再来夢…心状 | 腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

光と闇は表裏一体。
2017年末に 脳梗塞で倒れ 糖尿病も併発、軽い右側麻痺、言葉がたどたどしい。
LDH系、特に三代目JSB、特に登坂広臣(臣ちゃ)好き♡♡♡
斎藤工(工ちゃん)好き♡♡♡
《いいね》は生存確認、内容に関わらずしてます。
(記事に無関係、無神経な※ 無言削除)


義母は普段、特に話し方などが面白い訳でもなかったが、こんな類の話をする時の、やや不満げな、憎々しげな顔、話の展開によって微妙に変化する顔…

私の笑いのツボに、どんぴしゃだった。

《え。顔に少しずつパシャッパシャッッてかけるんじゃなく、シャワーを上からブアァーってかけちゃったのっ!?》

「ほーやっ。」

《あっははっ。え。でもさ、シャワーなんてずっとかけられたら、息、出来ないよね?》

自分でシャワーをかけているならまだ、苦しくなったら止めるなどの調節が出来る。
しかし他の人にやってもらっているということは、自分の意志を、即、伝えることが出来ない訳で。

「息、出来ないよ。」

《し、死んじゃうじゃんっ。》

「ほーやっ。」

《そら姉ちゃん、あきまへんがなっ。》

「ほんとやよ。」

これらの会話の間も、もちろん、私の笑いは止まらず。
つられて義母も笑いが止まらず。

ただ文章にすると、とても怖いような会話が、笑顔…というより爆笑の中で交わされていた。

これは余談だが。

数日後、この話しを義母が私にしたと知った義姉は、少なからずショックを受けていた様子。

「お母さん…そんなに嫌だったんだ…。」

義姉に対して一切何も言っていなかった母親が、そんな風に思ってるなんて考えてもみなかった、のと、そんな愚痴めいたことを、この、私に言っていたことが信じられなかったようだ。

それに義姉の場合。
母親が癌であることそのものがとてもショックで。

とにかく義母の為に、色んなことを必死でやっていたので、それに対して多少でも不満を持っていた、ということがショックだったようだ。
(その時詳しく自分の心境を話したわけではなかったが)

私も私で、義姉がそんなにショックを受けるとは思ってなく。
皆が、義母のいないところでやや沈みがちな気持ちなのを、軽い笑い話として言ったつもりだった。

義姉は私が言ったことに対して【ふざけてる】的な怒りを持った訳ではなく、ただただ知らなかった、という意味で軽くショックを受けただけだったので、笑ってはいたが。
(ほんの少し寂しげに)

そしてこの頃。

義姉夫婦の間は、更に険悪な雰囲気になっていたようだった。

ある日。
義姉、子ども2人、私、の4人で食事をする機会があった。

食事中、義姉がお義兄さんについての不満をグダグダ言い始めた。
彼女は本当にお義兄さんがお嫌いなようで(苦笑)。

それを聞いていた姪長女が口を挟む。

〔だったら、別れれば良いじゃんッ。〕

「そぉいう訳にもいかないじゃなぃ。あなた達はまだ高校生だから、色々お金もかかるし…」

《んじゃ姉ちゃん、そのへんは割り切って、表面だけでも普通にしてなきゃ。ある意味、利用させていただく訳なんだからさ。》

〔そぉだよッ!!ほんっとに、家ん中最悪な雰囲気なんだよッ!!あたし達の身にもなってよッ!!〕

姪長女はもちろん、次女の目も、必死に訴えていた。

〔別れるならサッサと別れたらいいじゃんッ!!〕

「だからそれはでき…」

〔じゃあ、あたし達はどぉしたら良いのッ!!お父さんも、お母さんも、勝手なことしてッ!!〕

姪長女も、おばあちゃん大好きッ子だったので、今回の義母の病気は、とてもショックだった。

そんな精神状態の時に、自宅では両親がいがみ合っている、というのが、彼女の心を押し潰しそうになっていたのかもしれない。
いつになく、母親に食い下がる。

しかし義姉も、子ども達の心のケアをしてやるほど余裕がなく。

「だからあなた達が成人したら、別れるつもりでコチラも準備してるでしょっ!!あなた達がいなかったら、お母さんだってとっくに別れてるわよっ。お母さんだって我慢してるんだからっ!!」

〔だったらっ!!もっと家の中の雰囲気を考えてよっ!!〕

「うん、分かった分かったっ!」

最後は、なんだかうやむやに話しが終わってしまった。

義姉的には、それほど家の中の雰囲気が悪い、という認識はなかったかもしれない。
義姉にしろ、お義兄さんにしろ、気に入らなきゃ口をきかなきゃ良い訳だし。

しかしそんな中にいなきゃいけない子ども達は、たまったもんじゃない。

それに【あなた達がいるから】という台詞は、子どもの立場としては、かなり辛いもの。
辛い、というより、ウザい、と言うべきか。

これは私がいつも母に言われていたのと同じ台詞。

「あんな男でも、アンタにとっては父親だからっ!アンタの為にっ!アンタの為にっ!!」

「アンタがいなかったら、あんな男っ!とっくに別れてたっ!!アンタの為に別れないで我慢してやったんだっ!!」

そう言われることは、もちろん普通に考えても嫌なことだった。

ましてや私の場合、私に【あんなこと】をした男との婚姻関係を続けるその訳を、私の為だと言われ続けることは、ある意味拷問に近かった。

地獄だった。

後から思えば、共依存者の母が、その【大事な対象者】を手離すわけもなく、その大義名分の為に私が利用されていたわけで。

それに気付いてもなかったあの頃は

((恩着せがましくグダグダ言ってねーで、さっさと別れろやッ!!))

いつもそんな風に思っていた。

だから姪達の気持ちは、痛いくらいによく解った。

そして…。

家の中がゴタついてるのは、義姉達だけではなかった。