原発に頼らない社会を作るための多額の費用は、誰も負担しなくて良い | 三橋貴明氏の原発再稼働を批判するブログ

三橋貴明氏の原発再稼働を批判するブログ

原発を延命するのに使うお金、次のエネルギーを開拓するのに使うお金。
次に原発が事故る確率と、次のエネルギーの技術革新が起こる確率。
次に日本で大地震が起こる確率と、原発の組織内で癒着が起こる確率。

三橋貴明氏の経済政策は正しいが、原発推進は間違い。

原発は停止してから廃炉まで、多額の費用が掛かります。あるいは、廃炉した後も、放射線廃棄物の処理/管理に、多額の費用が掛かり続けます。
一方、原発を廃止することで低下した、日本の電力供給の余力量を引き上げるために、最新鋭の高効率火力発電所を新規に建設する必要があります。また、電力会社の原発推進によって、既存の多くの火力発電所が老朽化したままになっています。これらの老朽化した火力発電所を、随時、最新鋭の高効率火力発電に更新していく必要があります。

これらの多額の費用を、誰がどのように負担するのかについて、多くの議論が見られます。原発賛成派の人に原発の運用費を負担させる、とか、原発反対派の人に値上がりした電気料金を負担させる、など、負担の行き場を探しています。

しかし、結論から言えば、費用は関係ありません。
原発に頼らない社会を作るためのこれらの脱原発費用は、すべて国家が支払います。国家として、原発に頼らない社会を目指すことを決め、それに掛かる費用は、国家が支払うことで、すぐに解決される話です。

これらの脱原発費用の支払いは、円で行われます。これに必要なお金は、金融緩和、および、国債発行によって、日本政府が円を創出し、日本政府が費用を支払います。これを繰り返していくと、いずれインフレになり、放置すれば、バブルになります。そのため、日本政府は、過剰なインフレが進んだ時に税率を上げて、国民の消費活動を抑制します。このとき、税率を上げて回収した円は、再び、費用の支払いに当てることが出来ます。あるいは、必要以上に大量に回収できた場合は、発行した国債の返済に当てることが出来ます。

国家としてのお金の意味は、家庭にとってのお金の意味や、1企業にとってのお金の意味とは、全く違います。国家としての経済は、家計簿の金銭感覚や、1企業の会計感覚とは、全く違うものです。日本政府は、必要なお金を、何の負担もなく創出できるのです。この点について、三橋氏の書籍やブログに繰り返し記載されています[1][2]。三橋氏によれば、『我が国はデフレであるため、建設国債発行、日銀国債買取のパッケージで、政府の実質的な負債を増やさない形でおカネを調達できます。「返す必要がない借金」について大袈裟に騒ぎ立てる時点で妙な話です。日銀が建設国債を買い取れば、政府は返済負担が消滅します』[1]。これを家計簿の感覚で考えている方は、膨大な脱原発費用を誰が負担するか、に議論が終始します。しかし、国家が脱原発費用を支払う以上、負担という観念はありません。日本政府がお金を創出し、日本政府が費用を支払うのです。そして、誰も、負担はしないのです。
[1] http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11607138503.html
[2] http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11623982819.html

三橋氏によれば、『企業などの借入意欲が乏しい以上、現段階では「政府がおカネを消費、投資として使うしかないでしょ?」というのが、わたくし達の立場になります。しかも、現在の日本は東北復興、全国の耐震化、インフラのメンテナンス、そして東京五輪に向けた環境整備と、「政府」がおカネの行先を決めなければならないプロジェクトが目白押しなのです』[1]そうです。そしてここに、第3世代以前の動作構造が本質的に危険な原発、すなわち、日本に現存するすべての原発の廃炉事業と、さらに、原発に頼らない社会を作るためのエネルギー事業が、含まれるのです。
[1] http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11623982819.html

三橋氏によれば、『
日本政府は、日本銀行に国債を買い取らせることで「実質的に負債を増やさずに」東北復興や国土強靭化におカネを使うことができます。株式の55%を日本政府が保有している以上、日銀が「親会社」の政府に「カネを返せ」などと言い出すことは有りません。上の図(日本銀行が保有する国債・財融債権、国庫短期証券)の日銀が保有する「政府の借用証書」は、返済する必要がないのです(してもいいですが)[1]そうです。国家が脱原発費用を支払う以上、負担という観念はありません。日本政府がお金を創出し、日本政府が費用を支払うのです。そして、誰も、負担はしないのです。
原発に頼らない社会を作るためのこれらの費用は、国家が支払うべきという主張です。そして、国家が費用を支払う以上、この脱原発費用を、誰がどのように負担するのかについて考えることは、無用です。