書きたいことがあふれる日々を過ごしております...
年末大掃除は?と自分を責めず
心の大掃除を優先しているの!と自分を肯定しています(笑
このブログを始めるにあたって、自分自身の育児を振り返り、
子どもの成長への喜び、葛藤を記していきたいという思いも強かったので
やはり、この記事は書き終えて年を越そうと思います。
ブログスタート→ 子育てを楽しむためにはコチラhttp://ameblo.jp/aozorayu1/entry-11963465735.html
次男;sora誕生2011年5月18日(3年半前)
前駆陣痛を感じる数日を超え、本陣痛が起きてから2時間の
スピード出産。
ふ~っと産み終え分娩台でほっとしていると、
ん?なかなか赤ちゃんを抱かせてもらえない
二人目でだいたいの流れを知っているので、
大して待たされていないのに、疑問に感じたのかな?
疲れた体を少し持ち上げ、体重計で泣き叫ぶわが子を探す。
「あれ?お手手ないですか?」たぶんすごく冷静な口調で助産師さんに尋ねたような。
「大丈夫?お母さん?」と助産師さん。
「はい」
助産師さんに抱かれて、カンガルーケアのため胸に抱かせてもらう。
手を取ってみると、小さな小さな左手指は一本小さな親指。
他の4本は豆つぶのような小さな指。
「お手手が作られなかったんだ~。」
でも、すぐにおっぱいを探し当ててぐびぐび力強く飲む彼に
「大丈夫?ってなんだろう。絶対大丈夫やし」って思えた。
夜の出産だったので、翌日に診察で形成外科、小児科医に診てもらうと
いうことになりました。
でも、母として立派にやれるのかな?とかひとりになると
不安が押し寄せてきて、とても苦しかった。
翌日、
海外出張だった夫が帰国し、ほっとして涙。
長男が面会に来て「あかたん~かわいい~」とすりすり、
ぎゅうぎゅうしてくれ涙。
両祖父母が面会に来てくれて涙。
義理の姉が面会に来てくれて「頑張らなくていいよ」の言葉に涙。
出産を一斉メールでは報告する気分ではなく、一部の友人に何枚も手紙をしたためながら涙。
助産師の一番偉い人が勤務後、私の病室でいろんな話をしてくれて涙。
担当医と話して涙。
あれま?
退院の日の顔パンパン..
sora写真見て傷つけたらごめんやけど、
それだけ母は涙を流していい温かい環境にいたんだよ。
たぶん、一人じゃない大丈夫って心底感じて涙が出たんだよ。
でもでも、その時は「この先彼にどんな壁が立ちはだかり、母はそれをクリアしていけるフォローする技量をもっているんだろうか」不安の塊だったのも本当です。
しかーし。
不安を解消してくれるのは、私ではなくてまぎれもなくsora、あなた自身なんだよぅ。
3か月首もまだ座らないとき、小さな左手でスプーンをひょいと持ち、ガーゼを持ってヒラヒラ♪
7か月しっかり手を使い、ハイハイ♪
10か月卵ボーロのような小さな食べ物をつかみ食べる♪
1歳すぎ持ち前の男気で子育て広場で泣く赤ちゃんがいればあやす親分パワー発揮♪
2歳妹ができ、しっかり兄ちゃんに♪
3歳、幼稚園入園で一歳年上の子たちととても仲良く園生活を楽しむ♪
なんと、手首、肘を使って鉄棒も!!
結局、母は見守ることしかできていません。(てへっ)
そのクリアするすべを見逃さずに、時には失敗するかもしれないけど
一緒に「まいっか」と再チャレンジできるハートの強さの一因を
作ることしかできません。
障害を有するか有しないかではなくて、自分を大切にできるか否かだと。
健常児を育てることと育児に関しては同じなんだと。
母は日々彼自身に気づかされます。
勝手に頼んでもないのに気負われても、迷惑しちゃいますよね?
ただ、彼自身は自分を理解してくれる人を味方につける努力や勉強を
少し頑張らなくてはいけないシーンにぶつかるかもしれません。
人より高いハードルを越えたからこそ、より自分を大切にできる
強い男に成長してくれると信じています。
彼が産まれて、「普通」って尺度の無意味さに気づかされ、
これまでの人生「ちゃんとしなきゃ」って頑張ってきた自分の
「ちゃんと」に疑問を持っていますが...
なかなか、わたし「ちゃんと」しなきゃが修正されなくて、
日々子どもたちに育てられています!
そして、何より彼を取り巻く環境はハートフルです。
家族、お友達、先生やご近所さんまでも味方につけてく彼の魅力について、
またのちにブログでお伝えしていきたいなと思います。
「自己肯定感」
自分を大切に思って過ごすために必要な力。
いじめやストレスという嫌な現実から自分自身を守る力。
子育てにおいて、もっとも育ってほしい自己肯定感ですが、
母は育児に自信たっぷりというわけにもいきません。
そこで悩み、葛藤を覚えます。
さまざまなお母さんの愛情表現を知ることも方法かもしれませんが、
お母さん自身無理なく正直に生きることって大切かなぁと
息子を通じて感じます。
障害を持って産まれた彼に自分の人生を捧ぐというと美しい
のかもしれないのですが、彼の人生は私の人生ではなく、
彼のかけがえのない大切な彼自身の人生ですので...
長いお付き合いありがとうございます。