「あの話の その後」 あさってのジョー その一
夕闇が迫る頃、なみだ橋の近くにある 小さな公園のブランコに
一人の老人が腰かけていた。
陽に焼けた坊主頭は年を感じさせないが、深く刻まれたシワや白くなった髭は
とっくに、七十を超えている事を物語っている。
頭と頬に古い傷跡、黒い眼帯をしている。
ブランコに腰かけ膝の上に両肘をついて 頭を抱え込みもう長い間身じろぎもしない。
老人の名は丹下段平。
矢吹丈がリングの上で燃え尽きるように死んでからもう十七年が経とうとしていた。
段平はジョーが死んだあと丹下ジムをたたむと逃げるようにその土地を離れた。
ジョーの事ボクシングの事を一刻も早く忘れたかったのだ。
それは自分が教え育てた青年をボクシングで死なせてしまった後悔と
息子を失った様な深い哀しみがそうさせたのだった。
以来十七年間彼は一度も なみだ橋には帰らず、地方の飯場を転々として
がむしゃらに働いてきた。
そうして老後の蓄えも出来,不動産屋に任せっきりだった丹下ジムの貸しビルも
最近、空きビルとなったと連絡を受けたので十七年ぶりで帰ってきたのであった。
しかし帰ってみるとなみだ橋はジョーとの思い出がいっぱい残っていた。
このブランコも生前、ジョーが一人で良く腰かけていた。
段平の目にはその光景が焼き付いていた。
「ジョーようっ、 ジョーようっ・・・・」
かれの口から嗚咽が漏れた その時、遠くから駆けて来る靴音が聞こえた。
靴音の主は近づくと「シュッ、 シュッ」と拳が空気を切り裂く音を出した。
それはまぎれも無く シャドウボクシングの音。
段平はハッと顔を上げた。
すぐ目の前で十六、七歳ぐらいの少年がシャドウボクシングに熱中していた。
その少年の横顔を見た段平は思わず叫んでいた。
「ジョーようっ」
少年は死んだ筈の矢吹丈に瓜二つだったのだ。
呼ばれた少年は一瞬振り向いたがすぐにけげんそうな顔をして云ってしまった。
そうなのだ、丈であるはずが無い。
丈は十七年前段平の目の前で笑みを浮かべながら逝ってしまったのだ。
しかし 余りにも良く似ている。
段平は次の日の同じ時刻に公園で少年が現れるのを待っていた。
やがて現れた少年の後を段平はそっとつけて行った。
少年は時々シャドウボクシングを繰り返しながら、なみだ橋を渡って行く。
「ふーん、中々ボクシングの素質はありそうだ」
段平は少年の無駄の無い動きを的確に読み取っていた。
歳はとったが体に染みついたボクシングの魂が胸のずっと奥で
チロッと燃えた気がした。
少年は橋を渡ると十七年前には無かった大きな商店街に入って行き
一軒の商店の奥に消えた。
看板の屋号を見ると「林 食料品店」と書いてあった。
「林・・・あっ、紀子ちゃんの店か」
段平が思い出したと同時に 後ろで声がした。
「おっちゃん、 丹下のおっちゃんや、 いやあ 懐かしいなあ」
振り返るとエプロンをかけた大きな男が人なつっこい笑顔を見せている。
「にっ、 西かあ」
マンモス西は紀子の実家の「林屋」に婿養子に入り家業を夫婦二人で切り盛りしていた。
「西、さっきの子供 お前の子供か?」
「貴志にあったんですか。そうでっかあ」(西は関西出身、少し吪る)
と言いにくそうに口ごもる西。
「ちょっと聞きたいんだが」と西を引っ張って裏口に回ると
「その貴志だが、本当にお前の子供か?あれはどう見ても丈の子供としか見えん。
言いにくいんだが、まさか のりちゃんと丈が,今流行りの不倫を・・・・」
少し迷っていた西だが、やがてハラを決めた様に話し出した。
「ワイと紀子には子供は出来なかったんですワ。
貴志は養子に貰った子供なんです」
「養子に貰った? 誰から?」
「白木ジムのお嬢さん、葉子さんからです。実は貴志は丈と葉子さんの間に
出来た子供なんですワ」
「えー、葉子さんと丈が・・・いつの間にいー。 おお、ジョーよう」
(小生も ビックリ一体いつの間にいー)
西が続ける
「あれは丈が死んでから四年程経った頃や、突然葉子さんが三歳ぐらいの男の子を連れて
訪ねて来たんや。 その時始めて丈の子供を産んでいた事を打ち明けられたんや。
丈の葬儀が終わってから、妊娠に気が付いた、四か月だったそうや。
みうちだけには、妊娠の事実は伝えたが父親の名前だけは誰にも教えなかったそうや。
そして丈の子供,貴志を生んで幸せに暮らしていたんやが、父親の白木幹之助氏が
事業で失敗して、莫大な負債を作ってしまったらしい。
しかも父親は心労がもとで病気に臥せってしまった。
このままでは白木ジムはおろか、白木財閥の存続も危うくなってしまった。
そんな時ある大金持ちの次男と葉子さんの縁談が持ち上がったそうですワ。
この縁談が決まれば莫大な借金の肩代わりをして貰えるという。
しかし、父親の名前も判らぬ子供が一緒では話もまとまらない。
それで、子供が出来なかったワテら夫婦に養子の話を持って来たんでんね
葉子さんも可愛い盛りの子供を手放してまで、白木財閥の多くの社員 そして父親も助けなくてはと
断腸の思いだったとちがいますやろか」
「ふーん よくある話やのう」
(ホント 誰でも思いつく良くある 話だ)
「わてらも子供は欲しかったし、あの丈の子供なら言う事なしや。
なにより 妻の紀子が乗り気でしたんや。あいつ丈にホレてましたからね」
と苦笑い。
「それで 葉子さんのその後は?」
「白木財閥は何とか持ち直したそうです。もっとも 葉子さんは十年位で離婚したそうだす
約束通り、その後貴志の前には一度も姿をみせませんし、今はどうしているんかは
判りまへん。 元気やろうとは思いますけど」
「ふーん、しあわせに暮らしていてほしいなあ」
立ち話をしていた二人の前に 突然
「おいっ 貴志の野郎はいるか?」
見るからにガラの悪そうな十八,九の背の高い男がぬっと現れた。
男の顔を始めて見た二人はぎょっと顔を見合わせた。
その男はなんと 力石徹 に瓜二つだったのだ。
(力石いー、 おまえもかあ)
「き、君の名は何というんだ?」
「俺? 俺は 達也」
「苗字は力石というんじゃないのか?」
「ああ、そうだよ。オヤジは力石徹、もっともオヤジが死んだあと俺は生まれたんだがね」
(この先 説明的なセリフになりますが、あしからず)
西が訊ねる
「達也君は うちの貴志を知ってるのんか?」
「ああ、ここにいるのは最近知ったが、オヤジを殺した矢吹丈の息子だろ?
死んだお袋に良く聴かされた」
段平が訊く
「お袋さん、亡くなったのか・・・・でも貴志がここにいるのをどうやって知った?」
「お袋は俺が五歳の時に死んだので、身寄りの無い俺は孤児院に入れられたが
七年前俺が十二の時に 白木ジムの女社長白木葉子に出会って
葉子の養子になったんだ。.最近になって、その新しい母親から全てを打ち明けられたって訳」
西と段平、顔を見合わせ
「葉子さんの養子になったあー?」
(何やら こんがらがってきましたが、後半はその二 につづきます)
了
