
新たな「環境」小学校へ入学しました

去年の11月ごろ

→学校へ身体障害について報告

今年2月ごろ

→学校長と面談


→入学時、新一年生保護者にわたしから話す
→対面式時、在校生に母の説明手紙を担任代読で説明してもらう
その2種で、soraの【いま】をお伝えすることにしました
3月

夫(父親)は、
「仰々しい」
「目立って可哀想やんか」
反対しました。
あっ、相談あまりしなかったので(笑)
反対されても却下でしたが。
夫と私、アプローチの仕方が全く根本から違うんです〜こどもたちがよく混乱せんな?ってくらい
でも、それでいいんです。
私は、soraの葛藤をありのままに受け止めるには、私の葛藤もありのままに表現するしか無理なんです。伝わるかどうかなんてダメ元で伝えて、
不器用でも、伝わらんくても、伝えたかったら
伝えて失敗してもよかったと胸を張ることしかできなかったんです。
みんな分かってくれたら、息子に優しくなるはず
イジメないはず
なんて、そんな想いは1ミリもありません。
みんなが聞きたくなる想いもわかる。
聞きづらくならなくてもいい。
聞いて受け止めてくれる子が1人でもいたら、
彼は人を信じて生きていける。
たった軽度な身体障害に何をそんなに気負ってってどーしたんと思われるかな?
軽いってなんですか?
重いってなんですか?
ひとりの人間が生きているのに、
「大丈夫、大丈夫」って
根拠ない励ましは相手を傷つけるよ。
その子にとって、今しんどい壁を越えようとしてるという【いま】を言葉に出来ない彼の態度を
母は間違ってたかもしれないけど
母なりに表現させてもらいました。
入学式後、たくさんの保護者の方も
我が子の入学で嬉しい気持ちでいっぱい
やのに、こんな話に時間を取ってしまってとか
soraも注目されて辛くなったらどうしようとか直前まで気持ちはグラグラ〜
話しながら、涙出そうになるし、
緊張しすぎて、心臓口から出るー‼️
ってなったし…
あー、下手くそやな。
仕方ない、コレもわたし。
と思って、帰宅して、家族旅行にすぐ行くので
段取りしていたら、soraの声の張りが
なんとも清々しくて
ハツラツとしてて

また、泣きそうになりました

はっきりと正解なんてないけど、
笑顔がありました。



障害を開示することは、開き直ることではない。
障害を持ちながら生きる葛藤をしていいんだと
その居場所では思えること。
毎朝、楽しそうに「行ってきます」と
飛び出す息子を誇らしく思います。
いい日ばかりじゃない。
そんな日は一緒に泣こう。
また、楽しくなったら笑おう。
「普通」の子が暮らす社会で、形が違う子も
形が違うんだねと暮らす社会。
理想ばかりは語ってられない。
小学校、個々の価値観の見え始める10歳くらいに
辛くもなり、それを超えて強くもなり
さまざまな葛藤をするだろう、
そんな時、感情のままに、一緒に過ごしてみよう。
学校
幼稚園
友人
家族
みんなみんなありがとう😊