ごきげんよう♡
横浜市金沢区
働くママの応援隊!
現役ナースでコミュニケーション講師の大場まさみです。
母の状態についても書いてあり限定記事にしますが
私と母・父が在宅介護をどのように決めて
どのように整えていったのかを記録していきます。
これから在宅介護を決めていく人の少しでも参考になればと思います。
癌を乗り越えたと思った母の不調
今年はコロナでお花見自粛
今年桜を見るのが最後のチャンスの人は
寂しいだろうな・・・
桜を見せたい・・・という気持ちになるのは
日本人だからでしょうか?
母が2019年11月抗がん剤の副作用で重症肺炎になってしまいました。
癌の再発部位の影響から反回神経麻痺症状があって
喉頭蓋麻痺(食道部分の蓋がずっと閉まらないで開いている状態)があるため
少しの咳や痰をとるための吸引処置が
嘔吐反射を引き起こします。
肺機能の低下と喀痰・咳嗽は反回神経のある母にとっては吸引は必須。
吸引がないと窒息・誤嚥肺炎にリスクが高まるため
それに加えて肺炎による急激な体力低下で
主治医から癌に対してもう積極的な治療はできないと
説明を受けながら
(いわゆるターミナル宣告です)
「桜を見せたいなぁ」と
肺炎の影響で意識がはっきりとしない母を前に
そう思ったのを覚えています。
癌の経過
2011年に62歳で上咽頭がんを宣告されて
放射線治療、抗がん剤治療を乗り越えて
仕事へも復帰し
自分の母親を遠距離介護から仙台の老人ホームに呼び寄せて
近距離介護までをこなした母。
2019年1月には初発の癌治療から8年経過して再発の危険が少なくなったため
定期検診がなくなったことをお祝いして父母、私の家族、弟夫婦と大人数で
海外旅行に行って家族での思い出を作れたくらい元気だった母。
少し食事をとることに時間がかかり、
食事量が落ちていましたが
それは癌治療で行った放射線の晩期障害(5年後以降にでてくる障害)だと
主治医も私も思っていました。
ところが海外旅行から帰ってきた4か月後の5月に原因不明の意識消失があり
反回神経麻痺が出てきて(食道と気道を分ける弁が麻痺して動かない)
発声することも困難になり救急車でI病院に運ばれて
そこから3カ月。
母はI病院で原因を探すため検査という検査を受けながら
最初の1か月は点滴のみで絶対安静。
その後は
経鼻管栄養(鼻から管をいれて栄養を胃に流す栄養法)をして
少しずつ離床の為のリハビリをすることになったんです。
色んな可能性を調べていてくれたI病院神経内科の主治医K先生
九州や近畿の病院に検体を送ったり
外国文献での治療を試してみたりと
あらゆる可能性を試してくれましたが
確定的な診断をつけられず
I病院に入院できる期限が迫ってきて(特別な状態でない限り90日を超えると病院の
収入が減ってしまう制度がある)
その後の選択についてインフォームドコンセント(IC)が何回かありました。
その度に実家の仙台を日帰りで往復したのが遠距離サポートの始まりです。
母は入院中、すごく不満があったようで
説明が少ない主治医への不満
自分のやりたいことをやらせてもらえない看護師やリハビリ職への不満
病状でわからないことへの不安など
ありとあらゆる不満がLINEで私のところにきます。
不安については母にわかりやすく病状ややっている治療の目的などを説明して
母が納得できるようにサポートしていました。
医療者への不満についてはある程度聞き流すことと
医療者と母との間に不信感が出きないように
お互いの言い分を誤解のないコミュニケーションとなるように
サポートにはいったり(電話で)しました。
先生は私の希望を無視して、先生がいいと思ったことをやっている
それが母の意見。
鼻からの栄養は3カ月以上は鼻に潰瘍ができやすくなるので
『胃瘻を作ってリハビリの病院に転院することを薦める』
それがI病院のK先生の意見。
母はとても口からの摂取に拘っていたので
5月から7月までの3カ月
点滴と経鼻管栄養だけで口から摂取のリハビリをさせてもらえなかったことにものすごい落胆していて、その上自宅に帰れず、胃瘻を作ってリハビリ病院に行くことを
とても嫌がりました。
つまり母の希望は在宅介護だということです。
2019年7月段階では色々出ている症状の原因はわからず
治るのか治らないのかも不明だけど
反回神経麻痺以外は元気だった母
胃瘻は嫌だけど
口からは誤嚥のリスクが高く摂取できない
↓
食べないと死んでしまう
↓
やりたいことが母にはありその為に母は家に帰りたい
↓
家に帰ってやりたいことをするには体力が必要である
↓
食事をとる方法がなくては体力がつかずやりたいこともチャレンジできない
この状態を母にわかってもらえるようにかみ砕いて説明する
そして母の経口摂取の強い希望とそれを叶えるためには嚥下の為の訓練を受けたいと
思っていることを主治医に伝える
双方に思い込みによる意見の違いが出ないように
病院内で私の代わりに主治医と母の間に入ってくれる人を探して
その人と細かく連絡をとるようにしました。
その結果母自身も胃瘻造設を納得して
先生も母が母らしく生きることへのリハビリの拘りを納得してくれて
『胃瘻を作って体力をつくりリハビリをしながらやりたいことをやれるように家に帰る』
ことを母も望んで胃瘻造設⇒自宅に帰る方向で話を進めることになりました。
在宅生活に最初に必要なのは介護認定とケアマネさん
それまで元気で日本語の教師として働いていた母は介護認定をとっていなかった母
私が母の希望を叶えるために最初にしたのは
地元の包括支援センターにいってケアマネを紹介してもらうことでした。
私は子育てと仕事を抱えて遠距離で日帰り仙台往復なので
必要なことを仙台にいる当日にすまして
ほとんどを電話でのやり取りにすることが必要だったため
包括支援センターがどんな支援を母と父が必要とするかをイメージできるように
センターの人と面談で話す情報をしっかりとまとめていきました。
☆家族構成(仙台に住んでいるのは父と母。サポートできる人が側に居るかどうか)
☆別居家族の支援体制(私と弟)
☆在宅に戻ってくるときのADL(日常生活動作)
☆住居環境(ベットの有無、生活の基盤となる部屋、食事・清潔・排泄環境。)
☆実際在宅をするときに困るであろう住居環境に必要な福祉用具の希望を伝える
☆母の希望と父の介護力の客観的事実
☆その差を埋めるための支援サービスの希望
(嚥下の為の訓練ができるリハビリ職がいる24時間訪問看護ステーション)
介護認定を受けていない母は入院中に認定を受ける必要があります。
在宅を希望する旨を主治医のK先生に伝えて
病院と区の担当職員と連絡をしてもらい病院へ認定調査に入ってもらうことと
主治医の意見書を書いてもらうことをお願いします。
主治医には在宅で福祉用具や支援サービスが入らないと在宅に戻っても
生活ができないことを強調して
退院を●日以降に設定してもらえるように入院中にすることの
調整を図ってもらいます
(入院期限が迫っているので治療や在宅準備を早々に済ませてしまうと退院を迫られるため、検査の日程や胃瘻を作った後の指導日程を退院希望●日以降に終わるように設定してもらうことで入院していられる理由作りに協力してもらう)
I病院の退院日は私が仙台に来れて
2泊することで父が母との生活を安心して受け入れることが出来る
私の夏休みにお願いしました。
それが2019年7月末の出来事です。