人生はロールプレイング | 最後の呟き壺

最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

夏は暑いと分かっていますけれど、ここ数年の暑さには、いささか恐怖すら覚えます。
働いていらっしゃる方々はどうすごされているのでしょうか?特に野外での作業に就かれていらっしゃる方、どうかくれぐれもお気をつけくださいと、縁もゆかりもない私でも、呟いてしまいます。どうぞ、お大事に。

人は、たいていの人が健気に生きています。
生まれて来た環境、育ってきた過程の中で、踏ん張りながら、それぞれの役回りというようなロールプレイをして(意識しなくても)生きていると思うのですよね。

でも、そこに生きづらさをおぼえる人達がなんと大勢いることでしょう。

まあ、声に出して言えない場合でも、ほとんどの人達は大なり小なり苦悩は抱えています。
それが、人生であり、生きるということなんだと言われれば、はい、そうですね・・と
頷くよりほかにありません。そして、こんな過酷な人生でも、ほとんどの人たちがなんとかやっていけるのは、ほんのわずかでも、笑えることや癒しがあるからでしょう。

最近のニュースで知った、トランスジェンダーの方の自死。あまりにも痛ましい・・・
人はそれぞれの苦悩の内に、どうにかこうにかこの世での自分の役どころを生きているのに、そこに適応しきれない苦しみは、本人しか分からない辛さだと思います。

端からは恵まれた生活を送っていると思われている皇族のなかにですら、その環境に不適応の苦しみを覚えていらっしゃる方もおられます。

私たちはどうしたら、人生というそれぞれの舞台で、自分の役割を演じていけばいいのでしょう。
今をつき詰めず、すこし緩めに、傍観者の視線を備えておいてはどうでしょうか。
周りの人との軋轢の苦しみを抱えている場合も「どうせみんな死んでしまうんだから」という投げやりな感じではなく、「誰もがみな同じところに到達するんだ」と考えてみると、少しは相哀れむ感情が湧き上がってくるかもしれません。
生まれて来たからには、それぞれが持つDNAの長い航路(命の継続)を自分という小さな船を操って渡っていかなければならないのでしょう。
本能と名付けた(生と性)が発する強固な指令のなかで、生物は生存を賭けて生き残ってきたのです。

世の中の片隅で、ひっそり生きているつもりの私のような老女でも、過去には消えてしまいたいと思ったことがなんどかありました。
その時は本当に苦しかった。でもね、時が流れると、痛みも薄まるんです。
忘却というお薬が痛んだ心を治してくれます。

どんな状況も、必ず変化していくんですね。
それが他動にせよ自動にせよ、状況は変わっていくものです。
同じ状態がずっと続くなんてことは金輪際ありませんから、まあ、そこが救いです。
いい方になるか、さらに悪い方に変わるかは分かりませんが、少なくとも今の痛みは変化していくでしょう。
ならば、変化に期待しましょう。
怖がらず、顔を上げて胸を張って(ちょっと虚勢を張ってもいいじゃないですか)なんでも笑っていきましょう。
だって、あっという間に、舞台を降りる時がくるんですよ。
長いようで短いのが、人生。

そして、その時が来たら、自分をあっぱれ!とほめて幕を引きましょうね。