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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

今日のワークシートでアシュウィンの掛け算のやり方を見ていた。

 

「ママ、こうやってやれば速くできるし簡単だよ!」

 

アシュウィンの説明によると

 

74✖️430

=7✖️4300+4✖️430

=30100+1720

=31820

 

という解き方をしているという。

 

本人曰く、こっちのほうが普通に縦書きの筆算より簡単で速いという。

 

なるほど、、、そういう発想で計算したことはなかった。

 

アシュウィンはまだ掛け算、足し算の計算自体が遅いので、計算スピードは私のスピードと比較しても意味がない。

 

ただ、アシュウィンのやり方だと、数が複雑になったときにケアレスミスが発生しやすい気もする。

 

実際にアシュウィンはケアレスミスが多い。ハンドライティングが汚いのもその理由のひとつなのだが。

 

本人が自信満々なので、もう少し大きな数を与えてみた。

 

67358✖️279

=2✖️6735800+7✖️673580+9✖️67358

=134716+4715060+606222

=18792882

 

掛け算だから結局やっていることは同じなのだけれど、

本人がこっちのほうがやりやすいということだったら、そのままでいいのだろうか。

(ちなみに、まだ掛け算を暗記していないので計算スピードは遅い)

 

もしこれらを全て頭の中だけで計算できて、

なおかつ計算速度と正確さが増すのであれば、これでもいいのかもしれない。

 

それにしても頑固なアシュウィンは、絶対にこっちのやり方のほうがいいといって、普通の筆算方法を受け入れようとしない。

学校の宿題もなかなかやらない、

掛け算もなかなか覚えようとしない、

10分とじっと座っていられないアシュウィンにしびれを切らした私は、

算数ワークシートを作って、テレビや遊びの条件とすることにした。

 

学校で学んでいる内容とは全く関係なく、

私がみたアシュウィンの苦手箇所をちょっとトリッキーに組み込んだ、

ゆるゆるの脳みそに適度のストレスを課す頭の体操ドリル。

 

実は学校でやっているMathより桁数も多いんだけど、

1桁2桁の計算も4桁5桁の計算も考えかたは同じなんだからと、

「このくらい普通ですけどなにか?」的なクールな顔でアシュウィンの机の上におく。

 

 

 

アシュウィンがまだ今の杏樹くらいのとき、

私はなんとなく、アシュウィンは数字にあまり強くないのではないかという印象をもっていた。

 

基本的に私の子育ては放任に近いので、

ぴったりしっかりくっついて教え込んでいくということはしないのだけれど、

アルファベットやひらがな、カタカナをあっという間に覚えたのに対して、

数についての飲み込みがいまいちかな、、、と感じたのだ。

 

今思うとあれは、理解できないというよりは、

彼独自の変な思い込みや誤解があって、そこから抜け出せない、、、という状況だったのだと思う。

なぜなら、今でもそういう傾向が見られるからだ。

 

ただ、学校の先生曰く、算数でも特に問題はないし、

昨年の学校のMath Pazzleコンペティションはクラスで一番だったらしく、賞状をもらって帰ってきていた。

 

 

ある時、たまたま算数の掛け算の宿題をするアシュウィンの隣に座って見ていたとき、

どうも数を彼独自のやり方で分解したり、彼独自の法則にのっとって解いていることに気がづいた。

アシュウィンはあまり書き込みをしないので、何が起こっているのかが目に見えない。

 

「えっ?それって何?どういうやり方なの?」と聞くと、

彼なりのセオリーを説明してくれて、、、、とりあえず答えはあっていた。

 

もしや、これがあの有名な「インド式算数」的な考えなのだろうか!!!

 

私は普通の掛け算方法しか知らないし、それが一番シンプルだと思い込んでいるので、

彼のやり方はシンプルではないように見えたのだけれど、、、

それは私の思い込みかもしれないため、なんとも判断ができなかった。

 

しかし、、、、突き詰めて見ていくと、

このアシュウィンの法則は、ある数以上になると無効になることが分かった。

結局、アシュウィンの頭の中で何が行われてそういう法則に至ったのか、私には分からなかった。

そしてその内容もすっかり忘れてしまった。

 

でも分かったことは、アシュウィンは独自のやり方で数を分解して計算する癖があり、

そこへの思い込みが強いため、一般的に正しいとされる方法を飲み込むのに時間がかかることがある、、、ということだ。

 

それが正しければ問題ないのだけれど、間違っていたときの軌道修正に少々時間がかかるのが難点だ。

ただ、自由な発想を持つことは大事だし、それをはじめから軌道修正してしまうのはもったいないので、今のところ私は、ある程度放置しつつ、あきらかに間違った解を導き出している場合は訂正する、、、というスタンスにしている。

 

それにしても、発想は自由気ままなのに、外からの指摘やアドバイスに対してはかなり頑ななアシュウィン、、、、

柔軟性だけはやっぱり身につけていってほしいかなぁ。

朝起きてミルクを取りにいき、そのまましばらく静かな公園のベンチに座る、、、

それが今の日課になっている。

 

 

ぼ〜っと物思いにふけっていると、色んな思いが頭の中を通り抜けていく。

 

今朝も、同じく早起きしてウォーキングする人たちを目で追いなら、、、、、

この人たちもみんな、他の誰からも見えない、自分だけが知る自分をもっているんだろうなぁ、、、なんて思いが勝手に浮かんできた。

 

「秘密」というほどの大げさなものでなくても、表には現れない、現れる必要がない、もしくは現れてほしくない、自分の一部。

 

臓器でいうと、膵臓みたいなものだろうか。

(いや、膵臓だと本人の自覚すらないからちょっと違うかな)

 

私にもある。

よくよく考えてみると、それらは自分の中のセンチメンタルな部分だったり、弱さと隣り合わせの感情だったりするのかもしれない。

 

でもまあ、そんな膵臓みたいな"物言わぬ"隠れたパーツも含めて、一人の人間としての自分なわけで、、、、そこが人間の面白さであり、人間らしさなんだろうなぁ。

 

さて、朝ごはん作ろう。

我が家のメイドのサロジニが、公園から土をとって来て、

アパートに生えているトゥルシーや、

どこからか拝借してきたマネープラント(サロジニ曰く)、

食用に買ってきたミントの茎をポットにさして、

バルコニーで育てていた。

 

(※トゥルシー/Tulsi は喉の痛みに効く葉っぱで、市販されているトゥルシーティはとても有名)

 

彼女は、毎朝うちにくると水やりをしてくれていたのだけれど、

これまでに何度も枯れては、また新たな茎をさしての繰り返し。

 

肝っ玉母ちゃん気質のサロジニは、仕事がはやいのだけれど少々丁寧さに欠けるところがあり、

とってきた土の中に大小様々な石が混ざっていたり、

水をかける勢いが強くて、飛び散った泥水でポットが汚れていたり。

 

愛着はあるのだろうけれど、かなりラフな扱いをしているなと思いつつ、

中途半端に手を出すと気になり始めるので、私は基本的にノータッチだった。

 

ロックダウンでサロジニが来られなくなったあと、

私は頼まれるでもなく、自らそのお世話係を引き継ぐことにした。

といってもやることはサロジニと同じ、毎朝水やりをすることくらい。

 

はじめは、とりあえず枯らさないように、、、というくらいのつもりだったのだけれど、

毎日彼らの様子を見ながら水をあげていると、だんだんと愛着がわいてくる。

 

真夏のインドは日射しが強く、うっかり水やりを忘れていたりすると、

葉っぱが本当にぐったりしんなりとしてきて、あからさまに渇きを訴えかけているのだ。

 

あら、ごめんなさい、、、と思いながら水をたっぷり入れてあげると、

しばらくすると、本当に生き返ったように背筋をシャキッと伸ばし、

葉っぱの先までみずみずしさを取り戻していく。

特にトゥルシーとミントはそれが顕著で、

素直な性格だなぁと、、、なんだかとても愛おしくさえ思える。

それにしても、人も植物も、あまり素直すぎると弱いのかもしれないなぁ。

 

そのうち、土の中の石を取り除いてあげたり、

枯れた葉や茎を取り除いたり、ポットをきれいに洗ってあげたり、

ときにトゥルシーの葉っぱをちぎって食べたりしているうちに、

私は、彼らのお世話係を続けたくなってきた。

 

サロジニは、自分の手で育てたいという執着心はなさそうなので、

おそらく問題なくお役目を譲ってくれるだろうと思っている。

 

まあ、丁寧に扱ってくれるのであれば、誰がやってくれても構わないのだけれど。

それにしても、私が毎日愛情を持ってお世話をしているほうが、

とても生き生きとしているように見えるのだけれど、、、気のせいだろうか。

 

先日久しぶりにやってきたサロジニも、

みずみずしくしっかりと育った彼らを見てびっくりして、嬉しそうだった。

 

 

インドでは、更なる延長ロックダウン4.0が、今月末までと発表されました。

 

とはいえ、規制は少し緩和され、現在グリーン・ゾーンとなっているコインバトールでは、人々の心にもかなり余裕がでてきたように感じます。

 

このロックダウンの間、私が住むアパートでは、

WhatsAppグループで様々な情報を共有したり、

業者のつてを使って、パン、お肉や魚、乳製品、フルーツなどをまとめてオーダーしたり、

パーキングエリアでの男性用の臨時散髪屋をアレンジしてくれたり、

メイド不在の中、作ったお料理をシェアしたり、

皆が協力しあって、外出禁止という不便さの中で、

本当に恵まれていてありがたいなあと感じています。

 

デリーやムンバイ、先進国の大都市とは違って、

コインバトールのような街では、小さなコミュニティの中で、伝統や習慣に縛られる息苦しさもあります。

それは外国人である私だけではなく、時代が大きく変わっていく中で、このコミュ二ティの中で生まれ育った人にとっても、古い価値観の良さと窮屈さの間で、もどかしさを感じている人たちもいるのです。

 

でも、、、、

自分が暮らす場所やコミュニティに根を下ろして、そこに住む人たちと関わっていくことは、

コインバトールのような街において、また外国人や他言語地域からのマイノリティの人たちにとっては、やはりとても大切なことなのかもしれない、、、とも思うのです。

 

全てを与えられた枠に当てはめていくのではなく、

その場所の伝統や文化を理解した上で、自分らしさとのバランスをとっていく。

そうすることで、相手も異分子としての自分とのバランスをつかんでいってくれる。

 

純外国人、インド人の配偶者、他言語・他文化・他宗教のインド人、そこに根を下ろす人、いずれは去っていく短期滞在者などなど、

不思議なもので、同じ一人の人間であっても、その人のおかれた立場によって、周りの人が無意識のうちに求めるものや受け入れられる許容値のようなものが変わってくる。

そしてそれは、受け入れる側だけではなくて、外からやってくる側の意識も、その人のおかれた立場やその土地との関わり方によって無意識のうちに大きく変わってくるのだと思います。

 

そんなことを考えるとき、私はいつも、写真家の星野道夫さんがアラスカに家を建てて、その土地に暮らしはじめたときの思いを語った言葉を思い出します。

 

『この土地に暮らそうと思い始めてから、まわりの風景が少し変わって来たように感じる。春に南から飛んでくる渡り鳥にも、足もとの花やまわりの木々に対しても、やはり同じような思いをもつ。それを簡単に言えば、何か、とても近いのだ。それはまた、命あるものだけではなく、この土地の山や川、吹く風さえも自分と親しいつながりをもちはじめている。はじめてアラスカにやってきた頃、あれほど高くそびえて見えたマッキンレー山も、今は何か穏やかだ』

(「イニュニック」より)

 

星野さんの感性、そして彼が書きとめる文章は本当に素敵で、、、星野さんがどこかで描いていたアラスカに吹く風のように、やさしく頬を撫でながら通り抜けていくように、私の心に触れてくる。

 

話がだいぶ大きくそれてしまったけれど、、、、

インドはまだもうしばらくロックダウンが続いていきます。

 

 

まさかの、ネズミ狩り作戦失敗!

ネズミはやっぱり賢いのか?

 

初日は2種類のトラップをしかけた。

ひとつは、トラップ内の餌を取ろうとした瞬間に口が閉じて挟み込む、オーソドックスタイプ。

もうひとつは、強力粘着ジェルシート。その上に餌をおいておびき寄せる。

 

 

ダブルトラップへの期待とともに、心のどこかに、そんなにうまくいくだろうかという不安を抱えて就寝。

 

翌朝、目が覚めてもすぐにキッチンへ確認しに行く気になれなかった。

なんとなくだけど、捕獲できている気がしなかったからだ。

 

案の定、、、ネズミの姿はなかった。

粘着シートのほうには来た形跡を残していたのだけれど、どうやらうまく逃げ切った模様。

 

色んな人のコメントを読んで、なんとしても長期戦は避けたいと思い、

2日目にして毒入りキューブ作戦に変更!

 

毒餌の欠点は、どこで死んでいるか予測できないということ。

でも、知らぬ間に家の中で被害が広がっていたり、ちびっ子を出産したり、、、という二次災害に繋がる前になんとしても手を打っておきたい。

 

本当に毒入りと気付かずにこれを口にするだろうか、、、という疑念がよぎりつつ、

キューブを2つキッチンに置いて就寝。

 

翌朝、、、キューブは2つとも昨夜と同じ場所に置かれたままだった。

 

なぜだ、、、、

 

キッチンに食べ物がないことと、

前日のトラップへの警戒から、キッチンに近づかなかったのか。

でも、この家のどこかに潜んでいるとしたら、何かしらをかじり続け、糞尿を残し続け、もしかしたら出産までしてファミリーステイになってしまうかもしれない。

どうしよう、、、、

少し焦りを感じた。

 

朝8時過ぎ、ロックダウン以来はじめて我が家のメイド、サロジニがやってきた。

そこで、プレイルーム内の捜索をすることに。

 

サロジニの住むエリアではネズミ出没は日常茶飯事。

彼女の家では、飼い猫がネズミを捕まえてくれるという話は以前から聞いていた。

「小さなベビーラット(ネズミ)だったら、手でパーッンとたたいて気絶させて、しっぽを持ってつかみあげる。それをうちの猫がすかさず奪って食べてるよ。アッハハハハ」

さすがだ、、、、、たくましすぎる!

 

捜索をはじめて間もなく、ワードロブ(収納箪笥)の上の荷物を下ろした時、

あれっ!!もしかして、、、、

ACの室外機とのコネクション用に開けられた穴、、、そこに詰めておいた布が落ちていることに気づいた。

プレイルームにはACがないから、壁には外へと続く穴が開けられているのだ。

(インドの施工はあまいのでよくあること)

 

ワードロブの上を見ると、、、そこにはかじられたセメント、そして糞がパラパラと散らばっていた。

サロジニ曰く、おそらくここを通って行き来していたのだろうと。

ということは、我が家に寝泊まりしていたのではなく、毎晩餌をもとめて通ってきていたということだろうか。

一気にひとすじの光が見えた気がした。

 

そこで穴の中に毒餌を置き、穴をしっかりとした布で塞ぎ、さらにワードロブの上にも毒餌を置いた。

 

今夜もしやってきたら、穴の中で毒餌を食べるか、そのまま去るか。

万が一布を押し出してやって来たとしても、とりあえず侵入ルートが確定する。

家の中に潜んでいるかもしれないので、今夜はキッチンにあえて餌を置いておく。

 

ただ私は、、、、なんとなく家の中にはいないような気がする。

毒餌を食べるかどうかはともかく、穴の中の布を押し出して侵入してくることもない、、、、そんな気がしている。

家にいないのであれば、こんなに嬉しい結末はない。

 

 

ロックダウンが始まって以来、

私は2度ほど、猫がネズミを捉えて満足そうに歩いている姿をみかけた。

 

2年ほど前に生まれた、アパート敷地内に住みついている猫だ。

猫がネズミを追いかける、、、、というのはもちろん知っているけれど、

はじめて目の前でリアル”トム&ジェリー”を見たとき、

私はあらためて「ネズミがこの敷地内にもいるのかぁ、、、」と思った。

 

そして、「今まで一度もみたことないのに、なぜこの短期間に2度も、、、、」とほんの一瞬、不快感とも違う、妙なかげりのようなものを心の中に感じたような気がした。

 

一緒に見ていた友人は、「そりゃネズミくらいいるよ。約140世帯あるわけだからね。外からだってやって来る」と。

まあそうかもしれない、、、と私もとりあえず納得した。

 

 

 

 

そして昨日、我が家にある疑惑が浮上した。

 

実はここ4〜5日ほど、キッチンに置いてあったバナナ、パパイヤ、スイカなどに穴が空いているのを私は発見していた。

でも、なんだろうと少し疑問には思いつつ、あまり気にしていなかったのだ。

 

それが昨日の朝、夫がこれはネズミの仕業だと言った、、、私は信じられなかった。

ただでさえ、蟻やゴキブリ、リザードの侵入を許さないために、毎日キッチンやダイニングを中心に何度も何度も掃き掃除、拭き掃除をしているのだ。

 

たった2〜3ミリのビスケットのかけらでも、蟻たちは列をなしてやってくる。

床には何も落ちていないし、子供たちにもその点についてはかなり厳しく言っている。

(もちろん子供だから食べ散らかしたり落としたりするが、その都度私は必ず掃除する)

 

でも、夫が手にしたポテトを見たとき、私は「ネズミ、、、かもしれない、、、、」と思った。

本当に、かじられているのだ!!!! あのアニメで見たような光景が、、、、。

 

でも、、、何故!!! いつ、どこから、どうやって侵入したのだろう。

自分の家の中にネズミがいるなんてことがあり得るだろうか!!

 

私は、ほぼ決定的証拠となるポテトを見せつけられてもなお、にわかに信じがたい思いを抱えながら、とにかくキッチンの大掃除をし、果物やポテトは全て洗って冷蔵庫の中に入れた。

 

 

そしてその日の夜中12時過ぎ、目を覚ました私は、キッチンへ行ってみることにした。

 

電気をつけて、目と耳に神経を集中させながら、しばらくあたりの様子を伺った。

なにも変わった様子はない。

シンクにいくつか洗い物が置かれていたので、洗ってしまおうと思った、、、、そのとき、、、、

 

カサカサ、、、、チュ、、、、、!!!!

 

ハッ!と振り返ると、なんと、なんと、なんと、冷蔵庫の下から出て来て逃げていくネズミの後ろ姿が!!!!!!!!

 

私は叫ぶでもなく、ただただ手で口を覆って、大きく息を吸い上げていた。

「目を疑う」というのは正にこういうことを言うのだ!

こんなにも自分自身の目を疑ったことがこれまであっただろうか。

 

ネズミは扉が開いていたプレイルーム(子供部屋)に逃げて行った。

寝ていた夫を起こして報告し、翌日ネズミトラップをしかけようと決めて、、、、、そして寝た。

起こってしまったことは仕方がない。

 

 

今朝、アパートの友人何人かにネズミの話をした。

当然ネズミに対する嫌悪感は誰しも持っているけれど、「家にネズミがいた!」という事実に驚く様子はなかった。

「うちにも2年ほど前に一度出たことがある」と言った彼女は、とてもきれい好きで、いつも家はきれいに片付いている。

そんな彼女の家にもネズミが侵入したと聞いて、ちょっと安心した。

 

 

蟻もゴキブリもリザードもネズミにも、個人的には何の恨みもないし、トラウマもない。

でも家の中にいる生き物は、やはり容赦なく撃退してしまう。

日本では、こんなにも生き物を殺す必要はなかった。

戦争に行かなければ、大量に人を殺す必要はなかった、、、、という理論とはちょっと違うけど、

でも、状況が変われば生き物に対する扱いも変わってしまう。

 

と悠長なことを言っている場合ではない、、、今も奴はこの家のどこかに身を潜めているのだ。

今夜はネズミトラップ作戦を決行しなければ!!

 

今朝、無心で家のモッピングをしていたとき、

突然、過去に出会った見知らぬ人たちと、その人たちから言われた言葉が、ひとつひとつフラッシュバックのようによみがえってきた。

 

・20代前半のころの一人旅。

近畿地方にある、あるスピリチュアルスポットとして有名な神社へ行ったときのこと。

朝日が昇る前、早朝の暗い境内で祝詞を唱えていたおじさんに言われた言葉。

 

・15年前、バックパックを背負ってインドに来たとき、

ブッダが悟りをひらいたというブッダガヤのお寺で、

チベット仏教僧の話を聞いているとき。

近くに座っていた高齢のおばあさんから言われた一言。

 

・明治通りを表参道方面に向かって歩いていたとき、

反対側から私の顔を不思議そうに見つめながら歩いてきた女性に、すれ違いざまに言われた一言。

 

・明治神宮で出会って、しばらく一緒にベンチに座って話し込んだおじさんに言われた言葉。

 

・ここコインバトールで出会った僧侶に言われた一言。

 

どれも皆、その時だけの一瞬の出会い。一期一会。

そして私は、こういう見知らぬ人たちとの突然の出会いが好きだった。

それにしても、なぜ突然思い出したのだろう、、、

ロックダウンでメイド不在の中、

長いことノータッチだったインド料理を、

真夏に突入したインドのキッチンで、毎日汗だくになって作っています。

 

ピンチはチャンス!!!

ということで、どうせ作るなら、これまで知らなかったレシピ、お料理が上手な人のレシピを教えてもらおうと、同じアパートに住むの知人友人からレシピの聞き込みを実施中!

 

それにしても、

インド料理は、

とにかく、

プロセスが、

長いっ!!!

 

チキンやマトンなどの肉は、さばかれたばかりの生温かい状態でまずよく洗う。

血を洗い流しながら、小さく砕けた骨を取り除く。

ジンジャー、ガーリックは皮をむいてペーストを作る。

数種のスパイスやオニオンなどを炒めたものをミキサーでペーストにする。

ココナッツを鉄のカマ/ハンマーでかち割って、中の身を削り出し、

それをミキサーにかけてココナッツミルクやペーストなどを作る。

インド料理でよく使うスモールオニオンは、ガーリックなみにひとつひとつ皮を剥くのに手間がかかる。

トマトピューレは、トマトを茹でて皮をむいてミキサーに。

 

日本だったら、市販の缶詰などでまかなえるもの。

もちろんインドにも缶詰はあるのだけれど、せっかくフレッシュな素材があるのに缶詰を使うのもなんだし、

ガラムマサラも市販のパウダーを使うより、各スパイスをペーストにしたほうが確かに美味しい。

 

その他にもインドならではの日課として、

毎朝ミルクマンから受け取ったミルクを煮沸する。

そのミルクを使ってヨーグルトを作る。(インドではヨーグルトをよく使う)

煮沸したミルクの上にできる脂質(マライ)はためておいて、あとでバターやギーを作る。

 

チャパティなどは、パン作りのように、粉、水、塩を混ぜてよく練ってねかせておく。

(チャパティーやポロタはさすがに北インド人が上手!)

 

南インド料理の定番ドーサは、最近でこそレディーメイドのマーブを購入できるが、

今でも自宅でゆっくりとグラインダーをまわして作る家庭が多い。

(働く女性が増えることで、きっと自家製ドーサも少しずつ減っていくのだろう)

 

そして、私に降りかかっている一番の災難はなんといっても、

超偏食なアシュウィン、そんなアシュウィンとはテイストが異なる杏樹、

そして南インド人の夫と、基本的に別々のものを作らなければいけないということ。

これはもう、、、泣きたくなるほどの拷問で、、、時々心が折れそうになる。

 

杏樹を出産してインドに戻ってきた時のように、

ゆっくりと座って食事をすることもままならず、

キッチンに立ったまま食べるものをつまんだり、、、ということも。

おかげで、産後の授乳期なみに食べても太らないし、

おそらく、久しぶりに私の理想体重を切っているのではないだろうか。(これは唯一の恩恵)

 

でも、

これをやり切れば、

ロックダウン解除の瞬間を、

私は自己満足の達成感を持って迎えられるはず!!

 

そして、たまに電話してきては「暇だ〜、暇すぎる〜。アシュウィンと杏樹に会いた〜い」と嘆く我が家のメイドと、涙の再会ができるだろう!

 

それまでは、老体に鞭打って、肉体と思考に麻酔を打ち続けていくしかない。

私が住むアパートに、

ロックダウン中、夕方になるとよく公園のベンチにこしかけているおじいさんがいる。

真面目そうな寡黙な老人といった雰囲気を醸し出している。

 

彼は、お気に入りなのか、ある漢字Tシャツをよく着ている。

スカイブルーのきれいな色のシャツで、そこに白の漢字がプリントされている。

 

ある日、せっかくだから漢字の意味を教えてあげようと思って、近くを通り過ぎる際にチラリと見てみると、そこには、

 

『最弱』

 

とあった。

 

仲のいい知人ならともかく、

このコロナ騒動の真っ只中、

最もリスクの高い層に属している彼に、

さすがに私も、笑顔でユーモアまじえて『最弱』の意味を伝えることはできなかった(笑)。

 

今日は公園でウォーキングしている姿を見かけたので、とりあえず今のところは健康そうだ!