人は誰かしらとつながっていないと

 

いても立ってもいられない!

 

自覚は無くても

 

おそらく共同体をつくって生き延びてきた人間として

 

そのような性質は持ち合わせているのではないだろうか。

 

 

時に、間違った自分を犠牲にする関係性であっても

 

仕方なく、というか必要に迫られている自覚もなく

 

はまっていることがいるような気がする。

 

 

そんなとこにいなくても

もっといい関係の中にいられるのに

 

あえてその関係性を選んでしまうのには

 

何か自分の中の理由があるようだ。

 

 

 

生まれ落ちた環境に適応するため、

 

さらには周囲の人間に依存し、育ててもらうため

 

自分自身が適応することに

 

必死になるのも無理はない。

 

 

 

しかし、子どもの時の事情はあれど

 

大人になってもその関係性から抜け出せないのは

 

おそらく苦しいのだろう。

 

 

その苦しみがあればこそ

 

抜け出しうるのかもしれない。

感情はこころの排泄物のように

 

何かを食べた心が反応してでてくるもの

 

 

それは煙突から出る排気のような

燃えるときのごみも出す。

 

 

こころが燃えることで

生きものはエネルギーを得ているような

 

そんな気がします。

 

 

 

いろんな心の燃焼をして

 

無理な燃え方もあれば

 

穏やかに小さく燃えていたりもする。

 

 

とりあえず、

 

食べすぎはよくないように

 

ストーブに燃料を入れすぎるのも

不完全燃焼してよくないように

 

ほどほどに

良く燃えるものを食べていきたいところ。

日本むかし話のアニメで

 

火男って言うのがありまして

 

 

ひょとこのお話なのですが

 

おじいさんが鬼にわらをあげたことで

御礼に火男をさずかるのですが

 

おばあさんは火男が何もせずへそばかりいじっているので

そして火男は一日に三度、金の玉をだすので

つついてつついて、

 

ついには火男がお亡くなりになってしまいました。

 

 

おじいさんは悲しんで

 

でも夢で火男がでてきて

 

僕はもう苦しくないから大丈夫ですよと

そして火男の面を台所に飾るといいですよ

とおじいさんに伝えるのでした。

 

 

それでお家はよくなっていくお話

だったと思います。

 

 

さて、

人はみんな何かしらの火男のような

豊かさを持っているけども

 

それを出そう出そうといじってつついてしまうと

かえってその良さがなくなってしまう

 

 

植物だって、いくら早く育って実りをつけてほしいと思っても

待つ時間の方が長いかと思います。

 

つい自分の足りなさが気になってしまうけど

 

火男のことを思い出して

 

放っておくこともいいもんだと思いたい。