾い集めることよりも、その情報が必要な状況に自分を追い込むことの方が何倍も大切だと思います。


せっせとインプットに精を出すのであれば、インプットせざるを得ない状況に自分を追い込むことの方が何倍も効率的です。

インプットせざるを得ない状況とは、積極的にアウトプットする環境を作っていくことだと思います。


ブログ、朝礼、部下への指導、リーダーシップなど人前で話したり書いたりする環境を増やすことで、その人はインプットしていかなければ自分が恥をかいてしまうので、アウトプットの環境を作ってしまえば、いやが応でも自分の成長が約束されるのです。


アウトプットから逃げて、逃げ続けている人は、いくらインプットしてもそんなものは絵に描いた餅と一緒の自己満足で、いつまでたっても成長することはないのです。


成長とは、ひたすらアウトプットしているうちに、ふと振り返ってみると実感できるものなのだと思います。








「経営者は孤独なものだ」と言われています。


「社長(No1)と副社長(No2)の考え方違いは、副社長と平社員の考え方の違いよりも何倍も大きい」と言われています。



会社が大きくなればなるほど、会社に対して、社員に対して、社会に対して、トップの責任は重くなってきます。

責任が重くなっていけばいくほど、トップも成長せざるを得なくなり、結果的に成長していくことでしょう。

逆にトップが成長しなければ、会社は小さくなっていき、いつかは倒産してしまいます。

そうしてトップが成長していけばいくほど、周りの人との差は大きくなってしまいます。

トップの考えていることは、トップにしか理解できないことも多くなっていくことでしょう。

それでもトップは成長していかなければいけないし、前進していかなければなりません。



トップの成長スピードと社員の成長スピードが同じでは、その会社は世の中の変化に追い付いていけなくて、自然淘汰されてしまうでしょう。


トップは自ら成長しながら、社員も成長させていって、両者間の開きをできるだけ少なくしていく努力をしていかなければならないのだと思います。

それでもトップとは、「孤独」に向かってドンドン走っているところがあるのかもしれません。


私は、日本のリーダーとして安部総理を応援していますが、安部総理の考えていることは、安部総理にしかわからないのかもしれません。

週刊誌などは安部総理に対して好き放題勝手なことを書いていますが、人を認める事よりも批判する方が簡単だし雑誌も売れるのだと思います。


彼の判断で日本の未来が決まってしまう以上、どういう決断をするにしてもすごいプレッシャーなのだと思います。

どちらを選んでも味方半分、敵半分で、周りから批判されることは避けられないのですから、総理大臣なんて理念や使命感がなければ続けられる仕事ではないかと思います。


トップになればなるほど、孤独になってくると言われていますが、そもそも「孤独」とは何を意味するのでしょうか?


「責任感」の違いや「背負っているもの」の違い、「見えている世界」「未来に対する予測力」の違いなどがあるのではないでしょうか?

人は誰しも、「成長したい」「見えていないものを見てみたい」「未来を予測できる人間になりたい」などの欲求があるのではないでしょうか?


そう思うと、「成長していく」ためには、多くのものを背負って責任を重くしていくしかないし、「見えていないものを見てみたい」のであれば、昨日までの自分でできなかったことに挑戦し続けるしかないし、「未来を予測できる人間になっていく」ためには多くの失敗を受け入れるしかないのであるから、自分が望んで「孤独」に向かっているのだから、「経営者は孤独なものだ」と不平不満を言うのは筋違いなのだと思います。

有名になりたくて芸能人になったのであれば、みんなが自分のことを知っていて「プライバシーがない!!」と言って文句を言うのはおかしいのと同じなのかもしれません。

自分が望んで入った世界なのだし、何かを得れば何かを失うのが世の常なのだから、得たものにフォーカスするのか失ったものにフォーカスするのかで、幸せにも不幸にもなっていくのだと思います。


経営者は、孤独以上のやりがいや思いを感じられなければ、自分で成長をストップしかねないのかもしれません。

私位のレベルにおいてさえも、自分が成長していくにつれて、しんどさと比例するように生きがいややりがいがアップすることは体感しています。


もっと成長したいということは、もっとしんどい人生にしたい、ということと同意語のような気がします。

試練があるから人は成長するように、孤独を乗り越える理由がたくさんある人だけが、さらに先を目指す資格を得られるのかもしれないです。


孤独を受け入れて、孤独に向かって成長していくためには、自分にとっての孤独以上に魅力的な理由がはっきりさせなければいけないな、と感じる今日この頃です。

前回に引き続き、また「思い」についての内容になってしまいました。

「人生の質はコミュニュケーションの質に比例する」ということを聞いたことがあります。

また、「人生における幸せは全て他人との関わりから発生する」ということも聞いたことがあります。

どちらも「そうだなっ!」と実感することが日々多いです。

見方を変えると、では、コミュニュケーション力を上げていくにはどうすればいいのか?

人生における不幸も、他人との関わりによる事も多いような気がします。

幸せとは自分のことや自分のしていることを理解してくれたり、認めてくれる人が多いことであり、不幸とはその逆であるように感じます。

そうなると、そもそも他人は自分のことを理解してくれる存在なのだろうか?

基本的な考え方のベースの部分として、「他人は自分のことを理解してくれないものだ!」というスタートで生きていくことが大切なのだと思います。



「人間誰しも自分が一番可愛くて、自分の思い込みや先入観で生きているので、他人の意見や考え方は素直には受け入れにくいものだ」という覚悟で他人と接していかなければ、

「他人は自分のことを理解してくれているかもしれない」「ちょっと話せばわかってもらえる」

という甘えた考え方で他人と接すると、「こんなに説明しているのに、何でわかってくれないんだ!」という不平不満になっていくのだと思います。


人間関係において、他人との考え方には大きなギャップがあり、それを埋めていくためにコミュニュケーションという手段があります。

しかし、コミュニュケーションにおいて他人との距離を完全に埋めることは不可能です。

物事にはその人にしかわからない、理解できないことがほとんどです。年齢も違えば、バックグラウンドも違うし、コミュニュケーションを尽くして行っても両者の溝を完全に埋めることは不可能です。


コミュニュケーションを尽くして行っても埋められない溝を埋める最後の手段が「思い、情熱」なんだと思います。

自分はこういう「思い」でこう考えている、こういう行動をしているという強い思いが、相手の心を動かして、最後の溝が埋まってくるのだと思います。

仕事における上司と部下の価値観の違い、親子においての考え方、生き方の違い、政治における政治家と国民の温度差など、コミュニュケーションを尽くしてもうめられない溝を埋めようとする「情熱と思い」を持っている人だけが、周りと違った結果を導き出せるのではないかと思っています。



コミュニュケーションは大事です。

コミュミュケーション力を鍛えるためには、ノウハウではなく「思いと情熱」を高めていくことが一番の近道ではないかと感じています。


このブログにおいても、私が伝えていきたいことは「ノウハウ」的なことではなく「思い」だと思いながら書いています。

クリニックの規模が大きくなっていくにつれて、自分一人の力ではどうにもならなくなってきて、幹部スタッフに仕事を振っていかなくては機能しないことが多々あります。



幹部スタッフに仕事を振っていく際の基準の一つに、「思い」が必要な仕事と「思い」の必要でない仕事があります。

「思い」が必要でない仕事を振っていくときには、相手の「能力」だけで判断できますが、「思い」が必要な仕事は、基本的には自分でするしかないか、まずは相手に自分の「思い」を伝えられるかどうかを考えます。



人はまず心が動いて体が動きます。


心が動かなくてもできる仕事と、心が動かないとできない仕事があり、特に心が動かなければどうにもならない仕事があります。

患者様やスタッフの心を動かさなければならない仕事は、行い手の「思い」がすべてになってきます。

例えば、職場をきれいにしたいと思っている人と最低限にきれいでいいと思っている人に同じ仕事を頼んでも、当然出てくる結果は雲泥の差があります。

その差は、行った人の責任ではなく、頼んだ人の責任になります。適切な人に適切な仕事を頼まなければ、当然、思うような結果は出てきません。



教育も同じです。「この子をどうにかしてあげたい」という強い思いがあるから、面倒な教育を継続できるのです。

自分の子供だから、20年近くも根気強く関わっていけるのです。

いい教師とダメ教師の違いは、能力ではなく「思い」の差です。

どんなに頭のいい人に教育を頼んでも「思い」がなければ教育なんてできないものです。


「授業」という作業をするには「能力」が大切かもしれませんが、「教育」という仕事をしていくためには「能力」以上に「思い」が必要になってくるのです。


基本的に、「思い」というのは発信者が100とすれば、誰かに頼んでいくほどに低くなっていくものです。

自分の100の「思い」が、50や30の人に頼んで、出来上がりの結果が低いレベルになったとしても、それはなるべくしてなった当然の結果になります。

自分一人の力では、やれることは限られてしまいます。

誰かにお願い、協力してもらったり、誰かを巻き込んで何かを成していくためには、「思い」を共有していくことが何よりも大切なことになってきます。



人間関係って、どこまで自分の「思い」を伝えていけるかが全てのような気がする今日この頃です。