ナンバー168 故郷 の言い伝えと伝説(牡丹岩) | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。


和歌山県古座川町には言い伝えや 伝説が数多く残っています。


その幾つかを紹介します。





小川中学校の 学び舎


三年生の教室  そこで言い伝えられていた伝説がありました。


学校の裏門から出ると川沿いの岸壁伝いに歩道が続いています。


三十メートル程 行ったあたりに岩の切れ目が有り、三メートル位の丸太橋がかかっています。



(右に清流を見ながら 行くと・・・・)




その下に下りてみると 洞窟が有りました。


真っ暗で中は見えませんが、かなり深そうな穴だった。 伝説では


「この洞窟は直線 距離にして二十キロ先の那智の滝の裏まで 続いている」


というもの。滝の裏と言うのは流れ落ちる水で見えないが 裏側に洞窟の


入口がある。・・・・ らしい。


で、冒険好きの五人が集まり、放課後に洞窟探検をしようという話になった。


各自 懐中電灯とローソク(酸欠の予知に) を持ち寄り次の土曜日、帰りに道で


計画を決行した。


おっかなびっくり、五人は洞窟に入る。広かったのは五メートル程で、その先は


一人が横向きに進むのがやっとに。


懐中電灯の明かりの中で大量に光っているのは カマドウマの目。


あまり好きな昆虫ではない。


十メートル程進むと先頭の 広瀬が「ギャッ」と悲鳴をあげた。


「ど、どうしたっ」   「へ、蛇やっ」 「どこに?」 「上の ほうや」


一斉に向けられた懐中電灯のスポットライトの中で 岩の隙間に大きな白蛇が


冷たい目をして、我々を見下ろしていた。


田舎育ちの我々は誰一人蛇など怖がらない が、


この日は 違った、狭い洞窟の中蛇が襲ってきたら逃げ場がない。


それに暗闇に浮き上がった白い蛇はことさら 不気味だ。


「白 蛇はたたるというど」  「毒蛇かも わからん」 「関わらない方がいいよな」


話がまとまると 後は早い。 全員 一斉にきびすを返しそそくさと逃げ帰ったのでした。



下  那智の滝




上 古座川町の 観光マップ


一番下の 串本の その下が潮岬になります。




上   月の瀬の牡丹岩


「昔 大地に岩が好物という魔物がいて、その魔物が


食い荒らして行った」


という言い伝えがある。





上  右 一枚岩  県の天然記念物


  「昔、大地の岩が大好物の 魔物がおり、下流から岩を食い荒らして行ったが


  一枚岩に食らいついた時、 犬に追われて、犬が苦手だった魔物は逃げ去った。


一枚岩の中央付近に縦に通る窪みはこの時の魔物の 歯形で、


又 雨が続くとこの窪みを流れる「陰陽の滝」は魔物の 悔し涙が流れ落ちたもの」


という言い伝えが ある。





上 橋杭岩 右端の岩には 神社がある 随分昔になりますが八十歳になる親父と若かった

女房、八か月の長女。


 

 「昔 弘法大師が天野邪気と串本から沖の大島まで、橋を架ける事が出来るか否かの


 賭けをした。  弘法大師が橋の杭を殆ど作り終えた処で、天野邪気は


 「此のままでは 賭けに負けてしまう」と 思い、ニワトリの鳴きまねをして もう朝が来たと


勘違いさせた。


弘法大師は諦めて 作りかけで その場を去った。その為 橋の杭のみが残った」


という 言い伝えがある。





上  潮岬 タワー   親友 前 君が撮ってくれた写真。


    展望台に上ると 地球が丸い事が 実感できる。


    時は 昭和四〇年 エレキブーム真っ最中


    タワーからはベンチャーズの 「急がば 回れ」が


   大音量で 流れていました。


時々 串本節が


「ここはー 串本  向かいは 大島  中を 取り持つ 巡航船」


と のんびり 流れてそのギャップに 思わず笑っちゃいました。




上  ここは 本州最南端 このクレ 崎が最々南端。


「昭和 、多分三十二年か三年位に小学校の遠足で此処を 訪れ


下の岩場に 降りて行くと 小さな動物園が有り、


サルや鳥達が飼われていました。


その後 台風の直撃にあい、動物が全滅し 廃園になったと聞きました。


それが、1959年 9月の「伊勢湾 台風」( 室戸台風、枕崎台風と並んで


昭和の3大 台風と呼ばれている。 伊勢湾台風はここ、潮岬の西 15キロに上陸した。


風速 60メートルの猛烈な台風で死者 行方不明者5,000人を出した)


だったのかは不明。調べたが 動物園があった事すら 確認できませんでした。


何しろ 私が八歳ぐらいの時の記憶なので定かでは有りませんが、


動物園は確かに実在していたと思います。




上 潮岬の広場  以前観た「ナニ コレ」では、この広場を野焼きする時、


近くの高校の弓道部が火矢を放って芝生に火を点けていました。


約3万坪という広場は「望楼 の芝生」と呼ばれており、その名の通り


かって 海軍の望楼 が築かれていました。


アメリカ軍の飛行機はここを目印に飛んで来る。


此の後ろ何10キロか先、古座川の滝の拝の高い山の頂上には監視所があった。


現在も防空壕の跡が山頂に残っている。


山頂からは潮岬や、遥か沖合まで見渡せました。


下は その滝の拝。

                                       この下に神社がある



上 県の天然記念物、滝の拝の 滝。  右上に少し 金毘羅神社が写っている。


小石が水流によって、岩に穴を開けた「ポット ホール」が沢山有ります。


「昔 滝の近くに太郎という侍が居り、人々の目を楽しませようと岩床に刀で穴を 掘り続けていた。


ある日千 個目に後一つという所で刀を滝つぼに落としてしまう。


太郎が刀を拾う為、滝つぼに潜った切り 戻って来ない為 家人が七日の法事をしていたが、


そこに ひよっこり 太郎が帰って来たので 皆 驚いた。


太郎が言う事には。


「滝つぼの底に立派な宮殿があり、そこに住む滝の主だというお姫様が大勢の次女と共に


大歓待してくれた。   夢中になって遊んでいたがふと、我に変えり 帰ってきた」との事」


このあたりは、浦島伝説に似ていますが、日本中に同じような話がある事だし、しょうがない。


「太郎は帰る時、丸い大きな石を土産に貰ってきたが、それからは滝つぼで雷の様に


ゴロゴロとなっていた音がピタリと止んだという。


その丸い石は直ぐ上の金毘羅神社の境内に奉られている」




オイオイ そんな石、観た事も無かったぞ。 もっとも金毘羅神社の中を覗いた事もなかったっけ。


それにしても子供の頃に聞かされていた言い伝えは・・・・・。


「一晩で千個の穴を開けるという賭けをした 魔物が九百九十九目を開けた処で


一番どりが鳴いたので諦めて去って行った」


という、橋杭岩の伝説と混合している様な言い伝えだった。


六十年間もその話を覚えていて、今回 色々調べていて初めて太郎の事を知った次第。


地元の言い伝えも間違って覚えていたとは・・・・・。


しかし、最近観た「ブラ タモリの真田丸 編」では


現在の大坂城は徳川家康が建てたもので秀吉の建てた大坂城の跡に盛土をして、


完全に秀吉を封印して新しく城を建てたにも関わらず,人々は江戸時代半ばにはすっかり忘れて


今ある、大坂城は秀吉の建てた城だと思い込んでいたそうです。


明治になって新事実は明らかになったにも関わらず現代でも八割の人は秀吉の


建てた大坂城だと思っているそうです。


という事で 伝説も いつの間にか美化されたり、解釈が変わって行くものかも知れません。