これは老女の備忘録として書いています。
先日、久しぶりに娘が孫と共に遊びにきました。
5歳になる男の子です。
現在、自己主張のかたまりです。
ついこの間まで、赤ちゃんだったのに‥と突然の変貌に戸惑いを覚えるのは、私が近くにいて、その成長を日々見ていないせいでしょう。
親にとっては、毎日の成長(変化)は微細ながらもよく分かっているはずで、彼はそれなりの段階を踏んで大きくなっているはずです。
彼の好きな献立で食事を用意して、デザートはフルーツパフェにしました。
生クリームの泡立てを手伝ってもらい(電動泡立機に手を添える程度です)、
ホイップされたクリームをギザギザ口金付き三角袋でデコレーションしてもらいました。
本人はやり終えた感いっぱいで、大満足。
容器からあふれ出て、ぐちゃぐちゃのフルーツパフェを「おいしい!おいしい!」とたべる母と祖母に得意満面、どや顔で「すっごくおいしいでしょ!」と繰り返し念押しをしてきました。
彼の姿を見て、こうして人は、いろいろなことを経験して大人になっていくんだなぁとしみじみ思いました。
来年は小学校入学、さあ、これから彼のながい学校生活が始まります。
義務教育、小、中9年、高校、大学7年、更に進学して研究生活を送るのか?それとも就職するのかは分かりませんが、とにかく卒業してからも社会生活を送るために時間の拘束を受けるのは必至の事実です。
なかにはこういう拘束から逃れて、自由気ままに生きていく人もいるでしょうが、大部分の人々は人生の多くの時間を、ある名目のために捧げて生きていきます。(自己実現、家族、使命 etc)
私はそれを当たり前のこととして受け入れてきました。
疑うこともなく、社会の一員として働くことは人間として普通の事なんだと思ってきました。
今、私はどの組織にも属さず、なんの時間的拘束も受けずに生きています。
それで、今の私の生活から、ふと思ったのです。
未来、AIの発達した世の中で、労働力がロボットに取って代わられた場合、社会の中で
人はどう振り分けられるのだろうか?と。
そもそも、原始から人には生存のために労働することが前提条件だったはず。それが、過度の労働は必要なくなり、自由な時間を持てるようになった場合の人間はどうなるのでしょうか?
そこには、現在の老人が抱えている問題と似たような問題が持ち上がると思うのです。
そもそも、老人は老齢故にエネルギーが減少しているから、若者ほど動的欲求が激しくないわけです。それでも、自分を持て余している老人が多くいるということは、若者なら社会の中で、もっと稼働率の高い配置を求めるようになるだろうということは容易に想像できます。
週2~3回行くジムで、出会った女性が私に言った言葉「いいわねえ、毎日やることがあって!私なんか、ここに来ること以外ないのよ。私、ここがなかったら、もう死んでいるわ」これは、穏やかではありません・・・。
結局、人は存在意義を求める動物なのでしょう。
ただ、何もせず、毎日自由に遊んでいいからと言われたら、たぶん自殺者が増えると思いますよ。人には、この世の中で、自分が生きる価値がある者でいたいのです。
社会の中で他者と連帯して活動したい、でも過度の拘束はされたくない存在なのでしょう。
未来、AIでも、ロボットでも活躍してくれて結構、それと同時に人間にもきちんと居場所のある、振り分けできた社会の出現を切に願います。
勿論、そこには戦争を回避できる賢いAIの主導(?)が必要になってくると思いますが・・正直言って、私は、人間には戦争を回避できる力はないと思っているのです。ロシアのウクライナ侵略をみても、人間って、本当にどうしようもない生き物だって思ってしまうんです。
これから孫の生きる世界、社会がどう変わろうと、今よりよい世界、社会となることを心から願っています。