子どもの居場所と行き場所を奪うもの | 「衣食住育学」石川幸夫のブログ

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教育畑40数年、猫好き、子ども好き、音楽好き!幼児、小学生の算数指導用に、水道方式のタイルを独自開発。教育評論家・教育研究家・子育て評論家としても活躍中です。

 

 TODAY'S
 
家庭と家族

■意外と短い子どもと接する時間

 今日もご訪問頂き有難うございます。

 

 今日の深夜、テレビ朝日系列で「アンタウオッチマン」が放送されます。子育てに役立つ名言を扱っています。あの松陰先生の言葉も登場するのですが、畏れ多くもその解説を依頼されました。生きた時代は違っても、子育ての本質は変わらないのだと思います。

 

 子育てでも、教育でも、幼小期はとても重要で、特にシングルエイジと呼ばれる0歳から9歳までの時期は、人や親によってその捉え方に違いがあります。医学的な部分、それは身体成長に関する部分と、神経系の発達とに分けられ、子どもの成長と健康面、そして、知性の発達に絡む各神経系の発達は、それぞれに重要な臨界期が存在すると言われ、この時期を逃すと、その成長が極端に遅れることもあり、親としては見逃せない時期です。

 

 ところが、その時期は、忙しさの中で幾つかの部分が後回しにされることもしばしばあり、それが、その後の成長に大きな影響を与えてしまします。

 

 近年では、知性の発達と共に、精神的充実が子どもの心の発達に大きく感けすると言われています。忙しさの中で、子どもをかまってあげられないと、子どもは寂しさを覚え、心の温もりや、自分に関心を示してくれる人に向かいます。時には、その寂しさと、何もすることのない状況からゲームやスマホの動画配信に向かう傾向を示します。その繰り返しの中で、子どもは家庭に自分の居場所がないと認識し始めます。

 

 子どもから「お母さん、あのね」という言葉がなくなると、それは危険信号が灯っている状態で、その後、笑い声や、笑顔が消えていくと、「親」という認識は遠ざかり、悪い言い方をすれば、お金をくれる便利な同居人と化してしまいます。今、話題になっている「柏のひょっこり男」、彼の生い立ちの中に、自分に関心のない親の存在があります。

 

 家庭や家族は、それぞれの居場所であり、帰る場所でもあります。子どもと触れ合い、同じ汗を流せる時期は意外に短く、あっという間に自分の背丈に追いつくのが子そもです。無関心という言葉は子育てにおいて最も避けなければならないものです。多くの子どもが日本国中の「子ども食堂」に通っています。そこには様々な事情を抱えた子どもたちがいます。ただ、親として我が子の声掛けと、関心を示すことだけは持ってもらいたいと思います。子どもは、理屈ではなく、実際に話してあげなければ、ハグしてあげなければ通じないからです。

 

 子どもの居場所が家庭でなくなると、その次に、子どもの帰る場所が失われ、そして、子どもの行き場所が失われます。明かりの灯る我が家、皆が「ただいま!」と笑顔で帰れる家庭、そして、家族でありたいですね。