ナンバー23 公募に応募 (洋次郎 作品に励まされ) 心の花束21に収録 写真追加 | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。


「洋次郎 作品に励まされ」 六花亭製菓さんの 公募(心の 花束 二十一) に収録。

 

二千 年に佳作を頂きました。 副賞はお菓子を一年分。毎月、一月分が送られて来ました。

 

尚、( 心の 花束 二十一) はポプラ社より、 八百円で発売されています。



 

「洋次郎 作品に励まされ」

 

私が 小学生のときに母が自殺し、 数年後に姉も自殺しました。

 

私の 心は中学のときにはナイフをポケットにしのばせるほど

 

すさんでいました。

 

事件を起こすこともなく卒業できたのは、温かく見守っていてくれた先生方の

 

おかげだと思っています。

 

中学を出て上京しラーメン店に住み込みましたが、曲がった性格は中々なおらず

 

殴られながら仕事を覚えていきました。

 

それでも、二十歳の時には一軒の店を任されるほどになったのです。

 

しかしその直後、肺結核にかかっている事がわかり、長期入院を余儀なくされました。

 

ふたたびすさんだ私は十日ほど病院を抜け出し、帰らなかった事がありました。

 

さすがに気がひけた頃、電話を入れると看護婦さんが、

 

「何も 言わずに、とにかく帰っていらっしゃい」

 

とやさしく諭してくれました。

 

病院に戻るとその看護婦さんは私を院内の図書室に連れていき、

 

「ここには退院した人たちが寄贈していった本が沢山あります。

 

一冊でもいいから読んでみなさい」 と言ったのです。

 

叱られるとばかり思っていた私は、あっけにとられました。

 

それでもそれらの本の中から石坂 洋次郎の( 山の かなたに)という

 

一冊を手にとりました。 帰りたくても帰れない 故郷の山並みが

 

そのタイトルにだぶったのです。

 

そして、まさにその一冊の本が私の人生をかえてくれました。

 

「こんなにも楽しく、すばらしい青春があるなんて。 ぼくは何て無意味な

 

日々を送っているんだろう」

 

私は病床でさまざまな思いをめぐらせながら、 一連の洋次郎作品に

 

没頭しました。

 

それから二年後、完治し退院した私はラーメンの屋台をひくことから

 

人生をやり直したのです。

 

その後結婚して店を持ち、子供たちが成人した今年、私は新たに

 

夢に向かって チャレンジしました。 エッセイを書き始めたのです。

 

それは三十年前に洋次郎 に出会った時、

 

( 僕も人に感動をあたえ、楽しませる文章を書きたい)

 

と願い、ずっと持ち続けていた 夢でした。

 

今日も 私はペンをとります。

 

夢は 必ず かなう、 そう信じて。

 

(完 )