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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

先日、アシュウィンの学校の説明会に行ってきました。
アシュウィンは2歳6ヶ月~3歳6ヶ月のExplorers(Pre-KG)クラス。
次のKindergarden1と2がいわゆる幼稚園にあたるのでしょう。

インドに来て、自宅周辺のPlaySchoolを3~4カ所見学し、今回選んだ学校が、学校設備や雰囲気、講師陣、カリキュラムなどが一番しっかりしていたので、迷うことなく決めたのでした。
校内の写真はNGだけど、入り口の写真だけ。

preschool


ここの校長は、歴史ある学校の校長の娘さんで、最初の印象はちょっとBossy(偉そうな)タイプかなと。
でも、説明会の時の進行ぶりをみているとポリシーなどがしっかりしていて、学校としては信頼できそうと安心。

日本の保育園、幼稚園でも様々な決まり事があるように、ここの学校でも学校方針があって、今回はその説明会でした。

送り迎えの時間厳守について。

主に女の子の装飾品規制について。(ここでは女の子はピアスやバングル、ネックレスを身につけるが、学校では安全管理上最小限に控えて欲しいと)

お誕生日会は各生徒について学校行うが、バースデーケーキを持参したい場合の購入ショップ、種類(極めてシンプルなバニラケーキ)を指定。
学生による差がでないための配慮による。

子供が登校したくないと泣いても、きちんと登校させること。
(こっちの親は子供がかわいそうと甘やかす親も多いため)

宗教に関係なく、様々な行事を行うこと。
(キリスト教のクリスマスやハローウィーン、ヒンドゥ教のディワリやホーリー、イスラム教のイードなど)

学校での制作物は年度末にまとめて親に手わたされるが、学校で使っているオリジナルテキストは持ち出し禁止。

そのほか、親の学校への関わりも推奨していて、何か特技など教えられるものがあれば積極的に学校で教えて欲しいとのこと。
アウティング(校外学習)に場所を提供してくれる人、生徒と動物とのふれあいのために、数日間自分のペットを学校に預けてくれる人などもオープンに募集していました。


いよいよ明日からアシュウィンの通学が始まります。
アシュウィンはここの学校を訪れるのは3回目だけれど、来るたびに学校にある備品で遊んでいて、先生たちにも人見知りすることなくリラックスしているようでした。
言葉も少しずつルー大柴化してきているので、英語もすぐに覚えてくれるでしょう。
説明会の日も早速他の子とおもちゃの取り合いもしていたので、きっと楽しい学校生活を送ってくれると信じています。
「ぽっぽっぽ~、ハトぽっぽ~」とか
「あんま~り急いでごっつんこ~」とか、
日本にいたときには、ハトやアリを見つけるとアシュウィンと一緒に歌ったりして、
「アリさんは働き者なんだよ~」なんてステレオタイプな解説をしたりもしていた。

でもこっちにきて、毎日のアンツアタック(アリの襲撃)や、ハトの糞害(今は解決)に直面してからは、
「おうちの中にいるアリさんは嫌だよね~」といいながら、容赦なくアリへのジェノサイドを行っているものだから、アシュウィンもアリを見つけるたびに「あっ、アリさん!」といいながら手でバシバシたたいている。
生き物の命を大切に…という道徳指導上はよくないのかもしれないけれど、アリの存在感が半端なさすぎるのだ。

今日も、冷凍室からエビを出して解凍させたまま外出。
帰宅後には無数のレッドアンツ(赤茶色の小さいアリ)が袋の外から中までうじゃうじゃと。

アリは甘いものが大好き☆なんていうのは子供向けの建前で、実際は床に落ちたご飯粒から調理用油の中まで、どんなものでもくいついてくる。
この家に来て2週間ほどの間は、夜寝ている時にレッドアンツに噛まれて、かゆいの痛いので目の下を腫らしたこともあった。
今のところうちにはゴキブリは見当たらないが、無数の集団でうじゃうじゃとやってくるアリよりもゴキブリの方がましかもしれない…と最近は思う。

それでもある程度、無害なアリは見逃せる余裕はできてきた。
アシュウィンが落とした食べカスをせっせと運んでいるアリは、「これを運び終わればまたいなくなる」ということで、見逃すこともできる。ただし、私の気分と彼らの行列の度合いにもよる。

このアリを気にし出したら、毎日の掃除は本当にエンドレスになってしまう。
でも、やっぱりきれいにこしたことはないので、私は毎日せっせとせっせと拭いたり掃いたりを繰り返しているのだ。


子どものころから飛行機を見るのが好きで、空港の近くに住んでみたいと思っていました。
その思い叶ってか、ダッカでもここコインバートルでも私たちの家は空港からとても近い場所にあります。
家の屋上から滑走路が見えたダッカの家ほどではありませんが、ここも空港へのアクセスはとても便利です。

コインバートルの街は、ダッカに比べたら住みやすい環境だと思います。
南インドの中でもここは湿度が低く過ごしやすく、車で40~50分も行けば、ウティ(Ooty)やコートギリ(Kotagiri)という山々の入り口にたどり着けます。
そのあたりの山々一体には、野生のゾウやサル、シカ、バイソン、それにクマやトラなども生息しているそうです。

街には黄色のオートリキシャ(バングラのCNG)はありますが、サイクルリキシャはなく、渋滞はダッカほどではありません。また、タクシーやバス等の公共の交通機関も、ここのほうが安全だそうです。

ダッカは人口密度が高く、世界の住みたくない街ナンバー1にもなったようですが、それでも一国の首都であるのには変わりありません。
ここ数年の経済成長も助けて、インターナショナルスタンダードのレストランやカフェ、輸入食材、外国人の数などはここコインバートルよりもずっと充実していました。

私にとっては、やはり日本人人口のあまりの少なさが心細く思います。
期間限定の滞在なら、むしろ日本人がいないほうが楽しいと思えたかもしれませんが、インド人の妻としてインドにいることに、勝手なアウェイ感を感じているところがあるのです。

とはいえ、長い人生の先で振り返ったときには、きっと全てがスリリングで楽しい人生だったと締めくくれるでしょう。
そう信じて、これからのインド生活を時に客観的に見つめながら進んでいきたいと思います。
久しぶりのブログ更新とともに、ブログタイトルも変更しました。
Appadiyah in Dhaka からin India と。

私たちは、バングラデシュのダッカから南インド、タミールナドゥ州にあるコインバートルという街に引っ越してきました。ここは夫の出身地。
情勢の安定しないバングラデシュにおけるビジネスの継続、息子アシュウィンの教育、私たち家族の長期的な生活基盤などを考慮し、このタイミングでインドに移ることが自然の流れのようになったのです。

私とアシュウィンは日本からインドへ。
ここ、コインバートルへ来て約1ヶ月が過ぎました。

ここにいる日本人は、60年以上前にインド人家族に嫁いできた日本人女性が一人だけだと思っていましたが、ご主人の仕事で1年前から市内で暮らしている日本人家族が1組いました。その他に出張ベースで行き来している人が2~3人いるようです。

ダッカではコックやメイドさんに身の回りの世話をしてもらう生活でしたが、とりあえずは誰も雇わないでやってみることにしました。
バングラデシュでは、住み込みや通いのメイドさんが料理から掃除、洗濯、雑用までやってもらえるのが普通ですが、インドでは、料理する人、掃除をする人、アイロンをかける人…などそれぞれ分業なのが基本。もちろん、複数の仕事をお願いできることもありますが。

ということで、私の毎日は、家事から始まって家事に終わっていきます。
毎朝届けられる牛乳を鍋で煮沸することから私の朝は始まります。
バングラ同様、外からのマイクロダストが舞い込むこと、油断するとすぐに蟻の行列ができることなどもあり、日々の掃除は年末の大掃除並みです。
解放されると思っていた蟻の襲撃はここでも同様で、覚悟していた蚊の襲撃は思ったよりも少なかったりと、まだまだ落ち着ききれていませんが、インドでの生活はスタートしているのです。


「住めば都」というけれど、
はたしてバングラデシュは私にとっての都になっているのだろうか。
これまで何度もそのことについて考えてみた。

おそらく華やかなイメージを連想させる「都」という言葉の響きが、どうも腑に落ちないのだと思う。

でも、バングラデシュが私にとって特別な場所になっているのは確かで、それは言ってみれば第二の故郷のような感覚なのだ。

私にとってはたまたまバングラデシュであっただけで、それがどんな国であっても、そこに腰を据えてそこの人たちと交わり、その土地の食べ物を口にし、そしてその人たちと同じ言葉を話す。
そんな風にある場所に関わっていくことで、自然とそこが自分にとって特別な場所になっていくのではないだろうか。

だから、私にとっては「住めば都」というよりは「住めば故郷」というほうがしっくりくるかもしれない。
先日、近所のスーパーからの買い物帰り道、
見慣れた近所の景色を見ながら、以前ダッカに遊びに来てくれた友達の一言をふと思い出した。

「すごい、こんなところに住んでいるんだね。私にはカルチャーショックだよ」

その言葉を思い出して、私は歩く道すがら、いったい何が彼女にとってカルチャーショックだったのだろうかと考えてみた。

街路樹の葉っぱの表面に降り積もった埃だろうか。
下水溝にたかるハエの群れだろうか。
至る所に切れて垂れ下がっている電線だろうか。
興味深げに見つめる大きくてするどいバングラデシュ人の目だろうか。
それら全部を包み込むようなじっとりとした暑さのせいだろうか。

家にたどり着くまでに目にしたこれら全てが、
私にとっては何でも無い日常の景色になってしまっていて、
そこに「カルチャーショック」という言葉が当てはまらなくなっている。
いや、そもそもはじめから私にとっては、そういう外見的なカルチャーショックはなかったのだ。
そして、だからこそ抵抗無くこの国に住むことができたのだと思う。
新年明けましておめでとうございます。

バングラデシュは引き続き最大野党による道路封鎖で、大晦日の晩もダッカ中心地区の一部でも早々に道路が閉鎖されたりしたため、きっと多くの人が外出やパーティへの参加を自粛したのではないでしょうか。

私たちは夕方早々に知人の家へ行き、そこで新年を迎えて一泊。
とても親しくしているシニアファミリーと私たち家族だけで、アットホームな雰囲気で穏やかに新年を迎えることができました。

今朝は5時過ぎに起きて一人で屋上へ上り、ショールを体に巻き付けて空が明るくなるのを待っていました。

約10年前に初めてダッカに来たときのこと、ここ数年急速に経済成長を遂げるバングラデシュや私を取り巻く環境の変化等々、様々なことが頭の中をよぎって、その流れで未来へ焦点をシフトしていくと、これから直面するであろう諸々の現実もなんとなくポジティブに乗り越えていけるような気がしてきました。
飛行機で上空から地上の表面をなぞるように、人生の起伏も少し離れて上辺を撫でてみれば、実は意外と滑らかで手触りのいいものなのかもしれません。

やはり新年というのはいいものだなと思います。
毎日を常に新たな気持ちで過ごすというのは、なかなか難しいですから、このような区切りというものが私たちの心を引き締める手伝いをしてくれるのだと思います。

さて、今年は何かが動きだし変化していく年となりそうです。
気持ちを新たに、軽やかに、そして楽しく過ごしていきたいと思います。
新年を迎えるにあたって、4月14日のベンガル新年ほどの盛り上がりを見せないバングラデシュにいると、どうしても自分の気持ちも曖昧なままになってしまいがちだ。
それでもいよいよ年の瀬がせまるにつれて、なんとなく身を正し、一年を振り返るとともに新たな目標を持って新年を迎えなければ…といった気持ちにかりたてられるのは、やはり日本人だからだろうか。

カウントダウンとともにニューイヤーの訪れを祝うだけではなく、元旦に向かう日々の心持ちというものが日本人の中にはあると思う。
大掃除や残務処理など、新しい年に旧年の雑多を持ち込まないず、きちんと身を正して一年を振り返り、そして新年を迎える。
元旦という点というよりも、年の瀬から新年にかけての線的な日々の心構えのようなもの。

しかし、ここダッカにいるとどうしてもその心構えが曖昧になってしまい、元旦を翌日に控えて慌てて気を引き締めてみようなどとしてみるのだ。

明日は早起きをして初日の出を待とうと思う。
朝日に向かって2014年の所信表明をするのだ。
2ヶ月ほどのインド滞在を終え、ダッカに戻って2週間が過ぎた。
ダッカも朝晩は涼しく、少しずつ冬の訪れの準備段階に入ってきている。

ダッカに戻って、プロビール(コック)とアルポナ(メイド)が辞めていなかったことに、まずはひと安心。
長い休みの後にスタッフが戻ってこなかったというのは、ここではよくあることなのだ。

さて、私たちが住むアパートの2階に住むMP宅の孫娘の話は以前ちょっと紹介しているのだが、
先日、MP宅のメイドの子がその孫娘(アズリーン)を連れて我が家のベルを鳴らした。
久しぶりにアシュウィンに会いにやってきてくれたのだ。

久しぶりに見た彼女は相変わらず大きくダイナミックで、
やはりアシュウィンよりもたった6ヶ月年上とは思えない風格を持っていた。

とはいえ、やはりアシュウィンと同じ年ということもあり、
私は食べ物のことやコミュニケーションについて、トイレトレーニングについて等々、色々とメイドの子に聞いてみた。

メイドの子曰く、彼女は音楽にあわせてダンスもするし、最近は色々な言葉も話すようになっているとのこと。
トイレトレーニングも着々と進んでいるらしい。

なるほど、なるほど。
このくらいの年齢だと、やはり半年違うと結構違うものだなぁ、と私は感心しつつも普通に受け流していた。

だがしかし、隣にいたアルポナは、アシュウィンを片手に抱きながら、
「うちのベビーも○○○できるよ」「アシュウィンも○○○って言うと○○○できるのよ」などと、
いちいち小さな対抗心をあらわにしているのが分かった。

彼女はいつも、アシュウィンのことを他の人に自慢気に話してくれて、
まるで自分の子のように可愛がってくれているのはとても有り難いのだが、
アシュウィンのこととなると、時に軽い嫉妬心のようなものを感じることがあるのも確かだ。

ともあれ、今回は我が家のメイドであるアルポナのプライドを傷つけないように、
「まあ、アシュウィンも○○○はまだできないけど、○○○は分かってはいるよね」など、
曖昧に軽くまとめて話題をすり替えて行ったのだった。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-MP宅孫娘
何百何千という言語が混じり合うインドでは、
国語のヒンディー語よりもむしろ英語が共通語になっている。

普段の会話の中でも、母国語と英語が不規則に入り混じっているのだけれど、
彼らは完全に無意識で、特に「使い分けている」わけでもない。

そんなインドで私は何度か
「どうしてそんなに英語が話せるの?」
ときかれたことがある。

英語教育で育ち、私なんかよりもずっと流暢な英語(アクセントは別として)を話す彼らが何故そんなことをきくのか。
いやいや、あなたたちのほうがずっと流暢な英語話せるでしょ…という「?」がずっと私の頭の中を巡っていた。

しかし、最近ふと思ったのだ。
彼らにとって英語はあまりにも日常的な言語なため、
外国語というよりも母国語にかなり近い感覚なのではないかと。

つまり日本人である私たちが、日本語を話す外国人に「日本語上手ですね」とほめるような、そんな感覚なのだろうと思う。