ナンバー21 公募に応募 「ビートルズに憧れて ラーメン屋になった」 | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

公募に応募 「ビートルズに憧れて ラーメン屋になった」

 

 

 

 

公募(ビートルズ 大賞) で 審査員 特別 奨励賞を ゲット 2000 年5 月



 

私が始めて ビートルズのサウンドを耳にしたのは、1965 年。

 

中学三年の時だった。 ベンチャーズに代表されるエレキブーム全盛期で、

 

私も先ず そちらに 飛びついた。

 

当時、ラジオの深夜放送はエレキ、 シャンソン、 ロック 、 マンボ等 洋楽は

 

ポピュラー ミュージックと呼び、毎夜放送。 毎週土曜日には、 ベスト15 を

 

発表していた。 私は毎晩この放送を聞いていたので、朝起きられず 中学では

 

遅刻常習犯と 後ろ指をさされていた。

 

エレキにしびれ、一方では(愛しの パウラ) や(ミセス ブラウンの お嬢さん) も

 

いいなあと思っていた時、 強烈な サウンドと ハーモニーが飛び込んできた。

 

(ヘルプ) であった。 その軽快で、胸躍るサウンドは、たちまち十五歳の私を

 

虜にした。 その日からベスト15 を毎週 ノートに控えるようになった。

 

その記録は今も青春の思い出として、大切に保存してある。

 

それによると、1965年(ヘルプ) は7 月 30 日から 9月17 日までトップを占めている。

 

(アイム ダウン) と(イエスタデイ) が2 位まで迫る週もあるが、

 

結局 トップを守り通している。 ちなみに9 月24 日に(ヘルプ) を抜いて

 

トップについたのは ジョニー テイロットソン が たどたどしい日本語で歌う

 

(涙 君 さようなら) であった。 この事からも解るように、当時は

 

多種多様の音楽が 支持 されていた。

 

思えば のぞかな時代ではあった。

 

(つづく)

 

そういいながらも、その年の年間ベスト 21 を見ると、一位 (ヘルプ)

 

二位( ロックンロール ミュージック) と並び、その他( 涙の 乗車券)

 

(のっぽの サリー)など ビートルズの曲がなんと 8 曲も入っている。

 

いかにすごい人気だったのかを,思い知らされる。

 

さて、 ビートルズの虜となった私はというと、次々と出てくる

 

ビートルズ メロデイに酔いしれ、ビートルズのレコードが欲しくなった。

 

しかし、私の村は山奥のそのまた山奥。 町に出なくてはレコード店は無い。

 

しかも当時一枚四百五十円のシングルレコードは 中学三年生の少年には

 

一か月の 小遣いを貯めてやっと買える代物だった。

 

自転車で片道二時間かけて、町まで一枚のレコードを買いに行くのが

 

毎月の楽しみとなった。 こうしてビートルズのレコードは

 

一枚,二枚と増えて行くのだが、悲しい事に私の家にはプレイヤーが無かった。

 

(つづく)

 

そこで 私は日曜日に学校に行き、音楽室で 隠れて一人ビートルズに

 

聞き入っていた。 ある日、このすばらしい音楽を村の人々にも 聞かせたい

 

という衝動にかられ,校庭のスピーカーを通して 静かな山間の村に大音量の

 

「D I Z Z Y M I S S L I Z Z Y」を流したのだ。

 

ビートルズの歌声は 狭い村を突っ切り、山にぶち当たってこだました。

 

その音量にビックリした ヤギは草を咽 に詰まらせ、ニワトリは飛び上がった

 

拍子に卵を一個 産み落としたのではないだろうか?。

 

すぐに教員住宅の校長が すっとんで来て、大目玉を食った。

 

でも、私が如何にビートルズを愛しているかを 切々と訴えると、校長は

 

音楽室で一人静かに聞くことを条件に 黙認してくれた。

 

橋本校長大先生様、 あの時は本当に ありがとう ございました。

 

もし、あの時ビートルズのレコードが聴けなくなっていたら 多分

 

私は グレていたでしょう。

 

(つづく)

 

そんなことをしている内に年が明けて1966 年となり、卒業の日が近づいていた。

 

私は就職する事に決めていて、 大阪の 就職先をさがしていた。

 

第一希望は レコード店,次は電気店すべてビートルズがらみであった。

 

行きたくなかったのはラーメン屋、関西の うどんで育った私は

 

ラーメンが大嫌いだった。 しかし中々希望の就職口が見つからない。

 

そんな時にビッグ ニュースを耳にした。

 

ビートルズが 六月に東京の武道館で、来日公演をするというのだ。

 

私はすぐに上京を決意した。 もちろん、ビートルズを一目見るためである。

 

遠い親戚に 手紙を出し、都内の就職口を探してもらった。 ほどなく、

 

「ラーメン店なら 人手を欲しがっている」 との返事が届いた。

 

ラーメン屋? 一番嫌いな所じゃないか。 それに レコード店とは程遠い。

 

しかし、ビートルズ公演も迫っている。 とにかく早く上京したかった私は

 

その店を紹介して貰った。

 

ビートルズに会える事を胸に描いて、私は四月一日 故郷の村を後にした。

 

(つづく)

 

翌日 着いたのは足立区竹ノ塚 。東京の外れではあるが 都内には違いない。

 

レコード店も近くにあるし、プレイヤーを売っている電気店もある。

 

私はうれしくて 空高く飛んで行きそうだった。

 

六月三十日の武道館公演はチケットこそ手に入らなかったが、 せめて

 

当日は会場の近くに行こうと思っていた。

 

しかし、就職した ラーメン店は そんな企みなど ぶっ飛ばしてしまう程忙しかった。

 

休みなど 貰える筈も なかった。

 

六月 三十日、ビートルズが オープニングの(ロックンロール ミュージック)を

 

歌い始めた 午後 七時三十五分。 私は出前の 自転車をこいでいた。

 

( ヘルプ)を歌いながら・・・・・・・・。



 

こうして私はビートルズのおかげでラーメン屋になった。

 

嫌いだったラーメンも、いつの間にか 大好きになっていた。

 

今も、 自分の小さなラーメン屋で 麺をあげている時、ラジオから

 

ビートルズのメロデイ が流れて くると、遠い故郷の 山並みや

 

青春の日々を なつかしく 思い出すのである。


 

イエスタデイ・・・・・・(きのう ) の事の ように。

 

( 完 )