インドでは、更なる延長ロックダウン4.0が、今月末までと発表されました。
とはいえ、規制は少し緩和され、現在グリーン・ゾーンとなっているコインバトールでは、人々の心にもかなり余裕がでてきたように感じます。
このロックダウンの間、私が住むアパートでは、
WhatsAppグループで様々な情報を共有したり、
業者のつてを使って、パン、お肉や魚、乳製品、フルーツなどをまとめてオーダーしたり、
パーキングエリアでの男性用の臨時散髪屋をアレンジしてくれたり、
メイド不在の中、作ったお料理をシェアしたり、
皆が協力しあって、外出禁止という不便さの中で、
本当に恵まれていてありがたいなあと感じています。
デリーやムンバイ、先進国の大都市とは違って、
コインバトールのような街では、小さなコミュニティの中で、伝統や習慣に縛られる息苦しさもあります。
それは外国人である私だけではなく、時代が大きく変わっていく中で、このコミュ二ティの中で生まれ育った人にとっても、古い価値観の良さと窮屈さの間で、もどかしさを感じている人たちもいるのです。
でも、、、、
自分が暮らす場所やコミュニティに根を下ろして、そこに住む人たちと関わっていくことは、
コインバトールのような街において、また外国人や他言語地域からのマイノリティの人たちにとっては、やはりとても大切なことなのかもしれない、、、とも思うのです。
全てを与えられた枠に当てはめていくのではなく、
その場所の伝統や文化を理解した上で、自分らしさとのバランスをとっていく。
そうすることで、相手も異分子としての自分とのバランスをつかんでいってくれる。
純外国人、インド人の配偶者、他言語・他文化・他宗教のインド人、そこに根を下ろす人、いずれは去っていく短期滞在者などなど、
不思議なもので、同じ一人の人間であっても、その人のおかれた立場によって、周りの人が無意識のうちに求めるものや受け入れられる許容値のようなものが変わってくる。
そしてそれは、受け入れる側だけではなくて、外からやってくる側の意識も、その人のおかれた立場やその土地との関わり方によって無意識のうちに大きく変わってくるのだと思います。
そんなことを考えるとき、私はいつも、写真家の星野道夫さんがアラスカに家を建てて、その土地に暮らしはじめたときの思いを語った言葉を思い出します。
『この土地に暮らそうと思い始めてから、まわりの風景が少し変わって来たように感じる。春に南から飛んでくる渡り鳥にも、足もとの花やまわりの木々に対しても、やはり同じような思いをもつ。それを簡単に言えば、何か、とても近いのだ。それはまた、命あるものだけではなく、この土地の山や川、吹く風さえも自分と親しいつながりをもちはじめている。はじめてアラスカにやってきた頃、あれほど高くそびえて見えたマッキンレー山も、今は何か穏やかだ』
(「イニュニック」より)
星野さんの感性、そして彼が書きとめる文章は本当に素敵で、、、星野さんがどこかで描いていたアラスカに吹く風のように、やさしく頬を撫でながら通り抜けていくように、私の心に触れてくる。
話がだいぶ大きくそれてしまったけれど、、、、
インドはまだもうしばらくロックダウンが続いていきます。
