朝起きて「今日一日、いいことがあるのか、嫌なことがあるのか、どんなことが待っているのだろう?」と無意識に考えることがあります。



出来事を「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」という分類に分けると、1/2の確率でその日1日が嫌な日になってしまいます。



そもそも「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」というのは、「自分の望むことが起きるのか、自分の望まないことが起きるのか」という分類になってきます。



世の中は、自分の思い通りにはならないことの方が多いので、こういう分類で1日を分類していたのでは、「嫌な日」の方が多くなってきます。



そして「今日1日何かいいことが起きないかな~」という期待を持って1日を迎え、「何もいいことがなかった」という失望の気持ちで1日が終わってしまいます。



その積み重ねで、人生をマイナス思考で考えてしまうと「生きることは嫌なことばかり起こってしまう」という結論になってしまいがちなのではないでしょうか?



目の前に起こる出来事を「いいことか、嫌なことか」で分類すると、どうしても上記のような思考の流れになってきます。



それではどういう視点で目の前に起こる出来事を受けてとめていけば、人生が前向きに受け止めることができるのでしょうか?



私は、「人生は個々の魂を成長させるためにある」と信じています。



「魂の成長」という視点で目の前に起こることを捉えていくと、目の前で起こる出来事は「自分を成長させてくれる出来事と自分に自信をつけてくれる出来事」に分類できます。



最初の「いいことがあるのか、嫌なことがあるのか」という分類方法は、視点を変えれば、「いいこと」「自分の望むこと」は、「自信をつけてくれる」出来事であり、「嫌なこと」「自分の望まないこと」は「自分を成長させてくれる」出来事に分類できます。



目の前に起こっていることは「自分を成長させてくれるか」「自分に自信をつけさせてくれるか」のどちらかでしかないのであれば、「人生は自分にとっていいことしか起こっていない」ことになってきます。



物事にはいろんな視点があります。



物事はどういう視点でとらえることができるかで、「プラス思考と」「マイナス思考」に分類できるのだと思います。



ポジティブかネガティブというのは、持って生まれた性格の違いではなく、後天的な思考法の違いなのだと思います。

人は目の前に起きた現象について、いろんな解釈をすることができるものです。

「人間万事塞翁が馬」という諺がありますが、目の前の出来事に一喜一憂しても次の出来事で解釈が変わることが起きうるということなので、絶対的な事実というものは存在していなくて、全ては自分の解釈次第だということなのだと思います。



例えば、宝くじが当たれば誰でもハッピーなのかもしれませんが、宝くじであぶく銭を手にしたばかりに金銭感覚がマヒして、浪費癖が身について結果的に当たらない方が幸せなこともあります。

また、大学入試に失敗して、進路を変えたおかげで天職と思える仕事に巡り合うこともあります。



人間は神様ではないので、目の前の出来事が本当に「いい出来事」なのか、「悪い出来事」なのかを判断しても無意味なのだと思います。

別の表現を使えば、どんなに「いい出来事」と思えることにも、必ず足元をすくわれかねない危険な可能性も含まれていますし、逆にどんなに「悪い出来事」と思えることでさえ、大きな変化を起こすチャンスが含まれているものです。



人間である以上「いい出来事」が起きればうれしいし、「悪い出来事」が起きれば心配になるものです。

そういう素直な感情を無理に抑圧する必要はありませんし、感じ方をコントロールすることはとても難しいです。



それでは、目の前の「いい出来事」「悪い出来事」にどう向かい合うことが正解なのでしょうか?

この答えのヒントは、目の前の出来事を「偶然」ととらえるか、「必然」ととらえるかの違いにあるようは気がします。

目の前に起こっている出来事は、全ては自分の成長のために生まれる前から用意されていたストーリーなのだと思うことで、「この出来事から何を学べばいいのだろう?」と前向きに考えることができるのだと思います。


そして、自分の人生を他人の人生のように俯瞰して眺めることが、感情に流されないで冷静に判断できるコツのような気がします。

自分の悩みを軽減するために、自分の人生を他人の人生のように客観視できるためには、普段から、他人のことも自分のことのように尊重して生きていなければ、辛い出来事が起こった時だけ、嫌な出来事を他人事のようには切り替えられないものです。

他人事を自分事のように対処していくことで、自分事も少しずつ他人事のように感じることができるのだと思います。



「難しいことはシンプル」に「簡単なことは慎重に」「生きることは死ぬことである」「生まれた瞬間から死に近づいている」「他人事は自分事」「自分事も他人事」「人生は(成長のための)暇つぶし」「人生は錯覚である」etc……



人生は錯覚なのであれば、「自分はついている」「人生はうまくできている」と錯覚する方が得なのである。

あなたは、どんな錯覚や先入観を持って生きていますか?

前回の続きを書かせていただきます。


☆スポットライト

 新聞記者たちがカトリック教会の神父による子供への性的虐待のスキャンダルをあばいたアカデミー賞の実話。

 神父という聖域へのスキャンダルは、容易に記事にできない状況で、新聞記者たちの子供達への使命感、責任感、正義感などから、いろんな障害に立ち向かっていく新聞社の社員たちの姿勢に、「仕事とは何のためにするのか?」ということを考えさせられました。

 仕事は誰かの役に立つことで成り立っています。

新聞社は新聞の原稿を書くことが仕事ではありません。

原稿を書くことで誰の役に立っているかを意識しなければなりません。


 歯医者も歯の治療をすることが仕事ではないと思っています。

歯の治療を通じて何を伝えていきたいかを、社員一人一人が真剣に考えていかないといけないと思います。

 この映画で、社員が一丸となって不正に立ち向かっている姿を見ながら、うちの社員はこの映画の社員に比べて、どれだけの「使命感、正義感、責任感」を持って仕事に当たっているのだろうか??ということを考えてしまいました。

 仕事なのか作業なのかの違いは、「何のために仕事をしているか?」ということをどれだけ意識しているかどうかの違いだと思っています。

 何も意識しないでしている仕事を「作業」といい、何も意識しないでしている仕事の状況を「マンネリ化」というのだと社員には言っていますが、社員にどこまで伝わっているのかと問われると……トップが情熱を持って伝え続けなければ、社員はマンネリ化してしまうものだと反省させられました。

 この新聞社の社員が「使命感、責任感、正義感」に燃えて仕事をしているのは、トップにリーダーシップがあってのことだと感じ、自分とこの映画の新聞社のトップの人との情熱の差を反省して明日から頑張ろうと感じました。

☆レヴェナント 蘇りし者

 レオナルド・ディカプリオのアカデミー賞受賞作品で、先住民との争いの中、巨大なクマに襲われ瀕死の状態で仲間に息子を殺され、復讐のために生きていくストーリーだ。

 人は力強く生きていくためには、何らかの「生きる理由」「頑張る理

由」が必要なものだ。

 デカプリオは映画の中で復讐のために生きる決意をするが、最後には「復讐は神の力に任せよう」という気持ちになっていく。

 この映画を観ていて、生きるために、人間の欲望、暴力などの本能を前面に出していかないと生きていけない時代を経て、今のように法律が整備されて、お互いが人間の欲望を抑えながら理性でコントロールしながら生きていく時代が出来上がってきたことに、感謝の気持ちが湧きました。

 今の平和な時代は、こういう混乱した時代の葛藤を経て作られてきたのであるから、人間の先祖の方々の命の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけないのだと思いました。

 そして、私の好きな言葉に「心が体を動かす」という言葉がありますが、どんな状況でも諦めたらおしまいで、「死」でさえも諦める気持ちが多大な影響を与えていることを再認識しました。

☆ルーム

 監禁された女性と、そこで生まれた息子が、7年の監禁生活から脱出して社会に適応していく葛藤を描いています。

 最近、少女の監禁事件が解決したばかりでどうしてもだぶらせていてしまいました。

 以前、世界仰天ニュースでアメリカの同様の事件が流されていましたが、コミュニュケーション能力が低下し、バーチャルな世界に引きこもってしまう流れの時代には、こういう事件が多発してくるのではないかと危惧してしまいます。

 私は2児の父親ですが、この映画を観ていて「母親の愛は海よりも深い」ということを痛感させられた気がします。

 彼女にとって、息子は生きる源泉だったのだと思います。

 人間はどんな苦境に立たされても生きる希望があれば生きていけるし、逆にどんなに恵まれた環境においてさえ生きる意味がない人は、生きていることが苦しくなってくるものではないでしょうか。

「自分が彼女だったら……」何を生きる希望にできたのだろうか??と考えると、答えが思いつかないだけに息苦しくなってきます。

 日本での事件の被害者の彼女も、少しずつでも社会に適応して幸せになってほしいと思いました。

 GW中に7本の映画を鑑賞しましたが、これらの映画の共通のテーマは「幸せ」や「死」についてのテーマが多いことに気が付きました。

 

 映画には、監督やスタッフの伝えたいメッセージがあるように感じます。


 経営者も映画監督と同じように、仕事を通じて社員やお客様に何かを伝えていく存在なのではないかと思っています。


 私は、クリニックのトップですが、経営者とは、「人を幸せにする専門家」でなければいけないと思っています。

 私にとって、「お客様の幸せ」と「社員の幸せ」を叶えていくためには、まずは自分の中での「幸せの定義」を持っておかなければいけないと思っています。



 私は「言葉は力だ」と思っていますが、定義が違えば行動も違ってきます。

 私にとっての幸せとは、簡単に言うと「感謝と尊敬」だと思っています。

 感謝している時に、嫌な気分になることはありません。

また、他人を尊敬(尊重)している時に、その人のことを嫌いになりません。

 日々、いろんなことに感謝して、自分とかかわる人を尊重している時間が長くて深い人ほど幸せな人生なんだと思います。

 GWも終わり、新たな気持ちで仕事に向き合うことになりますが、私にとっての仕事とは幸せになるための手段です。

 仕事を通じて「感謝と尊敬」ができる人間に近づくために、困難と向き合っていきたいと思っています。

私は今日からまた仕事モードに切り替えです。


GWの後半は、帰省のチケットが取れなくて、私一人、東京で留守番をすることになりました。

この休みに何をしようか考えましたが、せっかくの休みなので、自分と向かい合ってみようと思いました。

家族と過ごすときには、どうしても子供中心の生活パターンになってしまうため、テレビや映画などは縁遠くなっていたので、5月1、3~5日に映画を2本ずつ計7本見ることにしました。

以下、簡単なストーリ-と簡単な気づきを書かせていただきます。



☆追憶の森(渡辺謙主演)

 希望を失った主人公が、自殺目的で富士山の青木ヶ原樹海で日本人の渡辺謙と出会い、「生と死」について考えさせられる映画でした。

 主人公は浮気が原因で妻とケンカが絶えなくなり、妻の病気がきっかけで関係が改善しかけた矢先に妻が事故に巻き込まれてしまい、自分の人生を悲観しての自殺に向かうのですが……

 自分の生き方を振り返って、もっと感謝の気持ちを持って生きていかなければいけないと反省させられました。

今、自分の目の前の状況は何一つ当たり前ではない事、生きるのにも死ぬのにも、人は意味を見出そうとしていること、良い夫婦関係を続けていくためには、お互いのことを尊重していかなければいけない事など「生きる」ということについて深く考えさせられました。




☆山河ノスタルジア

 中国を舞台にした2人の男性と1人の女性の幼なじみ3人の人間模様を描いています。

 女性は幼なじみのうち、成功してお金持ちになっている方の男性と結婚するのですが、離婚して親権は父親の方にあって、成人して父親と子供の関係がうまくいかず、母親の子供を思う気持ちなどが身につまされました。

 中国において、急激な成長により、幸せとは成功することお金持ちになることだと信じた結果、そこには幸せはなかったという結末が待っていたように感じました。

 若者は夢を求めて都会に出ていきますが、故郷とは何なのかということもこの作品のテーマであったように感じました。




☆グランドフィナーレ

 引退した音楽家とセレブ達が、高級ホテルで織りなす人生とは何かということを考えさせられました。

 仕事にすべてを捧げてきた指揮者は、仕事、仕事で家庭を振り返らず、夫として父親としての義務を果たしていなかったことを娘から非難されるが、彼は彼なりに妻を愛し、娘のことを気にかけていたのだが……

 そのほかのセレブ達も、世間的には成功者と言われているが、実際には家庭においていろんなことがあり、周りから羨ましがられるほど満ち足りた人生ではないものなのだ。

 仕事で評価されるためには、人並み以上の努力をしないと成功という結果は伴わないが、仕事における成功が人生においての成功ではない。

今、ワークライフバランスということが言われているが、何のために仕事をするのか、自分にとっての幸せとは何なのかを考えさせられる内容

だった。
 若い時には「お金」「地位」「名誉」「愛」「健康」などいろんなことに幸せを結びつけようとするが、幸せとは自分で考えて自分で答えを出していくものなのだと思いました。


☆永遠のヨギー

 スティーブンジョブズ、ビートルズのジョージハリソンなどにも影響を与えたヨガの伝道師ヨガナンダの障害をつづったドキュメント。

 私の生きるテーマである「今ここ」に集中する生き方とヨガの瞑想は、切っても切れない関係だと思っているので、「瞑想」について学ぶために鑑賞しました。
 

 現代における情報の洪水に飲み込まれないためにも、何かを得る努力よりも何かを捨てる努力の方が大切なのではないかと感じました。

 今後とも、いろんな情報が飛び交う世界において、自分にとってマイナスな情報をどうやって遮断していくかがより求められる時代になっていくと思います。

 体に良くない食べ物を口にすると体がむしばみますが、心によくない情報を耳にすると心がむしばみます。

 口にする食べ物と同じように耳にする情報にも細心の注意を払う必要がある時代なのだと思います。



後半分の3本は次回コメントさせていただきます。







日々仕事をしているといろんな問題が起きるものだ.

問題が起きた時に私が意識していることは、

①この問題の本質的な原因は何なのか

②この問題を再発させないためには何を変えていけばいいのか

③自分でコントロールできない問題の時にはスルーすることも大切だ、

という3点だ。



 物事には原因があって結果があるものだ。

好ましくない結果が目の前に起きた場合に、人は好ましい結果を求めいろいろと考えるが、本質的な原因を見誤ると、それ以降の②と③もすべてが間違った回答を見立ててしまうことになりますし、

逆にここがうまくいけば、8割がたその後の流れもうまく運びます。


全てのスタートは①の本質的な原因を見つけることにあるのです。

その際に注意していることが、今回の出来事は、

「問題」と受け止めるのか、それとも「チャンス」と

受け止めるのかにあります。


目の前の出来事を「問題」として受け止めてしまうと、

「最悪」「ついていない」などマイナスに受け止めてしまいがちです。


人間は物事をマイナスに受け止めてしまうと、問題の原因を

誰かのせいにして個人に責任をなすりつけてしまいがちです。


一方、今回の問題は「チャンス」なのだと思えれば、

少しでもプラスのことを見つけようとして、

現実を前向きに受け止められます。



 の本質的な原因を見つけるために不可欠なことが、


自分の心が前向きに「チャンス」と受け止めているか

「ピンチ」受け止めているかにあると言えます。



目の前のことは「ついていない出来事」ではなく、

何かに気づかしてもらうための

「神様からのプレゼント」だと考えられる人は、

全てがいい循環で回っていくのです。


 本質的な原因を見つけることができたら、再発を防ぐためにはこれまでと何かを変えるための行動をしていかなければなりません。

これまでの習慣ややり方が間違っていたから

今回の好ましくない出来事が起こったのですから、

仕組みややり方を変えていかなければなりません。

 でも書きましたが、原因を当事者の個人になすりつけるのではなく、仕組み、習慣、社風など組織として変えていけることに

意識を向けていかなければなりません。


 で考えられる原因を見つけられたら、

あとは1つでも行動にうつせることができたら

今回の出来事は「意味のある出来事」になってくるのです。

「誰か個人の責任だ」と考えた時点で、それは「意味のないついていない出来事」になってしまうのです。


 そうはいっても、全ての出来事で

①の本質的な原因を見つけたり

②で何かを変えることが見つからない場合もあります。

そんな時にはとりあえず、今回の出来事は、

今の自分にはすぐには解決できない問題なのだと考え、

一時的にスルーすることも大切なのです。


仕事をしたり、生きていれば、日々いろんな問題が発生します。

解決していかなければいけない問題がたくさんあります。

物事には優先順位があり、今すぐに解決しなければいけない問題と後回しにした方がいい問題とあります。



人間は、時間もエネルギーも有限です。

試験問題でも、いつまでも解けない問題に時間をつぎ込んでいたのでは試験の制限時間になってしまいます。



一生懸命考えても本質的な原因が見つからないで、

変えるべきことも思いつかの場合は、

一時的にスルーすることもとても大切なスキルなのです。



そういう難問でも、自分が成長していけば、簡単に解決できる時期が来るものなのです。