考えを提案することを

プレゼンテーション(presentation)

 

 

 

 

存在していることを英語で、

プレゼンス(presence)

 

 

 

 

親しい人への贈り物は

プレゼント(present)

 

 

 

 

 

語感がどれも似ているなぁ。。

 

 

 

 

 

どうでもいいことだけど、

ふと、疑問に思っちゃいました。

 

 

 

 

 

そこで関係性についてAIに聞いてみました。

 

(今はなんて便利な世の中でしょう)

 

 

 

 

 

 

 

AIの回答はこちら

 

 

 ↓  ↓

 

共通点

これらの単語には共通の語源があります。

すべてラテン語の「praesens」(現在の、存在する)に由来しており、

「その場にいる」や「目の前に提示する」といったニュアンスが含まれています。

 

 

例えば、

「presentation」はアイデアを「提示する」こと、

「present」は贈り物を相手に「渡す」こと、

「presence」は物理的・感覚的に「その場にいる」ことです。

 

したがって、語源的には関連がありますが、

使われ方や意味はそれぞれ異なります。

 

 

 

======

 

 

 

 

 

なるほどー、

 

ラテン語が語源だけど、

使われ方や意味は異なるらしい。

 

 

 

 

 

 

だけど、

 

 

あえて、

それぞれの関連性を見つけ意味を創作してみますね。

 

(ぼくのオリジナル)

 

 

 

 

 

 

では、参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくらは今、地球上に体をもって生きています。

 

 

 

 

 

自分で生命をくださいと頼んだ覚えはないから

この体と命はプレゼントされたものだ。

 

 

 

 

 

そうしてここに「わたし」は存在する。

 

 

 

 

 

いろいろな経験をしてここまでたどり着いた。

 

 

 

 

 

たくさんの経験によって、

ものの見方や、考え方を身につけた。

 

 

 

 

 

わたし以外にもそれぞれ人生があり、

一人一人が別のルートを辿ってきた。

 

 

 

 

 

そして、

それぞれのルートを辿ってきた者同士が出会う。

 

 

 

 

 

出会って、

お互いを知り合うことで

 

 

お互いの

 

経験したこと。

そこから学んだこと。

考え方やものの見方がある。

 

 

 

それらを共有しよう。

(分かち合おう)

 

 

 

 

わたしから誰かへ。

 

 

誰かからわたしへ。

 

 

 

 

一人では知ることのない知識を得られるから。

 

 

 

 

他の人の経験を通して

一人では味わえない豊かさが得られる。

 

 

 

 

それはお互いが出し合える素敵なプレゼント。

 

 

 

 

 

だから、

どんどん伝えていこう

 

 

 

 

伝えるときは、

自分という存在を通すことがたいせつだよ。

 

 

 

 

 

今はモノやサービスは溢れているけど、

 

 

 

その一つ一つには、

つくった人の思いや工夫がつまったものがあるよ。

 

 

 

人は表面に見えるものに目がいきがち。

 

 

 

 

だけど、

 

表面から見えないところにこそ面白いものが潜んでいる。

 

 

 

 

面白いものは

わたしという存在の中から見えてくる。

 

 

 

 

より立体的に、何層の厚みになって見えてくるよ。

 

 

 

より魅力的になるということ。

 

 

 

 

その魅力を今まであまり見てこなかったものかもね?

 

 

 

 

 

見てなかったところを闇というなら、

その闇に光を照らせば見えてくる。

 

 

 

 

 

光を当てましょう。

 

 

 

 

自分の中にある宝ものが見つかるよ。

 

 

 

 

自分という存在をとおして、

みんなにプレゼン(プレゼント)していきましょう。

 

 

 

 

お互いがやれば、素敵な世の中になるのは当然でしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受けとることに抵抗ありませんか?

 

 

 

 

「ないよー」

 

と言えるあなたが羨ましい。

 

 

 

 

なぜなら、ぼくは受けとりヘタだから。

 

 

 

 

 

 

どうして受け取りヘタなのだろう?

 

 

 

 

 

今日、一日かけて考えた。

 

 

 

 

 

 

出てきた答えは、

 

 

 

受けとる = 義務の発生

 

 

 

 

そうのように捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「受けとっていいだろうのか?」

 

 

 

「ウラがあるんじゃないか?」

(疑心暗鬼)

 

 

後になって、

「恩返しは?あなたの恩人でしょ」

 

と言われないか?

 

 

 

 

 

実際、そう言われた経験もある。

 


 

 

 

 

受けとることが苦手だったけど、

そろそろ克服しよう。

 

 

 

 

 

======

 

 

 

 

 

そっか、

 

 

 

 

一つ分かった。

 

 

 

 

 

「受けとれない」と、

「与えてない」はリンクしてる。

 

 

 

 

 

 

「受けとる」に抵抗すると、

「与える」ことも抵抗してしまう。

 

 

 

 

 

こういう感じに・・↓

 

 

 

 

自分が受けとる時、

 

「本当に受けとって大丈夫だろうか?」

 

と疑心暗鬼になった。

 

 

 

 

 

 

ぼくが与える側に立つと↓

 

 

 

「これで信じてもらえるだろうか?」

 

「怪しいと思われないか?」

 

 

疑われないか不安になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が出すものと

受けとるものは同じだ。

 

 

 

(当然そうなるわね)

 

 

 

 

 

======

 

 

 

 

 

受けとり上手になろう。

 

 

 

 

 

 

これまでの状況を変えるには?

 

 

 

 

 

 

自分には、

受けとる自由も、

受けとらない自由もある。

 

 

 

 

 

そんな自由があると知ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分には自由も権利もある。

 

 

(本来そういうものだけど)

 

 

 

 

 

 

相手に対しても同じだ。

 

 

 

 

ぼくが提案するものに

 

受けとってもいいし、

受けとらなくてもいい。

 

 

 

相手に自由と権利があるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「受けとる」ことも、

「与える」ことも

 

 

 

 

もっと自由に、軽くすればいい。

 

 

 

 

 

 

あらためて、

 

人は経験を元に観念にしているのですね。

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら手放して、どんどん軽くしていこう。

 

 

 

 

 

 

 

いつの日か、

 

「受けとり上手だね~」

 

なーんて、言われているだろう。

 

(願望を込めて)

 

 

 

 

 

 

 

この数日、自分の内面を見てきました。



なぜか同じパターンを繰り返す人間関係。



なぜそうなるのか?



メカニズムの理解によって

理由が分かってきました。




すべては「自我」がつくっていたのです。




自分を守りたい。

自分をよく見せたい。




自我は奮闘します!





ぼくの場合、

伝えたいことがあるけど注目はされたくないという気持ちがありました。



それは自我がつくっていました。



理由はこうです↓




注目されると、知らない人と関係が始まる。



そこには地位の高い人も含まれる。



その人は必ずマウントしてくるだろう。



今までずっと、そうなったから。



「また支配されてしまう」



そんな不安が呼び起こされました。




もちろん誤解です。






自我は言います。


「自由意志はなくなり支配される。

 嫌だなぁ、逃げたいなぁ。

 でも、やらないといけないしなぁ。」





でも、


これ一人相撲をやってたにすぎません(笑)






また、人と比べて優越感に浸るのも自我。


(それがわるいことではない)





所詮、上だの下だの比べているのは全部自我。





じゃあ、


自我ではないものは何か?








それは


「全体意識」です。






全体意識は誰にでもあります。






人の意識は深いところで繋がっている。





意識は全体で一つですから、

1つの中に上も下もないのです。






======



これまでは、

人より優位になりたいと目指しました。



競争です。




競争は、競技などに絞るようになるでしょう。





これからの時代、

優劣ではなく調和に向かいます。





調和はこのようにつくられます。




人によって、得意・不得意があります。




それぞれの得意(できること)を持ち寄って、

適材適所につく。



一人一人が全体に貢献します。




全体の流れが良くなります。







しかしながら、

優劣にしがみつく人もいます。





今後、二つの距離は離れていき、

混じりあうことはなくなるでしょう。





ここ数日の投稿で、

内側から見る世界の違いが、

三次元で生きる世界の違いになると書きました。




そういうことです。




自我の自分で生きていくか?

(優劣、競争)


全体意識と共にあるか?

(調和)




一人一人の自由意志によって

委ねられています。







自我から全体意識へ移りゆくことを、


「目覚めて生きる」


 とか、


「シフトする」


 と言うのでしょう。





では、今回はこのあたりて。