ナンバー51 堀切探訪の巻き | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

(堀切探訪 の巻き)





(堀切の一部)



私はお城が大好きなのです。それも古城とか、山城とか、砦のような小さい城に興味があります。


埼玉の越谷から近くの小城と言えば、映画(のぼうの城)で一躍有名になった忍城(おしじょう)。


ここには映画になる前に3度も行っています。


そして利根川沿いにある、関宿城ぐらいかと思っていたら、なんと車で15分の近くに


城跡公園が有りました。 赤山陣屋跡と言い、江戸初期から末期にかけて家康公のもと、


関東群代を勤めた伊奈氏の陣屋敷跡というのでさっそく行ってきました。


小高い丘の上にきれいに公園化されていましたが、沢山の〈堀切)が残っていました。


私の名字と同じ(堀切)とは何か?そして、私の名字の秘密を 今回は


格調高く? 迫ってみたいと思います。



「堀切とは」


昭和天皇と同じ年に生まれてそれが自慢だった私の親父は、天皇と同じ年に逝ってしまった。


生前の親父の自慢はもう一つあった。


それは「堀切」の姓を持つ我が一族は、元をたどれば菅原道真に発祥すると言う


耳タコの言葉に現れている。


しかし私は最近「堀切一族」という書物に(堀切姓は国守南部氏からの流れの他、


藤原鎌足公を太祖と伝える岩清水氏からも起こった)との記載を見つけてしまった。


どうやら愛すべき親父は、菅原道真と藤原鎌足を取り違えていたのではなかろう

か?。


つづく


「堀切」と言う語源を調べて見ると(地を掘って切り通した堀)となっている。


山城や、砦の周囲に作った堀である。


水を張った〈お堀り)とは違い、その形状も様々であったようだ。


すり鉢状に穴を掘り、土面をぬかるませた物。


「堀切」と「堀切」の間にわざと、人一人が渡れる細い道を残し、寄せ来る敵兵を


一列にして一人づつ迎え撃つように作られた物。


太平記の「堀切を境て掻楯(かいたて)を掻き」の記述を読むと、


この「堀切」で敵兵を足止めにし、楯で垣を作り上方から弓矢や長槍で攻撃した様が


ありありと浮かぶ。


御先祖様は岩清水氏から「堀切」の姓を賜ったのだろうか?。


だとすると、「堀切」で勇敢な働きをした人物なのではないか。


手前勝手な推測だが、敵兵の前に立ちはだかる沈着冷静、豪壮無比の人物だったのでは


あるまいか。


そして私も「堀切」の姓を受継ぐ者、かくありたいと願っている。