Appadiyah* ~ in India ~ -20ページ目

Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

今年もいよいよ終わりです。
2010年を締めくくって、新たな年を迎えるわけです。

ただ、ここではベンガル暦の新年4月14日を大々的に祝うため、西暦の新年に対する思い入れは比較的薄くて、クリスマスと同様になんとなくイベント的に一部では盛り上がっているといった感じのようだ。
ただでさえ休みが多いと言われているこの国で、12月31日、1月1日は国の祝祭日にもなっていないのだからビックリ!というよりショック。
今年は大晦日、元旦がたまたま金土の休みに重なったからよかったものの、来年のお正月は確実に出勤日ということに…。

もちろん、みんな「Happy New Year !」と口々に言って分かれるし、大晦日の夜にはホテルやクラブでなんらかのイベントが催されていて、12時が近づけばカウントダウンも行われるわけれども、4月14日の新年の盛り上がりに比べたら、人々の気持ち的にも街全体の雰囲気も静かなものだなぁと感じる。

さて、年末が近づくにつれて、私の中では何かが物足りないなぁと感じるものがあったのだ。
そして、どうやらそれは年末に向かうなにかせかせかしたような、浮き立つような、そんな心の変化だったようだ。

これは、単純に新年を迎える個人的な心の準備というのではなくて、やっぱり日本の年末の雰囲気、人々や街全体が作り出しているもので、まさに文化的なにおいなのだと思う。

日本では、クリスマスが終わると街もテレビも全てが一気に年末モードになり、28日ころには会社も休みに入るため、残っている仕事を皆が慌ただしく片付けだし、学校も会社も家も年に一度の大掃除を始め、あいた時間をぬっては郵便局の締め切りに追われるように年賀状を書いている。
師も走り出す「師走」…日本の年末は、やっぱり人々のこころが浮き立っているような、なにかそわそわ、わくわくとした雰囲気があるのだと思う。

日本には、単純に「新年おめでとう!」といって新しい年を祝うだけではなくて、「一年を締めくくる」という年末の意識が強くあると思う。
だからこそ、大掃除をしたり、今年のものは来年に持ち込まないようにとか、新年からは気持ちを新たにといった気持ちがはたらいたりするのだろう。
日本にいるとそれは当たり前の感覚で、特別に意識をしたことがなかったのだけれど、ふと海外を見てみれば、New Yearそのものはカウントダウンや花火を上げて盛大に祝ったりもするけれど、12月31日で一年を締めくくるという意識で物事に取り組んだり気持ちを切り替えたりという雰囲気はきわめて薄いような気がする。
つまり、日本では新年をひとつの大きなイベントとして祝うだけではなくて、そこに向かう年の瀬の人や街の独特の雰囲気があるのだと思う。少なくとも私の中に染みこんでいるのは、この日本のにおいなのは間違いない。

そして私は、日本の年末年始の雰囲気がとても好きだ。
あのそわそわしたような感じも、人々が口々に「よいお年を~!」と言って分かれていく感じも、デパートや商店街が慌ただしくなる様も。。。
目に見えて人や街が動き出している様子にくわえ、これまで自分が過ごしてきたこの時期の雰囲気なんかが全部まぜあわさって、私の中に「日本のお正月」のにおいとして染みついているのだということを感じる。
そしてそのにおいは、なんとなく寅さん(映画「男はつらいよ」)とオーバーラップして、この時期になると無性に寅さんが見たくなるのだ。
(昨夜は、Youtubeで寅さんの映像を探して見ていた)

明日は大晦日。
私たちは、どこかのNew Yearイベントに行く予定になっている。
そんなわけで、今年はせまりくる年の瀬に気持ちがおわれることもなく、私も他の人たちと同様にカウントダウンをして「Happy New Year!!!!!!」と言って新たな年を祝うことになりそうだ。



コックやメイド、ドライバーのいる生活…
と聞けば確かに優雅で贅沢な生活を送っているように見えるかもしれない。
実際に日本にいる友達何人にもそんな風なコメントをもらった。

でも…

「じゃあバングラに住む?」

と言われて

「あ~それはいいアイディアね!」

と日本から移り住んでくる人はいないだろう。。。。

仕事や家族の問題、文化や言葉の違い、異国への移住の面倒なんかを抜きにして考えたって、やっぱり腰が上がらないどころから引けてしまう人の方がほとんどだと思う。

ここに住んでいてつくづく思う、、、
「誰かが何かをやってくれる」というのは「自分ではできないことがある」ということでもあって、そういう意味では日本にはやっぱり「何でも自分でできる自由があるのだ」と。


日本にはコックもメイドもいないけれど、街に出ればあらゆる種類の料理がリーズナブルな価格のチェーン店からうわさのレストラン、欧州帰りのシェフのいる5つ星レストランまでたくさんの選択肢があるし、マックやファミレスは24時間営業で、夜中に小腹がすいたらコンビニに走ればいい。

一方ダッカでは、手に入る食材も限られているし、24時間営業のスーパーやレストランやコンビニもない。レストランはどこも割とおいしいのだけれど、こっちでは基本的に外食は高くつくのが普通だ。
私の大好きな牛乳については、二度の食中毒以来、未だに冷蔵庫から取り出した牛乳の鮮度を確認してから使用しているし、なんとなく牛乳単体で飲むのを避けてしまっている。
牛乳に対して無防備でいられないというのは、私にとってけっこう悲しい食事情のひとつだ。


また、東京ではタクシー1日貸し切るのだって高額請求がくるのに、お抱えドライバーなんて雇えるわけがない。
しかし、東京には地上にも地下にも蜘蛛の巣のように都心から郊外へと電車の路線が走っていて、山手線なんて一駅間5分を切る間隔で駅が並んでいるのだから、わざわざ車に乗って行かなくたって自由自在にどこでも好きなところへ行けるのだ。

ところ変わってダッカはというと、夜になったらリキシャやCNGで移動するのはリスクが伴うし、電車などの公共の交通機関が発達していないのでどこへ行くにもやはり車が必要になる。
車があったらあったで、渋滞の中、隣の車の侵入を防ぎつつ傷をつけられないように左右のサイドミラーとにらめっこしながら、後ろからのクラクションを聞き流し、約束の時間を気にしながらもブレーキとアクセルを小刻みに踏み踏み進まなければならない。


日本では、中小企業だったら課長や部長だって時には掃除をするし、自分が飲んだコーヒーカップは自分で洗ったりもする。
社長だって、バブル期のように終電逃したから六本木から横浜までタクシーで、なんてことはそうそうしないだろう。
最近は格差社会が広がっているとはいったって、みんな自分の手や足をつかってコツコツと自分で自分の世話をしていて、それができる自由と便利さが日本にはあるのだ。
そして、それはコックやメイドやドライバーがいる生活よりも、ずっと贅沢で豊かな生活だなぁと思うのだ。

(注:別にバングラでの生活が辛いわけではないのでご心配なく)
先日、バングラデシュのストリートチルドレンたちの自立を支援する民間団体「エクマットラ」を訪問してきた。
エクマットラは単身でダッカに乗り込んだ渡辺大樹氏が、同じダッカ大学に通う学生たちとともに2004年に設立した団体で、このエクマットラの創業者の一人(バングラ人)の奥さんが、先月まで私の会社に働いていたのだ。
彼らの活動は日本のメディアでも取り上げられたことがあり、彼女の旦那さんもインタビューを受けたそうだ。

詳細はここで↓↓↓↓↓↓
http://www.ekmattra.org/JAP/


12時にグルシャン1サークルで待ち合わせだったのだけれど、向かう途中、お揃いのブルーのTシャツを来た学生たちがパラパラと目についた。
待ち合わせ場所で立っていると、ブルーTシャツ軍団が私の方に近づいて来た。

ブルー「すみません、自分の名前をベンガル語で書けますか?」

私  「えっ、どうして?」

ブルー 「私たちは人々がどれだけベンガル語で自分の名前を書けるか調査していて、書けない人には教えてあげるという活動をしているんです」

私  「(識字力調査か…)でも、私は外国人だけど…」

ブルー 「外国人でもいいんです。キャンペーンの一環ですから」

よく見ると手にはノートとペンが。ノートにはベンガル語で順番に名前らしき文字が並んでいる。

もしや、何かよく分からない署名運動か契約書にサインさせられるんじゃないか…という疑念が頭をよぎった。

でも、彼らはとてもさわやかな若者たちで悪質な詐欺に手を染めているようには見えないし、ノートのページをめくってみても契約文らしき文章はなく、いかにもメモ書きのようにベンガル文字で名前が書かれているだけだ。

ん~名字は書かずにに名前だけならいいかな。
これが怪しい契約書へのサインだったとしても名字がなければ無効になるだろう。いやそんなわけにもいかないか。。。でもバングラではまだそんな高度な詐欺はないだろう。。。
と考えている間にもブルー軍団の若者たちが集まって来たので

私  「分かったよ。ここに書けばいいのね」

とベンガル語で自分の名前を書いた。

ブルー 「わ~、すごい!ベンガル語で書けるんですね。しかも僕よりも上手ですよ!」

私   「ホント?ありがとう!」(へへへっ)

その後も彼らは、その辺の店の主や道路に座り込んでいるご老人などに話しかけて識字調査を続けていたので、どうやら詐欺ではなさそうだ。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-識字調査NGO

さわやかブルー軍団のショット!

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-識字調査02

その後も識字調査は続く…


私たちはグルシャン1のKFCでお昼を済ませてから、ミルプールにあるエクマットラのシェルターハウスへ向かった。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-路上ナマズ

途中こんな光景も。。。路上ナマズ(お祈り)
この日は金曜日でイスラム教徒の礼拝の日…道路脇はモスクから溢れ出た人がいっぱい。
数十メートルにわたってこの列が続く。


私は以前、日本でエクマットラ制作のドキュメンタリー映画「アリ地獄のような街」を観て、その時に渡辺さんにもお会いしたことがあった。
今回は、渡辺さんはバングラデシュ国外にいるとのことでお会いできなかったが、インターンで来ている日本人の青年に会うことができた。

私たちが訪問すると、子供たちがみんな部屋に入ってきて、ひとり一人自分の名前と年齢、そして将来の夢を含めた自己紹介をしてくれた。
彼らの夢は、クリケットプレイヤー、俳優、アーティストなど、いかにも子供らしい夢だなぁと思った。
日本でも最近では、小学生のころから「将来は弁護士になりたいです」とか、「父の後をついて医者になりたいです」とか、「政治家になりたいです」といった夢を語る子供たちもいるけれど、、、、
もしも潤沢な資産があって本当に好きなことをやって生きていける環境だったとしたら、子供に限らず大人だってもっと違った夢を抱くんじゃないかなぁ…なんて自分にも照らし合わせながら考えてしまった。

ひと通りの挨拶を終えると、子供たちは日本の歌を披露してくれた。
「小さな世界(It's a small world)」そして、Smapの「世界にひとつだけの花」を振り付きで。
たしか「アリ地獄」の映画の中で、彼らがSmapの「世界にひとつだけの花」を歌っていたような気がする。
歌詞の意味をどこまで理解しているのかは分からないが、最初から最後まではっきりした日本語で歌っていて純粋にすごいなぁと思う。
最後にバングラデシュの国歌を披露してくれて歌は終了。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ノクシカタ

歌の他にも、絵やバングラデシュの伝統的な刺繍(ノクシカタ)の作品などを見せてくれた。


その後シェルターハウス内を見学してまわった。
部屋は2段ベットがあって3~4人で1部屋をシェアしているようだ。
トイレもきちんと掃除してあるし、子供たちもとても礼儀正しく、はやり子供の頃の躾は大切なんだなぁと改めて思う。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-エクマットラ子供

部屋を案内してくれた少年


外に出ると子供たちが広場でクリケットをしていたので、私もバッターボックスに。
ちなみにクリケットでは打者をバッターとは言わず、バットマンというらしい。
クリケットのバットは野球のバットよりもずっと重かった。(本物は違うのかもしれないが…)
最初は女だと思ってかなりゆっくり加減して投げてくれていたのだが、予想外に私が打つものだからピッチャーの子も次第に力を入れてきて、私も調子に乗ってバットを振りまくっていたおかげですっかり右肩を痛めてしまった。

そんな感じで30分くらい交代でバットを握って軽く運動したところで、日が暮れる前にと、私たちはエクマットラをあとにしたのだった。


先週木曜日、ヴィクトリー・デーの日の午後、一児の父になったボシルがお土産のスイーツをぶら下げて我が家に戻ってきた。

奥さんの出産後、赤ちゃんがお乳を飲まないなどちょっとした体調不良が見られたようだが、今は母子ともに体調も安定しているとのこと。

短い間ではあったけれども田舎に帰ってゆっくりしていたせいかい、なんとなく頬のあたりが少しふっくらしたように見えた。

この日は私たちは朝から外出して夕方に一度帰宅。
夜はゲストが来たのでみんなで一緒にボシルのお土産のスイーツをいただいたのだ。

翌朝、ボシルはいつものようにうちにやってきた。
私は約束があったのでお昼前には外に出かけていったのだが、まさかそれがボシルと顔を合わせる最後のときとなってしうなんて…そんなことは思いも及ばなかった。

昨日、ボシルは明らかにあやしい理由をつけて仕事を休んだ。
そして、今日もボシルは我が家に姿を現さなかった。
よくよく見たらサーバントルームにあったボシルの服がなくなっていたというから、一昨日は予めそのつもりでやって来たのだろう。

午後になってボシルと連絡をとれた人曰く、もう我が家に戻るつもりはない…とのことだそうだ。

ボシルが失踪した。。。。。


実はボシルの失踪は過去にも2回ほどあったらしい。
いずれもある日突然姿を消して、1回目のときには半年後再びふらりと姿を現して許しをこうてきたそうだ。

ここバングラデシュでは、コックやメイドだけではなく、普通の会社に勤めるスタッフでも予告なく突然辞めてしまうというのはよくあることらしい。
単純に嫌になって辞めてしまう人、より待遇やお給料のいい場所が見つかったからと去って行く人…理由はまちまちだが、2~3ヶ月前にとまではいわなくても、せめて一言言ってから辞めていってほしいものだ。

ちなみに、かつてボシルが姿を消したときは、

①ボシルのお兄さんが営むビジネスに誘われて意気揚々と飛び出していったものの、実の兄にこき使われた上まともなお給料ももらえずに、あえなく撤退。再び我が家へ…。

②結婚のために田舎に戻った際、そのまましばらく帰ってこなかった。

そして今回は妻の出産。。。。

これを機に再び姿を消すのはある程度予測はできていたことらしいのだが…もしこのままボシルが戻ってこなかったら…私はやっぱりちょっと寂しい…。

我が家では、今度こそボシルの代わりに他のコックを探すような動きも見られ、灯りの消えたキッチンに一昨日のボシルの姿が浮かんで、私はなんとなく寂しい気持ちになる。

風船のようにふわふわしているボシル、、、いったい何を思って出て行ったのだろうか…ただの気まぐれなのか…強い意志を持って出て行ったのか…それとも新しい仕事でも見つかったのだろうか。

理由はどうあれ、どうかまたボシルが戻ってきますように。








12月16日はバングラデシュ勝戦記念日(ヴィクトリー・デー)、パキスタンが降伏してバングラデシュ独立軍が勝利した日、ということで祝日のため会社も休み。
(ちなみに、バングラデシュとして独立宣言したのは3月26日で、その日は「独立記念日」となる)

このヴィクトリー・デーが近づくいてくると、街ではバングラデシュ国旗をはじめとした“我が国グッズ”が街のあちこちで売られていて、フロントのボンネット国旗を付けている車や、テラスから国旗を下げている家を目にする。


$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-車にも国旗

この日、旧エアポートのあたりでなにやらイベントがあるというので向かってみることにした。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-道路

会場の近くまで行くと、バングラデシュフラッグのグリーンと赤のサリーを着ている人や、手には小さな国旗を持って額には国旗のはちまきをまいて、更に顔にも国旗のペイントをほどこしている人たちがぞろぞろと歩いていた。
国旗や、フラッグカラーの布が道沿いに掲げられていて、「バングラデシュ万歳!!」的な雰囲気を醸し出している。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-旗売り

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-旗

国旗やはちまきを売る人…


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ベイビー

子供のはちまき姿はかわいい☆


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ファミリー

こっちは元暴走族のカップルとその子供たち…といった感じ。


途中から車の侵入が規制されていて、どうしようかと迷っているときに会社の人から連絡があり、どうやら今年から事前のパーミッションがないと入る事ができないシステムになっているらしく、入り口付近は無理矢理入ろうとする人とそれを阻止しようとする警官とでちょっとした混乱状態になっているとのこと。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-混乱

こっちでもフェンスを乗り越えている人たちが…。


会場内に入るのをあきらめて向かいにあるミュージアムを流し見をしていると、空気を振るわすような轟音が鳴り響いてきて空軍の航空アクロバットショーが始まった。
戦争に勝利した記念日というだけあって、独立のために戦った人々を賞賛するとともに、我らがバングラデシュ国の軍隊の偉大なり!という実力アピールする晴れ舞台となっているようだ。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-戦死体

なんで全身泥だらけなのか…?これはかつて戦場に倒れた戦死たちに扮しているのだとか。


とりあえず、ヴィクトリー・ショーの一部でも見ることができたので、私たちは会場を後にしてオールド・ダッカのブリゴンガ川に面した船着き場ショドル・ガットに向かった。
ダッカと地方を結ぶ船が発着していて、ボリシャルやクルナなどからダッカに来ている人たちは、ここから船に乗って田舎に帰って行く。
イード休暇など大型連休の帰省ラッシュの時には船の上にも人が這い上がるため乗船率200%状態で、半沈水状態の船が重そうにのったりと出港していくらしい。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ショナルガー

これは小舟の船着き場


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-舟コギ(BW)

歩いていると舟に乗っていかないか~!との声がかかる。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-舟上ナマズ

舟コギも時間になれば舟の上でナマズ(お祈り)。


私たちは小さな舟で1時間ほどショナル・ガット周辺を遊覧することに。(100TK+α)

ここは、水の都バングラデシュを象徴する場所として観光地にもなっているらしいのだけれど、川の水が汚くて臭いも鼻についてくるのがちょっと痛い。

舟コギはリキシャワラ同様に、細い体に筋肉がしっかりとついていて、体脂肪率5%のボクサーのような体をしている。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-舟コギ

日に焼けたいい体をしている。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-船上シャワー

船の上で体を洗う人たち。


冬とはいえ、日差しを遮るものがない舟上はさすがに肌を刺激してきた。
夏は傘を置いてある舟もあるそうだけれど…傘があるとはいっても、さすがにダッカの夏になにも炎天下で熱さと湿気に耐えながら“のんびり波に揺られに行こう!”とはさすがに思わないだろう。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-船解体

川岸では船の解体作業をする人たちもいる。


私たち5人と舟コギの計6人が乗り込み、水面からボートの縁まではおよそ20センチほどで、近くを大型船が通って行く度にその波にあおられて舟はグワンと揺られる。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-客船

帰省ラッシュの時はこの船が寿司詰め状態になるという。


やがて舟はゆっくりとUターンをして、チャプンチャプンというのどかな水の音をたてながらふたたび岸に戻っていった。

街が戦いの勝利、独立記念に沸いているとき、私たちはちょっと臭いけど穏やかなブリゴンガ川の波に揺られてしずかなときを過ごしていたのだ。
インドはボリウッドのスーパースター、シャルク・カーン(Shahrukh Khan)が初来バしました!!!!

12月9日に来バし、エアポート・ロード沿いのRadisson Hotelに宿泊したとのこと。
そして、翌10日Dhaka Army Stadiumにて、バングラデシュでの初コンサートが開催されたのです。
http://www.youtube.com/watch?v=BCZwwOazKXc&feature=related


インド映画というと、濃い~ぃ顔した男たちが臭い台詞で愛を語って、女性は憂いを帯びた目をパチクリさせながらハイキーボイスで男の愛に答え、途中途中でいきなりロケーションが変わったと思ったらたくさんのバックダンサーを引き連れて歌って踊りだす…そんなイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。
確かに、その通りなんです。
私にも、そんなインド映画を見て一笑に付していた時期もありました。
しかし、5~6年前にはじめてバングラデシュ・インドを旅したときにたまたまシャルク・カーン主演映画「Kal Ho Naa Ho」のサントラを耳にして、それ以来ヒンディ・ミュージック、ヒンディ映画に対する抵抗は剥がれ落ち、すっかりシャルク・カーンにはまってしまったのです。
しばらくは彼の映画を観たり音楽を聴いていたのですが、日本ではこの思いを一緒にシェアできる人に巡り会えず、そうこうしているうちに私にも「冬ソナ」ブームがやってきて、シャルク・カーンへの思いは次第にペ・ヨンジュンへとシフトしていってしまったのでした。

ここで、あえてヒンディ映画、ヒンディ・ミュージックと言っているのは、「インド映画=ヒンディ映画」ではないからです。
特に南インド、タミールナドゥではタミール語のコリウッド映画が主流で、コリウッドのかつてのスーパースター代表といえばあの映画「ムトゥ~踊るマハラジャ~」で日本でもちょっと話題になったラジニ・カーンです。
ちなみに、最近ではダッカの映画界はダリウッドとして認知されているようで、なにもみんなして「○○○○ウッド」でそろえる必要はないと思うのですが、、、。


さて、話を戻して…
シャルクへの熱が冷めてしまっていたとはいえ、シャルクがわざわざこのダッカにやってくるというときに、同じダッカの空の下にいながらこのチャンスを逃す手はないでしょう!
というわけで、見てきました!!!生シャルク!!!
遥か遠くで、モニターじゃないと表情まではよく見えなかったけれど、いや~、かっこよかったなぁ!!!シャルク・カーン!!!


席は、プラチナ、ダイヤモンド、ゴールド、シルバー、ブロンズ…と5種類で、ダイヤモンドから25,000TK、10,000TK、5,000TK、3,000TK…となっていて、私たちは10,000TK(約13,000円)のゴールドシートのチケッットを購入。(プラチナの値段は色んな説があり不明)
スタジアムは12,000人規模で、バングラデシュではこれだけの大スターを招聘してのビックコンサートははじめてといってもいいのではないでしょうか。
そのため、全体的にマネージメントが行き届いていなく、開場からコンサート中、最後まで客席は終始混乱状態。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-チケット
ゴールドチケット(イーストギャラリー)


まず、これだけの規模のコンサートにもかかわらず、駐車場の確保ができていないため、会場前の道路は大渋滞。車がある人は皆ドライバーに会場でおろしてもらい、帰りは再び迎えにきてもらうという状況。私たちは4人グループで、友人の車で来場。

チケットのカテゴリーやエントランスもいい加減で、今回のイベント会社で直接チケットを購入したにもかかわらず、事前情報と実情には相違点が多々見られました。

各カテゴリーごとの入り口は分かりにくい上に長蛇の列が2折にも3折にもなっていて、私たちはどこに並べばいいのかなかなか分からず右往左往しているうちに出遅れてしまいました。
小さな入り口には我先にと皆がお腹と背中をくっつける勢いで並んでいて、セキュリティもままならず、鞄の中までチェックされる人もいれば、何もチェックされずにスルーしてしまったという人もいたようです。
ちなみに、私は未開封の水のボトルを開けられて、はい飲んで!と勢い良く口に押し込まれたはずみで水が飛び出してびしょ濡れに。
聞いていたエントランスは無いし、座席表をもとに購入したゴールドのイーストギャラリー席は立ち入り禁止区域に。結局フィールドにあるゴールドシートに席を確保することになったのです。(結局フィールドの方が見やすかったので結果オーライ)
もちろんこんな大スターを招聘しての大規模コンサートになれていないため、マネージメント会社としても予想外なことが多かったのだと思いますが。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-シャルク・マスク
シャルク・カーンマスク…(目がくり抜いてあるだけ)

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-フリーチケット
遠くのビルの屋上からはフリー鑑賞。


フィールドでは、座席が決まっていない上にプラスチックチェアを使用していたので、列はどんどん崩れていき、どこからか椅子を運んできては隙間を塗って椅子を置いていくし、椅子を2つ3つ重ねて座高を少し上げて座っていたり…最終的にはゴールド席の前4分の3のスペースに観客が密集して、後ろはガラ空きに。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-アイスクリーム
アイスクリーム売りにも人が殺到。


16時の会場から待つこと4時間半、一度バングラデシュ人歌手が前座で歌っただけで、時々MCが出てきてはシャルクの登場を匂わせて去って行き、間をつなぐ音楽もデパートの閉店を思わせるようなPOPミュージックの静かなインストゥルメンタルバージョン。

そして、20時半もまわって観客もいい加減待ちくたびれたころ、ようやくステージが動き出し、あの歌って踊ってのインド流パフォーマンスが始まったのです。
ヒンディー映画で目にする、歌って踊ってのシーンがそのまま目の前のステージで繰り広げられている…と考えてもらえれば分かりやすいと思います。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スタート


さて、ステージが熱くなってくると、客席は当然それ以上にヒートアップしてきて、興奮して思わず立ち上がってしまう人や、カメラや携帯で撮影する人がチラホラ出はじめると、後ろの人たちが叫ぶわけです。

「へ~イ!シャムネ ローク ショバイ ボシェ~ン !!!!」
(へ~い! 前の人、全員座れ~!!!!)

「ショバイ ボシェ~ン」と言いながら立ち上がってしまう人には、また後ろから「ボシェ~ン!」
この「ショバイ ボシェ~ン」コールは結局エンディングまで続いたわけです。
それがおもしろくて、私も時々どさくさにまぎれて
「へ~イ!ショバイ ボシェン!!! キッチュ デクテ パリナイ!!(全然見えないじゃないか!)」
と叫んでいました。

ラニ・ムカジー、アージュン・ランパルなどのパフォーマンスが続き、そろそろシャルク・カーンが登場してもいいんじゃないか…というころには、ゴールドシートの右の方では規制がきかなくなり観客総立ちに。
その間にも、時々どこからか白いプラスチックの椅子が人々の頭上を移動して運ばれていき、心無しか座席も少しずつ前進していくのでした。

私は、そんな会場の混乱状態も楽しみながら、遥か遠くのシャルク・カーンをしっかりと目に焼き付けていたわけです。

22時をまわった頃には座席にパラパラと空席ができはじめ、いよいよクライマックス、エンディングが近づいてきたころには、椅子の上に立ち始める人も。
そんな彼らの耳に「ショバイ ボシェン」の叫びも届かなくなったころ、私たちも椅子の上に立ち上がって、手を振り腰を振り歌って踊りだし…最後の「オーム シャンティ オーム」は、さすがに大ヒット曲だけあって盛り上がりました!

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-エンディング
♫ オーム シャンティ オーム ♪

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-会場の惨状
最後は会場もこんな状態。


実況中継されていたテレビで見れば、家でゆっくり、もっと大きく鮮明なシャルク・カーンを見ることができたはずですが、でもやっぱりライブにはかなわないですね。
特に、テレビには映らないリアルな会場の空気を感じることができたのも楽しかったです。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-山積みの椅子
帰るころには山積みの椅子も…

最後に…会場前道路の反対車線で友人の車を待っていると…前後を2台のBMWに挟まれた黒い三菱パジェロが目の前を通過。
なんと、シャルク・カーンを乗せた車だったのです!!!
こっちに手を振っていて、顔こそ見えなかったけれども、私はシャルク・カーンの手を拝むことができたのです!

ありがとう、シャルク・カーン!!!
アバール デカ ホベ (see you again)


日本ではペーパーゴールド免許だった私が、ここダッカで少しずつ運転をしている。
朝の通勤はドライバーのイドリスを助手席に座らせて。エアロビへのアクセスは自分一人で。
自分でも信じられないことだけれど、やっぱり自分で運転できないと何かと不便なことが多いのだ。
車がないが為に、運転ができないがために、どこへ行くにも誰か連れて行ってくれる人を待たなければいけないなんて…私には到底我慢できない。
つまりこれは、自分自身の自由獲得のためには避けて通れない道だったわけだ。
かねてから自分で運転できるようになりたいと思っていた私にとては、これは天から与えられたチャンスと心から感謝している。


「ダッカで運転ができれば、どこに行っても運転できるよ」

今までに何度もこんなせりふを耳にした。
確かに、、、、狭い道に車とリキシャとCNGと人がひしめき合うダッカ、一応の交通ルールはあっても交通マナーが浸透していないダッカでは、日本では心配する必要のないような様々な状況を想定して運転しなければならない。

道路を見れば、所々に穴が空いていたり、崩れたアスファルトがそのまま転がっていたり、その上を通ったら確実にタイヤがパンクするようなエッジのきいた金属が飛び出ていたり。
実際ここではタイヤのパンクは想定内の出来事で、スペアタイヤとタイヤチェンジの機具は必需品。
JAFのようなロードサービスなんて無いから、みんな当たり前のように自分でタイヤチェンジをしている。

また、道を走っていると所々で通りを横切るように道路が10~15センチほど隆起していて、そこでは必ずスピードを落としてゆっくりとまたいでいかなければならない。
これはスピードブレーカーといって、あえてスピードを落とさせるための対策で、インドでも同じものを見かけた。
安全対策としてはいいのだけれど、短距離間隔で隆起しているとちょっと面倒な上に、うっかり見落としていしまうと急ブレーキを踏むか、ガタンッと車内に大きな衝撃がはしることになる。


そんなダッカでは独自の、暗黙のルールがうまれているようだ。

例えばクラクション。
ここでは、ビービー、ブーブーという車のクラクションの音が耐えることがない。

「おいおい、なにノロノロ運転してるんだ~!」
「テメエ~、どこに目付けて走ってやがるんだ~!」
「オイ、ひき殺されたいのか~!」

このブービー音は、そんなドライバーの怒りと叫びだと思っていたのだが、、、、実はそれだけではなかったのだ。
道路では端から端まで車もリキシャもCNGも人も無秩序に縦横に走っているため、このブービー音は自分の存在を知らせ、相手に注意を促すための警報でもあったのだ。

追い抜く時は、「今から追い抜きますよ~!」ブッブー!。
追い抜いている最中にも「今まさにあなたの横を追い越していますよ~!」ブ~~~~~~~~~~~~~~!!!。
時にはどちらも譲らずに、お互いにブ~~~~~~~~~!!とクラクションを鳴らし続けながらせめぎ合うことも。特にバスのドライバーは運転が荒い上に、道を譲らない。
人やリキシャに対しても、「ハイハイ、ちょっと端に避けてね~」という合図を送ったりする。
基本的には車が一番強く、次いでCNGときて、人やリキシャは道路脇にずれて道を譲るようになっているようだ。

はじめはクラクションを鳴らすことにためらっていた私も、逆にクラクションで相手に合図を送らない方が危険だということが分かってからはすっかり多用している。
日本だったら控えめにクラクションプッと鳴らしただけでも睨まれるところだが、ここでは万が一接触事故や人身事故でも起こしたらそれこそ大騒ぎになってしまう。
ドライバー同士がもめ合っているといつの間にか観衆が周りを取り囲み、関係ない彼らも勝手にヒートアップして殴り合いになったり…ということもあるらしい。

一番びっくりしたのは、「万が一人をひいてしまったら、車を捨ててでもとにかく逃げろ!」という共通認識。
周りの人々が次から次へと集まってきて、事故を起こしたドライバーを引きずり出して殴る蹴るの暴行を加えるのだそうだ。例え自分は運転していなくても、ヒートアップした人々は何をするか分からないから、とにかく逃げなければいけないのだと、皆が口を揃えて言う。
「そんなの“ひき逃げ”じゃない!」と反発すると、
「良心を優先するか、自分の命を優先するか…」とドライな回答が返ってくる。
でも、それが現実なのはどうやら事実らしい。

それから、ある程度道が混み合っている時には、車線変更の度にいちいちウィンカーを点滅させない…というのも暗黙の了解のようで、どうやらルールブレーカーの多い場所では、それなりのきちんとした新しい交通ルールができてくるということらしい。

そんなダッカでの運転をこなしていれば、度胸もテクニックもついてくるのは確実だろう。
ただし、このルールが体の芯までしみ込んでしまったら、日本に帰ったときにはマナーの悪いドライバーとして周りから睨まれることになるので注意しなければ。

ちなみに、先日イドリスからは運転のテクニックをほめられた。
「後は、このダッカの交通事情を理解して、もっと慣れればすぐにいいドライバーになる!」と太鼓判を押してもらって、一気にモチベーションアップ☆
ありがとうイドリス!!!

バングラの車事情あれこれ…はまだあるけれど、それはまた次の機会に。
今日午後3時過ぎだったろうか…我が家のコックさんボシルの奥さんが男の子を出産した。

彼は昨夜、明日にも帝王切開が必要だとの連絡を家族から受けたらしく、今日は朝からそわそわしていた。
もともと12月が予定と言われていたので、彼は11月のイード休暇をとらずに、奥さんの出産に合わせて休みをとることになっていた。
だから、今日は午後のランチが終わったら帰ることになっていて、まさに今から出るという時に出産の連絡を受けたようだ。
ボシルがお父さんに…なんだか信じられないなぁ。

ここでボシルについてちょっと紹介。

歳は28歳くらい。(本人も正確な歳を知らない)
コック歴5~6年。
我が家では主に南インド料理を作っているため、バングラ料理を作らせると、半バングラ半南インド風の中途半端な料理になってしまう。
おだやかでだけどちょっと気が弱い性格のため、物を盗んだりすることがないので、セキュリティ面では安心できる貴重な存在。
ただ、、、、そうとうレベルの高い天然というか、、、、一度言ったことを、いや何度も言っていることをすぐに忘れてしまうのだ。
いつもぽわ~んとしていて、ふわふわと漂っているような感じ。
そんなだから、家の者から怒られることも多々あり、その度に黙り込んでしまい、目が泳いで若干挙動不審ぎみになる。
以前、「怒られたら、とりあえずごめんなさいって謝ればいいんだよ」とこっそり耳打ちしておいたのだけれども、それもすっかり忘れてしまったのか、今でも怒られると口をぷっくりと閉じたまま目を泳がせているのだ。

さすがに何年も料理を作っているため、料理の腕はいいと思う。
ただ、毎日の食事メニューを自分で考えることができなくて、毎日毎日「今日のランチは?」「今日のディナーは?」と確認してくる。
また、自分でアレンジして新しいものを作ってみようというモチベーションがない、というか考えられないらしく、新しいメニューを教えない限り4~5日くらいのルーティーンで同じ料理を作り続ける。
同じ味にすっかり飽きてしまい、この私がやむなくキッチンに立つこともあるほどだから、そのワンパターンぶりは想像に難くないと思う。
ちなみに、キッチではお互いの料理の作り方を観察し合って、「この味どうかな?」と相談できたりするので、私にとってはいてくれてありがたい存在だ。

そんなボシルがお父さんになったのだ。
うちでのボシルだけを見ていると、なんだか想像ができないけれど、それでもきっといいパパになっていくのだろう。。。。と願わずにはいられない。
今朝は少しゆっくりと7時過ぎに起きて、バルコニーで音楽を聞きながら久しぶりにグリーンティーを服した。
最近は朝晩はすっかり肌寒くなってきて、寒がりな私はちょっと長袖を羽織ることもあるのだけれど、そのちょっと鳥肌が立つ感じを楽しみたくて、今朝はTシャツのままでバルコニーに座っていた。
向かいのビルの角から太陽が顔を出して、日差しが目にまぶしいくらいになってくると、ポカリポカリと心地よく体があたたかくなってくる。

そんな朝ののどかなひとときを満喫してから、私は簡単な朝食をとって外出した。
例のタイ人のジムで、朝一のエアロビレッスンに参加してきたのだ。

生徒は私の他に6名。
朝のクラスということで30代後半~50代の主婦が多く、最年少の14歳くらいの少女は、お母さんとそのまたお母さんの3世代に渡って一緒に通っているそうだ。

テンポのよくビートのきいた音楽が流れてきて、いよいよレッスンスタート。

まずは首の前後左右運動、手足や腰をまわして体全体をほぐしていく、いわゆるウォーミングアップの基本から入っていく。
そこから少しずつテンポアップしていき、前後左右にステップを踏みながら手を上下左右に動かす。

それにしても、先生のカウントはやたらに早い上に、音楽のリズムとは関係なくカウントのテンポが変わったりするから、どれに合わせたらいいのか分かりにくい。
周りを見ていると、みんなもなんとなく合っているようで合っていない。
なるほど、そういうことか。。。と途中から私も、音楽、先生のカウント、周りの人たちの微妙に異なるテンポとリズムに惑わされないように、自分のペースで動き始めた。

私はエアロビのことはよく分からないけれど、手足の動きは時々ねじりが加わるくらいでほとんどの動きが直線運動で、螺旋運動はあまりないようだ。
約4ヶ月のギャップがある私にとっては、脚を鍛えるにはいいエクササイズになるかなぁなどと、できるだけポジティブに発想を転換しながら、自分なりに脚腰やタンデンを意識たり、できるだけ踵を浮かしてトウ立ちしながら動いてみた。
そして、日本で習っていたダンスの先生(マサコ先生)の動きを思い浮かべながら、手先やつま先まで意識して、足腰は強く、上半身は開放的に…と、自分の世界で動くように心がけてみた。

途中のブレイクを挟み、後半はマットを敷いてのストレッチ運動。
先生の体は意外にもあまり柔らかくなかった。
そうして、そろそろ終わりの時間も近づいてきて、
「ふ~ん、もうこれで終わりか。結構あっさりしてるなぁ」
なんてちょっと余裕をかましていたら、最後の最後にやたらと長い腹筋運動が待っていた。

普通の腹筋から、片膝ずつ立てての腹筋、寝た状態で脚を上げてキープしたりまわしたり、ありとあらゆる腹筋運動を一番最後に組み込むなんて、食事のコースならぬ運動のコースに反しているじゃないか!
途中でギブアップしているシニアのおばさまたちもいる中、初日の私には容赦なく「もう終わり?ほら、もっと続けて!」と静かな、挑戦的ともいえるな喝が飛ぶ。
でも、14歳の少女を含む2人の生徒は、そうとう強い腹筋が鍛えられているようで、腹筋がプルプル震えてペースダウンしている私の横で、余裕な顔して腹筋運動を楽しんでさえいるようだった。
これがトレーニングの成果かぁ。
私もこれを続けていれば、ずっと気になっていた腹筋背筋のコンディションは保つことができるだろう。

そうして、約1時間のレッスンは終了。
はじめは、鏡に映ったエアロビをする自分を見ながらなんだかおかしくて吹き出しそうになったけど、とりあえず少ない選択肢の中で体を動かせる場所を見つけたわけだから、しばらくは続けてみようと思う。

ちなみに、レッスン終了後は、先生による体重、バスト、ウエスト、ヒップ測定を受ける。(2~3週間ごとらしい)
肥満気味のバングラデシュ人にとって運動の目的は、やはりダイエットにあるのかもしれない。
私は、日本ではいたって標準体型で、生まれてこのかた「細いね」なんて言われたこともなかったけれど、ここバングラデシュにいると「あなたは細くてスタイルがいいわね」とよく言われる。
そう言われると決して悪い気分はしないが、その言葉に惑わされてはいけないということも重々承知している。
私のオフィスでは、毎日のお昼は各自持参していて、大抵みんな家からお弁当を持ってくる。
ランチタイムは12時半からの1時間で、12時半になると同時にみんなが冷蔵庫に駆け寄ってきて電子レンジの前にお弁当箱の列ができる。
出遅れて列の最後になってしまうと、1時近くまでお昼にありつけない上に、なんとなく時間に追われるようでゆっくりとできないこともある。

さて、みんなのお弁当箱の中身はこんな感じ。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ターメリック弁当


これは食べる前の状態だけれども、白いご飯の他が基本イエローベースになっているのが分かるだろうか?
この黄色はターメリック。
ダールスープやチキンカレー、野菜炒めや魚のフライ。。。全てにターメリックやその他のスパイスがミックスされているから、料理の色は大抵オレンジ寄りの黄色から茶色のグラデーションの間を行ったり来たりしている。
そして、食べる時にはご飯の方に黄色い料理を混ぜて食べるものだから、白かったご飯もほんのり黄味がかって、どのお弁当箱をのぞいても同じような色をしているのだ。
彼らはインド人よりもターメリックを多く使うらしく、食後の指の色を見るとバングラデシュ人の指のほうがインド人よりも黄色く(オレンジ色)になっている。(←インド人曰く)


それから、これも文化の違いのひとつと言えるのだろうか…各自が持ってきた料理を人にあげたり逆にもらったり、ということが頻繁に行われている。

「それ何?ひとつちょうだい」
「あっ、ダールスープ?ちょっとこっちにも分けて」
「このビーフおいしいよ。ひとつ食べる?」
「これ、この前のコルバニイードで僕がカットした羊の肉。食べてみて」

といった具合に、隣のお弁当箱にフォークを伸ばしている光景は毎日のように目にする。
日本だったら、せめて食べ始める前か、まだお箸を付けていないところをどうぞ…といった感じに自然となるのだろうけれど、こっちでは、食べている途中でも、ご飯とおかずがミックスされてお弁当箱全体がカオス状態でも、気にせずに物々交換が行われる。

そういえば、私がよく遊びに行くある友人の家では、「これおいしいから食べてみなさい」と勝手にお皿にのせられたりすることがある。
多少強引ではあるが親切心ということでありがたく受け取るのだけど、ちょっと気になるのは…スプーンがわりに使っているその手で、、、ぐちゃぐちゃとご飯や料理を混ぜた黄色い油まみれのその手で、、、ついさっき食べ物を口に運んで軽くなめていたその手で、私のお皿の上に置いていくことだ。
ただ、考えだすと気になるので、私は何も見なかったことにしてありがたくいただくようにしている。
(もちろん、大抵の人はきちんとスプーンを使って取り分けてくれるのでご心配なく)