先々週の土曜日から、
インド・ハイコミッション管轄のカルチャーセンターで
インド舞踊のカタックダンスを習い始めました。
先生はベンガル人の血筋(両親がコルカタ出身)を持ち、
デリーのある州ハリヤーナー出身の女性。
その名も、
モナリザ!!
反射的にクリスチャン?
と聞き返したら、ヒンドゥ教徒でした。
クラスは子供中心の、とてもゆる~い感じ。
イタリア人女性が一人いて、それ以外はおそらく皆インド人かバングラ人かと思われます。
初日は、タットゥカル(?)という基本のステップを習いました。
2拍子、4拍子、8拍子とテンポを変えて、時に手の動きをつけて、
ひたすらとこのステップを繰り返していくのです。
両足首に鈴をつけているので、ステップを踏む度にシャンッ、シャンッ!
この鈴の音がステップやリズムの変化を表現しているのでしょう。
初心者のくせになんですが、
やっぱり習うなら、短時間集中で効率的に習いたいなぁなんて思ってしまいました。
先週、そして今週の土曜日は、
イスラム大集会「イステマ」が開催されるため、
私はクラスに参加できないのですが、
また来週から通って、しばらく様子を見てみようと思います。
※イステマについては去年の記事をご覧下さい。
http://ameblo.jp/appriyah/day-20110124.html
そして、いよいよインド舞踊にはまり出したら、
その時は個人の先生を探してみようと思っています。
昨日、仕事が終わって1階に降りていくと
男たちのにぎやかな(騒がしい?)かけ声が聞こえてきた。
見ると、どこかのオフィスの金庫をバンブーでできたバンに乗せようと、
7~8人の男衆が葛藤していたのだ。
そしてその周りには見物人たち。
(私のドライバーもその一人だった)

彼らは一斉にかけ声をかけながらタイミングを合わせているのだけれど、
よくよく聞いてみるとそれは、
(代表が)なんとかなんとか
(みんなで)オーアッラーー!
なんとかなんとか、オーアッラーー!
なんとかなんとか、オーアッラーー!
つまり、「よいっしょ!こ~らっしょ!」なわけです。
オーアッラーと何でしょう?
「オー、アッラー」
そう、アッラーの神です。
つまり、「おーアッラー(神)よー」
ということなんです。
なんとかなんとかの部分を適当に解釈すると
みんなで一緒に お~、アッラー!
あきらめないで お~、アッラー!
やればできるぞ お~、アッラー!
いいぞいけてる お~、アッラー!
といった感じなのでしょう。
ちなみに、こっちでは、
オーゴーッド!ではなく オーアッラー!
ため息をつきながら オーアッラー!
くしゃみをしたら オーアッラー。。。(又はアルハムドゥリッラ)
あ~、なんで~!!も オーアッラー!
となるわけです。
男たちのにぎやかな(騒がしい?)かけ声が聞こえてきた。
見ると、どこかのオフィスの金庫をバンブーでできたバンに乗せようと、
7~8人の男衆が葛藤していたのだ。
そしてその周りには見物人たち。
(私のドライバーもその一人だった)

彼らは一斉にかけ声をかけながらタイミングを合わせているのだけれど、
よくよく聞いてみるとそれは、
(代表が)なんとかなんとか
(みんなで)オーアッラーー!
なんとかなんとか、オーアッラーー!
なんとかなんとか、オーアッラーー!
つまり、「よいっしょ!こ~らっしょ!」なわけです。
オーアッラーと何でしょう?
「オー、アッラー」
そう、アッラーの神です。
つまり、「おーアッラー(神)よー」
ということなんです。
なんとかなんとかの部分を適当に解釈すると
みんなで一緒に お~、アッラー!
あきらめないで お~、アッラー!
やればできるぞ お~、アッラー!
いいぞいけてる お~、アッラー!
といった感じなのでしょう。
ちなみに、こっちでは、
オーゴーッド!ではなく オーアッラー!
ため息をつきながら オーアッラー!
くしゃみをしたら オーアッラー。。。(又はアルハムドゥリッラ)
あ~、なんで~!!も オーアッラー!
となるわけです。
新年明けましておめでとうございます。
日本から送れること3時間、ダッカでも新年を迎えました。
イスラム暦の新年を祝うバングラデシュでは、1月1日の新年への思い入れは少なく、
クリスマス同様、街ではパラパラと「Happy New Year」の文字が見られる程度で、
外国人や一部のバングラデシュ人がパーティなどへ出かけて盛り上がる…といった感じです。
私と夫は、今年はグルシャンにあるWestin Hotelのプールサイドのバーベキューディナー&DJパーティへ。
グルシャン、ボナニなどの中心地では毎年若者たちの暴走、過激な行動が予測されるため、
いたるところに警官がたち、いくつかの道路はブロックされていました。
19時~23時まではバーベキュ&ビュッフェで、
駆け出しっぽい二人組のギターユニットが洋楽を弾きがたっていたのだけれど、
曲のレパートリーが少ないのか、1時間もしないうちにまた一から同じ曲が流れ始めました。



日本が新年を迎えてから実家に電話をかけてみました。
どちらかというと、最近では夫と話すのがすっかり楽しみになっている母と夫のために(笑)。
23時を過ぎるとDJがテーブルをまわし始め、
しばらくの間は、ぽっかりと空いたダンススペースの周りで皆が控えめに体を揺らしている程度だったのが、2組のカップルによってその沈黙は破られて、皆が次々と音楽に合わせて激しくビートを刻み始めました。
23時59分から10秒刻みでカウントダウンが始まり、ラスト10秒は恒例の
10,9,8,7,6,5,4,3,2,1…Happy New Year !
で2012年元日を迎えたのでした。
私たちはその後30分ほどでWestinを後にして、バリダラにあるアミンの家へ。
すっかりまったりムードのアミン、ナシマとそこに居合わせた知人に
Shubo Nobo Bochor! (ベンガル語のハッピーニュイヤー)
と新年の挨拶をして、帰宅したのは午前2時近く。
さて、今日は日本食ストックボックスにあった、お餅、お赤飯の素、水をいれて作れるというお汁粉の素を使って、ちょっとでも「和」の気分を味わうとしますか。
それでは皆さん、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

ホテルの外に出ると、新年を祝う人を取材に訪れたカメラクルーが外国人を中心にインタビュー。
日本から送れること3時間、ダッカでも新年を迎えました。
イスラム暦の新年を祝うバングラデシュでは、1月1日の新年への思い入れは少なく、
クリスマス同様、街ではパラパラと「Happy New Year」の文字が見られる程度で、
外国人や一部のバングラデシュ人がパーティなどへ出かけて盛り上がる…といった感じです。
私と夫は、今年はグルシャンにあるWestin Hotelのプールサイドのバーベキューディナー&DJパーティへ。
グルシャン、ボナニなどの中心地では毎年若者たちの暴走、過激な行動が予測されるため、
いたるところに警官がたち、いくつかの道路はブロックされていました。
19時~23時まではバーベキュ&ビュッフェで、
駆け出しっぽい二人組のギターユニットが洋楽を弾きがたっていたのだけれど、
曲のレパートリーが少ないのか、1時間もしないうちにまた一から同じ曲が流れ始めました。



日本が新年を迎えてから実家に電話をかけてみました。
どちらかというと、最近では夫と話すのがすっかり楽しみになっている母と夫のために(笑)。
23時を過ぎるとDJがテーブルをまわし始め、
しばらくの間は、ぽっかりと空いたダンススペースの周りで皆が控えめに体を揺らしている程度だったのが、2組のカップルによってその沈黙は破られて、皆が次々と音楽に合わせて激しくビートを刻み始めました。
23時59分から10秒刻みでカウントダウンが始まり、ラスト10秒は恒例の
10,9,8,7,6,5,4,3,2,1…Happy New Year !
で2012年元日を迎えたのでした。
私たちはその後30分ほどでWestinを後にして、バリダラにあるアミンの家へ。
すっかりまったりムードのアミン、ナシマとそこに居合わせた知人に
Shubo Nobo Bochor! (ベンガル語のハッピーニュイヤー)
と新年の挨拶をして、帰宅したのは午前2時近く。
さて、今日は日本食ストックボックスにあった、お餅、お赤飯の素、水をいれて作れるというお汁粉の素を使って、ちょっとでも「和」の気分を味わうとしますか。
それでは皆さん、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

ホテルの外に出ると、新年を祝う人を取材に訪れたカメラクルーが外国人を中心にインタビュー。
先日、誕生日を迎えました。
バングラでは、誕生日やお祝い事がある時には、その当事者がミスティ(甘いお菓子)を提供する…というのが習わし。
朝から会社のスタッフがニコニコしながら
「○○さ~ん、ハッピーバースデー♥」
と声をかけてくれるのですが、みんな明らかにミスティをねだっているのがバレバレ。
実は、現地スタッフの中に同じ誕生日の男の子がいて、
私たちはランチタイムに一緒に出かけてケーキを買ってきた、というか買わされてきたのです。
「じゃあ、お誕生日の人からどうぞ…」
ということにもならず、「おめでとございま~す」と同時に
皆思い思いのケーキに手を伸ばしていきました
まあ、お祝いされるほうが“めでたさ”のお裾分けをする…わけですから。
さて、この日に合わせて夫は海外から帰国。
私の沈黙のプレッシャーを感じていたのでしょう。正しい判断です。
会社を出てから少し時間があったので、私は一人でWestin Hotel のバーへ上がって
グルシャンサークルを見下ろしながら、ちびちびと一人で先に乾杯
自分にとってのひとつの区切り…とか、気持ちを新たに…とか、
こじつけて色々と考えてみたりもしたのだけれど、
結局そういった思考はふわふわとダッカの空に漂って消えていってしまいました。
その後、夫を含むインド人5人とともに日本食レストラン「泉」へ。
閉店時間がくるころにはビール16本、レッドワイン1本はとっくに空っぽになり、
その後も、私を除いた5人のインド人たちはまだウィスキーをくいくいと飲んでいて、
結局お店を出たのはすっかり日付も変わった後でした
その後、グルシャンにあるインド・パーン専門の小さなショップでパーンを買って食べ、
すでに閉店していたアイスクリームショップに未練を残しながら帰宅。
3週間ぶりに帰宅した夫からは、
ドイツから買ってきてもらった大量のチョコレートと、
誕生日プレゼントをもらったのでした
バングラでは、誕生日やお祝い事がある時には、その当事者がミスティ(甘いお菓子)を提供する…というのが習わし。
朝から会社のスタッフがニコニコしながら
「○○さ~ん、ハッピーバースデー♥」
と声をかけてくれるのですが、みんな明らかにミスティをねだっているのがバレバレ。
実は、現地スタッフの中に同じ誕生日の男の子がいて、
私たちはランチタイムに一緒に出かけてケーキを買ってきた、というか買わされてきたのです。
「じゃあ、お誕生日の人からどうぞ…」
ということにもならず、「おめでとございま~す」と同時に
皆思い思いのケーキに手を伸ばしていきました
まあ、お祝いされるほうが“めでたさ”のお裾分けをする…わけですから。
さて、この日に合わせて夫は海外から帰国。
私の沈黙のプレッシャーを感じていたのでしょう。正しい判断です。
会社を出てから少し時間があったので、私は一人でWestin Hotel のバーへ上がって
グルシャンサークルを見下ろしながら、ちびちびと一人で先に乾杯

自分にとってのひとつの区切り…とか、気持ちを新たに…とか、
こじつけて色々と考えてみたりもしたのだけれど、
結局そういった思考はふわふわとダッカの空に漂って消えていってしまいました。
その後、夫を含むインド人5人とともに日本食レストラン「泉」へ。
閉店時間がくるころにはビール16本、レッドワイン1本はとっくに空っぽになり、
その後も、私を除いた5人のインド人たちはまだウィスキーをくいくいと飲んでいて、
結局お店を出たのはすっかり日付も変わった後でした

その後、グルシャンにあるインド・パーン専門の小さなショップでパーンを買って食べ、
すでに閉店していたアイスクリームショップに未練を残しながら帰宅。
3週間ぶりに帰宅した夫からは、
ドイツから買ってきてもらった大量のチョコレートと、
誕生日プレゼントをもらったのでした

ホルタルのおかげで車の少ないグルシャン・アベニューを走行中、
ふとクリスマスツリーが目にとまった。
急いで車をとめて、その小さな雑貨屋へと入っていった。
去年は買いそびれてしまったクリスマスツリーを買った。
高さ1メートルほどの小さなツリー。
200個のカラー電球と中央につけるオーナメント。
家に帰ってさっそくリビングにセットした。
小さな台にクリスマスにちょうどいい赤や白の生地をはって、
その上にクリスマスツリーをのせる。
部屋を暗くして、コックのナシールと「わ~、いいねぇ」と言って、
しばらくの間ながめていた。
クリスマスツリーが部屋で静かに灯りをともしているだけで、
どうしてこんなにも心が温まるのだろうか。
クリスマスソングを流して、一人でクリスマスモードにひたる。
バングラデシュでは人々のクリスマスへの思い入れが少ないので、
ただ街を歩いていても勝手に♪クリスマス気分♬にはなれないのだ。
私にとってクリスマスは…なにか温かくて切ないような、
胸がク~っとなるような感じがする。
クリスマスに思い描いていた様々な夢や憧れ…
それはやっぱりあくまでも自分の中の世界であって、決して現実にやってくるものではない。
でも、だからこそ壊されることのない永遠の感覚になっていいのかもしれないな…と最近思うのだ。
誰かと過ごすロマンチックなクリスマス…というのは、その“相手”ありきだけれど、
家族も好きな人も友達も差し引いて残るもの。
それが、私の中の妄想クリスマス・ワールドであって、
誰かの存在によって完結するものでもなければ、誰かがいないことで失われてしまうものでもない。
そういうことなんだなぁ…と静かにきらめくこのツリーを見ていて思っていた。

ふとクリスマスツリーが目にとまった。
急いで車をとめて、その小さな雑貨屋へと入っていった。
去年は買いそびれてしまったクリスマスツリーを買った。
高さ1メートルほどの小さなツリー。
200個のカラー電球と中央につけるオーナメント。
家に帰ってさっそくリビングにセットした。
小さな台にクリスマスにちょうどいい赤や白の生地をはって、
その上にクリスマスツリーをのせる。
部屋を暗くして、コックのナシールと「わ~、いいねぇ」と言って、
しばらくの間ながめていた。
クリスマスツリーが部屋で静かに灯りをともしているだけで、
どうしてこんなにも心が温まるのだろうか。
クリスマスソングを流して、一人でクリスマスモードにひたる。
バングラデシュでは人々のクリスマスへの思い入れが少ないので、
ただ街を歩いていても勝手に♪クリスマス気分♬にはなれないのだ。
私にとってクリスマスは…なにか温かくて切ないような、
胸がク~っとなるような感じがする。
クリスマスに思い描いていた様々な夢や憧れ…
それはやっぱりあくまでも自分の中の世界であって、決して現実にやってくるものではない。
でも、だからこそ壊されることのない永遠の感覚になっていいのかもしれないな…と最近思うのだ。
誰かと過ごすロマンチックなクリスマス…というのは、その“相手”ありきだけれど、
家族も好きな人も友達も差し引いて残るもの。
それが、私の中の妄想クリスマス・ワールドであって、
誰かの存在によって完結するものでもなければ、誰かがいないことで失われてしまうものでもない。
そういうことなんだなぁ…と静かにきらめくこのツリーを見ていて思っていた。

ある意味でとても純粋な友人と会って話をしていたら、
自分の心の黒い斑が浮き上がってきた。
あ~、解毒されていく~。
強い薬によって毒があぶり出されていくようで、
家に帰ってからも1時間ほど凹んでいた。
バスタブにお湯をはって、お風呂に浸かったらちょっとすっきり☆
蓄積してこびりつく前に、時々こうやって毒抜きしていかないと…。
自分の心の黒い斑が浮き上がってきた。
あ~、解毒されていく~。
強い薬によって毒があぶり出されていくようで、
家に帰ってからも1時間ほど凹んでいた。
バスタブにお湯をはって、お風呂に浸かったらちょっとすっきり☆
蓄積してこびりつく前に、時々こうやって毒抜きしていかないと…。
読んだ本の概要を伝えようと思って
背景設定からいつ誰が何をしてどうなったとそのストーリーの上澄をなぞってみたところで、
その内容のつまらなさを語るのは簡単だけれど、その本の深さや面白さを伝えるのはなかなか難しい。
ダッカに戻ってからは、久しぶりにずっと本を読んでいる。
私はきっかけがないとなかなか“小説”つまりフィクションものを読まないのだけれど、
自分にとって読み応えがある小説というのは、やっぱり多少重くてもその本と一緒に何か深いところへ私を連れて行ってくれるもののような気がする。
それは往々にして、その本のあらすじ云々ということではなくて、実はそこに描かれている人物の深さなのだろうと思う。
一人の人間の深さを、それは時に過剰なまでに超個性的だったりもするのだけれど、“人間”というものを味わい深くずっしりと描いているものが、私は結構すきなのだなぁ…と客観的に眺めてみて思う。
もちろん時には軽くて読みやすく、心温まるハートフルストーリーがCafeで流れるBGMのようにす~っとやわらかく心にしみ込んで、それに心地よさを感じることだってある。
そういう意味では、本の好みと音楽の好みには共通するものがあるのかもしれない。
様々なジャンルに分かれていて、自分のフィーリングに一番合う曲、気分転換に聞く曲、決して好みではないけれど心地悪くはない曲、深く聞き入る曲、流行の曲…曲を本に変えてみると、そのどちらを見ても、自分の深いところに繋がっていくものには同じような広がりや流れがあるように思う。
まあ一言で行ってしまえば、“気”が合うかどうか…ということなのかもしれない…
ひとつの本を読み終えた流れで、なんとなくそんなことを考えていたのだった。
背景設定からいつ誰が何をしてどうなったとそのストーリーの上澄をなぞってみたところで、
その内容のつまらなさを語るのは簡単だけれど、その本の深さや面白さを伝えるのはなかなか難しい。
ダッカに戻ってからは、久しぶりにずっと本を読んでいる。
私はきっかけがないとなかなか“小説”つまりフィクションものを読まないのだけれど、
自分にとって読み応えがある小説というのは、やっぱり多少重くてもその本と一緒に何か深いところへ私を連れて行ってくれるもののような気がする。
それは往々にして、その本のあらすじ云々ということではなくて、実はそこに描かれている人物の深さなのだろうと思う。
一人の人間の深さを、それは時に過剰なまでに超個性的だったりもするのだけれど、“人間”というものを味わい深くずっしりと描いているものが、私は結構すきなのだなぁ…と客観的に眺めてみて思う。
もちろん時には軽くて読みやすく、心温まるハートフルストーリーがCafeで流れるBGMのようにす~っとやわらかく心にしみ込んで、それに心地よさを感じることだってある。
そういう意味では、本の好みと音楽の好みには共通するものがあるのかもしれない。
様々なジャンルに分かれていて、自分のフィーリングに一番合う曲、気分転換に聞く曲、決して好みではないけれど心地悪くはない曲、深く聞き入る曲、流行の曲…曲を本に変えてみると、そのどちらを見ても、自分の深いところに繋がっていくものには同じような広がりや流れがあるように思う。
まあ一言で行ってしまえば、“気”が合うかどうか…ということなのかもしれない…
ひとつの本を読み終えた流れで、なんとなくそんなことを考えていたのだった。
夫が海外出張へ出かけていった今日は、仕事が比較的はやく終り、派手な渋滞にも巻き込まれずめずらしく順調に帰宅することができた。
早めに食事もすませて久しぶりにゆっくりと読書にひたっている。
本を読む姿勢に疲れてしばらく本から視線をはずすと、控えめに流していたBGMが急に耳のフィルターを通り抜けてきて鮮明に聞こえてきた。
懐かしい曲が流れてきたと思ったら、その旋律がぼーっとしている私の頭の裏にある視覚スクリーンに3年前にダッカに来たときの映像が映し出されてきて、それが妙に懐かしく感じられた。
あの頃の私はダッカ市内の地理も道路も全く知らず、
神経を集中して自分が来た道を記憶しておく必要もなく、いつも誰かに連れられていればよかったのだ。
自分が今ダッカのどの辺りをどっちに向かって進んでいるのかも見当がつかず、ただ訪れたいくつかの場所のイメージを断片的に持っているだけだった。
その時の断片的な映像が、今では当然私の頭の具体的な地図の上に記されているのだけれど、
何も知らない異国を彷徨っているような感覚がなくなってしまったのが、なんだかつまらないなぁと思ったりもする。
昔、ビートルズにはまってCDを何度も何度も聞き込み、新しいアルバムを買ってはまたお気に入りの曲を見つけたり、ジョン・レノンパートやポール・マッカートニーパートを当たり前のように歌い分けたりしていたその何年か後、遅ればせながらビートルズにはまって日々違う曲の魅力に感動しながら聴いている友達を羨ましく思った感覚にも似ているかもしれない。
いやいや、それとはまた違うかもしれない。
旅行者としてただダッカに流れていたときの私は全くの受け身で、自分とは関係のない別の世界の日常をただ眺めていただけだった。
ビートルズはある意味で私を別の世界に連れて行ってくれたのは確かだけれども、あくまでもそれは私の極めて積極的な日常生活の一部だったのだから。
ビートルズはさておき、
今の私は知らない土地で非日常の時間の流れに任せるだけの、いわゆる普通の“旅行”に行きたいのだろう。
もうしばらくインド、バングラデシュ以外の国に行っていないのだから、そりゃうずうずしてきて当然だ。
早めに食事もすませて久しぶりにゆっくりと読書にひたっている。
本を読む姿勢に疲れてしばらく本から視線をはずすと、控えめに流していたBGMが急に耳のフィルターを通り抜けてきて鮮明に聞こえてきた。
懐かしい曲が流れてきたと思ったら、その旋律がぼーっとしている私の頭の裏にある視覚スクリーンに3年前にダッカに来たときの映像が映し出されてきて、それが妙に懐かしく感じられた。
あの頃の私はダッカ市内の地理も道路も全く知らず、
神経を集中して自分が来た道を記憶しておく必要もなく、いつも誰かに連れられていればよかったのだ。
自分が今ダッカのどの辺りをどっちに向かって進んでいるのかも見当がつかず、ただ訪れたいくつかの場所のイメージを断片的に持っているだけだった。
その時の断片的な映像が、今では当然私の頭の具体的な地図の上に記されているのだけれど、
何も知らない異国を彷徨っているような感覚がなくなってしまったのが、なんだかつまらないなぁと思ったりもする。
昔、ビートルズにはまってCDを何度も何度も聞き込み、新しいアルバムを買ってはまたお気に入りの曲を見つけたり、ジョン・レノンパートやポール・マッカートニーパートを当たり前のように歌い分けたりしていたその何年か後、遅ればせながらビートルズにはまって日々違う曲の魅力に感動しながら聴いている友達を羨ましく思った感覚にも似ているかもしれない。
いやいや、それとはまた違うかもしれない。
旅行者としてただダッカに流れていたときの私は全くの受け身で、自分とは関係のない別の世界の日常をただ眺めていただけだった。
ビートルズはある意味で私を別の世界に連れて行ってくれたのは確かだけれども、あくまでもそれは私の極めて積極的な日常生活の一部だったのだから。
ビートルズはさておき、
今の私は知らない土地で非日常の時間の流れに任せるだけの、いわゆる普通の“旅行”に行きたいのだろう。
もうしばらくインド、バングラデシュ以外の国に行っていないのだから、そりゃうずうずしてきて当然だ。
日々短くなる太陽の存在なんておかまいないように、今日もすっかり空に星がともってから、私はいつもの渋滞に吸い込まれていった。
エアポート・ロードをノロリノロリと進んでいく。
ふと横を見ると、小型トラックの荷台に詰め込まれた人々の先頭に小柄なおばさんが座っていて、
ぬくっと顔を突き出したと思ったら、口を開けてペロペロっと嘔吐した。
そしてその後は、何も無かったかのように同じ姿勢のまま座り続けていたのだった。
ただそれだけのことなのだけれど、私は、あんなにも軽くペロリと吐いてしまう彼女がすごいなぁと感心していたのだ。
私なんて、胃が弱いくせに、いざ吐こうと思うとなかなか吐けず、吐く時はいつも体が逆エビ反りになって異の底からものすごい圧力で押し上げてこないとダメなのだ。
胃にだって相当の負担がかかっているはず。
だから姿勢ひとつ変えず、スープ皿をひっくりかえしたようにペロリと吐いてしまう彼女が、暇を持て余していた私の目のとまったのだった。
エアポート・ロードをノロリノロリと進んでいく。
ふと横を見ると、小型トラックの荷台に詰め込まれた人々の先頭に小柄なおばさんが座っていて、
ぬくっと顔を突き出したと思ったら、口を開けてペロペロっと嘔吐した。
そしてその後は、何も無かったかのように同じ姿勢のまま座り続けていたのだった。
ただそれだけのことなのだけれど、私は、あんなにも軽くペロリと吐いてしまう彼女がすごいなぁと感心していたのだ。
私なんて、胃が弱いくせに、いざ吐こうと思うとなかなか吐けず、吐く時はいつも体が逆エビ反りになって異の底からものすごい圧力で押し上げてこないとダメなのだ。
胃にだって相当の負担がかかっているはず。
だから姿勢ひとつ変えず、スープ皿をひっくりかえしたようにペロリと吐いてしまう彼女が、暇を持て余していた私の目のとまったのだった。
最後の日の夕食の席で父が私に言った。
自分でバングラデシュという国を選んだのだから、
バングラデシュの国の発展に貢献できることをするのも、
お前のつとめなんだと思いなさい。
確かにそうだなと思った。
今の時点では、まだそれが何なのかピンとは来ないけれど、
自分の私利私欲のためにではなくて、自分が動くことで何かしらの貢献ができるのだと思えば、
きっとこれから関わる人たちや出来事に対するとらえ方も、少しずつ変わってくるのだろう。
自分でバングラデシュという国を選んだのだから、
バングラデシュの国の発展に貢献できることをするのも、
お前のつとめなんだと思いなさい。
確かにそうだなと思った。
今の時点では、まだそれが何なのかピンとは来ないけれど、
自分の私利私欲のためにではなくて、自分が動くことで何かしらの貢献ができるのだと思えば、
きっとこれから関わる人たちや出来事に対するとらえ方も、少しずつ変わってくるのだろう。