★ゴルァⅣ★ -54ページ目

無い、と言っていた中国人強制連行

大日本帝国では、戦局悪化に伴い、
労働力不足は深刻化の一途をたどる。
当初、労働力調達は朝鮮人中心だったが、
やがてついに敵国人中国人にも及ぶ。


華北では、1937年の時点で
中国人の満州への連行が行われていたという。
捕虜やうさぎ狩り(軍による奴隷狩)による強制連行である。
しかし、国際非難をおそれた日本当局は、
1941年7月に「華北労工協会」を設置。
日本企業がこの団体を通じて契約を結ぶ体裁をとることにする。
(実態は、中国人は契約書の存在知らず、賃金も受け取っていない、という話がある。)

http://hb5.seikyou.ne.jp/home/ykkwhr/saiban18.htm

10月、日本土木建築工業組合連合会が興亜院へ陳情
「支那苦力移入ニ関スル件」
内容は軍からのノルマ達成のため、労工派遣を積極的に要請するものである。


1942年 華人労務者内地移入ニ関スル件」閣議決定(東条内閣)
      翌年から試験移入として実施。
1944年 華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件 次官会議で決定


1943~45年で約4万人が国内に連行。
炭鉱、鉱山、建設現場他、35社、135事業所に配置されて使役


中国人強制労働の実態
BC級戦犯の横浜法廷で「花岡事件」として有名になった、
鹿島組花岡事業所の実態。
(同和鉱業花岡鉱山 鹿島組花岡事業所)
44~45年の間、3次にわたって計986人の中国人労工が「移入」。
1年で418人死亡。
敗戦直前に待遇改善を求めて暴動が発生、
憲兵隊がこれを鎮圧し、拷問等で100名が死亡する。


仙台捕虜収容所から米情報局への報告書(米国立公文書館所蔵)
「鹿島組華人労務者暴動状況ノ件」
暴動の原因は、労務加重、食糧不足、労賃不払いと
「牛馬ヲ取扱フ如クニシテ作業中停止セバ撲タレ」
と明記している。

戦後、
BC級戦犯横浜法廷で鹿島組事業所長と警察署長らが裁かれ
6名に絞首刑含む有罪判決、後減刑、釈放。
企画立案者はお構いなし。


敗戦後、日本政府は戦勝国となった中国から、
強制連行や強制労働の問い合わせがあると予測し、
(中国の在留邦人の照会とバーターになる)
中国人が配属された全国135事業所に報告書提出を求め、
そこに専門家を派遣して4万人の実態についてに調査をさせる。
ここから「華人労務者就労事情調査報告書」(昭和21年外務省管理局)
がまとめられた。
その内容は、半強制的に中国人を連行し、うち6830人が死亡した、と認めるもの。


しかし、機密文書として公開されず、
後、報告書は焼却処分されたと主張してきた。

日本政府の主張
「中国人労働者は契約労働者である」
「請求権の問題は日中共同宣言で賠償請求権を放棄したことで解決済み」


しかし、1993年、米国立公文書館で報告書を発見。
文書から各調査官にあたると、
当該文書を所持している者がいたことが判明。
なんと、報告書を保持したまま、沈黙していたのであった。

当初政府はこの報告書が本物かどうかコメントしなかったが、
1994年、政府は外務委員会で報告書を本物と認め、
強制連行は半強制的で、事実であると認めた。

しかし、朝鮮人については現在も強制連行を認めていないw。