これは老女の備忘録として書いています。
前回呟いたことを読み返して、私としたことが、感情的になり過ぎていました。反省。
子供の不機嫌に付き合わされたからといって、私があれほど怒ることもなかったんです。
そして、不愉快の一端は、私の我が出たことから起こりました。
息子の言いなりに、黙って任せておけばよかったのに、ついつい自分のやり方を主張してしまったこと、これが息子にとってカチンときたことなのでしょう。
あれから様々考えたことは、こんなことで、ストレス溜めてどうするのって、こと。
おバカですよねえ。すべては変化していくのが生きていくことなのに。
それを分かっていたはずなのに。
肉体も、精神も、人間関係も、そして周りの全てのものが移りゆくのがこの世のならいじゃないですか。そのことをもう一度、嚙みしめました。
昔読んだ本【楢山節考】が思い起こされます。これは姨捨伝説をもとに創作された小説です。この作者の深沢七郎さんという人は、かなりユニークな経歴の持ち主だったのですが、人生をものすごく単純化して解釈していたようです。
それが、アナーキーな時代(学生闘争とか、天皇制の存続再考など)に受け入れられて、とてももてはやされたのです。
とにかく彼にとって、生きるということに意味付け、意義付けなんか必要なくて、男女の本能的営みで生産された自分はこの退屈な人生といわれる時間をどうすごしていくかを考えて生きてきた、と断言していました。最初それを読んでびっくりしたものですが、まあ、人それぞれの人生観ということで、受け止めていました。
人生とは?さあ、何なんでしょうかねぇ。
皆それぞれの経験ですものね。
それにつけても、いま、読んでいる【ピダハン】みすず書房はおもしろいです。
たまたま、TVでみたカズレーザーさんの番組で、このアマゾンの少数民族の生態を紹介していたのですが、その言語からとんでもなく異質な社会形成が行われていて、それが摩訶不思議に シアワセ そうなんです。過去も未来も考えず、今ここにある一点で生きるということが心の平安を生んでいるような・・それで、もっと知りたくなって、本を取り寄せました。
まだ、途中なのですが、私の心が不思議と頷いているのです。
これからの私は、なるべく我を張らないで生きていきましょう。
我はあるのですよ、ただ,たいしたことない内容なら、私は黙して語らずでいましょう。
そのかわり、自分のやりたいことは躊躇なく、黙って好きにやっていきましょうということ。これが私の生きるスタイル・・・
あれっ!これって、すごく我の強い生き方ですよね。
いいんです。知らなきゃ無いことなんです。
そして、誰に迷惑がかかるというのでしょうか?
やっぱり、そうなんです。近しいほど、黙して語らずの配慮は必要でしたね。