この数日、自分の内面を見てきました。
なぜか同じパターンを繰り返す人間関係。
なぜそうなるのか?
メカニズムの理解によって
理由が分かってきました。
すべては「自我」がつくっていたのです。
自分を守りたい。
自分をよく見せたい。
自我は奮闘します!
ぼくの場合、
伝えたいことがあるけど注目はされたくないという気持ちがありました。
それは自我がつくっていました。
理由はこうです↓
注目されると、知らない人と関係が始まる。
そこには地位の高い人も含まれる。
その人は必ずマウントしてくるだろう。
今までずっと、そうなったから。
「また支配されてしまう」
そんな不安が呼び起こされました。
もちろん誤解です。
自我は言います。
「自由意志はなくなり支配される。
嫌だなぁ、逃げたいなぁ。
でも、やらないといけないしなぁ。」
でも、
これ一人相撲をやってたにすぎません(笑)
また、人と比べて優越感に浸るのも自我。
(それがわるいことではない)
所詮、上だの下だの比べているのは全部自我。
じゃあ、
自我ではないものは何か?
それは
「全体意識」です。
全体意識は誰にでもあります。
人の意識は深いところで繋がっている。
意識は全体で一つですから、
1つの中に上も下もないのです。
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これまでは、
人より優位になりたいと目指しました。
競争です。
競争は、競技などに絞るようになるでしょう。
これからの時代、
優劣ではなく調和に向かいます。
調和はこのようにつくられます。
人によって、得意・不得意があります。
それぞれの得意(できること)を持ち寄って、
適材適所につく。
一人一人が全体に貢献します。
全体の流れが良くなります。
しかしながら、
優劣にしがみつく人もいます。
今後、二つの距離は離れていき、
混じりあうことはなくなるでしょう。
ここ数日の投稿で、
内側から見る世界の違いが、
三次元で生きる世界の違いになると書きました。
そういうことです。
自我の自分で生きていくか?
(優劣、競争)
全体意識と共にあるか?
(調和)
一人一人の自由意志によって
委ねられています。
自我から全体意識へ移りゆくことを、
「目覚めて生きる」
とか、
「シフトする」
と言うのでしょう。
では、今回はこのあたりて。