蝕まれていく、子どもの心身の共鳴と共感 | 「衣食住育学」石川幸夫のブログ

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教育畑40数年、猫好き、子ども好き、音楽好き!幼児、小学生の算数指導用に、水道方式のタイルを独自開発。教育評論家・教育研究家・子育て評論家としても活躍中です。

 

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自分とのコミュニケーション

■共鳴と共感は人だけではない

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 時代は、コロナ禍で大きく変わり、私などリモートワークが主流になりました。この時代を予測し、いち早くカメラ付きPCに切り替え、テレビ局などの取材に備えましたが、昨夜放送された、テレビ朝日の「アンタウオッチマン」のディレクターさんとは、全てリモートワークで行われました。

 こうした時代を背景に、子どもたちの基礎と言われる心身の発達に微妙な変化が生じています。昨夜の番組「アンタウオッチマン・名言・格言」から、「子どもは真実を映し出す鏡である。彼らには驕りも、敵意も、偽善もない。もしも思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子どもがいたなら、罪はその子にあるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ。」/ガンディー。この名言の解説原稿を書いていて、今どきの、子どもの言動や態度を思い起こしました。総合的に、昨夜の名言と格言に関し、紀元前から変わらぬ人を育てる基本は、両親・教育・社会にあり、同時に、責任も背負っていることを実感された方は多いのではないでしょうか。まさに、子どもの言動や態度は環境や教育に反映されることを示していると言えます。

 

 子どもたちの変化は、運動面にも表れています。歩くのではなくベビーカー、そして、車での移動。子どもの身体発達は、ハイハイでの四肢の共鳴動作、目的地までの空間認識と目測、そして、「手の長さは文明に比例する!」の言葉の様に、ハイハイしたときの下を見る目線の距離は、人が本を読む距離に比例します。つまり、ハイハイは、焦点距離の学習にもなっているのです。

 そして、つかまり立ちから二足歩行が出来るようになると、前後左右の平衡感覚と共に、姿勢制御に対し、骨格と筋肉の連動が始まり、まさに、成長過程の自分の体の中で起こっている共鳴動作と、各部の共感が身体を支えています。小学校受験で最近重視されている運動面では、こうした平衡感覚と運動に対する革新系の発達と共鳴動作は重要な視点です。

 

 実際、あることから指導することさえあります。跳び箱なども、手足がバラバラで、リズミカルな身体の動きが出来ていない子が目立ち始めています。スキップなど指導される状態では、保護者の子どもへの関りが懸念されてしまうほどです。運動は、自分自身の身体中のコミュニケーションで行われます。

 

 今まで当たり前にできていたことが出来なくなっている。人の身体的退化は、そのまま、知性の退化も連動して起こると予想されています。歩く、走る、跳ぶ、捕る、打つ、蹴る、バランス、リズム、便利社会の中で、最も基本的な歩くことすら減少しています。まっすぐ歩く、当たり前にできると思いがちですが、それには、平衡感覚(バランス)と共に、筋肉の発達、左右の手足の連動した動き、空間認識、目測など、かなり複雑な脳内処理と、小脳の運動系神経との連動、そして、反射神経などが連動された動きです。

 

 心の共鳴と共感、それに加え、自分自身の身体とのコミュニケーションを密にするには、子どもは歩くこと、走ることが一番です。家の中での窓のガラス拭き、床の雑巾がけ、デジタル社会に打ち勝つには、人の持つアナログ力を強化しなければ対応できなくなります。作用と反作用、デジタルとアナログ、共に対局ある内容ですが、これが一体となった時、人の持つ本来の能力が活かされていくのでしょう。私もデジタルと向き合っています?