タイトルに含まれているとおり、「幸せ」について示唆的な話が多かった気がします。

メリーさんにストーキングされる『怨霊』や、絶望に沈んだ少女が出会った表題作など奇才と奇想の全六篇であり、いつものSF要素やグロ要素は鳴りを潜めていますが、そうであっても全編通して安定の小林泰三クオリティが味わえます。

行き着く先は破滅か幸福か。すべてを知ることが幸せか、あるいは知らないほうが幸せか。いやさ、「幸せ」になるには「人間」を止めてしまえばいい。そんな魔障済々な全六篇。

 

 

 

 

[内容]

怨霊

勝ち組人生

どっちが大事

診断

幸せスイッチ

哲学的ゾンビもしくはある青年の物語

 

 

怨霊

引っ越しの荷物から出てきた金髪碧眼の少女の人形。こんな人形持っていただろうかと訝しむも、取っておいても仕様がないので、竹内春子はその人形をごみ捨て場に置いていく。しかしその後、春子のもとに電話が掛かってくる。電話の主は少女の声で春子に告げる。「わたし、メリー」。

『逡巡の二十秒と悔恨の二十年』収録の『メリイさん』と話の筋はだいたい一緒でありオチも同じ一篇。タイトルの割にホラー色はなく、むしろ完全にギャグです。

 

 

勝ち組人生

莫大な遺産を相続した会社員の女性。本来なら勤めなど辞めて贅沢三昧な生活を送れる身分であるが、遺産を守りそして更に殖やすことを使命と弁え同じ会社に勤め続けている。そんな彼女はある時、気に入らない同僚の銀行口座のIDとパスワードを偶然入手する。それ以来彼女は、同僚の預金残高を覗き見るようになる。

他人の幸福を横から勝手に定めたり、他人を見下げることで幸福感に浸ったり。それはあまり褒められたことではないのでしょうが、誰しも身に覚えのあることでもあるのでしょう。そうした悪癖を皮肉ったような一篇であると思います。

 

 

どっちが大事

食事中にスマホでメールを確認していたら、妻から「わたしとスマホとどっちが大事なのか」と問い詰められてしまう。その場は丸く収めるも、別の日にスマホでニュースを観ていたら再び「わたしとスマホとどっちが大事なのか」と迫られる。のみならず、パソコンを使っていてもテレビを見ていても、彼女は同じことを繰り返して責め立ててくる。彼女の言動がとにかくエスカレートしてゆく。

ひたすら無茶苦茶な理屈をぶつけてくるその様がおぞましいことこの上ない。オチはだいたい想像どおりでしたが、それでも最後の一行には怖気走るものがありました。

 

 

診断

救急隊員が駆け付けた家では、少女が腹痛を訴え悶えていた。しかし母親は救急車ではなくドクターヘリを寄越すよう求め続け、なかなか救急車に少女を乗せようとしない。隊員が母親を説得してどうにか病院に向けて発進するも、今度は病院が遠いことに対して母親は苦言を呈する。母親を宥めつつ病院に到着し子どもを医者に託して安堵する隊員。しかし数時間後、再び母親から救急車の要請が入るのであった。

『どっちが大事』に続き、ひたすら不条理な主張が繰り広げられる一篇。冷静を保っていた者も次第に狂気に呑まれていき、最後には幽明境さえ超えてしまうのです。

 

 

幸せスイッチ

少女は高校時代に事故で両親を亡くした。その後恋仲になった男からは金を騙し取られ、別れ話を持ち出され、挙げ句身籠った子どもまでも殺されてしまう。絶望に沈んだ少女はあるとき、「幸せスイッチ」と名乗るNPO法人の広告を見つける。「すべての苦痛からあなたを開放します」。胡散臭いことこの上ない広告であるが、失うものなど何もないと腹を括った少女は、そのNPOに連絡を入れる。

「不幸の原因は欲望」「欲望が満たされないとき不幸を感じる」。それは蓋し真理と言えるでしょう。そして「幸せ」を感じるために、脳を常に欲望が満たされた状態にしてしまうという。それが「幸せスイッチ」。実際にそのスイッチを入れて苦痛から解放され幸せに浸るそのさまは、どこか人間を超越したものにさえ感じられたものでした。すなわち苦しみから解放され常に幸せでいられるのは、人間に非ず、人でなしだけであるという事でしょうか。

 

 

哲学的ゾンビもしくはある青年の物語

デートの最中、彼女の様子が怪訝しくなった。直前に言っていた言葉を繰り返し、会話が通じなくなってしまったのだ。さらに彼女はそのことに無自覚のようである。後日、友人にその話を聞かせたのだが、あろうことかその友人までもがまったく同じ症状を見せたのだ。二人が結託して自分をからかっているとは思えない。一体何が起こっているのか。疑念が深まっていく。

知らないほうが幸せ気付かないほうが幸せ。そんな在り様が描かれた一篇であり、自分が今まで視てきた世界が実は…、自分がこれまで出会ってきた人たちが本当は…、というそんな足元の覚束なさを覚えます。そんな事は知らない方が良かったのかもしれないけれど、知ってしまったら、翻ってそれはそれで幸せに近づくのかもしれないと思ったものでした。いずれにせよ、この不安定な世界観をもって全体が締めくくられるラストは、これがまた実に含蓄があります。

 

 

読了:2024年3月21日