嫌韓に、「日本は朝鮮から学んでない」、って言われちゃったw
旗田魏(朝鮮史)
日本は長い歴史を通じて朝鮮文化を吸収してきた。
それは歴史以前に遡ることができるが、
古代・中世を通じ、絶えずとりいれてきた。
近代以前では日本人は朝鮮を先進国とみなし
多様な朝鮮文化の輸入に努めてきた。
文化の吸収により、日本文化を豊かにしてきた。
「日韓併合」 海野福寿
併合直後の日本のマスコミは
こぞって併合を美化・正当化し、植民地政策を支持した。
韓国領1万4千方里の取得で
一挙に1,5倍の領土となったことに浮かれる国民感情と交錯し、
大陸侵略の夢を膨らませた。
「余の尊敬する人物」矢内原忠雄より、
<新渡戸稲造の演説>
「忘れることの出来ないのは朝鮮併合である。
之は文字通り千載一遇である。
我国は一躍してドイツ、フランス、スペイン等より
広大なる面積を持つこととなった(中略)
とにかく、今や我国は西欧諸国より大国となったのである。
諸君は急に大きくなったのである。」
それにもまして、国民に影響を与えたのは、
教育を通じての、朝鮮蔑視と
民族抹殺・日朝一体化論の注入である。
先頭に立ったのは歴史学者だった。
喜田貞吉 (日本古代史、当時文部省図書審査官)
「韓国の併合と国史」 1901年8月
「日韓もともと同一であるのは事実であって
決して一時の方便説ではない。
従って、今回の併合は韓国を滅ぼしたのではなく
その太古の有様に復帰せしめたものである。」
「韓国は貧弱なる分家であって
我国は実に富強なる本家とも言うべき者」
歴史上しばらく離れていたが、分家が復帰したので
「彼らを同化融合せしめねばならない」(日韓同祖論)
この後、教科書にも変化が現れる。
「尋常小学国史」 1920年発行
「神功皇后の三韓征伐」
「天智天皇の百済救援出兵」
「秀吉の朝鮮出兵」
「明治時代の征韓論」
「朝鮮事変と天津条約」
「日清戦争と下関条約」
「韓国保護国化」
「韓国保護国化」
韓国は我保護下にあること数年に及び
政治おいおいに改まりしが
その国多年の弊政は全く除き難く
民心なお安からざるを以て、国民福利を進めんには
日韓両国を合わすの他なき事次第に明らかになり
韓国民中にも之を望む者少なからず。
ここにおいて韓国皇帝は統治の権を天皇に譲り
帝国の新政によりてますます国民の幸福を増さんことを望まれ
天皇また其の必要を認めたまいしかば
43年8月ついに韓国の併合を見るに至れり。(中略)
かくて半島の民は悉く帝国の臣民となり東洋平和の基は
いよいよ固くなれり。
「歪めらた歴史像」 旗田魏
我々が抱いている朝鮮史像には
歪められたものが多分に含まれており、
それが先入観となって正しい認識を妨げている。(中略)
植民地時代には日本人が朝鮮史研究をほぼ独占し、
朝鮮人による研究は抑圧され、
ごく少数のものが不利な条件の中で研究するだけであり、
他の外国人も手をつけなかったので、
まさに日本人の独断場であった。
随分多くの業績が現れ、個別分野では精密な研究もでた。
しかし、全体像を描く時は例外なく
「朝鮮はつまらない取り柄のない国」
と印象づけるような歴史像をつくりだした。
朝鮮停滞論
「朝鮮社会は停滞・落後していて自力では発展しようがなく、
李朝末期は日本の平安時代の段階にとどまっていた」
日鮮同祖論
「日韓は同祖同源で血のつながりがあり、太古から日本が朝鮮を支配していた」
満鮮一体論
「朝鮮には独自の歴史がなく、大陸の波動にすぎない」
他律性史観
「朝鮮人には自力で歴史を作る能力がなく、いつも大陸や日本に依存していた」
等が有力な歴史家によって主張された。
当時、日本当局は独立解放運動を警戒し、
徹底的に弾圧すると同時に
朝鮮人が民族意識をもつこと自体をおそれ、
民族的精神を抜き去ることに力を注いだ。
同化政策、皇民化政策がそれである。
先の歴史観は植民地政策のなかで生まれ、それにかなうものであった。
朝鮮人にとって目を覆いたくなるような歴史像が
教育や報道を通じて朝鮮人に注入された。それは朝鮮人にとって
耐え難い侮辱であり、当然に反発したが
強大な権力を背景にこういう歴史像がまかりとおった。
(中略)
戦後皇国史観を主張するものは殆どいなくなった。
神功皇后が新羅を征伐して降参させたとか、
日韓併合は朝鮮人への恩恵であるとか
侵略を露骨に礼賛・誇示する者は殆どいなくなった。(中略)
しかし、事実認識には古い歴史像が少なからず存続している。(中略)
朝鮮史が外界との不断の関係から形成されたのは明白な事実であり、
何度も外圧を受け、文化も伝来した。
しかし、ここで注意すべきことは
外圧が加わる前に朝鮮人の生活歴史があったことである。
外圧を受け止め対応する朝鮮人の活動があり、
対応の仕方は朝鮮人の内部関係に規制された。
従来このことを忘れて外圧を過大評価する傾向があったが、
歴史を作る主体が朝鮮人だったと見失ってはならない。