学生時代に、試験期間になると無性に小説が読みたくなったことを思い出しました。

 

数学の試験になると英語が勉強したくなったり無性に運動したくなったり、当時はなんで気持ちと現実とが一致しないのだろうと思っていました。

一番記憶に残っているのは、浪人している時に、毎日1時間ぐらいかけて電車で予備校に通っている時、「大学に合格したら、途中駅に降りて意味もなくぶらぶらしてみたい!」あるいは「1日中テレビを観続けたい」と心から思ったことです。

浪人中は、「1年に一度」だけの入試という目標に向かって、全てのものを犠牲にして入学試験という1つに集中して生きていました。

試験に不合格になれば、あと1年浪人しなければならない、という思いつめた理由でできるだけ試験勉強に集中していました。

浪人中に勉強以外のことをすることは、悪であり無駄であり、やってはいけない事という先入観がありました。

そして、大学に合格して途中駅でぶらぶらする時間ができました。1日中テレビを観れる状況になりました。

そうすると、「目的もないのに知らない街をぶらぶらしたくない!」「面白くもないテレビを観たくない!」と思うようになり、どちらもしませんでした。()

 

52歳になった今現在、何かの仕事に追い込まれると必ずそれ以外のことがしたくなります。

そういう時には、学生時代の「勉強をしていると、なぜか他のことが気になってしまう」あの感覚を思い出して「ははぁ~ん、俺は今、現実から逃げだしたくてそういう気持ちになっているな!」と自分のことを客観視するようになってきました。

そうして現実逃避をする自分を受け入れるために、わざと自分を追い込んで逃避したことをしていくことで、自分に他の行動を促すようになってきました。

 

人間はなまけ者です。

学生時代も決して本が好きで小説を読みたいと思ったのではなく、試験勉強から逃避したくて試験期間になると小説が読みたくなりました。

今の自分には、試験期間はありません。入学試験もありません。

 

「のほほ~ん」と生きていると、日々いろんなことが面倒くさく感じて、何もしたくなくなるのです。

何かをしなければいけないのは頭ではわかっていても、平和な時は気持ちの後押しがないのです。

想いや前向きな気持ちの伴わない義務的な作業からは何も生まれてきません。

だからこそ、入学試験などのような覚悟や執念を持った気持ちになるためには、自分で自分を追い込んでいくしかないのです。

自分を追い込むのは怖いですししんどいです。

しかしなまけ者の自分が行動していくためには、自分自身で追い込んでいくしかないのだと感じています。

 

好きなCMに日産の「やっちゃえ日産!!」というのがあります。

自分の気持ちが乗らない時、「追い込んじゃえ、青ちゃん!」と口ずさもうかと思っています()!!

 

私は経営者として、スタッフにやる気になって仕事をしてもらわなければなりません。

私にとっては、仕事は「自分事」で一生懸命するのは当たり前ですが、社員にとって仕事が生活の為だけの理由だと「他人事」になってしまいます。

「他人事」でやった仕事で患者さまから高い評価を受けることはありません。

そのためには、どうすれば社員が「自分事」で仕事をしてくれるか考えなければなりません。

 

例えば、社員に100メートルを走ってもらうとき、下記の4通りで走らせたとします。

  1. 一人ずつ走らせる

  2. 競争で走らせて順位をつける

  3. 犬に追いかけさせて走る

  4. ライオンに追いかけさせて走る(あくまで例えです(笑)

同じ100メートルを走ったとしても、この4通りのやり方で、タイムに差が出てくるでしょう。

 

または、穴を掘ってほしい時に

  1. 単純に穴を掘ることを指示(命令)する

  2. 穴の中に100万円埋めているので、一番に見つけたら100万円プレゼントすると伝える

  3. これは命を懸けていて、ビリになると殺されるゲームであることを告げる

 

これらの比較を検証した時に、モチベーションが同じなら、持っている能力で結果に差が出ますが、例え持って生まれた能力は劣っていても、気持ちの持ちようで能力を逆転することは可能だと思います。

 

能力の差は2倍開いていることは稀ですが、情熱や熱意と言った気持ちの持ち方は100倍違うことも珍しくありません。

 

人間は「心が体を動かす」ので、相手に行動させるには、まずは相手の心を動かすことが最初になってきます。 

社員に仕事を指示するときに「あれしろこれしろ」と命令する前に、「何のためにするのか」「いつまでにするのか」など、相手を本気にさせる「意味と価値」を伝えていくことの方が何倍も大切で難しいことだと思います。

 

「他人事」になりがちな仕事を「自分事」で取り組んでもらうためには、その仕事の向こうにどんな「意味と価値」が隠されているのかということをイメージできるように伝えていくことがトップの仕事だと思います。

 

我が家で犬を飼い始めて数ヶ月が経ちました。

知人も同じぐらいに犬を飼い始め、初めは躾などが大変で、「犬を飼ったのは失敗だった!」と言っていたのに、飼い始めて2,3か月目には「もはや犬のいない生活は考えられない」と言っていました。(笑)

 

私が犬を飼い始める前に、犬を飼った経験のある人に、「犬は何でかわいいのか?」と質問すると、「犬は無償の愛を与えてくれる」「犬は人間みたいに口答えしない(笑)」などの答えが返ってきました。

犬を飼っている人の話を聞きながら、自分に絶対的に愛を注いでくれたり、絶対服従してくれる存在はかわいいものなのだろうなぁ~と想像していました。

実際に、生まれて初めて犬を飼い始めてから、色んな気づきがあります。

 

無償の愛を与えてくれて、絶対服従の犬は確かにかわいいですが、簡単には言うことを聞いてくれない人間が、「意味と価値」を認めてくれて,変わっていくのを見ることにも大きな喜びを感じます。

犬は力関係で主人の指示に従ってくれるのかもしれませんが、人間関係は「意味と価値」を納得してくれたり、相手の心が動かなければ行動を変えてくれないので、簡単ではありませんが、簡単でない分、自分の考えや気持ちが通じた時の喜びは大きいような気がします。

 

犬の散歩をしていても、犬の行きたい方向にこちらが従っていては、犬が主従関係を勘違いしてしまうと言われると、犬と接する時には人間との力関係を常に意識させないといけないかと思うと、普段、社員や妻や子供たちと接するときには、上から目線にならないことを意識している自分と真逆の考え方や行動になってしまうために、すごく違和感を感じてしまいます。

 

人間関係においては、上の立場にある人ほど、弱い立場の相手への配慮が必要だと考えているのですが、犬相手にはどこまでそういう気持ちを持っていいのかと試行錯誤の最中です(笑)

 

 

 

連休中に「ギフト 僕がきみに残せるもの」という映画を観に行きました。

 

私には、歯科医師、経営者、父親、夫、もっと細かく分ければ日本人、東京都民、広島県人等様々な側面があります。

その中の何にフォーカスするかで、役割や使命が違ってきます。

 

その中でも、日常で1番意識しているのは、やはり「歯科医師、経営者」ではないかと思います。

「父親」としての意識もありますが、ついつい日常の多くの時間が仕事優先の感覚になっているところがあります。

私が仕事を頑張っている理由の1つに「仕事を通じて成長して、仕事から学んだことを子どもたちに伝えていきたい」ということがあります。

 

人間は壁にぶち当たり、悩み苦しみもがきながらしか「知恵」を身につけることはできないと思っています。

本を読んだり、人の話を聞いて「知識」を身につけることは出来ますが、「知識」を「知恵」に変えていくためには経験が必要だと思います。

そういう意味では、子どもたちに自分の持っている「知恵」を授けることは出来ないかもしれませんが、子どもたちが壁にぶち当たった時に「気づき」のヒントになることを伝えて死にたいと思っています。

そのためには、自分がたくさん悩み苦しみたいと思っています。

 

「ギフト 僕がきみに残せるもの」は、元NFLのスター選手が難病のALS(筋委縮性側索硬化症)になり、生まれてくる子供の為に自分の記録や考えを撮影して記録していくドキュメント映画です。

 

ALS(筋委縮性側索硬化症)は、10万人に2~5人がなる病気で、日本人1万人が発症されている病気です。

この映画を観る前から、もしも自分がALS(筋委縮性側索硬化症)に発病したら,どういう向き合い方をして生きていけばいいのかと考えた事が何度かありますが、どうしても答えが見つけられませんでした。

 

人間は、希望がなければ前向きに生きていけません。

「もしも自分がそうなったら、どう前向きに向き合っていけばいいのだろうか……」そんな問いかけに、主人公の男性は見事な答えを示してくれています。

彼は、小さい体ながらも死ぬ気でNFLと向き合った経験が、ALSを発症してからも前向きに生きることに役立っていると言っています。

 

神様は「その人が耐えられる苦難しか与えない」と言われていますが、彼や彼の奥さんには、この試練が耐えれることだから与えたとしか思えません。

そして、その試練を乗り越えた人には、普通の生き方をしている人には感じることが出来ないご褒美を与えてくれるのだと思います。

 

彼は、ALSの進行で日々出来ないことが増えていくのを受け入れながら、「生きていくのが苦しい」と発言しても、「自分のことを不幸だ」とは思っていないのがわかります。

日々「体は壊されていっても、自分の人生までは壊させない」という気持ちがすごく伝わってきます。

 

この映画では、不安や恐怖で心が押しつぶされそうな時に、前向きに生きていくことで人はいくらでも強くなっていけるし、人生の主導権は、運命や他人にゆだねるのではなく、あくまで自分の受け止め方で人生の幸、不幸は決まるということを教えてくれています。

 

父親として子どもたちに残してあげれる最大のものは、自分の生き方、考え方、人生観ではないかと思っています。

 

まだまだ、自信を持って子どもたちに伝えれる人生観ではありませんが、自分の人生も期限が限られていることを意識しながら、一生懸命生きていきたいと反省しました。

 

 

 

 

 

自分の経験や社員教育などを通じて感じることは、成長したい、自分を変えたいなど、「今の自分のままでいることを良しとしていない」願望があるということです。

 

しかし、自分を変えたい、現状を変えたい、という思いがあると同時に、自分を変えることは苦痛を伴う、という事実が待っています。

何十年間、今の自分と付き合ってきている以上、自分を変える意見に対して「ハイ、そうですね!」と素直に言える人は相当人間のできている人だと思います。

人は自分では変わりたいけど、他人から変わることを強要されることを否定する本能が働きます。

 

「自分を変える」ということは、日常の自分の考え方や受け止め方や先入観を変えていくということだと思います。

今の自分がいるのは、数十年今の考え方によって出来上がっている先入観を、もしも急に違う考え方になったとすれば、それは大変なストレスを感じることになります。

 

何十年も日本で生まれ育った人がアメリカで生活していくだけでも大きなストレスになっていくものですが、それが文明の未発達な国で生活していかないといけなくなれば、それは「生きていく」という最低限のことが大変なことになってきます。

人間は自分の先入観を「変えたい」と思う気持ちと「変えたくない」という気持ちが常に葛藤している生き物なんだと思います。

 

「変わりたい」気持ちが「変えたくない」気持ちに勝つためには、変わらざるおえない状況に自分を追い込むことが一番だと思っています。

先ほどの、未発達な国で生き延びていくためには、日本で生きてきた経験を活かしつつも、現実に適応した生き方で、自分の先入観を変えていくしかありません。

 

ダイエットをする一番簡単な方法は、食べ物の少ない国で生きていくことだと思いますが、現実にはそんなことはできません。

日本にいながらダイエットするためには、ダイエットで得られるメリットが本当に自分の心を動かすだけの価値のあるものなのかどうかという点と、人は「大変なことをしている」という認識でいると、意志の力が感情の力に負けてしまうので、食事を減らしていくことを習慣レベルにまで落としていくことが大切かと思います。

 

歯科関係者の多くは、毎日デンタルフロスを使用していますが、それを大変なことだとは思っていません。

しかし、一般の患者さんにからすれば、毎日フロスを使用するということはすごく意志の必要な行動だと思われています。

 

習慣になっている人にとっては普通のことが、意志の力で頑張っている人は、いつかは感情の力に負けてしまうのではないでしょうか?

 

スタートは意志の力でもいいので、習慣になるまで継続することが出来れば、あとはそのまま継続していくことはそんなに難しいことではないのです。

 

変わりたいけど変われないキーワードは、「習慣」にできるかどうかだと思います。

「習慣」になるまで続けていければ、いつかは変われますし、「習慣」になるまで続かないのは、それほど自分の心が動いていないことなのかもしれません。