オラが 村は緑なりき 。 棚田に育つ稲穂
この下
左下の生家から見た棚田。 この真上に一軒家の屋根が観えます
1959年9月の伊勢湾台風では此処まで水が来ました。
床下浸水したこの家は後に引っ越して行きました。
家ごと濁流に引っ張り込まれそうで余程怖かったのでしょう。
左端 大きな柿の木が有り、白い洗濯物が二枚干してある家が生家です。
増水の川からはまだ、十メートルも上でしたが、家の下の道路は当時は未舗装で
滝のように雨水が流れており、本当に怖かった。
その時真っ赤な 川から 道路を伝い石段をピョン々と飛び超えて大きなアユが一匹
庭まで登って来たのには、これまた 驚きました。
海の磯遊びで干潮時に行くと潮の引きに取り残された思いがけない大物が
岩場の潮だまりで獲れたりします。
同じ様に増水で田んぼが水につかりますが、水が引いて行くと田んぼに取り残された
鯉 が、沢山 田んぼの中で泳いで居たりします。
これを網などで捕獲しますが、ウナギ等はさっさと水路の穴に逃げ込み増水が
引くのを待っています。
他のアユやハヤ等もさっさと逃げ出し取り残される事はありません。
そうすると取り残された、、鯉 は頭が悪いのか?
鯉は飼われていた池が大雨であふれて、川まで逃げ出した鯉だと思います。
錦鯉など綺麗な鯉が多かった。
こうした鯉は野生の魚とは違い危機意識も違うのでしょう。
あるいは野生で生きるより、捕らえられて人間に飼われる方が
楽だと思っているのかも知れません。
上の写真のほぼ 中央(この 下)あたりに杉の木の大木が2本写っています。
棚田より下の川辺の神社に生えている木なので見えている部分は半分位。
樹齢は300年を超えているそうで、その高さは80メートルはあるのではなかろうか。
実は以前は3本あったのですが、子供の頃に1本切り倒されています。
銘木として、お金に換えられたようです。
下はその神社
「お宮 さん」と呼んでいましたが「大神社」という大きな名がついていました。
祭 神は 天照 皇大神 と 豊受 大神と書かれています。
処で「八咫烏 ヤタガラス」って知っていますか。
そう、日本 サッカー代表の シンボルマークで有名ですが。
その八咫烏は和歌山県と深い関わりがあるのです。
下 サッカーボールを持つ八咫烏
下 熊野から神武天皇 東征を八咫烏が道案内した と書かれています。
六か月目の 子供を お披露目に帰郷した
哺乳瓶や蚊取り線香に日よけ万全の体制
上 昭和50年夏 5年ぶりに帰郷してみると、親父が嬉しそうに言ったものだ。
「3ケ月前に 発注した川舟が出来上がっているので取りに行こう」
隣の兄ちゃんが丸太を運ぶ仕事をしていて、会社の2トントラックで運んでくれると言う。
30分程下流の村の舟大工の家に着くと木の香りも新しい川舟が出来上がっていた。
長さ5メートルは有る、立派な川舟。
「10万円位はするのかな」と思ったら 親父が払ったのは、3万円ポッキリだった。
トラックを出して呉れた兄ちゃんにも お礼は ハイライト3個だった。
ちなみに、この時四十何回期の法事も行って折り、その日 お坊さんに払ったお布施は
地元の相場で 500円だった。
トラックから舟を下した河原、(写真提供 2015年 前 君)
左が道路で河原にトラックが降りられるのは、此処しかない。
早速水に浮かべて水漏れのチェック。
板の継ぎ目から水が漏れてくるのは 想定内。
時間が経てば板が膨張して漏れも止まるのですが、直ぐに舟を利用したいので、
水漏れの所にボロ布をノミで埋めて行く。
昔は布では無く、杉の皮だった。 現在では多分コーテイング剤を使っているんじゃないかな。
此の頃は少し位の水漏れは気にはしない。備え付けの水を掻き出す四角の木桶で
時々 溜まった水を掻き出していました。
上 紀州犬との雑種ですが、とても利口だったナチ
利発 そうな少年は もちろん 小生。当時から「キカン 坊」でしたが、
反り込みを入れていた訳では有りません。
後ろに写るのは珍しい「ポポオ」という果実が生る木。
バナナとマンゴーとパイナップルを混ぜた様な味です。
ポポオの 木の前に写る木製の 「馬」はこの上に流木や
生木を乗っけて長さを揃えて鋸で切ります。
直径25センチの針金の輪に詰め込むと「マキ」として、売れるのです。
一束 30円程だったと記憶していますが、 一か月に一度 百束程を
出荷します。業者さんは三輪自動車で運びます。
最初の写真の左上辺りがはげ山になっていますが、ここは以前は 雑木林でした。
親父がその雑木を買って伐採します。マキとして売る他には無いのでさほどお金に成る
仕事ではないのですが、山の地主も杉の苗木を植えるのには雑木を伐採しなくては
ならない訳で、雑木の値段はかなり安かったのではないかと思います。
むしろタダか 逆に少し手間賃が貰えたのか? 親父に聞いとけばよかった。
中学生の日曜日毎にこの山仕事を手伝っていたのが、懐かしく思い出されます。
まだまだプロパン ガスが復旧していない頃の話です。
その話の続は 下の写真の後に。
下 ポポオの実
下 手前スクーター 奥が 三輪 自動車
先に 書いた三輪 自動車 「バタコ」と呼んでいました。
バタバタと大きな音を出して 走るからです。
古い記憶では ハンドルが丸ハンドルではなく,オートバイと同じ棒ハンドルでした。
エンジンのスターターもキック ペダルでつまりは オートバイを改良して、
三輪車にしたものでした。運転席もど真ん中、子供ぐらいは脇に乗れたのですが
大きくハンドルを切る度に身を屈めていたものです。
聞く処では「陸 王」と言うオートバイはバックも出来たそうで、そういう車を
改良したのかな?
しばらくすると、丸ハンドルとなり、運転席も真ん中では無く、右寄りとなり助手席も
つけられました。
写真の三輪車は丸ハンドル車ですが、サイドドアは幌製で ガラスでは無く
ビニール製。
三輪車(前輪 が一輪。 最近は前輪二輪の三輪車もありますので)は
当然 安定が悪い,おまけに道は狭いし舗装もされてないので、ワダチの跡が深い
良く ひっくり返っていました。
写真のような三輪車に百束のマキを積み込むと、後ろが重くなって車の前が
浮いてしまいます。
それでも運転席に一人座ればその体重で何とか バランスが取れます。
バタコ はよろよろと走り出すのでした。
近隣の村全部合わせて 初めて自家用車を買ったのは二人でした。
その二人は小学校の 校長先生とお寺の和尚さんでした。
その二台の車はスバル360。現在は 「てんとう虫」の愛称で呼ばれています。
二人同時に購入したのですが 皆笑ってしまったエピソード。
この二台の車 どちらも同じキーでエンジンがかかってしまう事が判明。
何種類かある筈のキーが偶然にも同じ村の二台しかない車に割り当てられていた。
車を納入した業者さんも相当焦っていたが、二台のオーナーそれぞれ
「問題ないよ、もし車が盗まれても相手が解っている訳だから」という訳で
めでたし めでたしとなったのでした。
了










