Appadiyah* ~ in India ~ -19ページ目

Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

最近、気づいてみたら慣れていたこと…


エルモバングラの殺人的なスイーツの甘さ

 相変わらず「あまいっ!!」と感じるのは確かだが、結構美味しいかもと思えてきている自分にビックリ。そして、時には舌が欲している時も…。

エルモ運転中浴びせられるクラクション

 あまりにもクラクションが多すぎて、自分に向けられているのかも分からなくなってきた。

エルモ毎日鼻の中が真っ黒になること

 街中にマイクロダストが舞っているため、鼻の中はいつも黒い。きっと鼻毛が多くて長い人のほうが喉や鼻を痛めにくいのかもしれない。

エルモエアロビで音楽を無視して刻まれるカウント

 エアロビの先生は、音楽のリズムとは無関係にカウントを数えるだけではなく、4拍子の音楽でも、全ての動きを10カウントずつ取っていくため、変なところで動きが切り替るのだ。最近では私も音楽は単なるBGMとして聞き流すようになった。

エルモ蚊を片っ端から殺すこと

 こっちに来て、異常なまでの蚊の襲撃を受ける。日本でむしろ蚊にさされにくい方だと思っていたのに。。。
 「外国人の血は珍しいからだよ」とか「ターメリックを取るといい」とか色んなことを言われるけれど、基本的にはとにかく肌を覆うか、片っ端から殺していくしかない。正直、以前は蚊一匹殺すのにも抵抗があったけれど、今は一匹でも部屋にいると気になってしかたない。
 蚊に刺されることには決して慣れないけれど、申し訳ないとは思うが蚊を容赦なくたたいていくことには慣れてきた。

エルモ突然のゲストに、部屋着&ノーメイクで出迎えること

 既にシャワーも浴びてすっきりした後や、休日の昼間など、予告なしの(もしくは私だけ知らされていなかった)突然の来客がある。最近ではノーメイクも気にならず、時には頭にタオルを巻いたまま出くわしてしまうことも。

エルモチャイニーズ?コリアン?マレーシアン?インディアン?ネパーリス?チャクマ(バングラの少数民族)?…と第一印象で日本人に見られないこと

 中国人、韓国人、チャクマならまだ分かるけれど、稀にインド人、マレーシア人、ネパール人などと言われることもある。なんでだ?
ショッピング中、日本人というと高くふっかけられそうなので、時にはあえてチャイニーズと答えることもある。


とまあこんな感じで、ところ変われば自然とその環境に慣れていくわけだ。
(もちろん、慣れないこともまだまだたくさんあるけれど。。。。)

以前紹介した、ドライバーのイドリス…
毎日顔を合わせていれば、さすがにお互いのことが分かってくる。

彼は私のところにドライバーとしてやってくる前、約17年に渡ってあるバングラデシュ人家族の家に仕えていた。
その家の管理全体を任されていて、そこの夫婦からは家族のようにとてもよくしてもらっていたそうだ。
しかし、長年勤めたこの夫婦は数ヶ月前にアメリカへ移住してしまったため、イドリスは職を失い、その後自分でビジネスにもトライしてみたのだが、パートナーにだまされて負債をかかえてしまったのだという。(こういうことはよくある話だ)

イドリスの前のご主人というのは医者で、専門は肌と美容整形らしい。
(基本的にイドリスとの会話はベンガル語なので、情報に多少の誤りはあると思うが…)
どうやら若い頃に日本で勉強をしたため夫婦ともに日本語が分かるらしい。

そして、イドリスの仕事というのは家の管理やドライバー業務だけではなかったのだ。
なんと、このドクターのアシスタントとして手術に立ち会っていたというのだ。
それも、毛の移植手術に…。
もちろんイドリスに医師免許なんてないし、それを問う患者もいない。

「私は本当に腕がいかったんですよ!!!」

と嬉しそうに何度も語っていた。

でも確かに、免許なんかなくたって、13年もの間アシスタントを勤めていたら、そりゃあ結構なベテランになるだろう。
もともと技術屋さんていうのは、机上の勉強よりも師匠についてどれだけ経験と実践を積むか!ということの方が大切なものなのだから、本来は資格や免許にこだわるものではないのだと思う。

それにしてもイドリス、そんなに腕のある毛髪移植者ならばどうして自分の毛は移植しないのだろうか?
さり気なくそんな素朴な疑問を投げかけてみると、、、
「私は既に結婚して子供もいるし、毛髪移植なんてする理由もないですから」と。

さて、毛髪なんて気にしないイドリスはこちらです!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-イドリス

私が50歳は超えているだろうと思ったのは、決して検討はずれではないと思うのだけれど。。。。
(実は今でもちょっと疑っている…)

ちなみに若かりしころのイドリスの写真を見たことがあるけれど、毛もフサフサで意外にもなかなかの男前だった。


一日の仕事が終わって車に乗り、渋滞の中をゆっくり進みながら音楽を聴く。

最近は帰りの車でのそんな時間がけっこう好きだ。

エアポートロードに出るころには日は遠くに傾いていて、

時にはすっかり日が暮れてしまうこともある。

街灯の少ないダッカでは、日が暮れるとあたりは本当に暗くなる。

そして、暗闇の中で店の灯りやわずかな街灯が、人やリキシャや木々の輪郭を描き出していて、

そんな中でタゴールの曲なんかを聴くと、車窓から”黄金のベンガル”の映画を見ているような気分になる。

夜のエアポートロードは、車のヘッドライトのオレンジとブレーキランプの赤い色が前から後へ、後ろから前へと流れていって、

車道と並行して走る歩道から向こうは影絵のようで、流れる車のライトがところどころに闇をかすり取っていく。

とはいえ、闇はやってきてもダッカの街に静けさはやってこない。

音楽のボリュームを上げて、流れていく景色を見ていると、その曲に合わせて自分の想いが色んな場所に漂っていく。

それが私の夕暮れ時のダッカの渋滞の過ごし方になっている。
ボシルの失踪から約一ヶ月…ついに我が家に新しいコックがやって来た。

名前はスクマル。27歳。妻子持ち。ヒンドゥ教徒。
コック歴6~7年。
以前はインドはハイデラバード出身の人の家でコックを勤め、その後半年ほどレストランで働いた後、我が家にやって来た。

口癖は「No Problem」(ノー プロブレム)。
「大丈夫です」「分かりました」「OKですよ」というニュアンスのときには、首を横に傾けながらやたらと「OK. No~ Problem」と連発する。


実は、はじめに面接にやってきたのはスクマルの従兄弟だったのだが、彼は家ではなくてオフィスのコックとしての仕事を希望していたらしく、代わりに従兄弟を紹介します、といことでスクマルを紹介してくれたのだ。


結論から言うと、スクマルはとってもGOOD!!

まだ10日ほどだから何とも言えないけれども、印象としては…
真面目で、やる気もあるし、しっかりしている。
料理の方は改善点も多々あるが、前のコックのボシルよりもレパートリーが多いのと、積極的に学ぼうという姿勢がある。
また、バングラのコックやメイドには珍しく、とてもアクティブで、私が思うに仕事がなくエネルギーを持てあましてしまうのが嫌いなタイプ。
料理に対するプライドもあって、料理の味がどうだったかということもよく聞いてくるし、自分のやり方にもそこそこに自信を持っている。

おそらく彼は褒めて伸びるタイプだろうということで、まずはいい点を伝えてから改善点を提案・希望する、といった接し方がいいだろうと夫と話していたところだ。

ボシルがいなくなって私はとても寂しかったけど、でも今はスクマルといういいコックさんがやって来てくれたので、結果的にはよかったのかも。。。

ごめんよ、ボシル…。でも無言で去っていったのはあなたの方なのだ。


ちなみに、スクマルは住み込みのコックになり、週一回の休みの日と、夜ご飯が必要ない日には家族の元に帰って次の日の朝やってくる…というルーティーンだ。

さて、それではご紹介します!

スクマルです!

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スクマル02
なすとトマトのスパゲッティを料理中。


「お~い、スクマ~ル」


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-スクマル01
スクマルです。

毎年1回、イスラム教徒の聖地メッカでの巡礼「ハッジ」に次ぐ大規模な集会が、なんとここバングラデシュ、ダッカ郊外のトンギで開催されている。
開催期間は3日間。
毎年、世界各国からイスラム教徒がダッカにやって来てイスラムの宗教指導者イマームたちの講話を聞き、神に祈りを捧げるのだ。
(今年はパキスタンからイマームが招聘されたらしい)

この3日間、空港前のエアポートロードからトンギまでの大通りは、両車線ともイステマに向かって歩く人々で埋め尽くされ、バスなどの交通機関はストップ。周辺に住む人々は身動きがとれなくなる。
特に最終日はアキリ・ムナジャット(Akheri Munajat)という最後の祈りが捧げられるため、大イベント“イステマ”のクライマックスとなり、そこだけに参加しようという人々も加わって混雑もピークを迎えるのだ。

ムナジャットとは、イスラム教の神アッラーへの祈りを捧げた後に、アッラーにするお願い事のこと。
つまり、「神様、どうか家族が健康でいられますように」とか「神様、どうか娘の大学入試が成功しますように」とか、普段私たちがする“神頼み”だ。
これは、毎日のお祈り(ナマズ)の後にも大抵行っているという。
まず初めにナマズでアッラーへの忠誠、敬意を示し、その後に個人的なお願いをするということだ。

さて、今年2011年はこのイステマが2週間に渡って開催される。
(21日~23日と28日~30日の計6日間)
混雑を避けるためなのか、国内外から更に多くの巡礼者を招き入れるためなのか、とにかく今年が初の試みということだ。
渋滞などで一番被害を被るここダッカ市内では、イステマが2回にわたるということで混雑の具合が予測できず、何日も前から仕事のスケジュール調整や行動を決められずにいた。
学校やバングラデシュ企業、巡礼道の周辺地区の会社などは大抵休業となるのだけれども、外資系企業や一部のローカル企業では通常通り営業をしているところもある。
私のオフィスも、私を除くスタッフ全員がグルシャン地区か、グルシャン以南に住んでいるため、通常通りの営業と決定。
イスラム教徒が大多数を占める中でのこれだけのビックイベントなのだから、いっそのこと国の祝日にしてしまえばいいのに。。。。


イステマ第一週目。1月21日(金)、22(土)、23日(日)。
休日の金、土ともに空港からトンギへ続くエアポートロードは、いたって普通だった。
アキリ・ムナジャットが行われる最終日23日…、朝はいつもより少し早めに家を出たために車はスムーズに流れていたが、前の2日間と比べるとリキシャやリヤカーなどでトンギへ向かう人々の数が増えていた。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-イステマの朝
リキシャを逆立ちにして道路をブロック中。
朝早かったのでまだ混雑はしていなかった。


エアポートロードは通常リキシャの通行を禁止しているのだが、この時ばかりは通行を許可されて、通常の何倍もの料金で荒稼ぎをしていたようだ。車はほとんど見られず、まるで歩行者天国。

しかし、朝も9時を過ぎたころには、午後12時半からのアキリ・ムナジャットに向けて巡礼者が増え、両車線ともに人々が波となって北へ北へと移動していき、アキリ・ムナジャットが終わった午後2時から4時ころにかけては、逆波となって空港方面に戻っていったそうだ。

イステマの影響をもろに受けるため、夫の会社は休みに。
私に変わって、混雑状態の写真を撮ってる来るようにと、しばらく使っていなかったニコンの一眼レフを渡しておいた。
結構しっかりと撮ってくれていたので、ここでちょっとご紹介。
ちなみに、これはうちから出てすぐの道路です。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-イステマ01
エアポートロードは、トンギへ向かう人で埋め尽くされている。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-リヤカーファミリー
リヤカー(?)で移動する家族。
このようなリヤカーみたいな乗り物に人や毛布、調理道具を乗せている人も多々見られる。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-壁歩き
車線を仕切る塀の上を平均台のようにして歩く人も。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-バス引き01
イステマが終わり今度はトンギ方面から引き返してくる人たちの波。
遠くにバスが見える…


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-バス寄り02
バスの上にもこんなにたくさんの人が…


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-RAB
RABという軍隊(?)も。。。
おそらく会場の警備にあたっていたのだろう。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-バス飛び乗り
バスに飛び乗る人たち。
実は、これはごく日常的な光景。
こっちの路線バスは、道で走りながらバスの車掌みたいな青年が行き先を叫んでいて、乗りたい人はバスに近づいていって飛び乗る。
大抵は渋滞なので問題なく乗れるし、道路がすいているときなら徐行してくれるので問題なさそうだ。
私はまだダッカで市バスに乗ったことがないので乗ってみたいなぁ。
ちなみに、大抵バスの前の方の席は女性席、男性は後ろの方に座るようになっているらしい。
日本の電車の女性専用車両のように痴漢防止の意味もあるようだが、そもそもここはイスラムの国なので、やはり男女は分かれるようになっているのだろう。
さすがに普段は窓から飛び乗る人はいないが…。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-満員トラック
トラックにも人がびっしり。

今週はイステマ第二週目だが、今回はどんなことになるのだろうか?


ところで、、、、
これだけのイスラム教大規模集会が、なぜこのバングラデシュで開催されているのだろうか???
それは誰もが疑問に思っていることだ。

結論から言うと、正直なところはよく分からない。

私の英語の先生で現在50歳過ぎのハスピアによると、彼女がまだ幼い子供だったころ、彼女のおじいさんは年に一度ある時期になると、イスラムの集会があるからと言って家を留守にしていたという。
それがこのイステマなのだけれど、当時はもちろんこんなに大規模な集会ではなかったという。
彼女の記憶では、1980年代になってから、少しずつ海外からも巡礼者がやってくるようになったらしく、おそらく噂が噂を呼んで今のような大集会に発展していったのではないだろうかということだ。

メッカ巡礼のようにコーランに明記されているわけでもない、独立して40年のアジアの小さな国バングラデシュ。
小さな国で始まった、小さな渦が世界を巻き込んでいく。
旅行者もほとんど来ないこのバングラデシュで、イステマはまさしくイスラム教徒の巡礼の台風の目となったわけだ。



Appadiyah* ~ in Dhaka ~-イステマの後で
大通りから離れてゆったりとリヤカーに揺られる初老のムスリム。。。





我が家の外はいつもこんな感じでライトアップされています。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ライトアップ外観

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ライトアップ外観02

毎日がクリスマスのようでキレイでしょ?


というのは嘘で、、、、、これは結婚式のためのライトアップ。

同じアパートの3階の家の娘さんが結婚するということで、2週間くらい前からこのライトアップ作業が進められていき、道路に面した壁面には屋上からはこのライトに覆われていくのです。
12月、1月はバングラデシュの短い貴重な冬にあたるため、みんなが暑い季節を避けて結婚ラッシュとなります。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-作業中
飾り付けの作業中。


なぜ家を飾り立てるのか…

それは伝統的なバングラデシュの結婚式のプロセスのひとつだからです。

バングラデシュでは、お見合いにしても恋愛結婚にしても、両家の家族の了解をえたらまず婚約をします。
そして結婚式の2日前に、ガヤ・ホル(別名メヘンディ・ナイト)といって、花嫁の手にメヘンディで衣装を施し、体にはターメリックを塗ったりするのですが、このメヘンディ・ナイトは通常花嫁側の自宅で行われていて、そのためにこの写真のように家をライトアップするのです。

そして、ガヤ・ホルの2日後に結婚式があり、その後にレセプションパーティ。
結婚式とレセプションパーティの違いはよく分かりませんが、結婚式の方は花嫁側が全てアレンジして、レセプションんパーティは花婿側がアレンジするとのこと。(アレンジとはもちろん出資も含めて)

そんなわけで、こんな風にライトアップされた家やアパートを見かけると、その家の誰かが結婚するのだというのが一目で分かるわけです。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-バルコニー

家の前だけではなくて、屋上から下までライトを垂らしていくものだから、我が家のバルコニーもこんな感じでその恩恵にあずかれるのです。

夜、外を見るとたくさんの小さなライトがキラキラと光っていて、なんだか本当にクリスマスのようで気持ちがあたたかくなります。
「あ~、このままずっとライトアップしていてほしいなぁ」
との願いもむなしく、今ではすっかり元の普通のアパートに戻っていますが…。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-階段01

ガヤ・ホルは屋上で行われ、屋上へ続く階段もこんな封にライティングされてとってもきれい。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-階段02


屋上からは周りの住民の迷惑なんて関係なく、夜中までガンガンに音楽が鳴り響きます。
実は2週間ほど前から、昼間毎日のように音楽がガンガンと流れていたらしく、どうやら若い女の子たちがダンスの練習をしていたとのこと。
(パーティのための練習だったのだろうか…?)

ガヤ・ホル当日…私は招待もされていないのに、部屋着姿でちょっと覗きに行ってみました。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ガヤ・ホルドゥ
ソファの中央に座っているのが花嫁。(小さくて見えないけど…)

この花嫁さん、エレベーターなどで何度か見かけたことがあったのだけれど、かなり気の強そうな上に体格もよく、他人事ながら旦那さんがちょっと心配。。。。。
まあ、よそ様の家の事情はフタを開けてみないと分からないし、そもそも本当の中身なんて誰にも見ることができないわけだけど。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-メヒンディ
これがメヘンディ(ヘナ)。

このメヘンディを剥がすと、濃いオレンジ色がこの模様のまま手に残ります。
メヘンディの色が濃ければ濃いほど、そして長く色が残るほど、花嫁は夫から愛される…と言われているそうです。

ちなみに、こっちのお見合いとはこんな感じらしい…。

両家でお見合いの話が出ると、まずは日時と場所を指定してショッピングに出かけるのだそうです。
カフェやレストランで軽く食事でも…というのではなく、ショッピングをするような普通のお店で若い男女は顔を合わせる。しかも親や親戚、又は紹介人同伴で。
そこで二人は少しの間会話をして、お互いに相手を見ます。お互いに気に入ればそのまま結婚へと話が進み、どちらか一方でも気に入らなかった場合は白紙に戻すという、まあその辺は日本のお見合いと同じです。
もちろんこんな風に息子や娘の拒否権もなく、親が決めた相手と当たり前のように結婚する人もいるようですが…。

最近では、ダッカではとくに恋愛結婚も増えてきていますが、それでもかつての日本のように、親の決めた相手なら…ということで子供の方にもまだまだ受け入れ態勢があるような気がします。

髪の薄い人はちょっと…とか、冬なのに汗タラタラ流している人はちょっと…とか、趣味が合わないとか、顔が嫌いとか……きっとそういうことはあまり考えないのでしょう。

それよりも、親同士が決めた相手であれば、生活のレベルも同じくらいだろうし、どこの誰とも分からない人と一緒になるよりもリスクが少ない…そして親が選んだ相手ということは親も納得の上なので、結婚後の関係もスムーズに進むというわけです。
今でも、相手がどんな人であるかに関わらず、自分の娘が恋愛結婚をするということに対して抵抗感を持っている親は結構いるようで、私の知り合いにも「彼女の両親が許してくれない」とか、「彼女と駆け落ちして結婚して、今でもまだ彼女の両親からは受け入れてもらっていない」という人がいます。

バングラデシュも日本同様に、結婚は家と家との結婚なので、やはり両家の合意というのはとても大切にされているのです。
これはやはり西欧にはないアジア独特の文化・風習なのでしょう。
家族や文化、風習を重んじることはしばしば保守的と解釈されることもあって、この“保守的”という言葉の響きは現代社会においてはマイナスなイメージを連想させますが、でもまあ、それが一概に悪いこととも言い切れないように思います。

西欧のような個人主義も、アジアのような家族主義もそれぞれ一長一短あって、私としてはどちらかの価値観にしばられるのではなくて、うまいことバランスをとっていければなぁ…と思います。

ここ数日のダッカは寒い。

一昨日の夜中から明け方にかけては、5度くらいにまで下がったらしい。

とはいっても日本の冬ほど寒くなることはないし、本当に寒い時期は長くて2ヶ月ほどなので、基本的にどこの家にも暖房はない。

可動式の小さなヒーター(暖かい風がでてくる)はあって、昨夜は一晩中そのヒーターをつけてねていたのだけれど、どうも効いている感じがしない。

$Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ヒーター
こんなに小さいヒーター。ちょっとは効いてるのかな。。。?


そもそも、レンガにセメントの壁とタイル貼りの床が主流のバングラでは、どうしても部屋の中は冷やりとする。

外で働くリキシャワラや、道路はしでチャイや服を売る人たち、セキュリティーガードたちは、頭にマフラーをまいて防寒している。

私も、先には毎朝車の暖房をつけていて、暖房のない家よりも車の中のほうがずっと暖かくていい。

日中は15度くらいまで上がっているみたいだけれど、たいてい私はオフィスの中にいるので、よく分からない。

でも、この寒い日々もあと一ヶ月もすれば終わってしまい、2月半ばあたりからはまた急激に気温があがり一年で一番暑い季節(3月~6月くらい)に突入していく。

だから、今のうちに貴重なダッカの冬を満喫しておこうと思う。
うちの会社の日本人スタッフは、私を含め全員O型かAB型だということが判明した。

以前日本で勤めていた会社の同じ部署のスタッフも、そういえば社長を含めてO型とAB型の構成だった。

O型とAB型は仕事のパートナーとしてはとてもいい組み合わせだと聞いたことがある。

私個人的には、とても近くでお世話になる人はO型が多い気がする。(特に先生にあたる人など、私が指導を受ける立場になる場合に)

とは言え、何型の人が苦手とかいった意識はまったくなく、広く友達を見渡してみれば、やっぱりA,B,AB,Oと雑多に入り交じっている。

だったら何が言いたいのだ、と言われてみれば、
まあ、特に何が言いたいというわけでもなく…
ただ、ふと気づいてみたらなんとなく表れている"現象”、知らず知らずのうちにおこっている“傾向”ってあるよねぇ…という話でした。
12月1月は結婚式ラッシュだ。

私も昨日は友人の知人の娘の結婚パーティに行って、明日は私の日本人の友達の結婚式(相手はバングラデシュ人で二人とも日本在住)。
今月末はザマンの娘の結婚式に呼ばれているため、シレットまで行く予定だ。

ここバングラデシュでは、結婚式によく知らない人がいる…ということがよくある。遠い親戚やその知人、そのまた家族や友人だったりすることもあれば、私のように外国人を連れてパーティに訪れる人もいる。
場所によっては、まったく知らない人が飛び入りでやってきてご飯だけ食べて帰る…ということもあるようだ。

そんなわけで、先日も私は友人ジュエルの友人の娘の結婚式に行ってきた。
きちんとした知り合いに誘われて行ったのは確かだけれども、まあ言ってみれば夕食を食べに行ったようなものだ。

夫のもとにジュエルから「すごくゴージャスなパーティだから見においで」との連絡があったらしい。
場所はシャルク・カーンが泊まったRadisson Hotelの広間で、どうやら新婦の父は手広くビジネスを展開している人でそうとうのお金持ちのらしい。

「ほ~ほ~、そんなお金持ちの結婚式とはいったいどんなものだろう」

と興味があったので行ってみることにした。

招待状もなかったけれど、ジュエルと一緒だったこともあって普通のセキュリティチェックでパスできた。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-MGP-イメージ01

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-MGP-引き
結婚式はこんな感じ。



バングラデシュでの結婚式には珍しく英語の音楽が流れていて、たったそれだけなのになんとなくバングラデシュ的な要素が少し剥がれ落ちている感じがした。(もちろん彼らはあえてウェスタンのテイストを盛り込んでいるのだろうが)
でも、音楽の力ってやっぱり大きいなぁ…。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-MGP-ケーキ
ステージに大きなケーキが運ばれると、
親戚や親しい友人たちが集まってきて、
フラッシュがパシャパシャパシャッ!!


さすがにお料理はとてもおいしかった。(ビュッフェ形式)
こっちの結婚式ではマトンのビリヤニが出ることが多いような気がする。。。
(ビリヤニ:ライスと肉や野菜とスパイスが混ぜ合わさった、言ってみれば混ぜご飯やチャーハンの部類に入るもの)
イスラムは豚は食べないし、チキンよりは豪華なお肉で牛ほど高くなくい(またはヒンドゥ教徒への配慮)けれども四つ足動物の赤い肉…というとマトンに落ち着くのかもしれない。
日本だと、羊の肉は臭みがある…といってあまり食されていないが、ビリヤニやカレーなどスパイスと絡めて調理してあるせいか、臭いはまったく気にならない。むしろ、私はマトンビリヤニもマトンカレーもとても好きだ。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-料理
ビュッフェ形式で、サラダからメインのビリヤニまで一皿にまとめて持ってきた。
(ちょっとピンぼけしてるけど)

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-MGPイメージ壷

新郎新婦側ともに全く面識のない私たちは、デザート、コーヒーと別腹もしっかりと満たしたところで挨拶もせずに退散。

ご飯だけ食べて帰るなんて…と思う人もいるかもしれないが、実はバングラの結婚式はけっこうみんな感じなのだ。
友人の結婚式に参加したって、食事が済んだらチラホラと人が帰り出すというのもごく普通。
だから、人の集まりが悪いときなんかは、みんなが帰らないようになかなか食事を出さないでじらすこともあるくらいだ。


さて、そのパーティから2日後、再びジュエルから電話があった。
「今日は○○○でこの前の二人の結婚パーティがあって、インドのボリウッドからもダンサーたちを呼んで、歌って踊っての盛大なパーティだから絶対に来たほうがいい!!明日もやっているから今日が無理でも明日は来た方がいい!」と。

何!!???ボリウッドのダンサーたち??

とっても興味があったのだけれど、残念ながら、私たちは2日間ともそれぞれ予定があったので参加することはできなかった。
この結婚式のためには相当な資金が投じられたらしいので、それがいったいどんなものなのかちょっと見てみたかった。

それにしても…こっちのお金持ちはやることは本当に派手だなぁ。
新年明けましておめでとうございます。
日本から送れること3時間、私もバングラデシュ、ダッカで新年を迎えました。
年は超したものの、ダッカに来てからの月日を計算するとまだまだ5ヶ月ちょっと。
月日が経つのは速いような、遅いような……でもやっぱり速いのだと思います。
日本にいる友人・知人の皆さんには、ひとり一人ご挨拶メールを送っていませんが、この場を借りて…
昨年はお世話になりました。そして、今年もまたどうぞ宜しくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

さて、12月31日大晦日の夜は、いくつかの案があったけれども結局Radisson Hotelのイベントに行ってきた。

この日Radissonでは合計5~7つのイベントやパーティが行われていたらしい。
というのも、バングラのホテルでは、ホテルの敷地内のパーティ会場やクラブなんかを貸し出していて、そこでプライベートパーティを主催することができるようになっていて、週末の夜とか何かの記念日なんかにはそういうパーティが行われている。
これはあくまでもプライベートパーティということで、基本的にホテル側は関与していないため、売春目的の女性がCNGで乗り付けてきたり、会場内がディスコ状態になって酔っぱらった若者たちの出会いの場になったりと、ちょっとしたハプニングパーティになることもあるらしい。

私たちが参加したイベントもプライベートパティで、テニスコート付近に一時的に設置された、ちょっと大きめの、でもいかにもテンポラリーな作りのクラブ(ディスコ風?)みたいな雰囲気の会場で、ファッションショーやライブが予定として組まれていた。

夜8時半ころに会場に到着すると、ホテルの駐車場はすでに満車。(そりゃ5つも7つもパティがあればそうだろう…)
先に到着していた友人Kが私たちのもとにやってきて、駐車場所をなんとかアレンジしてくれようとした。彼はドライバーの運転で来てすでにドライバーを家に戻していたのだ。


警備A「ホテル内は満車だから、車は外に止めなさい!」
K  「でもあの車は駐車禁止場所に止めているじゃない」
警備A「あそこは○○○○(どうやら偉い人)の車だからいいんだ」
K  「この車(私たちの車)もVIPなんだよ」
警備A「ん…」
K  「ここにもVIPがいるんだよ」(説明するまでもないが嘘)
警備A「ん…じゃあ行きなさい」

(えっ?マジで?信じたの????)

みんなが「やったね」という感じで遠慮なく駐車しようとしていると…

警備B 「おい、そこは駐車禁止だぞ」
K   「あの警備員がここに止めろって言ったんだよ」
警備B 「ダメだ、ここはVIPだけなんだ」
K   「でもこの車にもVIPがいるんだよ」
警備B 「何を馬鹿なことを言ってるんだ!ほら行け!」

ここは断念して少し移動。すると赤いコーンで駐車禁止と仕切られた場所発見。(いつもは駐車可能場所)

警備C 「ここは駐車禁止場所だから他へ行ってください」
夫   「でもこんなに場所があまっているじゃないか」
警備C 「すみません、今日はここは駐車できないんです」

Kが登場。。。彼は、さりげなくでまかせを言って不可能を可能にしてくれるところがあるのだ。

K   「この車にはVIPがいるんだ。こんなにスペースが空いているんだからそこの赤いコーンをよけてくれないかい?」
警備C 「VIP?ん~」
K   「頼むよ。。。」 Kが100TK(約120円)を差し出す。
警備C 「OK。じゃあその車の横に止めてください」

(えっ?マジで?信じたの?それともやっぱりグシュ(賄賂)?)

ということで、Kのおかげでなんとか駐車はできた。
ちなみに1時間後には、駐車禁止の赤いコーンは全て撤去されて車がびっしりと駐車されていた。。。
だったらはじめから解放しておけばいいのに。。。みんなお金を払ったのだろうか…?


9時半をまわってもまだイベントが本格的に始まる気配がないので、私たちはホテルの方に移動してレストランで食事をし、レストラン前のロビーで行われているセクシー・フィリピノ・レディたちのライブを楽しむことにした。
彼女たちは、普段はこのホテルのバーで歌っていて歌も結構歌うまいのだけど、やっぱりセクシーさを売り物にしておいたほうが男性客がよってくるのだろう。
なんにしても、暗闇の中でハプニングパーティのにおいがする最初のイベント会場にくらべたら、こっちのほうがずっと健全で明るく楽しかった。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-NY02
ホテルロビーの吹き抜け。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-NY-ロビー01
いまだにクリスマスツリー、サンタクロースとトナカイのデコレーションがピカピカ光っている。


食事はロビー横のレストランでブュッフェディナー。
久しぶりにスモークサーモンを食べた☆

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ブッフェ
インド・バングラ料理の他にも、イタリアン系やフレンチ系の料理もチラホラ…

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ローストビーフ
ローストビーフ…ただしお肉はちょっとかため。


食事を終えて再びロビーに戻ったときには既に23時半をまわっていたと思う。
そして12時が近づくにつれて人がさらに増えだし、はじめは遠巻きに見ていた人たちも少しずつステージ前まで近づいていった。
私も率先して前へ前へ。
基本的にライブものは近くで見るのが好きなのだ。東京では特にアンデスミュージックが好きで、公園などで見かけると、誰もいなくても大抵目の前のど真ん中に座って1時間でもずっと聞いていたものだ。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-NYLive
イベントを楽しんでいるのか、セクシー・フィリピノのセクシーショットを狙いにいってるのか…


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-セクシーフィリピノ
カメラを構えるとこんな感じでポーズしてくれる。。。。


そして、最後はステージ前まで押し寄せてきて、私も踊って跳ねてじっとりと汗をかいた。


そうこうしているうちに12時まで残り30秒を切り、バンドは終わりかけていた曲のエンディングのフレーズを何度もリピート。12時までなんとかひっぱろとしていたのだ。
そのままの流れで、別の曲に突入する!という選択肢もあっただろうけれど、きっとそこまで打ち合わせをしていなかったのだろう。

そして、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1 …


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-Happy New Year
Happy New Year !!!!!!!!! Yeah !!!!!!!!!!!


上から風船や紙吹雪が落ちてきて、みんなで「Happy New Yeaaaarrrrrrrrrrrrrr!」

気づくと次の曲が始まっていて、みんなさらにヒートアップして踊った。
その後、最初の会場にも移動した。そこではマレーシア人バンドのライブで盛り上がっていて、私たちも少し踊ってから帰宅。
家についたのは2時ころだっただろうか。

除夜の鐘のかわりに、フィリピノとマレーシアンのロックミュージックで迎えた2011年でした。