映画の、この世界の片隅に

っていうのがありまして

 

 

その中で

戦争に巻き込まれた後で

 

こんなセリフがあったと思います。

 

「戦争の前の穏やかな気持ちにもどれない」

 

これは私の曖昧な記憶ですが

 

ようは

戦争があった後はひどい経験が頭から離れなくて

もうもとのようにのんびりとした生活は送れない

 

その辛さがある。

ということかなと見てて思ったのです。

 

 

現代は

戦後100年もたっていないと言えば

その通りで

 

実は心の中に傷ついて

「元の生活に戻れない」苦しみを

味わっている人たちがいるのだと感じます。

 

 

この心の傷は

少しずつ癒されていくのでしょうが

 

とある認知症の方は

それこそのんびりとした

生活をされ、心穏やかな顔で

現在過ごされている方もいます。

 

 

おそらく

認知症のご家族は厳しさもあることと思いますが

 

なんとなく

そういう方との出会いには

感謝したいのです。

なんで自分がこんな目にあうのか

 

 

どうして私はここにいるのか

 

 

三つ子の魂百までも

 

生まれた時から、何かしらの

 

運命によって

 

ここにいることが決定されている。

 

 

しかし

それが悲劇とするならば

 

 

生まれたところに私の居場所をつくることなど

できず、つらい人生が終わるのを待つだけになるかもしれない。

 

 

だけど、命はそんなに弱いものではなくて

 

しぶとく、生きようとするもので

 

その中で自分の居場所、外部の環境と

折り合いをつけてどうにか生きていこうとするもの。

 

 

それは人間社会で言えば

 

親の選択の自由はないけれど

 

そこに生まれたからこそ

輝ける存在である

 

そう思えるようになることができる。

だからこそ人生は捨てたものじゃない。

 

 

ものすごく困難なことを

実は成し遂げようとしている

途中なのかもしれない。

 

 

その時に、くじけないよう

お互いに

生きていることを

たたえたいものである。

鬼は人間の姿をしています。

 

つまり人間の一部、

人間から派生したものと思います。

 

 

きめつの刃では

大切にされなかった子どもたちが

世の中に絶望しながら死んで

後に鬼となった

 

そんなように描かれていたと思います。

 

 

鬼ごっこ

という遊びは

 

鬼に追いかけられますね。

 

 

あおり運転も、

追いかけられます。

 

もしかすると

彼らの中にも

 

鬼の力があって

社会に大切にされないと思って

 

憎しみを持っているのかもしれません。

 

 

かれらは頑張っているのに

どうしてか

満たされない何かがあるのかもしれません。

 

 

もし視点を変えて

彼らに何かしらの満足を

与えられるような社会になりますように

 

と思えたら、

あおられても

あおりかえすことはないかもしれません。