「幼児教育とプリント教材」
■発達に合わせた教材の重要性
子どもの特徴はその時代で大きく変化します。昭和、平成、そして令和と、言葉先行、口先だけのICT化は、コロナウイルスの影響で5年は早まったとされています。企業としての考え方にも変化が出てきました。それは、4月一斉入社から、通年入社へと考え方が変化しています。企業が人を育てる時代から、自分ができること、やりたいことという明確な目標を持って社会に出て行かなければ通用しない時代になりつつあります。それほど、教育に対する社会の想いが明確になってきました。
ある経済人が、大学の授業を見学すると、寝ていたり、死語をしていたり、スマホをいじっている光景を見て愕然としたそうです。それは、指導する側も、受ける側も、将来に対する目標をなんら見いだせず、ただ惰性の授業で、指導する先生の知識を伝えているだけに過ぎない内容だったのでしょう。専門的に学び、自分の将来にどのように結びつけていくのか、大学でどこまで自分のスキルアップができるのかを考える欧米諸国の学生とは、我が国の学生は少し考え方が違うようです。グローバル化を考えるのなら、まずは、学ぶ側が自分のスキルアップのため、考え方を将来に見据えた状態からスタートスなければならないでしょう。
何だか難しい話しになってしまいましたが、人の発達に幼児教育が必然性を増してきた今、教育現場では、幼児教材について開発が始まっています。幼児期に身につけて起きたい能力は、言い方を変えると、幼児期でしか身につけられない能力と言えます。このことは、ようやく教育者の中で認識されてきました。言葉の獲得など良い例でしょう。大人が本を読まなくなってきたため、それを手本としてしている子どもたちも本離れが進んでいます。コロナ禍で、子どもたちの学力差はより顕著になり、それ以上に学習に対する意識低下も、既に二逃すことができない状態ににまで来ています。
幼児教育には様々ありますが、既にご存じの通り、人の持つ知性を高めることを考えると、その中で柱となる内容を選択すると、言語的知性、論理数学的知性の二本柱に、空間的知性、時間的知性、自然科学的知性、身体運動的知性、絵画造形的知性、音楽リズム的知性が加わります。そして、大切な対人的知性、感情的知性、社会的知性が脇を固めます。こうして誕生した教材が「もじ」「かず」「ちえ」という幼児教育の3本柱です。特に「ちえ」の分野には、子どもの生活に関する内容、空間認知的内容などが組み込まれ、この時期の子どもに必要な要素が入っています。それは、身体成長に必要なビタミン、ミネラル、タンパク質などの栄養素を食事から取るのと似ています。
では、何故、プリントなのか?幼児教育を理解していない人から見ると、「小学生と同じような、幼児にドリル学習なんて!」とお叱りの言葉を頂戴したことがあります。しかし、どの子も、プリントを喜んでやります。それは、子どもの知的好奇心を満足させているからです。学ぶ事を喜んで行う幼児期は、正に「ゴールデンエイジ」です。プリント教材は、B5版やA4版のサイズです。それは、まだ幼児の視野が狭いからです。そして、重要なのは、専門的には「具体」と「抽象」で、私たちは言葉を覚え、思考力がついてくると、その思考の結果をノートしたり、文章に起こしたりします。これには「確認」という言葉が当てはまるでしょう。幼児に対する知的刺激を、彼らがどの程度理解し、それを表現できるのか、その確認が「プリント学習」です。つまり、プリントで授業を行うのではありません。空間認知はどうか、鉛筆の持ち方、巧緻性はどうか、枠を意識しているか、順番を理解しているか、点と点を、始点から終点まで意識して捉え書いているか、プリント教材から、子どもの知的発達を読み取り、次の学習指導に繋げます。
単純に見えるプリントでも、幼児プリントは奥が深く、そこに多くの刺激や確かめる部分が詰まっています。既に40年近く幼児教材を製作してきて、その難しさは言葉では言い表せません。また、大切なのは、幼児教育で行ってきたことを、如何に小学生教育に結びつけていくか、これも、カリキュラム同様、教材開発の重要な始点です。2歳のプリント、さて、どんなテキストが頭に浮かびますか?多分、殆どの人は、失礼ですが何も浮かばないかもしれませんね。幼児教育は、子どもの将来の姿を想像し、先を見た教育を行っています。