ジャッキー・ロビンソンの映画 背番号42 ブルックリン・ドジャース
ジャッキー・ロビンソンという人物 昔の初の黒人MLBの野球選手
その昔、僕は彼を題材とした映画を観た
それが「42~世界を変えた男」という映画
人種差別の壁が大きく立ちはだかっていた1947年 終戦後2年
日本が焼け野原となり復興に大わらわしていた頃、アメリカは野球をしていた
国民も楽しんでいた 戦勝国と敗戦国の明暗か
本人画像 42の数字が見える キャップは「B」だ
1947年4月15日 ブルックリン・ドジャース(現ドジャース)
で1塁手としてMLB初出場 黒人初の選手として
ジャッキー・ロビンソン
黒人リーグを経て1947年4月15日に米大リーグ史上初の黒人選手としてブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)で、28歳でデビュー。俊足巧打の内野手として同年に初代新人王となり、49年には最優秀選手(MVP)と首位打者に輝いた。55年にワールドシリーズ制覇。オールスター戦は6度選出。現役引退後は公民権運動に影響を与え、62年に米国野球殿堂入り。72年に53歳で死去した。(共同)
引用 コトバンク
背番号42は永久欠番となった
観てほしい映画の一つだけど、人種差別の映画は多いよね
古い時代の映画だとちょっとした場面(シーン)にも垣間見えたりする
映画アポロ13でも、NASAの黒人女性職員が長く席を離れていたことを上司が叱責すると
黒人専用のトイレがあんなに遠い所にあったら、そんな短時間では戻れないのよと切れて発言した
その上司は分かったと 全てのトイレの白人専用のサインをぶち壊してしまった
これで、トイレから早く戻れるだろ 上司役はケビン・コスナー
いや思い出せばたくさんある やはりある映画 実話だ
当時著名だった黒人天才ピアニストだった人の物語でも、招かれたはずのホテルのレストランでの食事を
拒まれた 黒人お断りの伝統だ トイレもそう 何もかにもに及んでいた
有りえないことが当たり前のように黒人たちの前に立ちはだかっていた
そんな時代
しかし、想像するに一番きつかったのは 人々の黒人に対する敬意のなさだろう
敬意がないというより見下していた 社会全体として黒人は蔑むべきもの
そしてそれが全ての人の黒人に対する当たり前の態度だった
これは相当に堪えたと思う 諦めて生きていくしかない
彼らは何も悪いことはしていない ただ肌が黒いだけだった
ジャッキー・ロビンソンは実力でそれらを跳ね返し、人々に認めさせ英雄となり
後年MLBが2004年にジャッキー・ロビンソン デーを制定した
今日のように全ての球団が背番号42を付けて試合をするようになったのはもう少し後からだった
兎にも角にも黒人選手のMLBへの道を開いたのは彼の功績だった
日本人にも先駆者がいた 投手では野茂 野手ではイチローだ
今日はイチローの銅像の除幕式だった 知っての通り殿堂入りもした大選手となった
彼もまた今日に続く日本人選手の道を開いた功労者だった
しかし 人ってのは少しの違いが許せないものらしい
人種差別 僕はそんなもんはないと言い切れるのかと自問してしまう
僕にもある
迷惑な外国人 日本文化を尊重しない外国人はいかなる人種であろうと日本には来てほしくない
移民の容認は表面的には奇麗だが、軽々しく受け入れを行った国々の現状を見れば慎重に慎重を
重ねた方が良いと思う 日本文化の基本的生活態度はよその国の人には相当ハードルが高いと思う
ゴミ出し 騒音問題 アルコール 生活全般 自国の目立った文化を持ち込まないでほしい
特に宗教的なもの モスクとか本当に勘弁だ ムリはせず自国での生活を模索してほしい
日本は優しそうだから大丈夫なんてのはない ムリなものは断固反対するでしょう
余談
人種差別の問題を掘り下げるつもりはない
偉大な人がいた それは感動を呼ぶ 1年に1回だけのジャッキー・ロビンソン デー
皆して42を背負ってプレーをするMLBの選手たち 世界を変えそして世界は変わった
MLBの世界だけでも変わった それは素晴らしい歴史の積み重ねだと思う
今後も変わらずに...
2026.04.16 大谷君2勝目 打者DHには入らず投手専念
後半大爆発の打線 ホームラン 序盤キム テオスカー
後半ラッシング タッカー
ラッシングは満塁弾 凄い!
今永頑張れ!
今永も背番号42を背負って投げた
既に成功はしているがもっと成功してほしい投手だ












































