これは老女の備忘録として書いています。
ここ関東地方では、昨日辺りから本格的冬季気温を実感しています。
今朝も寒い朝。
やっと実家のエクステリア改修工事も済み、昨日は屋外センサーライトの取り付けも
終わりました。
これで、今年の工事関係は、すべて完了です。
あとは、銀行での振り込みのみ。今年も、大過なく済んでくれました。やれやれ・・
でも、まだまだ油断は禁物、あと18日ありますものね。
心して年末をおくりましょう。
ここ数日、ずっと考えていることは・・
ある女優さんの突然死にネット上ではいろいろな記事がでています。
10年間、会えなかった息子さんと、ご遺体で対面したという記事には、正直言って胸が
つまりました。
離婚の原因がなんであっても、我が子とそれっきり会えなくなるなんて、母としてこれ以上の罰はありません。息子さん本人の意思なのか、はたまた親権を取った方の意思なのかは分かりませんが、親子の絆をバッサリ断ち切るなんて、あまりに酷なことです。
それにつけても、私の叔父のことが思い出されます。
叔父は、いわゆる不倫をして新しい妻を迎え、それまでの家族を捨てました。
元叔母から直接聞いたことがあります。
「うちの子供たちは絶対あの人を許さないと言っている」と。
その通り,最後まで、叔父は子供達には会えませんでした。
叔父が晩年、繰り返し言っていたことは、今生で、今一度子供達に会いたいということだったそうです。
二度目の結婚は、それなりによい日々だったのかもしれませんが、喉の奥にいつも
なにかがつかえているような違和感を覚えていたのではないでしょうか。(これはあくまで私の見方ですが)
ケラケラ笑って、冗談ばかり言っていた人でしたが、人前で見せる陽気な姿ばかりが
彼のすべてではなかったはずです。二度目の結婚生活がうまくいっている時は忘れていても、少しの躓きが起きた時、なにを思ったことでしょうか。
後悔、懺悔、寂寥、言葉では表現できないさまざまな感情に揺れ動いたことは想像に難くありません。
私達親族の前ではけっして弱音を吐かず、愚痴もこぼしませんでしたけれど、それは取りも直さず自分のプライドを維持するためでしょう。
でも、二度目の妻の前では時々感情を爆発させてその結婚生活を呪い、わめいていたと
彼らと交流のあった人達から漏れ聞きました。
人生に失敗した?それは失敗なのでしょうか。
叔父はあの時、恋をしたのです。
新しい恋人ができ、その日から頭上に光が降り注ぎ、沼池のような生活に張りが出てききたのです。
そして、若者のように新しい恋に突き進んでいった・・彼は50代でした。
そこにはリスクを賭けた人生の選択があったはずです。
叔父は自分の選択の結果を「こんなはずじゃあなかった。」と思いながら死んでいったかもしれません。でも、あの時彼は自分で選択したんです。
亡くなった女優さんも、いろいろな選択の結果こうなられたのでしょう。
本当に、生きるということは選択の繰り返しですね。
そして、私達は感情という厄介な爆弾を一個抱えているんですねぇ。
これが誠に複雑で、管理しにくい爆弾なんです。
ひとたび、この爆弾に情熱と言う燃料が注入されると、制御することがとても難しいのでしょう。だから、普通考えたら、絶対しないような不合理なことでも嬉々としてしてしまう。私たちは本当に複雑な生物かもしれません。いえ、複雑にしているのは人間の持つ
社会性なのかもしれません。
動物なら、心の赴くままに生きます。情熱なんて言葉に置き換える必要もありません。
おもむくままに突き進むことが生きるということなんですものね。
もしその選択が危険に向かっているとしても、それが彼らの命の在り方なのですからなんの意味も持ちません。
自然界の生物には善も悪もないと、最近読んだ本(ザリガニの鳴くところ)でハッとさせられたのですが、人間社会ではそれがないと混とんとしたカオス状態になってしまうから 掟があるんでしょうねぇ。広義では法としての縛り、そして道徳(モラル)という社会の狭い部分で共有している見えない規制ロープの張り巡らし方。
50代の叔父は自分の情熱に忠実でした。
そして、全てのことを自分の責任として、一人で逝きました。