予想以上に軽視されている「音読」
■よく言われる「授業を聴いて、教科書を読めば勉強はできるようになる!」って
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以前から、学習に効果の上がる「音読」をお勧めしているのですが、意外にも、教育現場で、あまり関心のないことに気付きました。それは、一般家庭でも言えることで、「そんなの、黙って読めば良いことでしょう。」これは、音読を勧め、それを実践した生徒が、お母さんから言われた一言です。ただ、この生徒、その後も続け、見事難関校をトップ合格を果たしました。そして、卒塾後も旅田に尋ねてきてくれ、大学も本人の行きたかった大学、学部へと進んでいきました。
私が連載している月刊私塾界という教育誌が主催するセミナーに参加した折、懇親会で、「OTOBANK」(オーディオブック)の代表からご挨拶を受けた際、この「音読」で盛り上がり、その後もい付き合いさせて頂いてます。
「音読」は、学びの原点です。書かれた文字を音声に変える、この言語処理システムこそ、人間が進化してきた原動力だと言われているほどです。幼い子が、母親から言葉を聴き、学び、自らの知性を伸ばしてきたように、人の学びは「聴くことから始まっている!」と言えます。
幼児期の子どもは、誰もが文字を読めない、認識ができない状態です。だから「耳で読む」という読み聞かせが、子どもの脳にとって最高の学びの場となるのです。健常児であれば、その後文字に関心を示し、読むことが可能になります。
毎日何度も同じ本をせがむ子がいます。この子は、その本を聴くことで全体を記憶し、次の内容が読まれると、自分の頭の中にある内容と照らし合わせ、同じであることで達成感と言う自己報酬機能が働き、更に想像を深めていくことになります。この繰り返しの中で、「内言語」と言う心の言葉を数多く蓄えていきます。
読み聞かせは、幼い子にとって、耳で読む読書です。この繰り返しの中で、時折、本と同じ内容の言葉を発することがあります。暗記された文章が言葉となって発せられる瞬間です。文字を覚え、こうして、本を読む、音読への準備が整っていきます。
読み聞かせは、お子さんが自分で読み始めても、時折、「読んで!」とせがんでくることもあります。そんな時は、子どもの脳が望んでいるので、読んであげて下さい。読まれている内容を聴きながら、その言葉をシンクロさせていく、これは、その先の「黙読」に繋がるいわば準備段階となります。
「音読」も「黙読」もしっかりした指導でのみ、本当の「読む」という行為になります。意外に、誰もが「黙読」ができていると思い込んでいます。同じ本を後日読み返したとき、記憶にない文章や場面が出てくるはずです。読んでいるようで、目は活字を追っているようですが、意識は別の方に向いている、「マインド・ワンダリング」心の迷走状態の時です。
音読すると、読むことに集中するので、心の迷走は起こりません。だから、学習には意識が向く音読を勧めるのです。「黙読」は、音読から黙読への橋渡し学習が必要なのです。昨日、夏休みの家庭学習に教科書の音読をお願いしたのは、集中し意識できる学習だからです。誰もが簡単にできると思っていますが、学生時代を、国語の教科書を読むことが苦手だったことはありませんか。
お子さんには、幼い頃からの読み聞かせ、そして、声を出して読む音読を勧めて下さい。間違いなく、お子さんの国語力と共に言語力を加えた学習成績にその効果が表れるはずです。