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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

先日、母から荷物が届いた。

どうやら荷物の中身がひっかかったらしくしばらく郵便局で足止めをくらっていたため、予定よりも10日ほど遅れてようやく私の手元に届けられた。
理由は液体物や食べ物などとのことだけれど…真相はいかに?
最終的にはお金を払って解放してもらった。(この国では、お金で解決できること、お金じゃなきゃ解決できないことが多々ある。もちろんお金でも解決できないことも)
どこまでが本当に規制されていて、どこからが担当職員の賄賂欲しさのための芝居だったのか…いずれにしてもこの荷物と引き換えに、彼のポケットがいくらか潤ったのは確かだろう。

母から届いた荷物は重さ1.5Kgもあって、日本から送る送料だけで1万5千円も支払ったというから、まずは無事に手元に届いたことに感謝しなければと思う。
中には日本の調味料、食材、お煎餅、漆塗りのお椀やお箸など、私が欲しいと思っていたものがたくさん入っていた。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~
(とんかつソースやみりんは手に入らないけれど、ケチャップやマヨネーズはさすがにバングラでも手に入ります…)

お煎餅の山にまぎれていた新潟魚沼産のお餅に目が止まって、「そっかぁ、今年も終わり行くんだなぁ」と、思いを巡らせるよりも早く五感が年の瀬や新年の空気を思い出しているのを感じた。

自分が生まれ育った国や地域の空気感というのは、何気ない物のなかに、自分は何でもない物のようにさりげなくとどまっているのだと思った。
それは、文化とか風習といった仰々しいものではなくて、まだ残暑が厳しい夏の終わりにのある朝、家を出た瞬間に秋の気配を感じたりするような、さりげないけれど、何かはっとさせられるものだったりする。

こうして外国にくらしていると、やはり自然と“日本人としての自分”というものを感じたり、意識したりすることがある。
それは、必ずしも国という大きなくくりでなくても、生まれ育った場所と今自分がいる場所…といったくくりでもいいかもしれない。
私たちは、それぞれ自分が過ごした場所の記憶を計るスケールを、知らず知らずのうちに体内につくり続けているのだと思う。
そしてそのことを知ることは、うれしいことだなと思う。
今日はホルタル(ストライキ)のため仕事が休みになった。

バングラデシュではシェイク・ハシナ率いるアワミリーグとカレダ・ジア率いるBNPという二大政党があり、アワミリーグが政権を握ればBNPがホルタルを起こし、BNPが政権を握ればアワミがホルタルを起こしている。

シェイク・ハシナはバングラデシュ初代大統領ムジブル・ラーマンの長女で1981年にアワミリーグの総裁となる。
一方カレダ・ジアはバングラデシュ初の女性首相で、ジアウル・ラーマン元大統領の未亡人で1984年以降ずっとBNPの党首に就任している。
つまり、この30年の間、バングラデシュの政権はこの女性二人の戦いが続いているというわけだ。

ここのホルタルは、「何月何日(大抵朝6時から夕方6時まで)にホルタルをやりますよ!」と宣言してくれるので助かるといえば助かるのだけれど、このホルタルがバングラデシュ発展の足をひっぱている要因になっていることを、ハシナさんジアさんは理解しているのだろうか…。

さて、そのホルタルではどんなことが起こるのかというと、道路でバスや車が燃やされたり、店のガラスが割られたりと、巻き込まれると面倒なことになる。
(以前、私の会社の前の通りで暴動が起きたことがあって、私の会社のビルを含めいくつものお店のガラスが割られていた)
もちろん国中街中で起こっているわけではなく、ダッカでもどこか一部で突発的に暴動が起こるので、何事もなく普通に過ごしてました…ということがほとんど。
ただし、いつどこで起こるのか分からないということで、バスなどの交通機関はストップして基本的に人々は外出を控える。
そのため、いつも人や車であふれかえっている道路はガラガラになって、大通りの路肩や小さな脇道をリキシャがチャリンチャリンとベルを鳴らしながら走っているという、なんとものどかな風景が広がっているのだ。

私個人的には、BATEXPOでずっと休日出勤をしていたので、この臨時休暇は正直ちょっとうれしいお休みだった。。。。

午前中、タイ人夫婦が経営するジムに行った。
そこは女性専用のジム&ビューティーパーラーで、奥さんがエアロビックスを教えている。
旦那さんは、パキスタン出身の両親を持つタイ国籍の男性で、父はサウジアラビア人、母はイラン人。さらに7歳からアメリカへ移住して教育を受け、アメリカ軍従属の医師団の一人として世界中を回っていた…らしい。
見た目が「たくみな英語を話すちょっと怪しい中東商人」って感じなだけに、この複雑なバックグラウンドは何かをカモフラージュするためにつくられたたくさんの逃げ道なんじゃないかって疑心暗鬼にもなってしまうが、もし本当だとしたら興味深い人だと思う。

私は午前中最後のクラスに参加して様子を見てみようと思ったのだけれど、そのクラスはすでに中止になってしまったとのことで断念。
久々に体を動かせると期待していただけにかなりショックで、リキシャにガタンガタンと揺られながら帰宅途中、知人のシェリンから「○○○クラブのプールにいるからおいで」との連絡を受けた。
捨てる神あれば拾う神あり!
私は二つ返事をしてプールへ向かい、1時間ひたすら泳ぎ続けた。
今は体がプルプルと震えながら喜んでいるのを感じる。

そうして日も暮れて、ホルタルホリデーは幕を閉じていった。


リキシャ窓から

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-リキシャ窓


※ちなみに、クラブというのは会員制のクラブのことで、ここバングラデシュにはお金持ちやビジネスマンたちの社交の場ととしてたくさんのクラブがある。
私たちは会員ではないけれど、知人がたくさんいるのでゲストとして時々音楽イベントに行ったり、食事に行ったりしているのだ。(会員制なので、やはり出入りについては結構きびしい)
会費はいくらなんだろう…????
11月25日~27日の3日間にわたり、ダッカのBangabandhu International Conference Centerにて「Bangladesh Apparel and Textile Exposition (BATEXPO)」が開催された。
(http://www.bgmea.com.bd/batexpo/index.htm)

中国での製造コストアップが進む中、実は日本向けのアパレルの新たな生産拠点として、バングラデシュは「チャイナ プラス ワン」のひとつとして注目されているのだ。

日本でバングラデシュが注目され始めたのはほんの数年前のことだけれども、バングラデシュでの縫製産業の歴史は長く、欧米や韓国の企業はバングラデシュ独立後早い段階から進出してきていたという。そして、この衣料製品がバングラデシュの輸出産業の大半を担っている。
今回のこのBATEXPOも、実はもう21回目の開催となる。

初日の朝はエントランスのセキュリティーチェックもやたらと厳しかったけれど、翌日はオフィシャルなパス無しでも普通に車で中の駐車場まで入ることができた。
外国人だからパス…ということだったのかもしれないけれど、何もチェックしないというのもちょっとどうかと。。。

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会場には生産工場、機械メーカー、試験機関などのアパレル関連会社のブースからジェネレーターや運輸会社などのブースが並んでいた。
日本の幕張のように大規模ではないけれど、日本からはこのBATEXPOにあわせてダッカ入りして査察に来られている方も多かった。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~


2日目は金曜日で、敬虔なムスリム(イスラム教徒)たちは通常モスクに礼拝に行く日。
ちょっと遅めのお昼を食べて戻ってきたら、会場の一部に白いシーツをしいて、簡易礼拝スペースになっていた。
慌ててカメラを持ってきて一枚。(このちょっと前にはもっとたくさんの人が並んでいた)

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~


初日と2日目の夜は屋外でミュージックプログラムが開催された。
ここバングラデシュと同じベンガル語を話すインドのコルカタ出身の歌手や、ボリウッドのダンサーたちを招聘していたため、いかにもインドらしいパフォーマンスが続いた。
バングラデシュ人はヒンディ映画が大好きで、そのおかげで学校では習わないのにヒンディ語を理解できるという人が結構いる。やっぱり好きこそものの上手なれ…かぁ。
私も一人気に入った女性歌手がいたので、今度CDを探してみようと思う。

ボリウッドダンサー。有名なのかどうかは分からない。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~
Appadiyah* ~ in Dhaka ~

さて、今回のBATEXPOは日本のメディアも少しだけ注目していたようで、2日目にはNHKとフジテレビが取材に来ていたようだ。

朝見かけたNHKのワゴン車に張ってあった。
「NHK TV JAPAN」

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~

当然バングラデシュのテレビ局も各ブースを回りながら、その日のニュースで放映するための映像やインタビューを集めていたのだけれど、なんと私もそこでインタビューを受けることになってしまい、その日の晩のニュースで放映されてしまったのだ。
他のスタッフから前に押し出され、目の前にマイクもカメラも向けられた状態でしばらく抵抗を試みてみたのだけれど、これではあまりにいさぎが良くないと観念。
「英語かベンガル語で一言だけ!」と言われ、どうしたってベンガル語でまともに話せる訳がないのだから、仕方なくつたない英語でチョロっと今回のBATEXPOについての感想を述べて30秒ほどで終了。

「今晩8時のニュースで放送です」とは聞いていたのだけれど、どうせ編集でカットされるだろうと思い、ミュージックプログラムが終わるころにはすっかり忘れていた。
ところが、23時もまわってちょうど会場を後にしたころ、友人のザマンから電話があり「テレビに出てたでしょ。見たぞ~」と。。。
「え~!!!!本当に~!!!???」と、思わず叫んでしった。

その番組はBTVというバングラデシュ国営テレビ(いわゆる日本のNHKみたいなもの)で、バングラデシュ全国ネットでオンエアされてたのだ。

翌日の会場で「昨日テレビに出てたでしょ」と声をかけられ、、、、早すぎる“バングラデビュー”となった。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-EXPO終了
今日、仕事の帰りにイドリスに聞いてみました。

私 「バングラデシュがパキスタンから独立したとき、あなたは……?」

イ 「3歳でした」

最後まで質問を言い終える前に、まるで私が聞きたいことを察したかのように的確な答えが返ってきました。

1971年当時3歳。。。ということは、現在は42歳。

ん~、もう少し上のような気もするけれど、おそらく間違えはないでしょう。
今日から新しいドライバーが来ました。

というのも、毎日の通勤の必要性に迫られて人生初のマイカーを購入し、今日からいよいよマイカー出勤になったからです。

これまではというと、なんと毎日レンタカーを使って通勤していたのです。レンタカーといっても、こっちのレンタカーはドライバーもセット。
1日約1,500タカ(約1,800円)と、日本の感覚からすれば決して高い金額ではないけれど、それでも一ヶ月通勤すれば30,000タカにもなってしまうわけで、それなら思い切って買ってしまおうと決心をしたわけです。

バングラデシュでは、特に深刻な渋滞に悩まされるダッカの交通事情の悪化を防ぐためと、政府の政策によって輸入車への課税率が極端に高くなっており、最近聞いた話では車の値段に対して200~250%もの税金が課せられるとのことです。
つまり日本で購入した100万円の中古車が、こっちでは300万円近くに値段が跳ね上がってしまうわけです。
ちなみに、バングラデシュを走っている車のほとんどが日本からの中古車で、時には「○○○○運輸」と書かれたトラックや、個人経営店が使っていたらしきロゴ入りのワゴンを見かけることも。

幸い私は、税率が上がる前に購入した時の値段のままで友人から車を譲り受けることができたので、多少の不満要素には目をつむることにして、オリジナルのホワイトからワインレッドにお色直ししたマイカーにはそれなりに満足しています。

さて、そんな私の愛車のもとにやってきたドライバーの名前はイドリス。
年齢は39歳…と本人は言っているのだけれど、肌つやの調子や声の張り、そして私の勘からして、明らかに10歳は上だろうとふんでいます。
もしかしたら、本人が本当の自分の年齢を知らないという可能性もあるので、今度バングラデシュ独立の年(1971年)の記憶をさぐってみようと思っています。

ここでは、いいドライバーに巡り会えるのもとても大変だと言われて、会社のドライバーもこれまでに確か3~4回はドライバーを変えているようです。
遅刻や、何かと理由をつけて追加料金を迫ってくるのはまだいい方で、稀ではあるけれども時には車ごとどこかへ消え去ってしまう…というとても痛いケースもあるようで、もしもそれが自分の身に起こったとしたら……熱湯をそそいだペットボトルのように、私も音を立ててその場に崩れ落ちてしまうかもしれません。

なにはともあれ、イドリスの年齢がいくつであれ、彼が真面目で“普通に”いい人でありますように。
インシャッラー!(神の思し召しのままに)

日本の実家には、確かもう5~6歳になる犬がいる。
クリーム色のロングコートチワワ。
典型的な内弁慶で、家では王様のように振る舞っているくせに、一歩家の外に出ると長いしっぽを引きずりながら歩き、ワンともクンとも言わない。
何よりも“犬”が大の苦手で、自分よりもずっと小さな犬でも近づいてこようものなら、必死になって私の足下にしがみついてくる。
家ではときに噛み付いてきたりするくせに、外では「あなた無しでは生きていけません」みたいな顔をしているのだ。
でもまあ、そんなところ全てをひっくるめてやっぱり彼はかわいい。

ところ変わって南インドでも、意外なことに犬を飼っている家がとても多かった。
といっても、むこうではセキュリティも兼ねて飼っていることが多いらしい。
つまり、不審者を発見した時にBOW WOWと吠えて知らせてくれる警報装置の役割も兼ねているというわけだ。
犬の種類も様々で、パピヨンやミニチュアピンシャーなどの小型犬からグレートテンみたいな大型犬まで、結構豊富な種が揃っている。

さて、そんな犬たちのトイレ事情について。

日本では、室内犬の排泄は基本的にトイレシートを使っている家がほとんどだと思う。
少なくとも我が家でははじめから水色のトイレシートを使っていて、うちでもなんとかその躾だけは成功した。

ところがインドでは、一日のうちのある決まった時刻に犬を外に連れ出して、道ばたや空き地で用を足させるというのだ。
回数は家々によって一日2回、3回と決めているみたいなのだけれど、何よりも驚きそして関心するのは、排泄という生理現象が時間によって決められていて、しかも犬たちがそれをきちんと体に覚え込ませて実行できるということだろう。
もちろん、時には我慢できないことや、「今日は朝からちょっとお腹の調子が…」ということもあると思うが…やっぱりすごいなぁと関心してしまう。

とはいえ、インドの犬からしてみたら、トイレシートの上できちんと用を足す日本の犬たちを見たら、「おいおい、犬のくせに日本人みたいに礼儀正しくしてるのかい?」と言って笑われるかもしれない。

何にしても、犬というのはなんと賢くそして忠実な動物なのだろう。

ところ変われば、犬のトイレ事情も変わる…ということでした。

ゴラ=喉
ベタ=痛い

そう。明日からの仕事再開を前に、またしても喉をやられてしまった。

冬に近づき空気が乾燥してくるにつれて、ダッカの街中に漂うマイクロダストがより一層軽やかに空気中を舞っているのだろう。

元々喉が弱く日本でも冬になると喉をやられていた私は、当然のようにダッカを訪れるたびに喉と鼻を壊していた。
ちなみに、人生ではじめての扁桃腺炎もここダッカで経験。

ダッカに来て4ヶ月が経つが、どうやら私の体はまだこの環境に順応するプロセスにあるようだ。

この4ヶ月の健康診断カルテはこんな感じ。。。

8月上旬、喉の痛みから発展して発熱。
仕事初日の発熱だったので、次の休日まで気力で乗り切った。

9月、インドで胃炎。
絞られるような異の痛みが続いた。
吐き気には弱いが胃痛はなんとか我慢できるので、胃薬を服用しつつ食事に気をつけながら乗り切る。

10月上旬、食中毒でアポロホスピタルに入院。
昼過ぎから気分が悪くなり、終業まで残り1時間というところでトイレに駆け込み、1時間に7~8回も吐き続けた。
帰りの車でも吐き気がおさまらず、家に着くなりそのままボシュンダラにあるアポロへ。結局人生初の本格的な入院デビューをダッカで果たした。
かの有名なインドのアポロホスピタル、バングラで一番信用できると言われた病院にもかかわらず、ドクターや看護士の対応にはかなりイライラさせられ、結局夜中まで苦しみ続け、朝方になってようやく眠りにつくことができた。
原因はおそらく牛乳だと思われる。

11月上旬、食中毒再び…。
今回は症状は軽く、一晩寝てなんとか復活。
原因は市販のスウィーツヨーグルトと思われ、前回に引き続き今回も乳製品が原因ということになる。
いずれも開封後2~3日目に食したので、賞味期限には大きな問題はないはずだが、問題は我が家の冷蔵庫の温度が十分に下がらないということにもあると思う。
これまでに色々な牛乳を試してみたのだけれど、熱処理をしてもしなくても、冷蔵庫に3~4日入れておくといつの間にか牛乳がヨーグルトになってしまうのだ。
牛乳好きな私としては、好きな時にフレッシュな牛乳を飲めないというのがかなりつらい。

ちなみに、昨日知り合いの牧場で絞り立ての牛乳をもらってきたのだが、鍋で沸騰したら脂肪分の塊が浮いてきて(そこからカッテージチーズが作れる)、その残りの液体がなぜかバターミルクのようになってしまった。
我が家のコック曰く「乳搾りの過程で少しでも牛の尿が混ざるとこういうことがおこりえる」とのこと。
牛の尿なのか、牛乳を入れてきた”7UP”のペットボトルがいけなかったのか。
またひとつ新しい疑問が増えてしまった。


そして、今回の喉痛…
まあ大したことはないので、ただただ悪化しないように喉をあたためて、まありしゃべらないで静かに過ごそうと思う。

ちなみに、はじめて喉を壊して以来、私はジンジャーティーを愛飲している。

水にジンジャー、シナモン、カルダモン、クローブ、ベイリーフを入れて沸騰させる。お湯が沸騰したら紅茶の葉っぱを入れて弱火で少し煮て火を止める。
あとはカップに注いで好みの甘さに砂糖を入れたらでき上がり。(ちなみに、少しだけレモンの果汁をいれもおいしかった)

どうぞお試しあれ。

イスラム教の犠牲祭「コルバニ・イード」(Eid-ul-Azha)

昔々、アッラーから一番大切なものを生け贄として差し出すように言われたアブラハムは、自分が大切に育てた動物たちを次々に差し出していった。しかしなかなかアッラーの納得を得られす、とうとう全てを出し尽くし他にもう思い当たるものがなくなったところで、アッラーは言った。

「お前の息子がいるではないか」と。

そして、信仰深いアブラハムが息子の命を神に捧げようとしたその時、「待ちなさい。もうよい」と神はアブラハムの手を止めたのだとか。
つまり彼の信仰の深さを試したということだ。
そんなわけで、このコルバニ・イードでは自分たちの家畜(今ではお金を払って買う)を神のために犠牲にするという行事になっているらしい。

コルバニでは主に牛を犠牲にするのだけれど、牛を買う経済力のない人たちはヤギを買っていく。その他にもラクダで行う人もいるらしい。
牛の値段は基本的に大きさに比例していて、小さいものでは30,000タカくらい、高いもので1,500,000タカ(=およそ190万円)と車が1台買えてしまうほどのものもある。とくに田舎に比べてダッカの牛の値段は高いようだ。
そんな高価な牛は最高7人でシェアして買うことができるため、近所や友人たちとお金を出し合って1頭の牛を買う人も多い。ちなみにヤギは小さいので名義人は1人のみ。

これが牛を売っているマーケット

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-カウ・マーケット


誰も買ってくれないから疲れ果てて寝ている。。。。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-お昼ね中


イード前の数日間は、その辺の道の開いているスペースにもたくさんの牛やヤギが並べられて、道路脇が臨時マーケットになる。

ヤギもいる。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ヤギ


購入した動物はマーケットから各自家まで引っ張って連れて行く。
使用人などがその役目を任されることが多いが、購入した当人は例え1歩でも10歩でも、自分が買った牛なりヤギを連れて歩かなければならないらしい。
これはあくまでも犠牲祭なので、他人任せにするな…ということなのかもしれないが、それにしても、1歩でも10歩でもいいというのは、時代の流れの中で人々が都合のいいように自然発生的に生まれたちょっと言い訳がましいルールのような気もする。。。

コルバニ・イードで犠牲となった動物は、その3分の1を貧しい人々へ、3分の1は親戚や友人へ、そして残りの3分の1は自分のものにする。
牛やヤギを買うことができない貧しい人々は、次々とさばかれていく肉を求め、大きな袋を持って家々を回るのだけれど、中にはそうやって集めた肉を安値で売りさばいている人たちもいるからおもしろい。

私のイード休暇は15日からの予定だったのだけれど、14日の突然のホルタル(ゼネスト)のおかげで仕事は休みとなり、12日(金)からスタートして明日までの9連休となった。
連休の4日間をシレットのNAZIMGARH RESORTS(www.nazimgarh.com)で過ごし、その間に行われた17日のコルバニはシレットにいる友人ザマンの家を訪ねて神に捧げる牛のカッティングを見た。

実は私がはじめて牛を捧げる儀式を見たのは、7年ほど前に訪れた中国貴州省の山奥にある少数民族の村だった。イスラム教のイードとは全く関係なく、それはその村で7年だか14年に一度行われている祭で、色鮮やかな民族衣装に包まれた村人たちが見守る中、村の男たちが広場に並べられた牛たちに1頭ずつ順番にナイフをさしていくのだ。
そこには牛の首を地面につなぐ一本のロープがあるだけで、あとは力のある男たちが全身で牛の体をおさえていたような気がする。もう7年も前のことだから記憶が確かではないけれど、牛の首から血が吹き出し苦しみ暴れている姿を見ていても目を背けたくなるような嫌悪感を感じなかったのを覚えている。
それどころか、私は牛が息をひきとった後に皮を剥ぎ開腹していくそのナイフさばきの美しさに目をうばわれていた。

ところが、今回のイードでは、四肢を縛られ身動きのできない状態で首にナイフを入れられてもがき苦しむ牛の姿を見ていて、私はなにか胸のあたりがしぼられるような思いで、体から絞り出されるような最後のうめき声や、観念してただただ宙を見つめ続けている目から目が離せなかった。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-イード

中国の時と同様に牛の皮を剥ぎ体を解体していくのだけれど、ひとたび息絶えてしまったその体に対する扱い方がもはや肉の塊としての扱いになっているような気がして、同じような儀式の中の人々の思いの違いに思いを巡らせずにはいられなかった。
もちろん彼らはプロフェッショナルではなく、イードのために雇われている村人たちなので、仕事はあくまでもビジネスライクに行っているということも同時に理解しておかなければいけないと思う。

私が見たのは1つのケースにすぎないから、このコルバニ・イードの背景にあるムスリムの人たちの思いを計り知ることはできない。
ただ、私たちの口に運ばれる動物の肉は、そこに至るまでにひとつの生命を犠牲にしているのだという当たり前のことをリアルな映像で見せられたような気がして、店頭にグラム単位で売られている肉の塊のむこうがわには、生きている牛や鳥、ヤギの姿があるのだということを改めて思い出させてくれるいい機会になったと思う。
このブログの顔ともいえるタイトル「Appriyah」についてですが…

聞き間違えでした。

もともと最後の“h”は、みんな発音するときに最後を伸ばすので私が勝手につけただけだったのですが、そもそものスペルにミスがあったようです。

結論から言うと、正しくは「Appadiya」。

会話を聞いているとやっぱり「Appriyah」に聞こえるんだけど…

個人的に「Appriyah」という言葉の響きが好きなので、タイトルを変更するべきかどうか考えあぐねた末、やはり訂正することにしました。

ただし、最後の“h”は残しておきたいので「Appadiyah」ということで。。。

(多分ID変更はできないので、このブログのアドレスは永遠に「Appriyah」のままになってしまいます)
最近、私はバングラのウォッシュレットデビューをした。

元々アジア各地ではトイレのあとに水で流す習慣があるようで、インド、ベトナムなどでも公衆トイレに行くと、水が溜めてある大きなバケツと、そこから水をすくってお尻にかけ流すための小さなカップを目にすることができる。
もちろん今でも水洗式トイレやトイレットペーパーが普及しないのには、経済的理由もあると思うが、昔からの習慣によるところもかなりある。

そして、バングラのウォッシュレットはこれ ↓

Appriyah* ~ in Dhaka ~-わが家のトイレAppriyah* ~ in Dhaka ~-これがシャワー型ウォッシュレット

シャワー型。
ハンドルを握ると水が出る仕組みになっているのだけれど、ちょっと力を入れすぎるとビュシューっと勢いよく放水されることもあるので、その力加減が結構大事。

バケツに入った水を使うのはどうもためらってしまうが、このシャワー型ウォッシュレットは、自宅と会社に限って最近使いはじめてみた。
特に、お腹を下している時や、前日に辛いものを食べてお尻がヒリヒリするときには重宝する。
直接かけてもいいし、トイレットペーパーをちょっと水で濡らして使ってもいい。
水さえきれいであれば、水で洗い流すという行為そのものはとても衛生的でいいと思う。

このシャワー型ウォッシュレット…実は、日本の便器一体型ウォシュレットよりも意外と衛生的だと思う。
日本のウォッシュレットは、日本人らしいきめ細やかな心配りがされていてとても機能的でスタイリッシュなのだけど、あのノズルの掃除がどれだけ行き届いているのか…という疑問が拭いきれない気がして、私個人的には日本でも活用していなかったのだ。
その点このシャワー型は、よっぽど誰かがお尻にこすり合わせて使っていない限り安全だし、洗うのも簡単。

ちなみに、南インドに比べると、バングラデシュ(ダッカに限る)の方がトイレットペーパーの普及率が高くなっているように感じる。インドでは、今でも好んで水を使う人が多いのだと思う。

最後にトイレ関係でもう一つ。
バングラでは、トイレペーパーの設置位置は大抵便座の後ろの壁で、毎回腕と体をひねりながら紙をたぐり寄せないといけない。
日本は座っている位置の横か前にあることが多いので、そのままの体勢で楽々とティッシュを引き出せる。
おそらく、(外国人に比べると)一般敵に日本人の腕のリーチは短いので、自然とすぐに手の届く位置が定番になっていったのだろう。
そういう小さなところにも、文化というか、その国の特徴がさりげなくあらわれてくるんだなぁ。