ナンバー5 ニジマス雑話 (山と 渓谷 ) | 堀切光男のエッセイ畑

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ニジマス雑話 「山と渓谷」2000年5月号 創刊70周年記念特大号に掲載


 

山は新緑の、ある日曜日。山いこ会の四人は、川苔山に登るべく、川苔谷を歩いていた。

 

岩をつたったり、丸木橋を渡ったり・・・・・・。

 

この谷の紅葉の頃もいいのだが、新緑の頃もとても綺麗なのだ。

 

めざとく渓流に魚影を見つけた K さん

 

「お、いるいる。ヤマメやな。車に戻れば竿が乗っけてあるんだがなあ」

 

「今日はダメですよ、釣りは。この山は前にも来たけれど、結局、ひゃくじょうの滝までしか行かなかったでしょ

 

う。 今日は何が何でも山頂まで行って下さいよ」

 

「うーん、残念だなあ。尺はあったなあ、あのヤマメ」

 

「K さんは渓流釣りも好きみたいだけど、これまでで一番の大物はどれくらいあった?」とS さんが聞く。

 

「48 センチのニジマスを釣った事あるど。その姿見てから、毎週休みに通って、2 ヶ月かかってやっと釣り上

 

げた。釣り上げるまではイワナかと思っていたら、これがニジマスやった。

 

上流に釣り堀があったから、そこから逃げ出して大きくなった奴やろな」

 

「へえ、2 ヶ月もかかったんなら、色々試してみたんだろ?」とT さん。

 

「そらもう。朝に行ったり、夕方に行ったり。エサもいろいろ変えた。ルアーやフライも試してみたんやが、

 

それでもダメなんや。 そいつがいる淵は、林道のすぐ下。 魚留の大渕でね、三方が切立った崖やから、

 

岩の上からしか竿が出せん。 そーと近づいてみるんやが、どうも人の気配を察知している様なんや

 

それでワシは、あることをふと思いついた。外国の歌曲だかクラシックだかに[鱒]ゆう曲があって、

 

その解説を思い出したんや。 それによると、ある川に大きなマスの主がおって、釣り師がずっと狙っていた。

 

ある日釣り師は一計を思いつき、実行してみる。 上流で川の水を濁してそっとマスのいる淵に戻る。

 

やがて濁りが流れて来た頃、竿を出したら難なく釣り上げる事が出来たと言う話や」

 

「へー、頭いい。それでめでたく釣り上げた訳だ」

 

「いんやあ、ぜんぜんダメ。だいたいその話は初めからおかしい思てたんや。 外国の魚は知らんけど、

 

日本の魚は賢いで。気圧の変化やエサの羽虫の飛ぶ高さから、雨が近い事がわかるんや。

 

増水する前に、小石を飲み込んで、魚体を重くする。 大水に流されないようにするんやな。

 

そんな賢い魚が、雨も降らんのに急に水が濁って来たら、ヘンに思うわな。それでな、ある日どうしても

 

釣れんから、岩の上にあぐらをかいてそのニジマスの行動を観察してたんや。すると人の足音がすると

 

さっと岩陰に隠れるのに、林道を車が走っても、なんも反応しない事に気がついた。

 

そこでワシはひらめいたんや。

 

次の休みの日、朝、車で乗り付けるとアクセルに石をかませて、エンジン音を大きくしてそのままに

 

しといた。エンジンの振動で足音を消す作戦や。

 

岩の上をはって行って、下も見んと、いつも奴が潜んでいるあたりに竿を振り込んだ。

 

エサはイナゴやったな。作戦は見事成功。

 

一投目できたんや。 そりゃあすごい引きで、糸はとうしの一号やったけど、無理は出来ん。

 

一時間は踏ん張っとったわ。というのも、岩の上やから取り込めないんや。

 

さすがは川の主やな、水面に浮かせようにも、浮いてこんのや。

 

その内、狭い林道に車を止めて置いたもんで、後続車がきよってな、クラクションを鳴らすんや。

 

ワシは大声で呼んで、その人に竿を持って貰ったんや。急いで川に降りて、鯉用のタモを持って近づき胸まで

水に入って、やっと取り込んだんや」 Sさんは半信半疑の顔。 するとTさん、

 

「いやあ、私も友人から同じような事を聞いたよ。その友人は猟師なんだけどね、彼は獣みちが林道を

 

横切る場所で待ち伏せしていた。 ところが鹿の姿を見つけても、なかなか林道まで降りて来ない。

 

鹿も人の気配を感じ取っているんだ。で、その友人はある日、新聞を読んでいてはっとした。

 

最近、広域林道で車にはねられる動物が、非常に多いという記事を読んだんだ

 

つまり、山奥まで道が伸びて文明が入った結果、動物たちは車は見慣れた物、エンジン音は自然の中であり

 

れた音と認識する様になってしまったと言う事だよ」

 

「動物の習性も、時代で変わると言う事やな」

 

変わらないのは、山登りに来ているのか、おしゃべりに来ているのか、相も変わらずわからない、

 

われわれの山行なのであった。 了