仕事で

 

なんでできないのですか

 

と責め立てる文化は

 

たまにあると思います。

 

 

言ってる方は自分や後ろにいる人たちの正しさによせて

 

どうしてしてくれないのだろうか

 

と首をひねってみたり

するかと思います。

 

 

言われた方は

確かにそれはその通りだけど

 

できたらこんなに苦労はしていない

とばかりに

自分だってそうした方がいいのは理解できるけど

 

 

事実、そうしていない自分なのだから

それをどうにかなんてすぐできるものじゃない。

 

 

だけど、社会に属するうえで

 

それをそのままできないと受け入れることが

 

自分自身として受け入れられないこともある。

 

そりゃあ人間、群れを成して生きるものだから

 

村八分になったらなんとなく嫌なのは自然なことだと思う。

 

 

そんな時に、どうしたって

社会の立場の強い人や、多数を占める方のいうことが

 

いわゆる正しさとして武器の様に

取り扱われる。

 

自分自身のことを父親の様に守ろうとするならば

 

その言葉の武器に

あまり強く影響されない自分でありたい。

 

そのためには

他のコミュニティーの人間に

心を開いて

 

わずかばかりでも

心の触れ合いがあると

 

村八分にあった時に

心の支えとなってくれる。

年が行っても

 

お年玉がもらえる人

 

もともともらったことがない人

 

 

サンタさんみたいに

 

みんなにありそうなものが

無かったりして

 

結構落ち込む

 

 

でも本当に欲しいのは

 

お年玉とか

プレゼントじゃない

 

自分で手に入れることができるということ

 

 

自然界で

食べものを得ること

 

自分の家を作り守ること

 

それは

お年玉やプレゼントがなくても

 

自分自身の本能と

何かしらの繋がりによって

 

与えられている。

他人のお世話はよくするのだけど

 

自分自身のお世話となると

どうにもやる気が出ない。

 

自分のことが大切なのだから

 

大切にしてくれる人に大切さをあげたいもの

 

となれば

ややこしいけど

 

自分が一番依存しているものに

「お世話をする」とかもしれない

 

 

社長がおこりんぼで

その社長に嫌われたら

生きていけない。

 

だから

一番大切にする

 

それは自分を大切にしているから

 

 

怒りんぼのいうことを恐れて

言うことを聞いてしまうのは

 

自分が死にたくないから

その環境から出たくないから

 

自分がなにかにしがみついているということ。