ナンバー 171 オラが村のあれこれその3(丸太の川流しの話) | 堀切光男のエッセイ畑

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オラが村をバックに

 

 

下  野猿(やえん)  丸太を運ぶロープウエイの事。

どうして 野猿と呼ぶのか?

どうやら、日本サルの集団が谷を渡る時 ターダンの様に蔦を伝ったり

何匹も連なって橋をかけたと言う伝説からきているようです。

 

親父が一時丸太を川流しで製材所が沢山あった 古座町まで運ぶ仕事をしていた。

丸太二本をスキーのように乗りこなして、手にした「トビ」で丸太を流して行く。

昭和三十年頃で、その後道路が拡張されて四トントラックの運送が主流に。

山奥から山越え 谷越え、道路まで丸太を移動させるのがヤエン。

次兄がヤエンの仕事についていたが、

昭和四〇年頃から林業の衰退でヤエンも消えて行った。

 

 

上  右上の滝の拝の右横に アバの跡の表示が有ります。

下がそのアバ〈網 場)

上流から流した丸太をここで集める。

 

 

古座川町は那智連山近くまで深い山が続く。

しかし県道43号は道が細く車は奥の方までは入れない。

で、数百本の丸太を川に流すのだが、この川が水量が少なく筏も組めない。

そこで、上流に丸太を組んだダムを作り、水量を一メートル程高くなるよう

少しづつ水を流し、丸太を一本 づつ川に流します。

五キロ程何とか、流れて呉れればいいのです、後は支流が何本か流れ込み

水量も増えて行きます。

それでも五〇キロ程も曲がりくねって下流の古座まですんなり流れて行く筈は無く、

あちこちにひっかりそれが折り重なってダムを作ってしまい、水を溜め込み

やがて崩壊すると「鉄砲水」となってとても危険です。

春先の季節に川流しが行われたのですが、その頃は 子供はもう川辺で釣りをしたり

遊んでいます。  そんな時に 鉄砲水の危険が迫ると下流の村に知らせが入ります。

その「鉄砲水」が見たくて土手の上で待っていたのですが、一度も見られませんでした。

崩壊させないように 少しずつ水を流したのでしょう。

 

古座までの間に五か所ほどの アバが有りました。村の近くでは F の記号、キャンプをした

直ぐ下方に県道のトンネルが有りますが(十メートル位の岩盤 素掘りのトンネル)

実はその下の川にも同じ岩盤に トンネルが掘られているのです。

トンネル内の水深は30センチ程で幅,三メートル、長さ十メートル位。

何のために作ったのかは解りませんが、川船五隻位は入れそうです。

全くの推測ですが、この張り出した岩盤のせいで、増水時に大渦が出来て

川岸を崩してしまいます。

それを避ける為(流れを トンネルに誘導?)したのか?

 

 

その 謎を解き.。 いや、 解かないで地元の七不思議の一つに加えましょう。

えっ,七不思議を知らない?  それでは教えましょう

1) 先ずは この二つのトンネル 親子トンネルとでも 名をつけましょうか。

2)滝の拝 の岩に開いた沢山の穴(太郎 侍の伝説)

3)この滝の拝の滝を ある夏の夜に列を成して登る川エビの不思議(B S N HKで放送)

4)滝の拝 より奥の那智に抜ける県道43号が自衛隊の協力を得てまでして僅か

  三年間で開通させた 理由。 ( 走破 した記事あり)

  地元の一説では 天皇陛下がこの道を通り潮岬に行く予定だったが

  余りに細い道だったので、この計画は中止になったというもの。

  現在 酷道マニアが良く挑戦しているようだが、この道を作る必要は何だったのか。

5)  小川中学高のすぐ傍に洞窟が有りました。その洞窟は二十キロも先の

    那智の滝までつながっているという伝説が。「言い伝え 伝説の巻き」に詳しく。

  6)・・・・今考えています。思い当たる事があれば ・・・・教えて

 

 

話を戻して

大渕になっていて、この辺りでは一番深いと言われていました。

十メートル下の 川底に大ウナギが住み着いているのは誰もが知っていましたが。

余りにも大きくヨボヨボだったので、捕まえるに忍びなく老衰で死ぬまで見守っていたのでした。

その老衰で死んで行く最後も以前書いた筈だけど ナンバーいくつだったかなあ。

 

またまた、話がそれましたが、この場所は流れが緩やかで 十分広い大淵で、

トンネルが掘られた岩がせり出す天然のアバにぴったりの場所でした。

ワイヤーロープが沈ま無いよう丸太を結わえて、水面に張り巡らしてあるので、

ここに全ての丸太が川面に浮いて集積されています。

 

このアバで丸太を止めて明日また川流しを 再開します。こうして十数人が一週間もかけて

古座の河口まで丸太を運びます。

そんなに苦労するなら、台風が多い秋に増水した川に流せば良いと思われるかも知れません。でも、それではあっという間に海から沖に出てしまい、黒潮に乗ってハワイまで流れて行って

しまいます。

しかし、実際この川流しの最中に急な増水があり丸太があちこちの林の中や藪の

中に打ち上げられてしまう事も有ります。 丸太には赤や青の持ち主の刻印が押されています。

この紛失丸太を拾って来て業者に引き取って貰うと結構な小遣いとなった。

又こうした丸太で子供は良く筏を作ったが、見つかると叱られたものです。

何故かというと丸太を組むのに板を釘で打ち付けたから。

丸太に折れた釘が残っていると 製材所の電気ノコギリの刃を壊してしまうからでした。

 

少し 下れば水量も少しは多くなる丸太も何とか流れてくれる。

 

下流域 の河内 流れも緩やかです。

 此処をアバにする事もあったようです。 ここまで来たら古座までは後 少し。

折りしも 「河内 祭り」が 行われていました。

此処よりもう少し下流の 高 池 辺りで陸揚げされます。

陸揚げされた丸太は 昔は荷馬車で各製材所に運ばれていました。

昭和三十年位まででしょうか。

子供の頃に古座に行くとこの荷馬車を見る事と海岸に出て磯遊びを

する事がとても楽しみでした。

その古座の海岸.。 ヤドカリの餌で食べられないフグが釣り放題。

 

 

 

調子に乗って車を乗り入れたら帰りになって砂にはまってしまい大変な事に。

運よく傍に舟を陸に巻き上げる 手動のウインチがあったので、 これを拝借して

事無きを得ました。

 

処で川辺やトラックが入れる道路まではヤエンで丸太を運んで来るのですが

山奥のヤエンの積み場所まで丸太を移動させるのが一番大変。

この話は次の「ヤエンの話」に続きます。