OHIYORI日誌 -4ページ目

OHIYORI日誌

3児のハハの子育てお天気報告

■期待はかけすぎず…

今年もやってまいりました。胃の痛くなるような運動会シーズンが…!!昨年のほろ苦い思い出がトラウマ的によみがえりつつ、逆に過剰な期待は落胆のもとと心して本番当日を迎えることとなりました。

日時は毎年同じで、10月10日。当時は毎年体育の日で、祝日。

今年の参加種目はかけっこと、体育遊び(障害物競走)がおもな出場種目。

昨年と違い、演技の順番なども園側は工夫してくれていて待つのが苦手なうららは一番最初の出番です。

それでも出遅れた時にはいっちょまえにくやしくてメロメロになって泣きながら演技をするありさま。

すごい成長です。


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障害物競走は、ほかのクラスメイト達は、跳び箱をぴよーんと跳躍。でもうららは、よじのぼりそこからジャンプ。

のぼり棒も、棒は登らず横の鎖をよじ登る。

てんぐゲタという、一本歯の下駄も、うららは特別仕様のカンぽっくり。

それぞれみんなより変則的になっていたものの、うららの精一杯を、めいっぱい見せてもらえたと思う。

それまで、練習中にはできなかった鉄棒の足抜き周りも当日できたりして、先生方にはずいぶんと褒められたようでした。

最初ののぼり棒の時にはあやうく落ちそうになり、ヒヤッとしたものの、半べそをかきかきそれでも最後まで頑張った姿を見て、えもいわれぬ感動を覚えました。

よくやったなあ。


■保護者の結束力と本当のやさしさ

うらら自身の成長もさることながら、今年の運動会でもっとも嬉しかったのは、ほかの保護者の方の励ましの声援と拍手。昨年は一番最後に演技をさせてもらったものの、ほとんどできないものばかりで、盛り上がっていた場内が一気にしらけてしまったのが嫌というほど記憶に残っています。そんな中で申し訳程度に参加させてもらっているうららの姿はとてもみじめに見えました。だから、トラウマ的に私の中には残ってしまっているのです。今でも時々うなされるように夢に出てきます。

今年は失敗しても、親の私たちが声をかけるより先に、場内の多くの保護者から声援や拍手があり、すごくあたたかい気持ちになりました。

あらためて、この保育園の仲間として認めてもらっていると気づき、そちらのほうでありがたい思いがいっぱいでした。うれしくて涙が出そうでした。


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心からの感謝をこめて…。

うららの2年目の運動会は、私たち親にとってもいろんな意味で救われた一日でした。

(1998/10/31記)




 ■うらら 4歳9か月■
夏場のプールで、保育園の先生方をかなり振り回し、母は以来針のむしろで保育園にはますます何も言えなくなっていました。
やがて9月に入ると、今度は運動会の練習。
ここでも、またさらなる差別的な扱いが顕著に出てきました。
「うららちゃんはうららちゃんのできることしかできないのだから、ほかの子とは一緒にできないと思います」そんなことを担任の保育士さんは言い放ちました。
つまり・・・運動会には参加しないでほしいと暗に言われてしまったということで。
それに先立って、夏頃に、私の煮詰まった気持ちとうららの情緒不安定と多動のことについて市の保健師さんから保育園側へアドバイス的な対応をお願いしました。

 

ほかの保護者の間からも、障がいのある子どもだけを除外した活動が目立って、逆によろしくないという話題がちらちら出ていた頃。
もちろん集中力のない子を、みんなと同じ時間だけ集団活動に無理やり参加させるのは難しい。うららの場合1対1だとわりとおちついて指示が入るのですが、集団行動になるととたんにだめ。
でもせっかく保育園に入れたのですから、途中で飽きてしまうとしても、最初から外すのではなく誘いかけを積極的にしてもらえれば参加できるものもあるのではないかと思い、そんな希望を直接園側に言えず、保健師さんから障がいの特質などを踏まえて話していただきましたが、逆効果だったようで、「なんでわざわざ専門家を読んできて苦情みたいな嫌がらせみたいなことを言うんだ」というような、そんなことを聞こえよがしに担任に言われたこともありました。
けれど、しぶしぶながら、先生方が先生らしく対応をしてくれるようになって私も少しだけ気持ちが落ち着いてきました。
加配の先生がどんなによくしてくれても、担任の先生がそっぽを向いている状態では、気持ちが休まるときはありませんでしたから。
運動会の練習も、それまではほったらかしだったものを、少しずつ呼びかけて誘ってくれ、集団の中にも少しずつ慣れてきました。
誘われると気分によっては、嫌がることもありますが、練習をみんなが1時間すればそのあいまあいまで参加したりできるようになってきました。
また1学期にはただの殴り書きだからと、1度も張り出してもらえなかったお絵かきも、殴り書きから円、そして小さなまるをたくさん書けるようになって、それを張り出してもらえるように。
定型発達の子にはわからない、細かい成長をどんなにかうれしく思ったことでしょうか。
苦手で大嫌いだった担任の先生とも少しずつ打ち解けてくるようになり、いかに環境の変化に左右されるかがよくわかった数か月。
自分のことを好きじゃない人の事は、こんな子は特に勘が鋭いから、嫌いなのでしょう。だから、どんなに担任が口先だけでかわいがっても、嫌いだったのはよくわかります。見抜いていたというか。

■快晴 1歳4か月■
最近風呂上りに、彼は発見した。
おしっこが、ちんちんから出ていることを!!
固まっていたので、横から「しっこ、じょじょじょじょじょ~ってでてるね~」というと、うれしそうに「よよよよよよ~」っと繰り返し、全部その場にぶちまけてしまわれましたわ~(笑)

以来、ハダカになるとちんちんをながめて、出るのを待っている。
(どうやらまだ自分でコントロールできないらしい。)
そして、出るとまた「よよよよよ~」。
実にうれしそう。
男って出ているところが見えるから、オシッコしてる実感がわきやすそう(笑)
うららのトイレトレーニングの時には、実感がうまくつかめない彼女との戦いの日々だったが、いや~素晴らしい。
とはいえ、快晴がすんなりとれるかはわからないわけで…。
当分は彼の満足そうな「よよよよ~」に付き合ってみますか。

 
 



未だに私がいなくなると狂ったように泣き出す彼。
この頃指さしがとても多い。
ことばも少しずつでてきました。相変わらず大泣きすると最低 30分は止まりません。(1998/10/01記)



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快晴が生まれて間もなくのころ、「うららはお姉ちゃんなんだから!」とか「お姉ちゃんらしくしなさい」とかは絶対言うまいと心に決めていました。

できれば姉弟同士、名前で呼び合う仲になってほしいとも思っていました。

それから間もなく1年半が来ます。現在、そのその計画は見事に失敗しました。

「お姉ちゃんらしくしなさい」は、よほどのことがない限り出ていませんが、ほめる場面では多用しています。

「うららは、おねえちゃんだねえ。えらいねえ…」とか、「やっぱりお姉ちゃんはちがうね」などという具合に。ほめ言葉だからいいよね…と思うんですが、こころのどこかで引っかかっています。それはかつて自分自身が子どものころ、いつも親から求められていた『姉らしさ』と同じと思うから。

怒られるとか、叱られて怖いとか恐怖は伴わないのですが、この言い方には相当な威圧感がありました。つねにいい子で弟の面倒を見る『姉らしい姉』を、暗黙の了解のもと、ずっと演じ続けた記憶。そして、ある年齢で我慢の限界が来てしまいました。――あまりいい思い出ではありません。

だからあまり使わないほうがいいと思いつつ…。

うららはそんなだから、快晴に対しては「これはお姉ちゃんのだからだめよ」とか言って、結局お姉ちゃんを意識しているよう。不思議なことに、快晴にはどんなに嫌なことをされても、反撃はしない。とことんかわいがっているようです。

快晴の方もそんなうららに最近とても好意をもっています。うららが保育園に行っている間はとてもつまらなさそうで、やたらぐずるのに、休日や夜はお姉ちゃんにべったり。時々思い出したように泣きべそをかきながら私のところへ来るのですが、すぐまたうららに呼ばれると喜んで行ってしまいます。ほほえましい光景です。

もう少し大きくなると、ケンカも激しくなるのかな。

2人で手をつないで眠る姿を見ていると、このままずーっとなかよく成長してほしいなって…親の勝手な願い。


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来春、3人目が生まれてくるとこの二人の関係はいったいどんなふうに代わっていくのか、ちょっと楽しみだったりするんですが、仲睦まじい姉弟愛にあぐらをかきすぎると、先で自分がしっぺ返しを食らいそうだな…とか思ってしまう、心配性の母なのでした。(1998/10/01記)





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5月で快晴が1歳を迎え、ぼちぼち歩いたり、普通食を食べられるようになってきて、手も少しずつかからくなってきたなあと思っていた頃。

ちょうどうららの療育のほうも真剣に考えなくてはいけないと、保育園任せの後ろめたさと、最近情緒不安定が輪をかけて大変になってきて頭を悩ませていたところだった。

ここはいっちょ児童相談所に相談して通所施設を改めて探してみようかなと、7月に行われた保健所の精神発達の定期検査の時に相談。

保健師さんを通じて療育施設を探してもらうことになった。


そして、それから1ヶ月ほどたったころ。


誰が予想だにしていたか…。

まさかまさかの妊娠発覚!!!!!!!!!

兄弟姉妹は多いほうがいいかもな~…、将来助け合ってくれそうな気もするし…とか、漠然とOHIYORI日誌 考えてはいたものの…。

いざ、懐妊してみると…。

快晴とあまり年もちがわないし。

うららはまだおちつかない。

また、障害児が生まれたらどうしようというドキドキしながら10ヶ月過ごすのかと思うと、胃が痛い。

そして、何より私自身、椎間板ヘルニアの治療中だ。

体重を増やすな、重い荷物を持つな…が鉄則なのにっっっ!!!

正直、わらうしかない。

何もせんでも妊娠したら10キロくらいは軽く体重増加が見込めるよなあ…。



でも、授かった命。

育ててやりたい。

命を親の勝手で絶つようなことは絶対に嫌だ。

そんな一心で、実家の母をはじめ、周囲の心配を迷いつつもはねのけ、現在14週。

とりあえず、つわりはあるが、腹の中は順調です。

半ばヤケクソの境地なんだけど、無事に元気な子が生まれてくるよう、腰が少々痛かろうが這ってでも3回目のマタニティライフを送ろうと、まさに胎をくくりました。

この腹の中の子、予定日は学年のボーダーライン付近。

1999年4月3日。せめて予定日まではおなかにいてほしいなと思ってる。

夫が3月30日という超早生まれなのだけど、子どものころにいろいろからかわれたりして苦労したそうなので、できるだけ新年度に生まれますようにと、祈らずにはおれないのです。

でも、快晴は36週で生まれたし…。果たしてどうなるか、結果はこうご期待!!(笑)


1998/09/30記




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■まってましたのプール開き■


今年の保育園のプール開きはいつになく梅雨明けが遅れたので、それにリンクして遅かったです。

7月19日に夏祭りが行われ、その後残った保護者によって簡易プールをみんなで組み立てました。

昨年はO-157の流行によって、日本中が警戒態勢でどこの園もプール遊びには慎重でした。今年はそれはなかったものの、梅雨明けも遅かったせいか、園長先生のGOサインがなかなかおりませんでした。

幼稚園と違って保育園は夏休みがありませんから、すこしくらい遅れてもまあ許容範囲かもしれませんが…。

昨年、うららは初めての保育園生活でやたらめったら病気をもらって、ほとんどプール遊びができませんでした。結局シーズン中、2回のみ。帰省中にばあちゃんちでビニールプールに入って遊んだほうが多かったくらいです。

今年は、プールが始まる前の5月くらいから毎日のように水遊びや泥んこ遊びに夢中だったうらら。

本格的なプールはまさに待ちに待った一大イベントといったところでしょうか。

プール開きの前日には清掃が行われました。

手伝うつもりが何度も裸足で園庭に下りてはまたどろどろの足できれいになったプールにはいる…のくりかえしで、そうとうな足手まといになった模様…。

先生方は何度もキレそうになりつつ、炎天下清掃をしたそうです。しっかりいやみのように連絡帳にそのことが書かれてありました(笑)




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■三度の飯より…ひるねより…■


プール開き当日からまさに言葉通り水を得た魚(体型に関してはマンボウかも…())のようにおおよろこびのうらら。

大きいプールと、乳児用の丸い2メートルくらいのプールを行ったり来たりして、あっという間にお昼になったそう。

みんなと一緒にプールから出て着替え、給食、そしてお昼寝へと保育園の日常の流れ通りに行くかと思いきや…。

彼女は食事が終わるか終わらないかのうちにプールバッグと濡れた水着をもち姿を消す。

先生方が探し回ると、なんと屋上で水着に着替え、再び園庭までダッシュ!!彼女の目的はもちろんプール。

こんなことがその日以来、毎日のように、しかも時間を問わずに繰り返されているとのこと。

先生方は目が離せず、本当に疲労困憊。

加配の先生は、万が一のことを心配してうららともう一人の障害児につきっきり。うららは黒焦げの魚のように真っ黒。加配の先生も、嫁入り前の娘さんなのにこんがり小麦色に…。本当にお気の毒です。申し訳なくて仕方ありません。

うららは、登校園の時にはいつも自分で荷物を持ったことはないのだが、プールバッグだけは絶対に誰にも渡さないのです。

プールが始まって、やっとそれまでのストレスが一気に解放されたのか、毎日がたのしくてたのしくてたまらない感じです。

4月に進級して以来、クラスや新しい担任の先生のやり方になじめず、野良犬のように園内を行き場もなくうろうろ逃げ回っていた1学期。心配していましたが、すこしだけ進歩があったのかと思います。(1998/07/31)

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実は、この時の日記には書かれていませんが、実は先生方の眼を盗んで1人で勝手にプールにつかっていたところを、たまたま早退する子どもを迎えに来られた保護者のお母さんに見つけられたということがありました。

このことは実は園から私には伝えられてはいませんでした。

ずいぶん後になって、そのお母さんから直接聞いてびっくりしたのです。

加配の先生はおそらくこの時かなり叱られたのではないかと思います。

本当に申し訳ないばかりです。

もし、この時に発作が起こっておぼれるような事故が起こっていたとしたら…。

今となっては、思い出ですが、当時は本当に周囲の大人をびっくりさせるようなことばかりしていたうらら。

知らないところでたくさんの人に助けられていたんだなあと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。




■我が家流!必殺!!お食事マナー■


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…メニューを考える。…材料を用意する。…作る。…盛り付ける。…食べる。…そして片付ける。

この一連の作業がとてつもなく疲れる今日この頃。

元々、料理は苦手。食べること自体あまりこだわらないほうなので、毎日この繰り返しをするとパワーが消耗するのが分かる。

ましてや、自分以外の腹を満たさなければいけないという使命がある。

腹をすかせたひよこどもが我が家には二匹いる。


うららは割合早くからスプーンや箸を使っていたが、快晴は親のほうがそこらへんを汚されるのを嫌って自分で食べさせるクセを付けるのが遅れたせいで、現在、手づかみ食いまっただなか。自信だけはあるようで、食べさせようとするとプイと横を向いたり、怒ったり…。だからもう、勝手にやってちょうだい、食うがまま、なすがまま…。

用意した半分以上はそこら中にこぼれてまきちらされている。特に母子3人だけの平日の食事はすごいのなんの…(笑)


うららの箸は早かったといえば早かったのだが、(母子手帳には1歳過ぎと記されているが…)使うだけで決してきれいに華麗に食べるわけではない。夕方はテレビに釘付け(これは親のしつけが悪いのだが…)なので、ついつい他がお留守になる。だから手に持ったお茶が味噌汁が…気づくと足元にだらだらとみずたまりを作っている。彼女は鼻が悪いので、鼻水をたらしたまま飯を食う。たまごの白身のような鼻も当然口に入る…。


母が食べるまもなく、子どもたちが食べ終わると、今度は皿や器で遊び始めるので、あわててシンクへもって行く。飯粒だらけの快晴が動き出すと、あちこちにねっちょりしたご飯をばら撒き、地雷のようで他の者が歩けなくなるので、先にベランダに連れて行き、飯粒まみれで味噌汁色のエプロンをはずす。そして飯粒をふるい落とす。実はこの飯粒を食べにすずめが毎朝やってくる。

これを考えるとこのすごいお食事マナーも自然界においては、食物連鎖の一端を担ってるんだなあ~……な~んて、大げさな話だが感心してみる。すると少しイライラと疲れが減る気分(笑)でも、一方では、ティッシュペーパーを2日に1箱つかうという、恐怖の環境破壊もやってる。

やっぱりどっと疲れが…でるわあ~(笑)     (98/07/25記)



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■成長のあかし?■

子ども達のお食事マナーは今でもそんなによくはないのですが、このころが絶頂期だったと思います。

だけど、ネタにしたいほど、すごかった。笑えるほどいつも飯粒だらけの食事後。テーブルも床も椅子も、子ども自身も…(笑)

日向はまだ生まれてなかったのですが、日向が手づかみ時期に入る頃には、他のメンバーは大分まともに食事していたと思います。

最近では、快晴、うららともに、手伝いとして食器洗いを時々やってくれます。こんな日がくるとは思わなかった、あの日の私に希望を与える声かけをしてやりた~い(笑)



先日、某育児講座で、反抗期の話を聞いてきました。

そのとき、第一反抗期の始まりは、何といっても食事の好き嫌いであったり、自分で食べるという意志の表われ(自己決定)であると言う事を聞き、なるほどとなっとく。

快晴もこのとき、おかあちゃんから物を食べさせてもらうのはもう嫌がっております。立派な反抗期です。

反抗期には入ると大変かもしれないけど、ないほうが心配ですからね~。人間生きるうえで一番大事な食べることを自分の意志で決めるということが成長の第一歩なんすね~

■おねんねとんとんの項


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快晴はうららと違い、寝付くまでに添い寝をしてやるか、抱かないとだめ。最近は極限まで来るとパタッと寝付いてしまうこともあるものの、まだ背中をとんとん叩いてやりながら…というパターンから抜け出せないでいる。

うららは早くからゆびしゃぶりをしつつ、いつしか人のトレーナーの襟のゴム編みをぐにゅーっと引っ張ってもぞもぞしつつ寝ていた。さすがにいくらトレーナーがあっても足りないので、ゴム編みのかたまりみたいな子供用腹巻を与えて安眠アイテムにしたらあっさり親なんかいらなくなってしまった。

最近、気づいたことがある。

快晴を寝かせようと、抱っこして背中をとんとんすると、それに応えるように、私の背中をとんとんしてくれるようになった。

はじめてこれをされた時、なんかすごいカルチャーショックを受けた。

『0歳のあかんぼにとんとんされた!』という、うれしいような複雑な驚きがあった。快晴に感情移入はまだないと思うけど、こちらが勝手に「なんて優しい子なんだ!!」と親孝行な行動に感動の涙をこぼしそうになっている。

これも…親ばかのなせるわざと笑ってやってください(笑)









■恐怖!入院騒動!!

そんなこんなで、成長を親ばか丸出しで喜んでいた矢先のこと。

夏風邪をこじらせて、熱が上がったり下がったりを繰り返していた。長引く熱に、何度か通院したのだが、小児科で点滴をした帰り、車の中で突然の引きつけ。熱性けいれんだったが、意識は止まり、白目をむいて口から泡を吹きだしたのでそれはもう、抱いていた自分のほうが真っ青に…!!

ただ、こんな時もハンディキャップのある姉を育ててきた経験からか、どこか冷静。

起きた時の時間をチェックして、何分間痙攣していたか、じっと車の時計で計っていた。

夫が運転していたので、すぐに元の小児科に引き返し、処置をしてもらった。おそらく痙攣と硬直をとる薬を投与されたせいか、ぐったりして処置室のベッドに寝かされている快晴を前に、ドクターから「とりあえずおさまったから、連れて帰っていい」と言われたものの…。この状態で連れ帰って、また自宅で何か起こっても対応ができないんじゃないかと…心配になった。とりあえず大事を取って、大学病院に入院することになった。

搬送は救急車で。

生まれてからいつも、うららが保育園からもらってくる感染症のおすそわけにまみれていた。

よく熱も出していたが、まさかまさかの激しい痙攣に正直凍りついた。

うららもてんかんという病気を持っているが、まったくちがう痙攣の症状なので、本当に驚いたし怖かった。

母は胸がつぶれそうなくらい心配した。

入院後も熱の下がりが悪く、たびたび解熱処置。氷枕も手放せない。OHIYORI日誌

予断を許さない状態がしばらく続いた。熱性けいれんだけならば、翌日にでも退院できたのだが、あまりにも熱が下がりにくいため、髄膜炎の疑いがあるのではとドクターが検査をすることに。

かわいそうに、太い針を背中にぶっすりさしての検査。結果は陰性。

最終的に5日間の入院となった。この5日間、乳幼児には24時間親が付き添う決まりなので、やむをえず私が付添い。夫も仕事を5日も休めないため、うららの世話は広島からばあばに来てもらって、大阪の親戚の家で面倒を見てもらうことに…。まったく大騒動になってしまった。




■入院中エピソード

急な入院だったため、小児科病棟の空きがなく、外科・泌尿器科の病棟へと入ることに。個室だったけど、両隣とも高齢者の方。夜泣きはするわ、日中もよくなくわで、迷惑だったのではないかと思い、お顔を見れば平謝りの母。とりあえず、菓子折りもって謝りに…。「うちにも孫がいてるから、だいじょうぶやで」と言ってくださり、リハビリで廊下を通るときにも声をかけてくれる方ばかり。退院の日には、みんなで廊下に出て見送ってくださった。関西の人の優しさに感謝した。ほんと。


(1998/06/10記)


■お返事はーいの項


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なかなか芸が出てこない快晴。手をたたくとかくらいしろよ~ネタがないじゃないか…と人知れず気をもんでいましたが、ある日突然、名前を呼ぶと手を挙げて「あーーー!」と返事をするようになりました。

それまで、喃語の延長のような「おとーとん」とか「おたーた」は言っていましたが、いまいち怪しく…。

親ばかの空耳といわれれば、それまでよという程度の芸だったので、今回の『お返事はーい』はようやくひとさまにも自信をもってお知らせできる一芸になりました。














■あんよの項

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つたいあるきを始めてから早か月あまり。一体いつになったら歩き出すのか…こちらも気をずいぶんもんでいました(笑)

最近ようやく手を放して一歩踏み出そうと努力しています。

なんせ家が狭いので、捕まるところには事欠かないわけで。くるりと振り向けば、テーブル、いす、タンス、本棚、テレビ…。ちょっと手を伸ばしただけでつかまり立ちにもってこいの環境満載。

そんなこんなでそう親の期待通りに、さっさと歩いたり走りまわったりすることなく…(笑)

ハイハイだけは、グレードアップの一途をたどり、猛スピードで家中を走り回っております。

立って歩くのが怖いのかと思いきや、座卓の上にははいのぼり、食事用のローチェアには立ち上がって自ら飛び降りようとするし…怖がりなんかじゃないようです。

もうすぐ1歳1ヶ月。ぼちぼちと歩き始めた快晴にとって一層行動範囲が広がることは間違いありません。

親としてはうれしい半面、ますます目が離せなくなって気の抜けない日々がやってくるぞという感じです。

それにしてもあの自信満々の笑顔をみると、こちらもうれしくて仕方ない今日この頃です。ああ親ばか。


(1998/06/10記)





快晴が1歳を過ぎて胎毛筆を作ることに決めていたので、行きつけの美容院に行きました。

そのために生まれてから一回も鋏を入れたことがなかった快晴の髪の毛。

天然パーマということもあって、女の子と見まごうばかりのくるんくるんパーマのロン毛になっていました。

年末に実は作る予定でしたが、ちょうど病気のオンパレードになっていて、髪を切りに行けず持越ししていました。

ざくざくカットしてもらい、終わった時にはよくあるパターンの坊ちゃんカット。

不思議なもので、髪を切っただけなのに「男デアル」っちゅう顔になったわけで。

快晴的には、1年分のうっとおしさを一気に吹き飛ばしてすっきりした感じだろうな。


それと同時に私もうららもイメージチェンジ~♪


うららは伸びた髪をちょっと切っただけでイメージは変わらず。

こちらは相変わらず男子とみまごうばかり…(笑)

でも、カットの時間はものすごくかかってしまいました。嫌がり方がナミじゃないんですよ~(笑)



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私はそろそろまた髪を伸ばしたいと思っていたところで、伸び放題のストレート。

ストレートといっても若干のくせっけです。

あっちへこっちへはねまくり、所帯じみたおばはんの頭になっておりました。

で…今回、パーマをかけることに。

でもって…よせばいいのに、「流行のゆるふわパーマしましょう」といわれ、のせられ、大量にレイヤーを入れてパーマをくるくるかけたわけ。

当日はなかなか素敵にまとまってて、結構気に入ってたんですけどね…。

翌日、目覚めてびっくり。

「ライオン丸がいる~(泣)」

鏡の中で髪が爆発している女がひとり。

しかし、それから忙しくてかけなおす暇もなく、そのまま今に至ります。

毎朝秒刻みで準備をする中に、どうしても避けて通れない髪との戦いがその日から始まりました。

やはりずぼら手抜き主婦には、手間のかかからぬストレートがよろしいようです。


イメージチェンジが決まったのは快晴くらいでした…とほほ。


(1998/06/08記)





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■今年のこどもの日は快晴の初節句■

快晴が生まれた間もなく1年になります。誕生日は5月。5月ですからこどもの日。男の子の節句です。

正月に帰省した時に初節句のお祝いをするからとすでに話が出ていました。

本来なら嫁側の実家からこいのぼりなどを用意するものらしいのですが、このときはおじいちゃんのたっての希望で夫側の実家で用意してくれることになりました。ちなみら娘のときには嫁側(私)の実家がお雛様を準備しました。

当初夫から、「俺の田舎でこいのぼりなんかたてとんの知らん。お祝いなんかきいたこともない。」と聞いていたので、そんな話が出て少々あわてましたよ。

勝手に、平家の落人伝説があるような山間部だから、男の子が生まれたのを隠す風習でもあるのかと思っていたくらい…(笑)

こいのぼりもマンション用の小さなものでも用意しようと思っていたのですが…。

急きょ話が変わってきました。

じいちゃんの話では、「長男が生まれてお祝いせん家なんかない!親戚一同が集まっていわうもんじゃ!!」と、話がでかくなってきました。

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■本当に屋根より高かった!■

車で移動し、フェリーに乗って、また車でずいぶん走って…一日仕事。

ようやく実家に到着した時には疎とはまっくら。

翌日、夜が明けて外に出た時…。

7~8メートルはあると思われる竿に、ものすごい大きなこいのぼりが泳いでいました。

一番大きなまごいは6メートル。見上げるような鯉です。

武者のぼりも横に立ててあり、おじいちゃんの力の入れようがすごいことがわかります。

大阪の狭い社宅の窓から近所のマンション用のミニサイズばかりを見てきた私たちの眼にはカルチャーショックをおぼえるほどのでかさ!そして豪華さ!(笑)

うららなんか、こいのぼりが大好きで、自分がほしくてしょうがなかったので、本当に驚きとうれしさでいっぱいの様子。それまで「のぼり」としか言えなかったのにちゃんと帰るころには「コシノボリ」といっていたくらいですから、いかに心に刻まれたかわかるというもの。
とうの快晴はというと、ゆれる鯉を最初は物珍しそうに見ていたものの、物ごころついて初めてのじいちゃんの家に、緊張の連続。場所みしりに、人見知り絶頂の時期だったので、うれしいも何も…表情はいつも泣き出しそうな顔。お父さんにもなつかないくらいですから、おじいちゃんに抱っこされるどころか…。

せっかく張り切っていたのに、泣かれてじいちゃんはつまんなさそうでした。


■お祝いしましょ■

お祝いは4日に行いました。…節句当日の5日には私たちは大阪に帰らねばならず、じいちゃんたちも村あげての村民運動会のため、一日繰り上げてのお祝いです。

一生食べるものに困らないようにという一升餅を前日から準備してくれていました。

当日は夫の妹たちが2家族集まってくれました。

はじめは広島の私の母も呼ぼうと誘ってくれていたのですが、母は仕事のため残念ながら来ることができませんでした。

結局本正月に集まるだけの顔ぶれになりましたが、それでもごちそうを囲んでみんなでお祝いをしてもらえて幸せでした。

いつも帰省のときには、一番年下の長男の嫁ですから、用事もないものですが、今回は多少お手伝いをさせてもらいました。

その後、大人たちは世間話に花を咲かせ、子どもたちは早々に外で遊び始めました。

いつもの帰省と違うのはとりあえず、快晴の初節句だという大義名分…かなあ。


■ありがとうおじいちゃん■

5日に帰る途中に夫の友人の家に立ち寄りました。その時に聞いた話では、じいちゃんはこいのぼりを立てたことを合う人会う人に話していたとのこと。男の孫が生まれたことがうれしくて仕方ないと目じりを下げっぱなしであちこちに自慢していたそうです。

それを聞いてびっくり。そんな様子、全然私たちの前では見せなかったのに…。

照れ臭かったんでしょうかね。

この次に来た時には快晴の人見知りが少しでもなくなっていればよいのですが…。

私の口からはお礼はいっぱい言ったけど、せめて快晴が泣かずに頑張ってくれたらよかったのに…と思いつつ…。とはいえ仕方ないのだけど…。

なんだか複雑で申し訳ない気持ちになってしまいました。


■誕生餅をしょった快晴の話■


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今回の帰省では、誕生日も近いので一升餅を用意してくれていました。

それを1歳の誕生日に背負わせて歩かせると一生食べ物に困らず、元気に育つという赤ちゃんの行事があります。

快晴はまだこのとき、自分で歩くことはできなかったのですが、とりあえずは一人で机にかじりつくようにして立っていました。

泣きながら、うめきながら、雄叫びに近い声で…(笑)

うららのときには宅配便で送ってくれた餅を背負わせて写真を撮ったのですが、重すぎて立つこともできず、大人が引っ張って支えた覚えがあります。

それを思えば、上出来(笑)

なにはともあれ、二人とも健やかに育ってほしいと、心から願う母なのでした。


■GWうらばなし■

今回、ゴールデンウィークが長かったので、前半で広島、後半で愛媛に帰ったのですが…。

前半の間に4キロも太ってしまいました。

いかに実家で羽を伸ばしていたかわかります。その代りダイエットしたのは我が家のお財布。赤字国債でも発行しなきゃいけないくらい、激しくダイエットしてしまいました。ひゃー(笑)

おかげで帰ってからの生活が苦しい苦しい~(笑)

それなのにそういう時に限っていろいろ入り用が増えること。

これって、自然の摂理なのお?金は天下の周り物というけれど…うちにはいつ戻ってくるのやら。

突然、家電が壊れたり、忘れていた車の税金が来るわ、田舎の土地の固定資産税もばーんとポストの中でお出迎え。大きな金額だから…真っ青ですよ~。

帰省のときには子どもたちは、それぞれのじいちゃんばあちゃんに会えて、一日中好きなようにさせてもらえることでご機嫌でした。

今住んでいるところだって対して都会じゃないですが、安心して遊べるところが少ないので、いつも親が必ずくっついて遊ばせるのが基本です。

子どもの遊びに付き合って1日が暮れていくこともままあります。

実家へ帰った時には、庭で自由に遊ばせられるし、交通事故や不審者の心配もたいしてなく、気にかけつつも最低限の家事はできるのです。

ただ…害虫や害獣が出るのには少々閉口ですが…。(害獣…は、イノシシとか…)

特にむかでやアブなど、子どものやわらかい肌には大敵な害虫はいただけません。

夜中に足がもぞもぞしただけで飛び起きてしまいます。

子どもより自分自身が苦手なだけなんですけどね…(笑)


(1998.5.19記)